第43話 斎
深い山林に覆われた先に、古びた山門があった。
その門の前には、二人の男が立っていた。
道着に袴姿の男。
二人は共に、30歳を超えているであろうか。年相応の貫禄と風格を備えていた。
門の前に立つ男は、白髪交じりの髪を後ろに撫でつけ、精力的な顔つきをしていた。
その鋭い眼光は、見るものを射抜くように見つめている。
もう一人の男の方は、対照的に目尻を下げていた。
それは、一見すると柔和な印象を与えるのだが、その瞳の奥にあるものは違う。
それは、野性味溢れる獣のような鋭さを秘めていた。
手には槍を握りしめ、その穂先は天へと向けられている。
その佇まいは、芯が入っている。
それは、武人であることを示していた。
二人の男は、黙って門の向こう側を見ていた。
静寂が辺りを包む。
やがて、その沈黙を破るかのように、正面の道から誰かが登ってくるのを見た。
学生服を身に纏った少年であった。
左肩には黒布の包を背負っている。
諱隼人であった。
二人も、隼人の姿を認める。
だが、どちらも口を開かない。
隼人もまた、無言のまま歩み寄った。
そして、目の前まで来ると、二人の男は槍を隼人に向けた。
「誰だ。貴様? ここから先は、関係者意外立ち入り禁止だ」
厳しい口調で一人が言った。
その言葉に、隼人は表情を変えずに淡々と言葉を返す。
「どけ」
その目は真っ直ぐに、二人の男を見ている。その視線は、まるで品定めをしているようだった。
だが、その口から出た言葉は、あまりに無礼なもの。
「お前らの館長に話がある」
二人の男たちのこめかみに青筋が浮かぶ。その怒りを抑えながら、一人の男が言う。
その声は、明らかに怒気を含んでいた。
「小僧。ここがどこなのか分かっているのか」
隼人は答える。
「鬼の肥溜めだろ?」
その一言に、ついに二人の男が動いた。
槍の柄が地面を叩く音が響く。
次の瞬間には、二人の男は、隼人に向かって槍を突き立てていた。
その速さは、尋常ではない。
常人であれば、避けることなど不可能。
ましてや、隼人のように動体視力に優れていなければ、捉えることすら出来ないほどの突きである。
だが隼人は避けなかった。
彼はただ静かに立っているだけだった。
槍の穂先が隼人の身体を貫くかに見えた刹那―――。
甲高い金属音と共に、槍の穂先の軌道が変わる。
そして、その槍の穂先は地面に突き刺さっていた。
いつの間にか、隼人の手の中には脇差があった。腰裏に差しておいたはずのものが、一瞬にして抜かれ、二人の男の槍を弾いたのだ。
だが、その動きを二人は捉えていなかった。
それほどまでに、隼人の動きは速かった。
二人の男は、驚きを隠せない。
何が起きたか分からず、動揺していた。
隼人は、ゆっくりとした動作で脇差を鞘に収める。
二人の男は再び槍を構えた。
「まだやるかい?」
隼人の問に、男達の答えは決まっていた。
山門の内側には、寺社に似た建物があった。
古い造りではあるが、その大きさは立派なものである。
本来は寺社であった所を改装して、道場にしたのが分かった。
ここが、鬼哭館の道場であった。
その外にあたる広場では、何十人者男達が木刀を手にして、二人一組になって稽古をしていた。
男達は、皆同じ格好だ。
黒い袴に白い道着を着ている。
汗を流し、荒い息を吐きながらも必死に木刀を振るう。
真剣ではないが木刀といえど、当たればケガをする。下手をすれば骨が折れることもある。
竹刀が発明される以前。最も多くの剣士の命を奪った武器は、木刀であったという。それだけに、その威力はあなどれない。
それ故に、皆一様に集中力を研ぎ澄ませていた。
しかし、その緊張感こそが、彼らの心を研ぎ澄ます。
そこには、殺気が満ち溢れていた。
彼らは、ここで己を鍛えると同時に、命を賭けているのだから。
突如として、表の山門が外側から開いた。
門番の一人が、転がるようにして地に倒れる。
それを目にした他の者たちは、その異変に気づいた。
門から入ってきた人物を見て、ざわめきが起こる。
そこには、学生服を着た少年が立っていた。
隼人だ。
隼人の姿を見ると、男達はその目を見開き、驚いた様子を見せた。
「奴は!」
男達にとって、隼人の登場は全くの予想外だった。
彼らに衝撃を与えたのは、その若さだ。
隼人が子供であることに驚いていた。隼人の外見は、まごうことなく高校生だ。
男達は老いてはいないが、それでも隼人よりは年上だ。
そのことに戸惑いつつも、一人の男が叫んだ。
「貴様。何しに来た!」
隼人がここに来た理由を問うために。
それは、彼らにとっては当然のことだった。
だが、その問いに対して、隼人は答えることはなかった。
行くべき先は、正面に見える道場だ。
隼人は迷わず歩を進める。
その態度に、一人の男が激昂する。
男は、隼人の前に飛び出してきた。
問答無用の攻撃だ。
隼人は黒布から刀を鞘ごと抜く。
男の上段からの振り下ろしに対し、隼人は刀を逆袈裟に打つ。
その音は、一瞬であった。
男は肝臓を突かれ、膝から崩れ落ちる。
その一撃で、男は意識を失った。
その光景を見た者達は、唖然としている。
突然現れた少年が、自分達の指導者を倒した。その事実は、彼らの心に波紋を生じさせた。
だが、そんなことは気にせずに、隼人は歩みを続ける。
すると、先ほどとは違う別の男達が現れた。
5人が木刀を構えて並ぶ。
「貴様。何をしにきた」
男が、隼人に叫ぶ。
その目は鋭く、隼人を見据えている。
隼人は男を見つめ返す。
その瞳には、一切の感情がない。
男の目には、隼人が不気味に映った。男達の背筋に冷たいものが流れる。
男達は、隼人に恐怖を覚えた。
「かかれ!」
男が号令をかけると、全員が隼人に向かって襲いかかる。
隼人は冷静だった。
男達の攻撃を捌くと、次々と鞘ぐるみの刀を打ち込んでいく。
鳩尾、首、腰、鎖骨、脛。
あらゆる箇所を容赦なく打ち抜いていった。
男達の身体が、まるで糸の切れた操り人形のように地面に倒れていく。
隼人は倒れた男達に一顧もしない。
ただ、道場へと向かって歩いて行った。
道場の中は、異様な空気に包まれていた。
30人近い男達がいた。
突如として、現れた隼人に対し、男達は警戒の色を示す。
だが、それも一瞬のことであった。
隼人の纏う雰囲気は、尋常ではない。
まるで、肉食獣の如き鋭い眼光で辺りを睨みつけている。
その姿からは、ただならぬ威圧感を感じた。
その迫力に気圧され、誰もが口を閉ざす。
だが、隼人はその沈黙を破るように、口を開いた。
その声には、静かな怒りが込められている。
「館長の志良堂はどこにいる?」
その言葉に、道場にいた全ての者の視線が、ある人物に向けられる。
そこには、白髪混じりの中年男がいた。
年齢は50代半ばくらいだろうか。
黒い道着を身に着け、腕を組んで立っている。
志良堂源郎斎だ。
「よう。志良堂」
隼人の馴れ馴れしい呼び方に、門弟の一人が激昂する。
「貴様! 館長に向かってなんという言い草だ!」
男は叫びながら、木刀を振り上げ隼人に飛びかかった。
左斜前から男は迫って来るが、隼人の眼は源郎斎を見たままだ。
男の左肘に左掌を当て、男の左側面に回り込む。
そして、右の掌底を男の頬に叩き込んだ。
男は、吹き飛ばされ壁に激突した。気を失い、その場に倒れる。
その様子を見て、他の者たちは言葉を無くした。
武術の世界では、武器は手の延長。
という教えがある。
遠距離から攻撃できる武器でも、中~近距離の武器でも基本的な戦術は変わらない。
武器によって戦術を全て変えていたら、覚えるだけでも大変であり、使ったことがない武器を渡された時に困る事になる。
使ったことが無くても、それしかなければ使うしかない。その流派の戦術は武器の種類に関係なく共通である。
これは、徒手空拳でも同様だ。
だから、どんな状況であっても基本となる動きは同じだ。
隼人は剣で行う動きを、素手で再現して見せた。
それを目にして、男たちの心に動揺が走る。その顔は蒼白になっている。
だが、一人だけ動じていない者がいる。
源郎斎だ。
彼は静かに佇んでいた。
だが、その目だけは、じっと隼人を見つめている。目には、隼人に対する興味が浮かんでいる。
源郎斎は、静かに隼人を見つめていた。
その表情に変化はない。
静寂が道場を支配する。
そんな中、源郎斎が刀を手に立ち上がる。
側には、彼の右腕とでも言うべき、
「どちら様かな?」
源郎斎は口を開く。
その口調は、丁寧ではあるが、有無を言わさぬ強さがあった。
だが、隼人はそれに怯むことはない。
むしろ、その目には強い意志が宿っている。
隼人は答えた。
「つれないこと言うなよ。今回で顔を合わせるのは三度目だろ。もっと初顔合わせは鬼面を被っていたがな。俺はあんたに会いに来たんだぜ」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が変わる。
張り詰めた緊張感が増したのだ。
それは、殺気が混じるほどのものであった。
男達の顔には、明確な敵意が浮かんでいる。
しかし、それでも隼人は臆することなく、堂々としていた。
「そうだったな。たった一人で鬼哭館に喧嘩を売りに来るとは、さすがは《なにがし》だ」
源郎斎の言葉を聞いて、男達は動揺する。
隼人の強さを目の当たりにしているためだ。
だが、その隼人は今や一人である。
しかも、子供だ。
男達は、余裕を取り戻しつつあった。
だが、隼人はそんな男達を見ても、特に気にした様子はなかった。
「やれやれ、アウェーってのは辛いねぇ。だが、まあ仕方ない。街中の喫茶店で会う訳にもいかないからな」
隼人は軽く息を吐く。刀を右手に持つと、その場に座り右脇に置いた。
斬るつもりはないという意思表示だ。
自然体で構えることもなく、脱力している。
その姿は隙だらけに見えるが、同時に攻撃を寄せ付けない雰囲気を持っていた。
その姿を見て、男達は再び警戒心を強める。
すると、突然源郎斎が大声で笑い出した。
その豪快さに、周りの者は驚く。
だが、すぐに笑みを浮かべた。
まるで、この男らしいと思ったからだ。
「面白い男だ。敵の巣窟に単身で乗り込んで来るとは、お前が初めてだよ隼人。表の真刀館にしても道場破りに来た奴で生きて帰った奴は居ない。それなのに、よくここまで来たものだ。いや、本当に感服したぞ。
俺が鬼哭館館長・志良堂源郎斎だ」
源郎斎は名乗る。
すると、隼人は不敵に笑う。
「貴様、何がおかしい!」
修司が凄む。
隼人は修司を一睨みする。
その迫力に、修司は思わず後ずさりした。
隼人は視線を戻す。
そこには、先ほどまでの不遜な態度はなく、ただ真剣な眼差しがあるだけだった。
隼人は、ゆっくりと口を開いた。
「いや、失礼。剣士って奴は、偉くなると名乗りたくなるって聞いていたからな。伊藤一刀斎、柳生石舟斎。そして、あんたは源郎斎か。つくづく剣士って奴は、○○斎って名乗りたがるんだな」
その言葉に、源郎斎の眉が上がる。
「不服か?」
「いや。あんたとは一合しか交えていないから、どう呼んでいいのか迷っていただけだ。だから、名前を教えてくれて助かったよ。ありがとう。
俺は《なにがし》、
隼人は、素直に頭を下げた。
その態度に、修司は目を丸くした。
他の者たちも同様だ。
だが、源郎斎だけは冷静に受け止める。
隼人の言葉に、偽りがないと感じたのだ。
「面白いガキだ」
源郎斎は、隼人を賞賛する。
それから彼は、隼人の正面に座すと、刀を右脇に置いた。
源郎斎の側にいた木場は、少し離れた場所にて、同じ様に座す。
誰が言う訳でも無く、門弟達は、左右に別れて二人を囲うように座った。
男達は皆、真剣な面持ちだ。
隼人と源郎斎は互いに見つめ合う。
二人の目には、闘志が燃えていた。
やがて、源郎斎は口を開いた。
その声は、威厳に満ちたものへと変わっていた。
「さて。何の用でここにきた?」
隼人の瞳に迷いはない。
自分の想いを真っ直ぐに伝える。
それが、己の流儀だから。
隼人は言った。
「率直に言う。角間道長の妻・秋香を斬ったのは、お前だな」
その言葉に、源郎斎は目を細める。
だが、それだけであった。
表情には変化がない。
まるで、隼人が何を言っているのか理解していないようだ。
(ポーカーフェイスか。自分が斬った相手の名前を訊かれれば、多少なりとも動揺するものなんだがな)
隼人は内心で舌打ちをする。
とはいえ、これで確信できた。
やはり、犯人はこの男なのだと。
「知らんな。そんなことは」
否定する源郎斎に、隼人は揺さぶりをかける。
「なら一つ言ってやろう。秋香を斬って倒れた時、道長は、その直後に血を噴いて倒れただろ。お前が斬らなくてもな」
隼人の言葉に、源郎斎は僅かに反応した。
眉が動いたのだ。
しかし、それ以上は何もなかった。
沈黙が流れる。
門弟達の間に緊張が走る。
誰もが、隼人の言葉の意味を理解していなかった。
だが、源郎斎だけは違った。
彼の脳裏に甦るのは、あの日の記憶。
森林公園に居た角間道長の妻・秋香を源郎斎は斬った。
そして、倒れ伏した彼女を見た直後、側に居た道長は刀を抜く間もなく突然、その身が裂けて血を噴いたのだ。
鮮血が飛び散り、地を濡らす。
理解しがたい突然の出来事に源郎斎は混乱したが、その時の光景を思い出した。
直後、人の気配があって、その場を離れたが人を斬って混乱したのは始めてのことだ。
だが、すぐに冷静になった。
人を殺したことよりも、その後に見たものが気になって仕方がなかったからだ。
その正体は、まだ分からない。
だが、源郎斎は確信していた。
あれは間違いなく、何者かの仕業だったのだと。
その証拠に、そのことを知っている者が居た。源郎斎は確信した、あれは《なにがし》の《闇之太刀》だと。
「なるほど。道長は、お前に《闇之太刀》で斬られておったか。どおりで、俺が手を下す訳もなく死んだ訳だ」
源郎斎の言葉に、隼人は表情を変えなかった。
その態度を見て、源郎斎は悟る。
この少年は自分を殺しに来たのではなく、真相を突き止めるためにやってきたのだと。
ならば、下手に取り繕っても意味は無いだろう。
源郎斎は真実を口にした。
「俺は、角間道長と一年前に果し合いをした。そして、斬った。まだまだ生きてもらうつもりだったが、まさかこんなにも早く死ぬことになろうとはな」
それを聞いて、源郎斎の目が鋭くなる。
「何を《条件》にして斬った?」
源郎斎の問い掛けに対して、隼人は答える。
その顔は苦渋に満ちていた。
「最も愛する者の死を見た時。角間さんは言っていた。この世で最も大切な存在を。だから、俺は角間さんが思う、最も愛する者の死を見た時に《闇之太刀》が発動するようにした」
その答えを聞いて、源郎斎は静かに息を吐く。目に宿る光には憐れみがあった。
だが、すぐにそれは消える。
彼は隼人を見据えると、言った。
静かな口調だ。
「人間の生と死を刀で操るとは、つくづく魔物の剣よの」
源郎斎の言葉には凄みがある。
隼人は怒りを堪え反論をする。
ここで引き下がる訳にはいかないから。
それに、隼人自身、自分が鬼面の男と同じことをしているのは自覚している。
それでも、彼は止まらない。
例え、同じ道を歩んでいようとも、隼人は己の信じる正義を貫く。
それが、彼の生き方なのだ。
隼人は真っ直ぐに源郎斎の目を見る。
それから、口を開いた。
「ジジイの為に赤子を産ませて、その骨髄を搾り取ろうとしている奴らに、魔物呼ばわりされる筋合いはないね」
隼人の言葉に、源郎斎は目を細める。
それから、口元を歪めた。
笑っているのだ。
その目は冷たく鋭い。
源郎斎は言った。
隼人の心胆を寒からしめるような声音で。
だが、そこには確かな威厳が含まれていた。
まるで、王のように。
「貴様のような若造が、俺に向かって偉そうな口を利くではないか。俺が何も知らぬと思っているのか? 《なにがし》は、その魔伝剣術を使い武器を持たぬ人々を斬り、婦女を犯しては生まれた赤子まで殺したそうだな。そんな外道が、よくもまあそんなことが言えるものだ」
隼人は思わず顔をしかめる。
何故なら、源郎斎の言っていることは事実だったからだ。
しかし、隼人は怯まない。
己を鼓舞し、言い返す。
「初代・諱がな。あの男がやったことは確かに許せない。だが、それは俺じゃない。俺は、この現代でも人を斬るが、それは全て何かを守る為だ。それは己であり、友であり、力の無い人々だ。決して、自分の快楽の為じゃない。ましてや、無抵抗な人間を傷つけることなどしない」
隼人の言葉に、源郎斎は鼻で笑う。
馬鹿にしたような笑い方であった。
だが、それでいて、どこか哀愁のようなものを感じる。
源郎斎は言う。
その言葉は重かった。
「お前は所詮、刀を持つだけの子供に過ぎん。大人である俺たちとは違うのだ。お前がどれだけ正しいと思っていても、それを証明できるものは何もない。お前は、ただの人殺しに過ぎないのだ」
その通りかもしれない。
だが、隼人は引かない。
彼は叫ぶ。
魂を震わせて。
己の信念を。
「それでも構わねえ。後の世に、俺の名前があったとして。悪鬼外道と罵られようが構わない。たとえ、どんな罪を背負っていようとも、俺はこの道を突き進むだけだ。それが俺の生き方だ」
その叫びに、源郎斎は黙る。
そして、彼は告げた。
自らの想いを。
「ならば、試してみるか?」
源郎斎の瞳に光が灯る。
彼は動いた。右脇に置いた刀を左手に持つ。
だが、隼人は動かなかった。
「どうした? なぜ動かん」
源郎斎の問に、隼人は答える。
「俺は戦いに来たんじゃねえ。確かめるために来たんだ。なぜ、角間夫妻を斬った。それと角間さんの首はどこにある?」
隼人の言葉に、源郎斎は刀を納める。
「知ってどうする?」
源郎斎の言葉は冷たい。
「決めるのは、お前じゃない。俺だ」
隼人は答える。
源郎斎はため息をつくと、口を開く。
その顔には
「たった一人で鬼哭館に乗り込む度量に免じて教えてやろう。道長は鬼哭館の剣士だ」
隼人は目を見開く。
まさか、角間道長が鬼哭館の一員とは思っていなかったからだ。
源郎斎は続ける。
「貴様がたどり着いたように我らは、御老公の為に動いている。だが、道長は我らを裏切り、供給ルートとなる売人の始末を行い始めた。妻と一緒にな」
「道長の妻も、剣士だったのか?」
隼人の問い掛けに対して、源郎斎は肯首した。
「風花秋香は黒瀧の私設警護員だ。その過程で我ら鬼哭館に興味を持ち、出向という形で、ここで剣を学んだ。随分前に、その任は解かれているが奴には使命があった。御老公に尽くすというな」
隼人は察する。
「なるほど。黒瀧のジジイ・印藤隆元の身辺警護。兼、愛人ってとこか……」
それを聞いて、源郎斎は笑う。
「そういうことだ。そして、御老公は現在白血病のドナーを探している。秋香は未婚のまま子を生んでいる。御老公の子だ」
「……まさか。それが澄香なのか」
隼人の言葉に、源郎斎は首を横に振る。
否定の意味だ。
「そうだ。と、言いたいが、骨髄ドナーとしての適合者かも知れない為に、調べた結果。不適合どころか御老公の子では無いことが発覚した。道長は、秋香が御老公の愛人と知りながら密通を繰り返していたのだ。
つまり、澄香は道長の子になる」
隼人の顔が青ざめる。衝撃的な話だからだ。
「ジジイの怒りに触れた。ってところか」
「そういうことだ。しかも、二人はドナー供給の売人を始末し、御老公の邪魔をしていた」
源郎斎は語る。
その口調に感情はない。淡々と事実を語るのみ。
隼人は尋ねた。
「どうしてジジイに歯向かった。ジジイからは養育費くらいは貰っていたハズだろ」
「それは、道長の娘が売人の薬物で死んでいたからだ」
「娘? 澄香とは違う娘なのか?」
隼人の疑問に、源郎斎は答えた。
「道長の前妻との娘だ。別れていたとは言え、血の繋がった娘が御老公の計画で殺された。それを許せなかったのだろうな」
それを聞いた瞬間、隼人は悟る。
源郎斎がなぜ角間夫妻を斬ったかを。
「あんたはジジイの命を受けて、秋香と角間さんを始末したという訳か。
そして、ジジイの怒りを最も受けた角間さんの首を討って、ジジイの溜飲をさげようとした」
「首級だ。自分の愛人に手に出した男を、許せるハズもなかろう。これは、鬼哭館での裏切り者に対する制裁でもある。組織というものは、鉄の結束が要なのだ。それを崩すものは、たとえ仲間であろうとも容赦はしない」
源郎斎の言葉に嘘はなかった。
彼の目は本気だ。
隼人は問う。
「角間さんの首は、どこにある」
すると、源郎斎は、道場の真正面に顔をむける。
神前の前に、木箱があるのが見えた。ちょうど骨壷が入るほどの大きさであり、人間の首が収まりそうな大きさであった。
「見せしめになるよう。塩漬けにし、目立つ場所に飾っている」
隼人は自然と拳に力が入る。
その目に宿るのは怒りだ。
「どんな理由があろうと。澄香にしてみれば、両親を殺されたのは、お前らのせいだ」
隼人の言葉に、源郎斎は目を細めた。
「道長を斬ったのは、隼人。貴様だろ」
「俺は寿命で死ねないようにした。それが思いの外、早かっただけだ。源郎斎、お前が風花さんを斬らなければ、二人揃って末永い人生があった」
隼人は答える。
源郎斎の目は鋭い。
まるで、隼人の心の底まで見透かすかのように。
「貴様は鬼哭館に復讐するつもりか?」
隼人は答える。
己の信念を。
揺るぎない決意を。
真っ直ぐに源郎斎を見つめて。
「ああ。女と子供を道具としか思っていねえ、ジジイ。それに従う、貴様も同罪だ」
その言葉に、源郎斎は口を開く。
重々しく告げられたその言葉は、隼人の心を貫いた。
残酷に。冷徹に。
「しょせん。貴様も、我らと同じ人殺しだ。自分が生き残るために、人は殺すものなのだからな」
その通りかもしれない。
印藤隆元は、生きるために赤子を殺そうとしている。
志良堂源郎斎は、雇い主である隆元の為に邪魔者を殺す。
諱隼人は、己が生き残るために敵を殺す。
そこに善悪など無い。
あるのは、ただ一つ。
己が生きたいという願いのみ。
「さて。貴様の訊きたいことは終わったのなら、俺と勝負をしてもらおうか」
そう言うと、源郎斎は再び刀に手をかける。
だが、隼人はその手を止めた。
「悪いが。それはできねえな。俺の首は、すでに澄香に預けてある。襲われたことで反撃はするが、俺は澄香以外と勝負をするつもりはねえ」
隼人の言葉を聞いて、源郎斎は鼻で笑う。
「たかが小娘ごときとの口約束が、どれほどの効力を持つというのだ」
源郎斎は、せせら笑う。
「俺は澄香と
それと、澄香に手を出すということは俺にケンカを売るのと同義語だと思え。俺の首は澄香に預けてあるのと同様に、アイツの命は俺のものでもあるからな」
隼人の言葉に、源郎斎の顔が歪んだ。
その顔には明らかな苛立ちが見て取れるが、刀から手を引いた。
「誓いを破らせるのも面白いが、その気のない奴を斬るのは、つまらんな。御老公からは、俺のペースで、お前達の始末を言われている。
つまりは、急がんという訳だ」
その声は低いが、殺気が籠もっていた。
「随分と余裕だな」
「それは、そうだろう。もはや目的は時間の問題だ。御老公のドナー候補は次々と生まれることになっている。
それが気に食わないとして、今のお前に何ができる。妊婦全員を斬るか?
それとも《闇之太刀》で子供だけ殺すか? 罪のない子供を。どちらにせよ、お前にできることは、何もない」
源郎斎は言い切った。
隼人は歯噛みする。
彼の言っていることが正しいからだ。
「いや。できることは2つある。売人を全員始末すること。そして、ジジイを始末することだ」
「できると思うか。御老公の側には、我ら鬼哭館の猛者が控えている。貴様一人でどうにかなると思っているのか?」
源郎斎の問い掛けに対して、隼人は不敵に笑みを浮かべた。
自信に満ちた表情で、彼は答える。
己の意思を。
揺るぎない信念を。
真っ直ぐに源郎斎を見据えて。
「俺を誰だと思ってる。《なにがし》だぞ」
隼人は踵を返すと、道場から出て行った。
その後ろ姿を見つめながら、源郎斎は隼人の末恐ろしさを実感していた。
魔物より伝授された伝説の剣・魔傅流の始祖となる《なにがし》。
その存在を耳にした時から、源郎斎は隼人を警戒していた。
隼人が《なにがし》であることは知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。
隼人は強い。
その実力は源郎斎自身が身をもって確認済みだ。
だが、それ以上に恐ろしいのは、彼が自分にとって一番大切なものを理解していることにある。
それは澄香の存在だ。
彼女を守り抜く為に、あらゆる手段を使うだろう。いわば集団的自衛権をチラつかせて威嚇してきた。
それが、どんな犠牲を払う結果になろうとも。
源郎斎は道場の入り口まで移動する。
鬼哭館の山門へと威風堂々歩く隼人の姿が見えた。
源郎斎の隣で、誰かが回転式拳銃・コルスターゲットリボルバーを隼人に向けた。
【コルスターゲットリボルバー】
全長:275mm 銃身長:175mm 重量:1100g 装弾数:6発 口径:38SP、357マグナム
コルスは、非常に高精度な自動拳銃およびリボルバーのメーカー。ヴィリー・コルトというドイツ人が開発し、ほとんど手作りで作られている拳銃だ。
コルスマッチリボルバーに比べ、よりシンプルにした射撃用リボルバー。
レシーバー上には大型のアジャスタブル・リアサイト付属。バレル上にはパートリッジ・タイプサイト付きだ。
源郎斎は、素早く弾倉を掴む。
源郎斎は、コルスターゲットリボルバーを構えた男を睨み見た。
40代後半の無精髭を生やした大柄な男だ。髪は短く刈り込まれており、目は鋭い。
その目は怒りに染まっているように見えた。
「
源郎斎は、その男の名前を呼んだ。
源郎斎の弟にして、鬼哭館の師範を勤める男である。
将冴は、コルスターゲットリボルバーを下ろすと、源郎斎の方を見た。
感情を押し殺したような声で。
しかし、その言葉は激情を孕んでいた。
「兄貴。なぜ止める。奴は御老公の敵だ。ここで仕留めておくべきだ」
その目には殺意が宿っていた。
源郎斎は冷静に告げる。諭すように。
「奴が《なにがし》なら、そんな物で倒せる相手ではない」
その答えに、将冴はせせら笑う。
源郎斎はため息を吐いた。
まるで、哀れむかのように。
隼人の後ろ姿を見ながら、源郎斎は呟く
「чудовище」
と。
その瞬間、隼人は道場を出て境内に居たが、足を止めて耳を傾けるようにする。
聞こえたのか、その表情は苦虫を噛み潰したようなものになっていた。
そして、隼人は再び歩き出した。
将冴は、聞いたことの無い単語に 首を傾げる。顔をしかめると、源郎斎に訊ねた。
「何だい。それは?」
源郎斎の顔には明確な嫌悪感があった。その視線は、隼人の背中を射抜いている。
「ロシア語だ。чудовище(チュドーヴィシチェ)というのは、怪物という意味だ。《なにがし》の異名だ」
源郎斎の言葉に、将冴は驚く。
だが、すぐに笑みを浮かべた。嘲笑うかのような笑みだった。
源郎斎は、弟が何を考えているか察しがついたのか、不愉快そうに眉をひそめた。
「何がおかしい?」
源郎斎は思う。
おそらく、源郎斎が想像している通りのことを将冴が思っていると。
だが、彼は敢えて口を開く。
「怪物だって? 兄貴は過大評価をし過ぎだ。あのガキは剣が上手いのは認めてやるが、しょうせんはガキだ。
それに、あいつを始末しろと命令されているんだぜ。俺が始末しても問題ないはずだろ。これからは剣だけじゃねえ。効率の良い殺しを生業とするなら、拳銃も使えなくちゃあな」
源郎斎は、黙って弟の話を聞いている。
「確かにな。それは否定はせん。鬼哭館は、戦後の物資が無い時代。粗悪な軍刀しか無かったが故に、剣を武器に治安を守り、やがて黒瀧の敵となる存在と戦い始末をしてきた。
黒瀧が業績を上げる以上、金に目をつけた広域暴力団との抗争にも発生したことがある。
戦国時代。天正三年(1575年)の長篠の戦いにおいて、当時「最強」と恐れられていた武田騎馬隊に圧勝したのは、新兵器・火縄銃によるものだ。戦場の様相は一変し、関ヶ原の戦いにおける死亡原因は鉄砲だ。銃とは、それほどまでに協力な武器だ。
だが、将冴。先程、お前が隼人を撃とうとした距離はすでに10mは離れていた。しかも精度の悪い
将冴は苦し紛れに舌打ちすると、源郎斎から目を逸らす。
アメリカの警察(NYPD)の実戦での拳銃射撃命中率データ(距離ごと命中率)がある。
距離25m~:4%
25~15m:8%
15~7m:9%
7~2m:17%
2m以内:38%
となっている。
ほとんど当たらないと言っていい統計だ。
拳銃は、火器の中で最も小さく扱いも簡単そうにみえるが、最も扱いが難しいのが拳銃だ。
その為、近距離で確実に相手を射殺するには、かなりの熟練度が必要となる。
拳銃の有効射程距離約25~50mと言われているが、FBI(米国連邦捜査局)が調べたところによると拳銃の平均使用距離は約7m前後だった。
そして、犯罪目的で使われる拳銃は1~2m程度の超至近距離で発射される場合がほとんどだ。
標的が動く為、狙いを定めることも難しい。
さらに、撃った際に発生する反動や音は、相手の注意を引くことになる。
そのため、発砲の際は、サイレンサーなどを使用して、音を消す工夫が必要だ。
つまり、拳銃の利点を生かすためには、相手がこちらの存在に気づかないうちに接近する必要があるということだ。
その態度が気に食わなかったのか、将冴は再び口を開く。
次の瞬間。
源郎斎は脇差を抜いた。
鞘から抜かれた刃が、光り輝く。
一瞬の出来事だった。
源郎斎は、将冴の首筋に刀を突き付けていた。
首元から血が滲み出る。
ほんの少し、刀が皮膚に触れたのだ。
「剣が古いと言ったな。確かに、武器は間合いの広さが長いほど有利になる。それは銃も同じことだ。
だが、この距離では、どちらが強いかなど明白だ」
源郎斎の言葉を聞いて、将冴の顔が歪んだ。その表情には、焦りと恐怖が入り交じっていた。
そう言うと、源郎斎は脇差をしまう。
そして、将冴の横を通り過ぎた。
源郎斎は予感めいたものを感じていた。次に隼人に会った時は、決着をつけなければならないと。
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