第6話 佳澄の立ち位置

佳澄の鋭い言葉に、咄嗟に謝りが口から出る。


「ごめんなさい。傷つける気はないつもりなの」


それでも佳澄の瞳はワタシを睨んだままだった。


「自分のキャリアを諦めて、それでも仕事も家庭も上手く行かない人間なんて、思うままのキャリアを描けているあなたには滑稽でしかないでしょうね」


ワタシの知ってる佳澄は穏やかな存在だった。


こんなに怒りを示す佳澄をワタシは知らない。


「何でわたしの前に現れたの? 今のわたしのことなんてろくに知らないくせに、何様のつもりで言ってる?」


「佳澄……落ち着いて」


思わず手が出ていて、佳澄の両肩を緩く掴む。


「わざと佳澄の前に現れたわけじゃないから。佳澄のことは人から聞いただけの情報しかワタシは持ってない。だから、佳澄のことは全然理解できてないんだと思う。ワタシが気に障るなら佳澄の気が済むまで文句は聞くから。ただ、自分は大事にして欲しいの」


「…………」


沈黙の続く佳澄に落ち着いて話をしないか、と声を掛けて、佳澄に元々座っていた椅子に座ることを促す。


「………………ごめんなさい……」


イスに座ると、少し落ち着きを取り戻したのか、佳澄はか細い声で呟く。


佳澄の隣の席のイスを勝手に拝借して座り、佳澄と視線を合わせる。


「ワタシも配慮もせずに言ってしまってごめんなさい。でも、佳澄がワタシに対して苛々しているのなら、ワタシにぶつけてくれていいよ」


「関わりたくない」


「……まあ、そうだね。ごめん。ワタシが考えなさすぎだね。ただ、ワタシが佳澄を昔と同じ気持ちで見てるかと言えば、そうじゃないから安心して。ワタシにも今はパートナーがいるから。ただ、ここで出会ったってことは、ワタシは佳澄を放っておいたら駄目なんだろうなって気がしてるんだ」


関わらないのが一番いいのは分かっている。


でも、佳澄とは一緒に仕事をする相手で、関わらないなんてまずできない。


そんな中で佳澄を見ているともやもやするのは、この再会の意味を求めようとしていたのかもしれない。


「……何やっても上手く行かないんだよね、わたし」


溜息を吐きながら独り言のように佳澄は呟く。


「そんなことないでしょう。立派にリーダーしてるじゃない」


「そんなの経験年数さえ重ねれば誰だってできるから」


「そんなことないよ。ワタシも今までプロジェクトを率いてきた経験があるから、ここってバイトやパートの人も多くて、入れ替えも激しいから個々の特性を掴むのも大変でしょう?」


「それがわたしの仕事だから」


佳澄の生真面目な性格は、本質的な部分はワタシが知っている過去と変わっていない。


ちょっと切り口を変えてみようと質問を変えた。


「残業をしないといけないのは、治療とかで休みが多いから?」


「そう…………でも、甘えるなって風潮だから」


「そういうの女性が多い職場の方が厳しいのかもね」


この会社でもSEは男性がやっぱり多い。でも、佳澄の職場は90%以上が女性で、女性が集まると往々にして声が大きな人の意見に集団が追従してしまうものだった。


「でも、営業のままだと時間を調整することもできなかったから」


佳澄は余所の部から不妊治療に取り組むために移ってきたとは聞いていた。そして、その部署は営業だったということだろう。


そんな事情があれば、カスタマーサービス部は不妊治療と掛け持ちでも務まる程度の仕事しかしていないと見られていることになる。


佳澄の不妊治療の話を聞いた時に、一部の人は佳澄に対してマイナス感情を持っていそうだとは感じていた。それは、そういう事情からなのかもしれない。


であれば、下手にカスタマーサポート部に働きかけを行うのは危険だろう。


となると、


「そうだ。佳澄が落ち着くまでの間、システム関係のトラブルとかと問い合わせはワタシにそのまま振って。佳澄は一回内部でヒアリングして、そこから纏めて渡してくれてるでしょ? ヒアリングせずにそのまま投げてくれたらいいから」


幸いワタシは佳澄と直接やりとりをする仕事についている。それを少しだけ多めに引き受けるくらいならできそうだった。


「でも、全然纏まった状態になってないよ」


「それでいいから。聞きたいことがあったらワタシが直接本人に聞くよ。周りにはワタシが業務を覚えたいから直接話を聞きたがってるってことにしておいて。どうしても相談したい所だけ、佳澄に相談するから」


「それじゃあ、わたしの仕事を押しつけてるだけじゃない」


「佳澄の仕事はそれ以外もいっぱいあるでしょ? ワタシが手伝って、ちょっとだけ手を抜かせてあげられるとしたらそれくらいだから」


「わたしは憎い存在じゃないの?」


佳澄はワタシには関わりたくない。


その根底には、ワタシが佳澄を憎んでいると思っていたということだろう。


でも、


「もう何年経ったと思ってるのよ。あの時の佳澄はああするしかなかったんだって理解できるくらいには大人になったつもりだし、あれは綺麗な思い出だなって思えるくらい、それから先にどろどろなことも経験したから。ワタシが佳澄に関わるのはただ佳澄を放っておけないだけだから」


「そういうところ変わってないね」


「ワタシが成長してないってだけだよ」


口元を緩めた佳澄に落ち着きを取り戻したことを感じ取る。


長居をしても佳澄を更に刺激するだけだし、帰ることを告げてワタシは自席に戻った。



佳澄の抱えるものの重さを感じながらも、ワタシの手にはほんの少し佳澄に触れた時の温もりが記憶されている。


あの頃の佳澄もワタシももうどこにもいないのに、温もりだけは同じだった。

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