第19話 果たし状
青い空に白い雲。
太陽の光が眩しい。
隼人は、今にも倒れてしまいそうな程に疲弊していた。
鍬を振り上げ打ち込んでは土を掘り返す。
耕された土が、隼人の顔にかかる。
だが、そんなことを気にしない。
額からは汗が流れ、呼吸は乱れている。
全身から力が抜けていくような感覚に襲われながらも、それでも隼人は必死に鍬を振るい続ける。
剣の素振りとは異なる、隼人の鍛錬であった。
「隼人くん」
ふいに、後ろから声をかけられる。
隼人はその声の主を知っている。
だから、振り返る必要もなかった。
隼人の背後で、声は響く。
それは少女の声。澄んだ声色。
早紀だ。
「よう」
隼人は手を止めて、ゆっくりと声の方へと向き直る。
そこには、紙袋を胸に、いつものように穏やかな表情を浮かべた早紀がいた。隼人の目の前に立つ彼女は、やはり綺麗だった。
「はい。これ」
早紀は紙袋から、丁寧に畳まれた学生服を取り出す。
「もうしてくれたのか。早いな」
隼人は手を払って学生服を受け取る。それは、隼人の制服だった。手にして、柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐる。
「裁縫だけ頼んだハズだが。洗濯までしてくれたのか?」
隼人は不思議に思って訊ねる。
すると、早紀は少し頬を赤らめて言う。その表情はどこか恥ずかしげな様子だ。
早紀は、少し俯きながら答えた。
その表情には照れが見て取れる。
「この前、助けてくれたことのお礼です。それに私、弟と妹が居るから家事とか得意なの」
隼人は、早紀が遅刻した時の出来事を思い出す。
学生相手の竹刀打ちで敗北したことは、隼人にとって苦い出来事だったが、それ以上に、あの時の自分の行動が早紀を助けたという実感があった。
だからこそ、隼人は言った。
感謝を込めて。
「ありがとう」
と。
その言葉を受けた早紀は、嬉しそうに微笑む。
「それにしても、その制服の傷、どうしてできたの? ほつれが小さいから、縫いやすかったけど裏地まで抜けているなんて、ちょっと気になるかな」
早紀の言葉を聞いて、隼人は裁縫跡を確認していた。
「拳銃で撃たれたんだよ」
隼人は、特に隠すことなく事実を告げる。
制服の穴。
それは《鎧》の数胴にトカレフで撃たれたものだ。
すると、早紀は驚いた顔を見せた。
「……け、拳銃って。隼人くん、怖い冗談言わないでよ」
早紀は心配そうに訊ねる。その瞳は揺れていて、彼女の不安が感じ取れた。
だから、隼人は安心させるように、優しく答える。
「冗談だ。林を抜ける時に、枝で切っ掛けただけだ」
と。
それを聞いた早紀は、安堵の息を吐く。
「そうだよね。私が縫合したところ制服の前と後ろの二箇所あったんだよ。もし、拳銃で撃たれてたら、隼人くん貫通してるってことになるんだよ」
早紀は、胸を撫で下ろしながら語る。
そんな彼女を見て、隼人は複雑な気持ちになる。
本当にことを言うと、怖がられる。嘘をついてはいないが、最後は嘘を口にして騙している。
だが、その罪悪感も一瞬のこと。隼人は、すぐに思考を切り替える。
鍬を手にすると、土を耕す修行に戻ろうとした。
「ねえ。隼人くんって、お昼食べてる?」
突然、早紀は訊ねてきた。
隼人は、鍬を振り下ろす手を止める。
「どうして、そう思う?」
「だって、いつもお昼になったら教室から居なくなるし。私、隼人くんが食べているところ見たことないんだけど……」
早紀は、隼人の質問に答えつつ、逆に問いかけてくる。
その言葉に、隼人は思わず苦笑する。
確かに、早紀の言う通りだったからだ。
「良い観察眼だ。俺は昼飯を食べないんだ」
すると、早紀は咎めるように言ってくる。
「ダイエット? それとも食費を抑えるため? ちゃんと三食食べないと
身体に悪いよ」
隼人は、早紀が勘違いしていることを理解した。
早紀は、隼人のことを本気で心配してくれているのだと分かったから。
だからこそ、その優しさに応えたかったのだ。
早紀の誤解を解くために、隼人は語り始めようとしたが、早紀は隼人が母親が居ないことを思い出し、それを遮る。
「そっか。じゃあ、私が明日からお弁当作ってきてあげるね」
隼人はその言葉を耳にして、目を見開く。
それは、隼人にとっては意外な申し出だった。
早紀は続ける。
隼人の反応など気にせずに。まるで、それが当たり前であるかのように。
彼女は言う。
そして――
隼人に背を向けると、早紀は去って行った。
彼は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
遠ざかっていく早紀の背中を眺める。早紀の後ろ姿が見えなくなっても、しばらく動けずにいた。
「……どうしたんだ? 俺」
ようやく口から出た言葉は、疑問だった。
自分で自分の意が貫き通せなかった。
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。むしろ、どこか心地よく感じる自分がいることに気づく。
◆
翌日、早紀と会うと、彼女は嬉しそうな顔をしていた。
授業の合間の休憩時間に、少し話す時間があると、早紀の方から話しかけてきた。
「隼人くん。お弁当作ったから、畑の方に持って行くからね」
早紀は笑顔で言う。
隼人は流れに飲まれたままでいる状況に、苦笑した。
昼休憩になると、隼人は一足先に畑に行く。
早紀が来る前に、作業の準備を始めた。
鍬を手にし、土を耕す。
畑と言っても、何も植える予定もない畑だ。
ただ隼人の鍛錬のためだけに存在する場所。
だから、鍬を振るうのにも遠慮はない。力強く振るわれる鍬の音は、周囲に響き渡る。
しばらくして、鍬が止まる。
額には汗が浮かび上がり、肩で息をしていた。
隼人は、鍬を置き、額の汗を拭う。
「早紀の奴。遅いな……」
隼人は呟く。
昨日の時間を過ぎても、早紀は現れなかった。昼になって、先生から何か頼まれごとでもしたのだろうと思っていると、足音が聞こえた。
ふと隼人は笑みを零してしまった。
「なんだ。遅かった……」
と言いかけて、言葉を止める。
そこに居たのは早紀ではなかった。
ラクロスケースを肩に担いだ、黒いセーラー服の少女が居た。
少女・風花澄香が立っていた。
「久しいな。隼人」
と、声をかけてきた。
隼人は、澄香を見て眉をひそめる。
なぜ、彼女がここに居るのか分からなかった。
隼人は、澄香に訊ねる。
「何をしに来た。俺は、お前と斬り合う気はない」
すると、澄香はあっさりと答えた。当然のことのように。
「そう言うと思った。だから、貴様と戦うつもりは無い。私は、ただ忠告をしにきただけだ」
澄香の言葉に、隼人は目を細めた。
警戒心を強める。
だが、そんな隼人を尻目に、澄香は包を投げて寄こした。
隼人は反射的に受け取る。
それは、お弁当箱だった。
包みを開くと、中にはおかずが詰まっている。唐揚げや卵焼きなど、定番のおかずばかり。
隼人は、察する。
「澄香。と言ったな。これを作ったのは、お前じゃないな」
すると、澄香は言った。
「当然だ。早紀だ」
その言葉を聞いても隼人は驚かない。予想通りの言葉だったからだ。
それよりも目の前にいる女に、訊ねたいことがあったからだ。
隼人は、鋭い視線を向ける。
だが、それでも澄香は平然として言う。
「どうした。食っていいぞ」
隼人は、彼女の言葉を無視をする。
そして、質問をぶつけた。
「早紀は、どうした?」
「早退した。もし来なけれな早紀の席に花が咲くことになる。
そう言い残うと、一通の封書を手裏剣のように投げる。
隼人は向かって来る封書を空中で取る。
封書を確認すると、左封じの手紙だった。
【左封じ】
それは書状の封の仕方で、左を上にして封をすること。
封筒の裏は普通右側が上になっている。
英語、ドイツ語、フランス語も、右を表す語はすべて強、正、善を意味し、左をさす語は弱、邪、悪につながる。
古代日本では「左」は大事なものとされ、右が良いとするの思想はなかったといわれる。
しかし、現在とらえられる日本各地の俗信には、左を嫌い、あるいは左が呪力をもつとする観念がみられる。
たとえば、「左巻き」「左前」など悪い意味に用いられ、左縄とは、普通とは逆に左へ
手紙の封じでも左は意味合いは悪く、遺言や果し状などの凶事に用いる。
表には何も書かれていないが、左封じと状況から内容は理解できた。
「果たし状か」
隼人は、手紙を手に取り、呟いた。
澄香は何も答えず、背を向けると歩き出す。
その後ろ姿を、隼人は黙ったまま見つめていた――。
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