第20話 夫婦

指定された場所近くの路肩に車を停めて、真依に連絡をしてもらってからワタシは車外に出た。


すぐに近くのファストフード店の2階から降りて来た存在が見えて、店を出ると首を左右に振って誰かを探している。


佳澄、と声を掛けると視線が一瞬だけ合う。


そのまま佳澄は近づいてくるものの、足取りは佳澄の今の心理状態を示すかのように重い。


「ごめん、葵……」


「どうしたの?」


「ちょっとやりあっちゃった……」


「旦那さんと?」


それに佳澄は頷きを返す。


「喧嘩して、今日はもう顔も見たくなくて家を出て来ちゃったんだ。ごめん、ちょっとでいいから愚痴を聞いて欲しいんだ」


「分かった。車の中で話そうか。その方が遠慮せずに話ができるでしょう?」


喧嘩をしたと佳澄は言っていたけど、外傷はなさそうでそれには安堵する。男性を相手にしても負けない強さを佳澄は持っているけど、力の差だけはどうしようもない。


2人で車まで近づいた所で、真依も車を降りてくる。


「佳澄、ワタシのパートナーの真依。真依は口は固いし、ワタシがもう一人いるとでも思ってくれたらいいから」


「大西佳澄です。真依さん、ごめんなさい。葵をわたしのプライベートなことに巻き込んでしまって」


「一瀬真依です。正直、葵に関わって欲しくないって思いはあります。でも、今の佳澄さんを見たら、そんなことに拘っていられないような事情があるんだっていうのも分かりました。葵にくっついて来ましたけど、私のことは気にしないでください」


「ありがとう。葵が落ち着いたのも分かるな。葵はいいパートナーができたんだね」


「そう。ワタシは真依以外は考えられないから」


そう言い切ると真依に脇腹を小突かれる。間違ったことは言ってないつもりなのに。


佳澄を助手席に乗せて、真依は自分から後部座席でいいと、私の後ろに座った。


車を少し移動させて、邪魔にならなさそうな広い通りの道沿いに止めてから、改めて佳澄の話を聞く。


「改めて不妊治療をどうしようかって話し合ったんだ。わたしは目の前に広がった闇の世界の、方向を示すだけの光でも欲しいなって思いだったけど、全然うまく行かなかった」


「もう不妊治療はしたくないって言われたの?」


「それならまだ良かったんだけどね。答えを出すより前に、互いに対しての愚痴の言い合いが始まって、収拾がつかなくなったんだ。こんなにいつまでも続くと思わなかったとか。治療の前に夫を疎かにしていないかとか。もう誰だっていいんじゃないかとか。それが彼の本心なんだろうな、って言葉を一杯言われた」


「夫婦関係は前から悪かったの?」


「そこまで悪いとは思ってなかったよ、会話が少ないのもお互いが仕事をしているからだって思っていたし、子供ができたら戻るだろうって気にもしなかった。でも、とっくに崩壊していたってことに今日気づいた」


「それはまだ話し合いでどうにかなるんじゃないの?」


それに佳澄は首を横に振る。


「こんな人だったんだなって、正直絶望しちゃった。彼だけが悪いわけじゃないけど、この人はわたしじゃなくて、口答えもしないで普通に生活ができる奥さんなら誰でもいいんだろうなって、気づいちゃったから」


「佳澄……」


「今の時代って、ベルトコンベアに規格内として乗せられて流されて行くのが幸せみたいに見えるけど、規格外だって撥ね除けられた途端に、何を信じて生きればいいのか分からなくなるんだよね。必死にそこに乗ろうと頑張って、乗れたと思ったのに、わたしは不良品だった」


「佳澄、そういう考えよくないと思う。確かに規格に収まることに正当性を求める人もいるけど、それって価値観次第じゃないの? ワタシなんか、一度もベルトコンベアに乗ったことなんかないけど、仕事もして大切なパートナーもいる。普通じゃないけど、それは個性でいいと思ってるんだ」


どうすれば幸せになれるかなんて誰も答えを持っていない。


でも、生真面目な佳澄だからこそ、普通であることを追い求めて来たのかもしれない。


「そうだね。わたしはあの時、葵と別れないって選択をすべきだったのかな」


「それは……」


「分かってるよ。時は取り戻せないことくらい。今の葵と真依さんの関係を壊す気はないし、第一葵のこと今は好きじゃないから」


好きじゃないと言って貰えたことにほっとする。佳澄のことは心配だけど、それ以上にワタシは真依が大事だ。


「あの時わたしは教師に言われた通りに従うことが正しいと思っていた。でも、そんなの他人が判断すべきことじゃないんだなって今になって気づいただけ。昔も今もわたしは形に拘って何も得られない」


「ワタシと別れるって決めた佳澄の判断を責める気はないよ。ワタシも苦しかったけど、佳澄も苦しかったと思ってるから。それに佳澄が子供が欲しいって思ったきっかけは、今の旦那さんを愛していたからでしょう? 途中の過程が大変すぎて変わってしまったのはあったとしても、形だけじゃないってワタシは思ってる」


「ありがとう。そうだね。葵と話しをしたら、少し落ち着けた気がする」


佳澄は大きく息を吐いて、車のシートに身を預ける。


いつもの冷静な佳澄を少し取り戻せたようで、ワタシも一安心だった。


「なら良かった。このまま家に送ろうか?」


「…………それは嫌。どこか近くのビジネスホテルでも探すから、駅のあたりで下ろしてくれない?」


喧嘩をして飛び出してきて、落ち着いたとはいえ、家にいる旦那さんの状況までは分からない。となれば今日は帰りたくないのも仕方がないことかもしれない。


「もう1時近いけど、これから探すの?」


「この前だって取れたんだから、大丈夫でしょ」


そう言って佳澄はスマートフォンで近くのホテルを探し始める。


「葵、こんな時間だし、もし良かったらうちに泊まってもらったら?」


後部座席で黙って話を聞いていた真依が口を開く。その提案内容に流石に驚きはあった。


「真依、いいの?」


「一人の方が落ち着くならビジネスホテルを探すでいいけど、こういう時は一人だと悪い方向に悪い方向に考えて行っちゃうんじゃないかと思って。こういう時に頼れる相手がいるならいいですけど、そういう人がいないから葵を呼んだんですよね?」


「って真依が言ってるけど、佳澄はどう?」


「でも……」


一人になりたくないのはその曖昧な言葉で分かった。


「うちは2LDKなので、葵と私の寝室とは別に部屋があるんです。間にリビングを挟んで独立しているので、私たちに気兼ねしなくても大丈夫ですから」


「わたしは2人の間を邪魔する嫌な存在じゃないの?」


「あのね、佳澄。そんなのとっくにそうなってるから。久々に真依と仲良くできるって雰囲気の時に、行きなり来いなんだもん」


「それはごめん」


「葵、私はそれをOKしてないからね」


真依は文句を言うけど、あの雰囲気なら行けたはずだった。


「じゃあ、とりあえず帰ろうか」


夜も更けているし、真依が出した以上の方針が出るとも思えず、ワタシはエンジンを掛けた。


ほんとにもう真依には感謝しかない。

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