第12話 片親

 学校は昼休みを迎えていた。

 生徒は家庭から持ち寄った弁当や購買部で買ってきたパンなどを食べながら談笑している。

 そんな賑やかな廊下を、一人の少女・高遠早紀が救急箱を持って歩いていた。

 早紀は、自分の教室の前で足を止める。

 扉のガラス窓から中を覗くが、目当ての人物を見つけることができなかった。

 昼休みになって、まだ5分も経っていない時間だった。

 早紀は教室に入ると、クラスメイトの少女達に尋ねた。

「ねえ。いみなくんって、どこに行ったか知ってる?」

 突然の質問に、クラス中の生徒が注目する。

 早紀は注目されていることに気付いていないのか、気にしていない様子で答えを待つ。

 一人の女子が答える。

 名前は、相川優。

 肩まで伸ばした髪に、整った顔つき。

 彼女は、早紀の友達である。

「諱くん? さあ、お昼になるといつも教室に居ないわよ。購買部に行ってじゃないの?」

 すると、別の女子生徒・小森結衣が話に加わる。

 彼女も、また友達であった。

 長い髪をポニーテールに纏めている。

 二人とも早紀と同じクラスで、席も隣同士。

 三人で一緒に居ることが多い。

「たぶん違うと思うよ。諱くんって、お昼になると屋上の方に向かっているんだよね。ほら、今日みたいな天気の良い日は、気持ち良いからって言ってたけど……」

 結衣の話を聞いて、早紀は驚いた。

 いつも教室に居ないとは思っていたが、まさか屋上にいるとは思わなかったのだ。

 早紀は慌てて教室を出て行こうとする。

 それを、優が呼び止めた。

「ねえ、早紀」

 早紀は振り返り、不思議そうな表情を浮かべる。

 何か用事があるのかと思ったが、違った。彼女は心配していたのだ。

 だから、その言葉を口にした。

 それは、誰よりも早紀のことを想っているからこその言葉。

「諱くんって、ヤバイらしいよ。関わり合いにならない方が良いって」

 早紀は悲しくなった。

 そして、呟く。

「分かった。ありがとう」

 友達の忠告に礼を言いつつも、早紀は屋上へと向かって行った。


 ◆


 屋上の乗降口の上で、隼人は一人寝転んでいた。

 眠ってはいない。

 ただ、目を閉じているだけだ。

(…………)

 今朝の戦いを思い出す。

 《鎧》のことではなく、生徒会副会長・小野崇と試合だ。

 忖度なしで強かった。

 竹刀の持つ真剣とは異なる軽量さと長さによる不利を、体術によって補っていた。

 しかし、それだけではない。

 あの男は、剣技を知っていた。それも、相当な腕前だった。

 恐らく、剣道の有段者だろう。

 だからこそ、竹刀であっても真剣を持っているような感覚に陥ったのだ。

 刀は決して軽いものではない。

 刀身だけだと約600~700gとなっているが、ここからさらに拵と言う、鞘や柄、鍔、鎺などの外装を付けると1kg以上の重さとなる。

 対する竹刀は、高校生男子が使うものは480g。

 竹刀は、刀の半分以下の重さとなっている。

 鉄の刃を扱う剣術は、重鈍なのに対し、軽量化を果たした竹刀を扱う剣道は、超高速の武道と言える。

 実際、剣道における中間距離での攻防は、人間の動体視力を遥かに凌駕する。

 実は、竹刀を躱すというのは、凄い集中力と運動力が必要なのだ。

 幕末。

 近藤勇や土方歳三、沖田総司、井上源三郎らが修めた天然理心流。

 その流派の総本山とでもいうべき道場・試衛館は江戸市ヶ谷柳町「市ヶ谷甲良屋敷」にあった。

 試衛館に道場破りが来ると、沖田総司は我先に逃げ出した。更に2km先にある錬兵館へ行って竹刀打ちの強い助っ人を頼んだのだ。

 又、人斬り彦斎こと、河上彦斎は、竹刀での試合は弱く、いつも打たれてばかりいたという。

 近世中期までの剣術は、形による約束稽古であった。

 しかし、これがまさしく形だけのものになり、実戦性、実用性から遠ざかっていくのは自然の成り行きだ。

 当然のことながら志を高く持った人々はこれに疑問を感じていた。そこで登場したのが、防具(剣道具)をつけて「竹刀」を以って自由に打ち合う「竹刀打ち込み稽古」が誕生する。

 直心影流の長沼四郎左衛門は正徳年間(1711-15)に面と籠手を完成させ、宝暦年間(1751-63)に一刀流の中西忠蔵が胴を加え組織的に訓練をはじめた。

 その時点で、竹刀剣術は実戦と試合の矛盾を抱えている。

 あくまで思いっきり打つことで実戦的な斬り合いを目指していた。

 だが、門人は打ち合いそのものを楽しむようになってしまった。

 竹刀で打ち合うということは、刀の切り合いと違って流派による差異が出にくいものである。

 単に相手より早く、面、胴、小手を打てばよい。

 そこには流派の区別はない。

 流派の垣根が低くなると、当然他流試合も盛んに行われるようになる。

 こうして竹刀の打ち合いに特化した所謂「撃剣」が剣術の主流を占めるに至り、剣術は刀の使い方を学ぶ刀法からかけ離れた竹刀競技に姿を変えたのだ。

 これが今の剣道の元であり、刀を使う為の技術である剣術とは全く別物となってしまった。

 だが、竹刀剣術は実戦から遠ざかったかわりに、参加者が増えて活気づく。

 北辰一刀流は竹刀と防具を用いた打ち込み稽古を中心に行い、現代剣道を築いた流派である。江戸にあった道場・玄武館の門下生は3000人を超え、江戸随一の剣術道場となっている。

 競技人口が増えるということは、レベルが高まることでもあり、剣術として技術向上につながったハズだ。

 竹刀剣術で人は斬れないが、竹刀から始めなければ、剣術としての筋肉も呼吸も分からない。竹刀で鍛えた技を実戦に落とし込んだ、幕末の剣士の誕生に繋がっていることを考えれば竹刀剣術は鍛錬という過程と考えれば捨てたものでもない。

「あの動きが真剣で出来れば、相当な脅威になるな……」

 今朝の試合を思い出す。

 相手の攻撃をかわし、隙を突いて一撃を入れる。

 これは非常に難しいことだ。

 隼人自身、小野崇が真剣を持っていれば死んでいたと思う。

「死……」

 隼人は口にして、あの時、自分の背後から殺気を放った少女のことを思い出す。

 あの少女は何者なのか?

 そして何故、俺を殺そうとしたのか……。

 あの殺気は、完全なる殺意だった。

 本気で殺すつもりだった。

 あの少女は、自分と同じく剣士なのは違いない。

 隼人は黒布を解くと、脇差と無鍔刀を取り出した。

 刀を手にする。

 鞘を払って、その刃を見つめた。

 切先から三寸(約9cm)にかけて、息を吐いたように曇りがあった。

 刀身に血は付着しなかった。

 だが、人を斬れば必ず付着するものが、脂だ。

 布で拭っておいたが、完全に除去でなかったようだ。そこで、隼人はモグラの皮を取り出すと、磨くように拭う。

 刀の脂を丁寧に取り除くには、布で荒拭いをし、次に懐紙で拭う、最後に鹿革を使えば良いが、一度で脂を拭い去るにはモグラの皮を使う。

 今度は、そのまま脇差を抜くと、モグラの皮を使って刀身の脂を取り除いていく。

 脇差を納める。

 それから、刀を手にする。

 刀身を見ると、刃文が浮かび上がってきた。

 最も地味な直刃だ。

 刃紋は、土の塗り方によって変化させることができる。それは単なる模様ではなく、切れ味にも影響する。

 元寇襲来の際、直刃の良さが見直されたという。

 モンゴル軍の兵士達は片手の刀や盾で殴り付けるように戦ってきた。

 何度も衝撃を受けた乱刃の焼きが深いもの=固いところが大きいものや、固いところが乱れているために強度がバラバラの刀は折れてしまったものがあったという。

 そのなかで直刃の刀は刃紋が一定な太さで均一に しかも比較的浅く焼き入れられているものは折れにくかったので、備前刀等は直刃がいっときに沢山作られたと。

 隼人は、その美しさに見惚れる。

 刃に自分自身の顔が見える。

 刀を見ていると、不思議と心が落ち着く。

 それはきっと、この刀が自分の一部だからだろう。

 そう思った。

 人を斬る。

 その目的のみを追求されて生まれた刀。

 刀とは、そういうものなのだ。

 そんなことを思いながら見つめていた。

 その時、隼人が居る昇降口の扉が開いた。

 下を見ると、救急箱を手にした早紀が右往左往しているのが見えた。

 隼人が声をかける必要もなく、早紀は昇降口の上に隼人が居るのを見つける。

 探していた隼人を見つけた喜びと共に、刀を手にしている姿をみて、喜びとも驚きとも言えぬ複雑な表情を浮かべた。

 だが、すぐに気をとりなおして、救急箱を持ったままハシゴを登る。

いみなくん……」

 ハシゴから早紀は顔を見せる。隼人は刀を鞘に収めた。

 救急箱を先に置き、早紀はハシゴを登りきろうとして、足を滑らせる。

 ふっと、早紀は無重力感を味わう。

 次の瞬間、彼女は力強い手に支えられていた。気がつくと、目の前に隼人がいた。

 早紀の手を、隼人はしっかりと握っている。

 腕が引かれると、隼人の腕が早紀を抱きしめるように回されている。その手が優しく彼女の腰を支えてくれていた。

 早紀は思わず赤面する。

 だが、すぐに我に帰ると、慌てて彼から離れた。

「ご、ごめんなさい」

 早紀は顔を真っ赤にしながら謝った。

 隼人は気にした様子はない。

「何しに来た?」

 隼人は冷たく言い放つ。

 早紀は、怒らせてしまったかと思いながらも、素直に答える。

「あの。今朝は、ありがとうございます」

 正座をした早紀は、隼人に深々く頭を下げた。

 隼人は眉をひそめる。

「遅刻を繰り返した、お前が悪い」

 正論を言われて、早紀は反省する。

「……はい。言い訳になるけど、私アルバイトをしてから学校に来ているんです。スーパーの品出し」

「立派だ。だが、遅刻して良い理由にはならん。それが社会ってもんだ」

 隼人は、突き放すような言い方をする。

 確かに、その通りだと早紀は思う。

 だが、自分の気持ちも理解して欲しいと思う。隼人は、早紀のことを心配してくれているのだ。そのことは、嬉しいと思う。

 同時に寂しいと思ってしまう。

「そうだ。諱くん、今朝ケガしたでしょ。頭の傷を見せて」

 早紀は、話を変えるように言う。

 隼人は首を横に振る。額を触りながら言った。

「大したことない」

 早紀は隼人の頭に、傷らしきものがないことに驚いた。

「え? あんなに出血していたのに」

「頭皮は体の皮膚のうちで最も血管が多いからな。頭からの出血は、派手に見えるもんだ」

 早紀は残念そうな表情をする。保健室から持ってきた救急箱は無駄になってしまった。

 だが、隼人の言葉には続きがあった。

「でも、その気持は嬉しい。ありがとう」

 彼は早紀に感謝の念を伝えた。

 早紀の顔がパッと明るくなる。そして嬉しさを噛み締めるかのように微笑む。

「諱くんってさ、もっと怖い人かと思ってた」

 早紀は照れ隠しなのか、話題を変えた。

 隼人は、怪しげな表情をした。

「いや。合ってるぞ。今朝も、二人殺して登校しているからな」

 ぞっとするような言葉を聞き、早紀は肝を冷やした顔をするが、すぐに微笑する。

「怖い冗談。ウソでもそんなこと言わない方がいいよ」

 その反応を見て、隼人は苦笑する。

(本当なんだがな)

 隼人は、騙したようで心苦しくなる。

「さっきの続きなんだけど、どうして今朝は私を助けてくれたの?」

 訊かれて隼人は答える。

「別に、女が叩かれるのを見ていられなかっただけだ」

 早紀は、少し残念そうな顔をする。

 それは、早紀だから助けたのではなく、女性だから助けたということなのだ。それでも、自分を思ってくれたことに違いはないのだと思うと、やはり嬉しかった。

 それに対し、隼人は早紀を助けたことを後悔する気持ちもあった。

 弱い者を助けるのは、人間らしい行動ではあるが、それはそのまま情けに繋がる。

 あまりにも情けが深い人間になり過ぎると、人を斬れなくなる。

 人間らしくありたいのと、剣士として人を斬らなければならないとは相反することだからだ。

「私、男の人に、あんな風に助けてもらったの初めてなんだ……」

 ぽつりと零した早紀の言葉に、隼人は反応する。

「父親が居るだろ。親からみたら娘ってのは可愛いらしい」

 すると、早紀は乾いた笑いをする。

「家さ。お父さん居ないの。母子家庭で、私が弟と妹の面倒みなきゃいけないの」

 早紀の言葉に、隼人は彼女が早朝からアルバイトをしているのか理解した。

「病気かなにかでか?」

 隼人が訊くと、早紀は首を横に振った。

「離婚。詳しいことは知らないけどね」

 彼女は、自分よりも幼い弟に、妹のために一生懸命働いているのだろう。

 そのことが隼人には痛々しく感じられた。

 隼人が黙っていると、早紀は慌てる。

 彼が、同情して悲しんでいると思ったからだ。

 彼女は慌てて言葉を繋げる。

「あ、でも、お母さんは元気だよ。今は、弟と妹と一緒に暮らしているんだ。それに、私のことをすごく大切にしてくれる」

 隼人は、早紀の家庭環境を理解した。

 彼女の母親は、きっと早紀のことを愛しているのだろう。

 愛されている。

 そのことが、隼人は羨ましく感じた。

「片親か。家も似たようなもんだ」

 隼人は呟き、早紀は驚く。

「諱くん……」

 と言うと、隼人が言った。

「隼人で良い。名字は、家系に縛られていて嫌いなんだ。俺も早紀って呼ぶ」

 早紀は、彼の優しさを感じた。

 そして嬉しく思う。

「うん。じゃあ、隼人くんで……」

 隼人は、早紀の反応を窺うように見る。

 早紀は笑顔を見せた。

 隼人はその表情を見ると、胸の奥が熱くなった。鼓動が速くなり、頬が紅潮するのを感じる。

「さっきの話だが、家は母親がいない」

「そうなんだ……。離婚?」

 早紀は、オズオズと尋ねた。

 すると彼の答えは意外なものであった。あまりにも意外過ぎて、早紀は言葉を失ってしまった。

「いや。俺が殺した」

 そう言った瞬間、早紀の瞳孔が大きく開いた。

 信じられないといった表情をする。

 しかし、彼は冗談を言っている様子はなかった。真剣な眼差しで彼女を見つめ、自らの罪を告白するかのように語った。

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