第45話 単独

 夜の下町。

 細い道を隼人は歩いていた。

 夜空を見上げると月が出ており、雲一つ無い。

 星々が煌めくように輝いている。

 隼人は志遠の道場がある門をくぐると、そのまま離れの庭へ向かう。

 井戸の側で、桶に汲んだ水を柄杓を使い刀にかけていた。

 水は刀身に触れる度に弾け飛び、地面に落ちる。

 志遠は丹念に水をかけていた。

 彼は、ふと隼人の存在に気がつく。

「隼人。無事だったか」

 志遠は、隼人に向かって安堵した表情を見せる。

「志遠も帰ったところか」 

 隼人の言葉を聞くと、志遠は肯定した。

「ああ。LSDの売人共の方だけど、15人。全員始末してきたよ」

 志遠は、苦笑いを浮かべる。

 隼人はため息を吐きながら、こう言った。

 まるで、自分の無能さを嘆くかのように。

「すまないな。お前に殺し屋をさせてしまった。剣という武器で、人を殺させるなんて」

 そんな言葉を聞いて、志遠は笑った。いつも通りの笑顔で。

「構わないよ。あのような人間を警察に突き出したところで、どうせ死刑にもならずに数年で出てきて同じこと繰り返すだけだ。それなら、僕の手で殺した方がマシだ。それに、僕だって同じような依頼をこなしたことはある」

 隼人は、黙って聞いている。

 沈黙が流れると、二人は視線を合わせた。

 隼人は心の中で思う。

 自分は、これからもこのような生き方しかできないと。

 志遠は刀を振って、水気を飛ばす。

「俺にも水を貸してくれ」

 隼人も刀を抜くと、志遠は柄杓を手渡す。隼人は受け取った柄杓で、刀身に水を流して洗う。

 すると、刀の輝きが増したような気がする。

 人を斬った刀には脂が付着する。

 それを落とすには、刃を拭うが、できることなら水洗いをした方が汚れも落ちやすい。

 戦国時代などの合戦時は、合戦後に川で刀を洗ったという伝承が、各地にあり、太刀洗という名前の河川が、全国に幾つもある。

 刀身の血脂はきれいに除いておかないと刀身にも悪いが、鞘も生臭くなってしまう。

 最後に乾いた布で水分を充分に取り除くのだ。

 隼人は刀身を拭い終わると、鞘に収める。

 志遠も刀を納めると、二人の間に静寂が訪れた。

 志遠は、何とも言えない表情で、隼人の方を見ている。

「これで僕も、完全に鬼哭館を敵に回した」

「だが、黒瀧コンツェルン会長・印藤隆元の代理出産によるドナー生産計画が止められた訳じゃない。元を断つ必要がある。でなければ、確実に子供が殺される」

 志遠は何も言わない。

 だが、隼人の言葉を否定している訳ではなかった。

 改めて気持ちを決めたのだ。

「ところで、隼人の方はどうだったんだい?」

 志遠の問いに対して、隼人は神妙な顔をする。

「色々と分かった。澄香の両親の件だ」

 志遠の表情が曇る。

「では、やはり鬼哭館が」

 訊かれて、隼人は淡々と語り始めた。

「ああ。澄香の父親は、元々鬼哭館の剣士だった」

 その発言に、志遠は驚く。

「風花さんのお父さんは、奴らの仲間だったのか。では、なぜ殺されることになったんだい」

「角間さんには、前妻がおり、娘が居た。澄香とは腹違いの姉という訳だな。その彼女が、売人の薬物によって死亡した。

 黒瀧コンツェルンは鬼哭館と繋がりがある組織だが、角間さんにしてみれば自分のスポンサーが相手とは言え、娘を殺された原因を作った奴らを許せなかったのだろう。妻の秋香と共に売人を始末した。だから、殺された」

 志遠は、拳を強く握る。

 彼の顔からは、怒りが感じられた。

 しかし、すぐに冷静さを取り戻すと、隼人の方を見る。

「犯人は?」

「志良堂源郎斎。あの夜、俺達の前に姿を現した、リーダー格の男だよ。しかも、妻の秋香は印藤隆元の護衛兼、愛人でもあった。

 隆元は、澄香を自分の娘だと思って骨髄ドナーの検査過程で、自分の子ではないと分かった。秋香は愛人を務めながらも、角間道長と逢瀬を重ねていた。それによって、隆元の怒りを買った。

 それが、二人が殺された真相だ。もっとも、角間さんの方は、俺が《闇之太刀》で斬っていた。発動条件は、自分の最も愛する者の死だ。

 源郎斎が秋香を斬ったことで、角間さんも死ぬことになった」

 志遠は納得したように、頷く。どこか、悲しそうな表情をしながら。

 そして、確認するような口調で隼人に向かって言う。

「角間さんの首は、どうして」

「見せしめだ。鬼哭館の道場の神前に置かれていたよ。組織を裏切るだけでなく、隆元の女に手を出したんだ。ああいう落とし前の付け方になるのも仕方がない」

 志遠は目を瞑り何かを堪えるようにする。

 それは自分の無力さを嘆いているようであった。

「風花さんの気持ちを考えると辛いな。でも、まだ事件は終わっていない」

 志遠の言葉を聞いて、隼人は首を縦に振る。

 今回の事件はまだ終わらない。

「元凶を断つ必要もあるが、角間さんの首を取り返すことも重要だ」

 隼人は真剣な眼差しでそう言った。

 志遠はそんな彼を見て、思わず笑みを浮かべる。

 そんな志遠の態度に気がついたのか、隼人は不思議に思った。

「何だよ」

 志遠は口を開く。

 いつも通り明るい声で、隼人を励ますかのように。

「いや。風花さんのこととなると、君は本当に必死だなって思ってね」

 そんな言葉を聞くと、隼人は気に留めた様子もなく、当たり前のように答えた。

 まるで、当然のことかのように。

「当たり前だ。俺は角間さんに世話になった。それに澄香は、俺が敬意を示す剣士だ。例え、いずれ斬り合うとしてもな」

 志遠は逃れられない宿命に影を落とす。

 出会いさえ違っていれば、二人は剣士として良き剣友として歩めていたのではなかと。

 だが、現実は違う。

 二人は殺し合いをするしかない運命なのだ。

 いつかは、決着をつけなければならない日が来ることを。

「実はな志遠。俺は澄香のことを知ってたんだ。いや、名前とか顔をって意味じゃない。角間さんに娘が居るってことだ。

 酒の席でのことだ。歳を訊かれて、答える。すると、角間さんは娘が居ることを話すんだ。嬉しそうにさ。

 娘も剣術をしているから気が合うハズだ。将来は、嫁にもらってくれとも言っていた。その時は酔っ払っていたから、どこまで本気かは分からないが、一瞬でも俺は人並みの幸せがあるような夢を見たよ。

 俺と嫁が居て、子供が居る。そんな人並みの幸せを見てしまった。そんなこと無いのにな。《なにがし》の子を身ごもった女は、子を生むと同時に死ぬ。俺の母親がそうだったようにな」

 隼人は遠い目をしながら語った。

「隼人……」

 志遠は、それ以上言葉が見つからなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、隼人はこう言った。自分の中の感情を押し殺すように。

「志遠。俺は、俺を最後の《なにがし》にする。女を殺してまで、《なにがし》という存在を残したいとは思わない」

 志遠は、体ごと隼人に向き直る。

 その瞳には驚きと悲しみがあった。

 志遠は、胸が苦しくなる。

 彼のために何かしてやりたいと心の底から思う。

 だが、自分には何もできない。

 志遠はただ拳を握る。

「一人の剣士として倫理のない言葉を口にさせてもらう。最古の剣術の一つ魔傅流を失うという損失に僕は耐えられない。

 隼人の持つ剣技、技術、理合、それら全てが……消えてしまうなんて」

 志遠は唇を噛み締めた。

 悔しくて、どうしようもない。

 自分は無力だと、思い知らされる。

「人に必要にされるってことは嬉しいものだな。母親が自分の人生を捨ててまで残してくれたのが俺だ。命を粗末にするような生き方はしないさ。俺の命は、俺だけのモノじゃない。

 俺だって、この世に何も遺せないのは嫌なんだ。だから、俺にしかできないことをやる。俺なりにな」

 隼人は、空を見上げた。

 そこには、月が浮かぶ。

 そして、彼は呟いた。

 誰にも聞こえないくらい小さな声で。

 自分の中にある決意を胸に秘めながら。

「源郎斎。奴を斬らなければ、隆元は殺せない」

 志遠は、隼人の横顔を見る。

 そこには覚悟を決めた男の表情が見えた。

「隼人も疲れただろう。食事をしないことは知っているが、これからのことを考えて少しは食べておいた方が良いんじゃないか?」

 隼人は首を横に振る。

 そして、否定した。

 今は、食べる気にはならなかったのだ。

 それは、これから自分がやろうとしていることに対しての戒めでもあった。

 食事を取ることで、集中力が途切れるような気がしたからだ。

「悪いな。澄香との勝負もいつになるか分からない。腹から食い物が出てくるみっともなさを晒したくないんでな」

 隼人は志遠の方を向く。

 そして、自分の意思を伝える。

「そうか。なら茶ならどうだ。身体が温まるぞ」

 志遠は隼人の気持ちを理解していた。

 それでも、彼に少しでも力をつけて欲しかった。

 志遠の提案に、隼人は気持ちを受け取ることにした。

「分かった。頂くよ」

 志遠は嬉しそうにする。

「風花さんも呼んで、3人でお茶にしよう」

 そう言って志遠は、台所に向かう。

 お湯を沸かし、急須に入れるとお茶を入れる準備をした。

 隼人は、縁側に腰掛けると、夜風に当たる。

 体を冷ますかのように。

 しばらくして、志遠は隼人の前に座ると、お茶を差し出した。

「風花さんも呼んで来るよ」

 そう言う志遠に、隼人は呼び止める。

「志遠。俺が、さっき言った澄香の両親の件は伏せておいてくれ。まだ澄香には知られたくはない」

 志遠は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつも通りの笑顔に戻る。

 隼人の頼みに快く応じた。

「分かった」

 だが、志遠は気付いていた。

 隼人の本当の想いを。

 志遠は、隼人の想いを叶えたかった。

 しかし、それが叶うことはない。

 志遠がいくら望もうとも、澄香がそれを知ることになる。

 なぜなら、彼女は―――。

 もう居ないのだから。


 ◆


 澄香は黒いセーラー服に着替え、肩にラクロスケースを提げている。

 下町の道を行く、彼女の足取りは早かった。

 スマホを取り出すと、連絡をする。

 電話はすぐに繋がった。

 相手の声は、寝ていたのか気怠い様子だ。

「ああ。澄香。どうしたの?」

 漆原うるしばら夏菜子かなこは、眠そうな声で答える。

 澄香は、夏菜子に用事があって電話をかけたのだ。

 要件を手短に伝える。

 すると、彼女は答えた。

 どこか、面倒くさそうに。

「夏菜子。急いで調べて、場所を知りたいの」

 夏菜子は、一瞬だけ間を置くと、口を開く。

 何かを察しているような口調で、返事を返した。

 その言葉からは、不機嫌さが伝わってくる。

 まるで、澄香の態度に不満があるように。

「金額を言って。今すぐ払うわ」

 澄香の剣幕に押されて、夏菜子は金額を伝える。

 すると、澄香は通話状態のままネット銀行にアクセスして夏菜子の口座に提示された金額の3倍の金を振り込んだ。

「夏菜子の言った金額の3倍を振り込んだわ。10分以内に調べて。いい? もし、間に合わなかったら、分かってるよね?」

 澄香はそれだけを言うと、電話を切る。

 8分すると夏菜子から電話がかかってきた。

 その情報を訊くと、澄香は走り出す。

 行き先は、駅だった。


 ◆


 志遠は澄香の部屋の前に行くと、声をかける。

 返事は無かった。

 というより、人の気配を感じない。

 志遠は、そっと障子を開けた。

 そこには誰もいない。

 布団はきれいに畳まれており、そこに人が寝ていた形跡もない。

 澄香の着ていた浴衣は、無造作に脱ぎ捨てられ、刀掛けには刀は無かった。制服も無いことから、着替えたのは分かった。

 志遠は、不安になった。

 確認のために隼人の居る縁側へと走る。

 志遠の、ただならぬ様子に、隼人はいぶかしむ。

「どうした?」

「いや。風花さんの姿が無いんだ」

 志遠の言葉を聞き、隼人は驚く。

 それは、隼人にとっても異常事態である。

 隼人は、澄香の部屋に急ぐ。

 そこには、荷物が無かった。

 隼人は直感的に玄関へと走る。

 ローファーも無かった。

 ということは、出かけたということだ。

 だが、どこに行ったかは分からない。

 隼人は、嫌な予感がした。

 それは、最悪の想像であった。

「あいつ、まさか……」

 隼人の声は険しい。

 次の瞬間には、隼人は玄関を飛び出していた。

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