第8話 撤収

「こんなもんでいいだろう。退却だ」


 30分くらい間引きしたところで、教官が号令をかける。


「いいのか?兎はまだ残っているが」


「襲ってくる数は十分減った。これだけ血を撒き散らせば壁から離れるだろう」


「そういうもんか」


「そういうもんだ」


 確かに兎の数は少なくなった。


 ひっきりなしに紗枝に飛びついて来ていたが、今では紗枝を転がしても一分あたり五匹程度しか襲ってこない。


「ぶべっ」


 紗枝が近くに着弾してつぶれるような声を漏らす。


 こいつは5分おきにこうやって後ろに下がってきた。


 敵の中では常にバリアを張っていて休めないからだ。


 適度に息をつかないと魔力が尽きてしまう。


 敵に囲まれた状態で魔力が無くなれば、数秒と持たず死ぬだろう。


「便利なのか、不便なのか分からん力だな…」


「あ、あはは…。魔物に囲まれちゃうと怖くて動けなくなっちゃうんです。

 みなさんはすごいですねぇ」


 紗枝は情けなく笑って、こちらを見上げてくる。


 媚びるようなその様にやはりいら立ちを覚えてしまうが、その能力は破格だ。


「自由に動ければ戦い方がぐっと広がるだろうに。もったいない奴だ」


「えへへ…。すみません。やっぱ私なんかだめですよね…」


「おーおー、新人。なぁにうちのさえちーをいじめてくれてるんだね。うん?」


 面倒くさいのが面倒なタイミングに来た。


「あ、いえ、違うんです。私が臆病で動けないんからダメなんです。

 べ、べつに関川さんにいじめられてたとか、そんなんじゃ…」


 こいつは馬鹿か。


 このタイミングでそんなことを言っても火に油を注ぐことにしかならんというのに。


「あー!もう、さえちーは健気でかわいいなあ!!

 さえちーは動けなくなるくらい怖がってるのに、あたしらのために前に出てくれてるんだぞ。

 そんなさえちーを責めるようなこと言ったら、この葉月ちゃんが許さないからな!!」


 案の定だ。

 葉月がふんすと、上から見下ろすように釘をさしてくる。

 一方で紗枝はそんなこと無いと否定しつつも、にへらぁと、気持ち悪い笑みを浮かべている。


 ああ、そうか。


 あの野郎、私をかばうように振舞えば葉月が自分を持ち上げて守ってくれると分かっていたな。


 くそ。面倒くさい奴だ。


「こーら。葉月ちゃん。関川さんをいびったりしないの」


「た、たいちょ~。ちがうんだよー。みーちゃんがさえちーをいじめてたから、さえちーがどれだけすごいか教えてただけなんだよー」


 丁度いいところに隊長が戻ってきた。

 葉月は注意されて、口を尖らせて不貞腐れている。

 葉月の奴も隊長に責められるのは堪えるらしい。少し溜飲が下がった。


「本当なの?関川さん」


「いや、責めているつもりはなかった。

 岩藤の能力は便利だと思ってな。どうして自分で移動しないのかが気になった」


「そう…。関川さんは学園に来て日が浅いから知らないかもしれないけど、能力ってとても繊細なの。

 昨日までできたことが突然できなくなることもある。不安定なものなのよ。

 あなたに悪気が無いことは分かるけど、受け取った側がどう感じるかは分からない。だから、能力の話をする時は慎重にね」


 能力が使用者の精神状態に左右されることは広く知られている。


 だからこそ学園ではマインドコントロールを叩き込んでいる。


「ああ。悪かった。肝に銘じるよ」


「ぐぬぬ…。私が注意しても面倒くさそうな顔するだけだったのに、隊長のいうことは素直に聞くなんて…」


「ま、まぁ仕方ないですよ。葉月さんですし」


「だああああ!!さえちーにフォローになってないフォローをされた!!」


「あ、いや、その……、違うんです!

 あの、あれです!!

 葉月さんは葉月さんだから、そのままでいいって言いたかったんです!」


「さ、さえち~~」


 紗枝の奴は墓穴を掘っているだけのような気もするが、葉月は満足したらしい。


 葉月は感極まったような声を上げて、紗枝にひしっと抱き着いた。


 紗枝は葉月の豊満な胸に顔を埋められ、歓喜のあまり葉月の肩をタップしている。美しい友情につい鼻から笑みが漏れてしまう。


「つっけんどんに能力のことを聞くのもだめだけど、命を預ける仲間の能力や、今の状態を知っておくのは必要なことよ。

 まあ、関川さんはそこらへんの機微をとるのは上手そうだからあまり心配はしていないけど」


「ふん」


 隊長に突然持ち上げられたので、素直に返事ができず、つい鼻を鳴らす。

 そこに飯田が戻って来て、葉月から紗枝を取り上げる。


「……残ってた兎はみんな退いた」


「っっはぁぁぁ。スーハー、すぅぅぅぅ。はぁぁぁぁぁ。すぅ。…た、たすかりましたぁ」


「ああ、さえちーが…」


 紗枝を取り上げられた葉月が、その名残を惜しむように自分を抱く。


 一方で、飯田に首根っこを掴まれた紗枝が、赤い顔で礼を言う。


 葉月の胸で窒息する前に、何とか救出されたらしい。


 不憫な奴だ。


 気に入らんところは多い奴だが、さすがに可哀そうになってきた。


「よし。撤収だ」


 教官の合図とともに駐屯地への帰路に就いた。

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