第21話 「いや、見てないし……」

「おれが店長の近くによるたびに睨みつけてくる。さっき手に触れたときはとくに。だからわかったんだ、特別な関係だとね。尻をさするのは店長への愛情表現、アピール、嫉妬、だろう。おれには理解しがたいが」


「で、その彼は店長の度重なる浮気に嫌気がさしていやがらせをしていたのかい」


 ぼくはうっかりと邪推を口にしてしまった。

 店長は「とんでもない」と言って、両手を振って浮気を否定した。


「本人を呼んで直接訊くか? どうせ2分後にまた覗きに来る。それともおれの推理を聞くか。おっと、その前に確証を得たいので彼の名前を訊いても?」


 店長は恋人の名を照れ臭そうに口にした。丹野は頷き、店長の名前も再度確認した。


「視線だけで気がついたなんて信じられないな」


 ぼくが不審げに訊ねると、丹野はふんと鼻息を吐き出して店長を手招いた。


「店長の腕にたくさんのタトゥーがある。手首にはいれたばかりのアルファベット2文字。頭文字だ。恋人の。ほら」


 丹野は店長の手首からブレスレットをずらして、ぼくに見えるように示した。

 どうやらさきほど店長のそばに寄ったのは、嫉妬の眼差しを確認するためだけではなかったようだ。


「そうか、タトゥーを隠してほしくなかったのか」


「店員の鎖骨付近には店長のアルファベットが彫ってあった。彼はネックレスの類はつけていなかったから、目に入っただろ」


「いや、見てないし……」


 男の首元なんか興味はない。顔だって覚えていないくらいだ。

 丹野は「呆れた」と言ってこれみよがしの大きな溜息をついた。


「まさか、そんな」店長は戸惑っている。「カミングアウトを望んでいるんでしょうかね。商売のイメージ柄、あまり公にはしたくなくて」


「彼から何かプレゼントされませんでしたか。装飾品か時計か」


「……そういえば、去年のクリスマスに指輪をもらった」


「いま、つけてませんね。なぜつけないんです?」


「安物ではなさそうだったし、無くすのが怖くて大切にしまってあります。そういやあ」店長は何かを思いだしたらしく、はっと顔をあげた。「春になって一度だけ、なぜ身につけないかと訊かれたことがありました。だからこう言ったんです。『大切に取っておきたい。つけるものがなくなったら使う』と。彼は納得した様子でしたが、え、まさか、それでアクセサリーをひとつづつ盗み始めたというんですか? つけるものがなくなったらつけてもらえると思って? そんなバカな」


「ああ、バカなやつだ」丹野は遠慮がない。


「恋をするとバカになるもんですよ」とぼくはついつい、フォローを口にした。


「盗んだのではなくて隠しただけでしょう。あとは彼に直接訊いてみたらどうかな」


 丹野の予告通りにきっちり2分後にバックヤードを覗きに来た店員は、全員の視線に迎え入れられてぎょっとした顔になった。




「ああ、地獄だった」


 丹野に言わせると、その後の展開は地獄になるのだが、ぼくに言わせると、微笑ましいオチになった。いわゆる痴話げんかだ。

 丹野は謝礼の現金を断り、代わりに店内にある物を欲しいと言って、姿見を選んだのでぼくが必死で止めた。「身だしなみに姿見が必要だ」と言い張る彼に、「服なんか持ってないくせに姿見なんかいるか。貰うならジラフパンツのがマシだぞ」とぼくが提案すると「この店の服は趣味が悪すぎる。ゴミだ!」と暴言を吐いたので、店長たちの痴話げんかが瞬時停戦になった。レジ横にディスプレイされたダーツセットを「これがよい」と言って抱えて出ていく丹野。気づいたら、なぜかぼくが店長たちに頭をさげていた。




「あの店員、いかつい容姿をしていたが、人は見かけによらないな。思いを汲み取ってもらいたかったなんて。……なんか、いじらしくて、応援したくなってくるよな」


 駅前の喫茶店で休憩をした。ぼくはロイヤルミルクティー、丹野はコーヒーとプリンアラモード。昭和テイストを模倣した喫茶店はレトロさが若者に人気だ。

 丹野の探偵ぶりを見学させてもらったので、ぼくの奢りということになっている。


「見苦しい痴話げんかだった」丹野はふんと鼻を鳴らした。「人間には言葉という便利な道具がある。言わなくても思いが伝わるなんてナンセンス。要望があれば伝えるべきだ。目に見えぬ思いを汲み取れるわけがない。おのれに都合のいい夢を見て悦に入るしか脳がないのか。指輪なんてものに装飾以上の意味をこめるのも滑稽だ」


「不思議だな。話をすればするほど、逆に距離を感じることもあるんだな」ぼくはしみじみと皮肉を言った。「ところできみ、コーヒー嫌いじゃなかったっけ」


 丹野は運ばれてきたコーヒーに砂糖を二杯、ミルクをカップぎりぎりまで注いで、スプーンで慎重に混ぜた。


「嫌いだなどと一言も言ってない。ブラックが飲めないんだ」


 なるほど。人は見かけによらない。コーヒーはブラックしか飲みませんという容姿のくせに。今朝、コーヒーを断ったのは、ぼくの家に砂糖がなかったからなのだと納得した。

 

「謝礼の現金を受け取らなかったのはどうして?」


「あの店はあまり儲かっていない」


「あ、そうなの? プリン美味しいかい。お代わりしてもいいよ」


 下手に訊ねたら、儲かってないのがどうしてわかったかを延々と語りだしそうなので、食べ物で口をふさぐことにした。どうやら名探偵は甘いものが好きなようだ。しかも美味そうに味わって食べている。本人は無表情を演じているつもりかもしれないが、頬が緩んでいる。ぼくはまた弱点をみつけた。

 ぼくにだって人並みの観察力や洞察力はある。


「勘違いしないでもらいたい。脳の活動には糖分が必要なんだ」


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