第51話

 目の前に智樹がいた。


「あれ、なんで?」


「だいじょうぶ? 姉さん」


 智佐は自室のベッドの上にいた。アタをあげようとして、自分がバスタオルをかけただけの裸身であることに気づいた。


「キャッ」


 思わずはだけかけたバスタオルを掴むがかえって胸以外の身体が露わになる。


 智樹は申し訳程度に視線を逸らした。


「わたし、お風呂でのぼせたの?」


「うん。」


「やだ、迷惑かけちゃったね」


 智樹はなんだかひどく大人びていて、こんな恥ずかしい姿もあまり気にしている様子がなく、心配そうな表情を浮かべている。


 いままでの無邪気な弟とはすこしちがう気がした。それでも、裸身を見られたことへの羞恥心が先に立ち、ついいつもどおりの自分を演じる。


 バスタオルを身体に巻きつけたあと、さりげなく胸を両腕で隠しながら智佐は尋ねた。


 すこし声が震えてしまう。


「智樹がわたしを運んでくれたの?」


 智樹は正直に答えてくれた。


「うん」


(ああ……あんなことを口走って)


 智樹は軽蔑するだろうか? わたしは、いまも、自分のしている行為を止められずにいる。


(どうしよう)


 どうすればいいのかわからなかった。


 そんな姉をどう思ったのか。智樹は言った。


「姉さん、だいじょうぶだよ」


(え?)


「おれはなにも見ていないから……だから、心配しなくていいよ」


(見たんだ)


 なにをとは聞かないところが弟らしいと思ってしまった。そしてそれがかえって恥ずかしく感じられることにも……。


 いや、そもそもわたしのほうが気にしすぎなのだろうか? なにも知らないはずの智樹が、わたしのことを気づかってくれるなんて……。


(そうよね。べつに、見られたからってどうなるものでもないし)


 つい、そんなふうに考えてしまう。そしてそう思うことで胸のつかえが取れた気がした。


 いままでの罪悪感や背徳感から解放されて楽になった気がする。


 でも。


(これは秘密よ)


「ありがとう。でも、これからは気をつけるね」


 そう答えたとき、智樹はすこし安心したような顔を見せた。そして、こう付け足した。


「おれにできることがあったら言ってね。なんでもするから」


(えっ?)



 それは思いがけない言葉だった。なのになぜかその言葉はとても頼もしく聞こえてしまった。そのことが不思議だったけれど……。智佐は素直に頷いていた。


 だから、弟のその言葉がたとえ社交辞令のようなものだったとしても、彼女はなんだか救われたような気がした。


 姉は弟のことをそうとう心配していたようで、智樹が浴室から出るとバスタオルを手にして駆け寄ってきた。そしてそのままバスタオルを裸身にかけてくれたのだ。


(姉さん……)


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