第15話 一太刀

 暗い汚い部屋があった。

 そこは、窓が無く空気の通り道さえもない場所だった。

 空気は淀み、臭いが立ち込めている。

 臭い。

 生臭い鉄の匂い。血の臭気。

 そして、肉の臭い。

 そこに、中年の男が居た。

 道着に二本差しを腰に差した男だ。

 中年と言っても、その見た目は衰えたものは一切感じさせない。

 その顔つきは精力的で、目付きは鋭い。

 鍛え抜かれた肉体は、鋼のようであり、全身から闘気が溢れ出しているようだ。

 志良堂しらどう源郎斎げんろうさい

 彼は、自分の目の前にある物を眺めていた。

 2つの死体袋。

 つまり、中身は死体だ。

 近くに、一人の青年が控えていた。

 若いが精力的な印象を受ける顔つきをした男だ。

 鬼哭館・師範代にして源郎斎の右腕とでも言うべき存在だった。

 名を、木場きば修司しゅうじという。

 修司は、無言で佇んでいる。

 源郎斎は、修司に問いかけた。

 いや、詰問した。

 声音には、激しい感情が込められている。

 それは、憤怒と呼ぶに相応しいものだった。

「これが、刺客として放った流れの剣士 《鎧》の2人の死体か?」

 その問いに対して、修司は答える。

「はい。今朝、襲撃をかけたとのことですが、このような結果に」

 淡々とした口調だ。

 だが、そこには冷徹な響きが含まれていた。

「どのように斬られた?」

 源郎斎の問いに、修司は答える。

 控えて居た者の話では、《鎧》の三人と林の中で対峙。

 《鎧》が刀を抜く前に、脇差を抜き袖崎の肝臓に投げ込む。次の瞬間には、刀を抜き兜の左脇腹から右肩に斬り上げる左逆袈裟斬りにしました。

 修司は告げる。

 事実のみを。

 偽り無く。

 隠すことも無く。

 真実だけを告げる。

 それが、彼の仕事であり使命だった。

 源郎斎は、その話を聞き死体袋を自ら開け、2体の死体の状況を確認する。

 特に注目したのは、左逆袈裟斬りにされた男の方だ。

 左の腰から右肩にかけて、斜め一直線に刀傷が入っている。

 その深さは、かなり深い。

 それは、ひと目で分かる。

 一人の人間を殺すことは容易いことではない。

 幕末に井上かおる(1836~1915年)という人物が居た。

 高杉晋作らとともに、尊王攘夷運動で活躍。維新後は参与、大蔵大輔、参議兼工部卿、外務卿などを歴任する。

 馨は江戸の藩の中でも力のある長州藩に居た。

 江戸幕府は長州藩の力を削ごうと、二度に渡って長州藩に兵を向ける。

 これが長州討伐だ。

 馨は、これに対し「武備恭順」を主張。

 この武備恭順とは、見せかけだけの服従で、いつか再起をはかるために武力を備えておくこと。それは、幕府に完全に恭順した俗論派からすると危険因子に映った。

 そのため、井上馨は襲撃に遭う。

 俗論派の過激派は児玉愛次郎(七十郎)、中井栄次郎、周布藤吉の3人に、馨の暗殺を命じた。

 元治元年(1864)9月25日の夜。

 この日の御前会議で武備恭順が採用される。

 そして、湯田の邸宅に帰る途中、対立派の暗殺襲撃を受けた。

 馨は背中、後頭部、顔面、下腹部、胸部を刺されて瀕死の重傷を負う。

 しかし、芸妓の中西君尾からもらった鏡を懐にしまっていたため、急所を外したこと、暗闇の中畑に転がり落ちたことによって、さらなる追撃を逃れたことによって一命を取り止める。

 重症を負いながらも馨は畑から這い上がり、農家にたどり着き、自宅に搬送される。

 その傷の深さに、馨は兄に介錯を求めるが、母が馨を抱きかかえ、「斬るなら、この母もろともお斬り」と泣き叫んだので、兄は介錯を思いとどまる。

 美濃の浪人で適塾出身の医師の所郁太郎は、畳針を使い、全身6ケ所を50針を縫う大手術を4時間受け、奇跡的に助かる。

 暗殺者3人の腕前が下手クソというのもあるが、人間を一刀のもとに斬り捨てるというのは、そう簡単なことでは無い事実でもある。

 刀を振るには、相当な筋力と技量が必要だからだ。

 その為、人一人の人間を殺すには三太刀は必要という。

 だが、この兜を斬った少年・隼人は一太刀で絶命させている。一太刀で絶命させるには一尺(約30cm)は深く斬り込まなければならない。

 それは、驚異的なことだ。

 それほどまでに刀の扱いに長けているということだ。

 源郎斎は、修司に言う。

「肌を斬らずに、頸部を斬る。その時点で、驚天の技を持っておることは理解しておったが、これほどまでとは……」

 修司も同意見だった。

「しかも、左逆袈裟斬りだと。刀を抜いていない相手に対し、どうすればこのような刀術を使うことができる」

 源郎斎は怒り心頭だった。

 それはある意味、あり得ない刀法だからだ。逆胴(左胴)に斬り込む技は一般的ではなく、胴(右胴)のみであった。

 それは、左腰に刀や脇差を差す為だ。

 それが邪魔になる故に、逆胴(左胴)からの斬撃を禁じている流派もある程だ。

 左腰に何も差さない道場剣法ならいざ知らず、実戦的な剣術で、道場剣法や試斬で行うように、左逆袈裟斬りを決めている。

 実戦剣術では、本来想定されていない。それ故に、その刀法は使い手が少ないのだ。

 仮に左胴から斬るとすれば、鳩尾から脇の間のごく狭い部分を狙って斬らねばならない。

 だが、この死体は、左脇腹から左逆袈裟斬りにしてあった。

 確かに信じられない。

 だが、現実に起きている以上、否定することはできない。

「諱隼人と言ったな。天才……。いや、鬼才だな」

 源郎斎は思う。

 このような化け物を野放しにしておいては、いずれ大きな災いをもたらすと。

「その件についてですが、新たな事実が判明しました」

 修司は、もう一つの報告をする。

「何だ」

 源郎斎は、修司に問う。

 修司の報告は、先程の報告よりも衝撃的であった。

「それは、あの少年が《なにがし》ということです」

 その言葉を聞いた瞬間、源郎斎は絶句する。

 源郎斎は、しばらく黙考していたが、やがて口を開く。

「それは事実か」

 修司は答える。

「間違いありません」

 それを受けて、源郎斎は左逆袈裟斬りにされた死体と、例の肌を斬らずに頸部を斬った技を思い出す。

 古武術には《透かし当て》という技がある。


 【透かし当て】

 甲冑の上から、甲冑を破壊せずに、打撃の威力を直接内部に伝えると言うもので、人体の各部を破壊する。

 元々は《甲冑砕き》と呼び、甲冑を当て身で砕く打撃だが、その威力を増していくと、甲冑を破壊せずに、人体に浸透させる《透かし当て》に至る。


 剣術で、そのような事例はないが、武術には《武器は手の延長》という考えがある。

 ならば、素手を行う《透かし当て》を剣術に応用したのが、あの斬撃ではないかと推察をしたが、根本的に異なっていることを源郎斎は理解した。

「なるほど。全て辻褄が合うな」

 源郎斎は、修司の次の言葉を待った。

「何がでしょう?」

 源郎斎の口から発せられたのは、意外な名前だった。

「知れたこと。あれが《なにがし》の闇之太刀よ」

 源郎斎は断言した。

 伝え聞いた伝説が、そこにあるという事実に、剣士として畏敬の念を抱かずには居られなかった。

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