第6話 鷹村館

 ローカル線が見える静かな町並みがあった。

 主要道路は片側一車線で、歩道も狭い。

 だが、駅前に行けばビルが立ち並び、人通りがあるが、主要都市のような活気のある街ではなかった。

 駅を降りると、すぐそこに商店街がある。

 その商店街の先には、学校や病院が並んでいた。

 そんな街だった。

 ラクロスケースを肩に下げた風花澄香は学校帰りの小学生の集団とすれ違う。

 子供らは元気に挨拶して通り過ぎていく。

 その光景を見て、澄香は自分の小さい頃を思い出す。自分にも、あんな頃があったのだと。

 刀を手にしたのは、いつの頃だろう。父から手ほどきを受け、気がついたら真剣を手にしていた。

 そして、刀を振り回している自分に恐怖を覚えたのだ。

 父の言葉を思い出しながら、澄香は歩いていく。

 ――刀を振るうときは、何のためかを考えろ。

 刀は人を斬るための道具だ。

 それは否定しない。

 しかし、だからといって無闇に振るっていいものではないとも思う。

 何かを守るために使うものだと思っている。それが正しい使い方なのだと。

 澄香はその考えのもと、これまで刀を振るってきた。

 父の言葉を胸に刻みながら。

 そうやって歩を進めているうちに、彼女は大きな屋敷の前にたどり着いた。

 そして歩くこと十分ほどで、目的地である一軒の道場のある家に辿り着く。

 表札には鷹村館とある。

 澄香が、ここに来たのは、目的の人物がいるからだ。

 澄香は玄関から中へと入っていく。

 すると道場の方から、威勢の良い声が聞こえてきた。

 どうやら門下生たちが稽古をしているようだ。

 澄香はその声を頼りに、道場の入り口へと向かう。

 すると、澄香の姿に気がついた若者が、澄香の方へ駆け寄ってくる。

 彼は澄香の前で足を止めると、少し緊張した面持ちで言う。

「あなたは、もしかして風花様ですか?」

 訊かれたので、澄香はそうであることを伝えた。

「はい」

 すると、門下生は驚いた表情を見せる。

 そして一度、奥に下がると20代後半の若い男が出てくる。

 高坂たかさか正信まさのぶ

 澄香に世戸大輔を斬る仕事の、依頼方の男だ。

「風花様。お待ちしておりました。さあこちらへ」

 正信に案内され、家屋の玄関に案内される。

「どうぞお上がり下さい。師範がお待ちです」

 そう言われるが、澄香は上がろうとしなかった。

 それどころかラクロスケースから、刀と脇差を取り出すと、脇差を腰の角帯に差した。

 突然の帯刀に正信は驚く。

「風花様、どうされましたか? 帯刀とは尋常ではありませんよ!」

 しかし、澄香はそれを気にすることもなく、言う。

 まるで、それが当たり前のことのように。

「私の祖先は郷士ごうしだが、それでも武士だ」

 澄香は告げた。


 【郷士】

 郷士とは、江戸時代の武士階級の下層に属した人々を指す。

 江戸時代、城下に居住した家中武士に対し、おもに郷村に定住して士以外の業に従いながら武士としての待遇を受けた階層の総称。武士の身分のまま農業に従事した者や、武士の待遇を受けていた農民で 平時は農業、戦時には軍事に従った。

 武家と同様に苗字帯刀が許された家柄。


「武士は城中へ入るときは、大刀を玄関で預けるが、脇差のみは殿中まで携えることが許されている。つまり、これは私の誇りだ」

 そう言って澄香は刀を右手に、玄関を上がり続ける。

「それに、ここは私にとって預かり知らぬ場所だ。以前にも言ったように、そちらにはかりごとがあるやも知れぬ。ならばこちらもそれ相応の準備がなくては話しにもならん」

 澄香の言葉を聞き、正信は言葉を失う。

 それは、自分の主に対する侮辱でもあったからだ。

 澄香はそのまま廊下の奥にある部屋へと向かう。

 そこは客間だった。

 襖を開けると、そこには和服を着た50代の男が座っていた。

 彼が鷹村流剣術の現当主であり師範であった。

 澄香は、刀を右脇に置く。

 刀を右脇に置くのは、敵意が無いことを示すための座敷に上がる時の作法だ。

 師範に、澄香は正座して頭を下げる。

 すると、彼の方から口を開いた。

「遠路はるばる。よく来てくれた。儂の名は世戸せと重郎しげろうという。この道場の主だ」

 澄香は、重郎の姓に気づく。

 この度、依頼を受けて澄香が斬った男の名前は、世戸大輔であった。

「つかぬことをお聞きしますが、私が斬った男はもしや、あなたの御子息でしょうか?」

 その問いに、重郎は苦笑しながら答える。

 澄香の予想通りの答えだった。

 やはり自分が斬ったのは重郎の息子だったのだ。

「愚息の始末をつけて頂き感謝している。これで、あいつもようやく世間に詫びることができるだろう。麻薬の売買に関わるとは愚かなことをしたものだ……」

 そう言いながら重郎は頭を深々と下げた。

(なるほど。息子の過ちを知りながら、自分の手で始末をつけられなかったのね。依頼を受けて世戸大輔を斬ったけど、私は彼にとって息子の敵となる訳か)

 澄香は、いよいよ油断ならないと感じ始める。

 そんな彼女に、重郎はさらに告げる。

 その顔には哀しみの色を浮かべながら。

 そして、それは澄香が思っていた以上に重い内容だった。

 澄香は、それを黙って聞くしかなかった。

「風花殿には、当道場の名誉を救って頂いた。こんなことが明るみになれば、当館は存続できなくなっておった、どうかこの件は内密にしてもらいたい」

 そう前置きし、正信に一声かけると彼は厚めの封筒を差し出す。

「お約束の報酬です。どうぞお受け取り下さい」

 澄香は正信が差し出した封筒を油断なく受け取る。この瞬間にも、もしかすれば澄香を亡き者にしようと、誰かが動いているかも知れないからだ。

 しかし、今回はそのようなことはなかった。

 ひとまず、警戒を解くことにする。

 だが、まだ用件は済んでいない。

 澄香は、本題に入ることにした。

「金額の確認は、口座への振込で確認します。それより、私はお聞きしたい件についてお答えいただけますか?」

 澄香の問に重郎は、やや間を置いてから話し始める。

「《なにがし》についてでしたな……」

 そして、澄香はその言葉にうなずく。

 それを見て、重郎は続ける。

「差し出がましいことですが、それを知っていかがされるつもりですか?」

 澄香は、正直に話す。

 それは、澄香の覚悟の表れでもあった。

 澄香は、依頼人である重郎に対して、はっきりとこう告げた。

「───私は、《なにがし》と呼ばれる存在を探し出し、それを討つ」

 澄香の宣言に重郎は目を丸くする。

 それも当然だ。目の前にいる少女は、《なにがし》を倒すと言ったのだ。

 まるでそれが当たり前のことのように。

 まるでそれが使命であるかのように。

「……一言申し上げましょう」

 重郎の進言に澄香は答える。

「何でしょう?」

 澄香は重郎の顔を見据えて、次の言葉を待った。

 しかし、重郎の口から発せられた言葉はとても意外なものだった。澄香は、その言葉を聞いて思わず驚きの声を上げる。

 なぜなら、それはあまりにも意外で突拍子もないことだったから。

「風花殿は、今日の天気が晴れていたとして、雨になれば良いと思ったことはありますか?」

 訊かれて、澄香は一瞬考え込むがすぐに返答する。

 それは、質問の意図が分からなかったからだ。

 澄香にとっては、どちらも同じ空だ。

 ただそこに雲があるかないかの違いだけだ。

 だから澄香は、素直に思ったことをそのまま口にすることにした。

「まあ。夏の暑い時に雨が降れば、涼しくなって欲しいと思ったことはありますが……」

 澄香の答えを聞き、重郎は同意するように頷く。

 そんな重郎の様子に澄香は戸惑う。

「まさか。《なにがし》は天気を変えることができると言うのですか?」

 澄香はバカバカしくて笑ってしまった。そんなことが可能ならば、もはや神の領域だ。

 しかし、重郎は真剣そのものの表情で語る。

「例え話ですよ。今、儂が言ったことを風花殿は一笑に付された。もはや《なにがし》の恐ろしさを詳しく口にしたところで、あなたは信じないでしょう」

 重郎の言葉に澄香は、少しムッとする。

 彼の言う通りだったからだ。

 澄香は、《なにがし》のことなどまったく知らなかった。

 いや、そもそも《なにがし》という存在すら疑っていたのだ。

 だからこそ、《なにがし》の恐ろしさをいくら説明されても、きっと理解できなかっただろう。

「では。《なにがし》について、何も教えて頂けないということでしょか? 奴の居所さえも?」

 そんな澄香に、重郎は優しく語りかける。

「そうは申しません。お約束ですから《なにがし》が何処に居るかを調べておきました」

 その回答に澄香は安心する。

「では、率直にお聞きします。《なにがし》とは何ですか?」

「《なにがし》とは、剣の名称です」

 澄香は、重郎の返答に眉をひそめる。

「それは刀の銘でしょうか。それとも剣術の流派という意味でしょうか?」

「剣の流派という意味合いになりますな。あるいは、その剣術そのものと言った方が良いでしょう」

 重郎は淡々と澄香の問いに答える。

 澄香は、混乱する。

 重郎の言っている意味が、分かるようで分からないからだ。

 剣の流派と言うなら、なぜ《なにがし流》と言わないのだろうか? 日本におけるありとあらゆる流派には、例外なく《流》という名前が付けられている。

 そして、《なにがし》もその例に漏れないハズだ。

 しかし、《なにがし》という名を持つ剣術など聞いたことがない。

 ましてや、《なにがし》と名乗る剣士の存在など。

 江戸時代においては、幕末までの約250年間に剣術、槍術、柔術、弓術、兵学、馬術、砲術など、合わせて1400を超える流派が展開されていたと言われている。

 ならば《なにがし》というのは、それらの中に埋もれた歴史に消えた流派の一つなのであろうか。

「《なにがし》については分かりました。では、その剣士は、今どこにいるのでしょうか?」

 澄香は核心を訊く。

 重郎は日本間にある棚の下部に造り付けた物入れ・地袋から手文庫を取り出すと、一枚の写真を取り出した。

 人混みを撮影した一枚の写真であった。

 その一人に赤のマジックで囲いをしている少年の姿があった。

 まだ高校生ぐらいの年頃に見える男の子だ。

「こいつが、《なにがし》……」

 澄香の中で、怒りが沸き立ち一気に緊張感が高まる。

 今まで会ったことのない未知の存在。

 だが、不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、早く会いたいと思う気持ちが湧き上がってくる。

 そして、澄香は決心したように告げる。

「こいつの居所を教えて下さい」

 それは、自分の覚悟を伝えるための宣言だ。

 重郎は澄香の顔を見て、ゆっくりと口を開く。

 澄香はその答えに耳を傾けながら、拳を強く握り締めた。

 重郎から《なにがし》の居場所を聞いた澄香は、早速その場所へと向かうことにした。

 最後に重郎は告げる。

「最早、何を言っても風花殿の決意は変わらぬでしょう。ですが、儂が知っていることを一つだけお伝えしましょう」

 重郎はそう前置きすると、澄香に向かって話し始めた。

 澄香は黙って聞くことにする。

 そして、彼は告げた。

 その言葉を餞別に、澄香は鷹村館を後にした。

 一人、歩き続ける澄香。

 その胸中は、複雑だ。

 なぜなら、これから自分がしようとしていることは、命懸けになるからだ。

 しかし、それでも澄香は行かなければならない。

 《なにがし》を討つために。

 澄香は、自分に言い聞かせるように呟く。

「――闇之太刀。か」

 それは、重郎が告げた《なにがし》が使う剣の術名であった。

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