サンタクロースが教えてくれたこと

Youlife

第1話   失意のクリスマス・イブ

 十二月二十四日。 

 東京・葛飾区の私鉄沿線にある十二階建てのマンションの真上には鉛色の雲が広がり、時折白い雪が風に乗って舞い降りてきた。

 うつ病を患っている野村光郎のむらみつろうは、今日も朝からずっと布団に身をくるめたまま、ひたすら眠り続けていた。


『起きろ、着信だよ! 起きろ、着信だよ!……』


 突然、静寂を破るかのように枕元に置いたスマートフォンから着信音が部屋中に鳴り響いた。光郎はしばらく放置していたが、止まることなく鳴り続く音に業を煮やし、目をこすりながら片手でスマートフォンを掴むと、耳元に押し当てた。


「野村ですけど……」

「あっ、野村係長ですか? 竹永たけながです。お休みの所すみません」

「ああ……竹永君か。どうしたの」

「今日、人事異動が出ました。係長は書庫管理担当に異動になりましたよ」

「書庫管理!? 俺が? 」

「良かったじゃないですか。仕事量も残業も今の商品開発室よりずーっと少ないですから、心配せずにじっくり時間をかけて治療してくださいね」

「じゃあ、俺が開発した『ポータブルベッド』はどうなる……あれは俺以外で分かる奴はいないはずだが 」

「あれは松村まつむらさんが仕上げて、無事商品化しましたよ。松村さんはこの時の手腕が認められて、野村係長の後任に抜擢されました」

「松村か。単に要領がいいだけの男なんだけどな……」

「どうかしました?」

「いや、何でも……じゃあな」

 

 通話を終えると、光郎はスマートフォンを布団に力いっぱい投げつけ、両手で顔を覆った。書庫管理はかつてはアルバイトにやらせていた仕事だが、今は光郎のような病気がちの社員のポジションとなっていた。社員の間でも「一度書庫管理に行かされたら、もう二度と出世は望めない」と言われるほどの窓際部署であった。

光郎は会社で一番の花形部署である「商品開発室」に所属していた。もの作りが好きだった光郎は、配属早々、かねてから貯めていたアイデアの商品化を目指して日々企画書を作り、積極的に提案してきた。しかし、上司や取引先からは次々と手直しや方向転換を求められ、結果的に自分が思い描いたものと程遠い商品ばかり作らせられていた。そんな毎日が続き、徐々にストレスを溜めこんでいった光郎は、ある日突然、仕事をしようと気合を入れても何も考えることができなくなっていた。医者からうつ病の診断を受け、病気休暇を取得し朝から晩まで寝て暮らす毎日が続いていた。


「ねえパパ、今日も寝てるの? 」


 光郎の背中から、長女の瑠衣るいの声が耳元で聞こえた。


「ダメよ瑠衣! パパは病気なんだから。元気になるまでゆっくり寝かせてあげて」


 妻の真琴まことが台所から大声で瑠衣に呼び掛けていたが、瑠衣は意に介さず光郎のもとへ近づいた。


「ねえパパ、今日はクリスマスだよ。私の友達はディズニーランドとか横浜とかにお出かけしてるんだって。私もどこかにお出かけしたいよ」

「瑠衣っ! ダメだって言ってるでしょ。お出かけしたいなら、ママと一緒に行こうよ。パパのことはそっとしてあげて。ね? 」

「ヘンなの。というか、ありえなくない? 何もしないでずーっと寝てるなんて」


 瑠衣は不満そうな顔をしてぼやきながら、真琴に手を引かれてドアの外へと出て行った。


「ごめんよ瑠衣……」


 光郎は布団の中で、瑠衣に聞こえない位の声で謝っていた。

 薬の副作用もあるとは言え、寝てばかりの生活が続くことに、光郎は激しい焦りと罪悪感を感じていた。


「いけないよな、こんな生活を続けていては……」


 光郎はふらつきながら布団を押しのけ、立ち上がると、いつも着ているジャージの上に厚手のジャンパーを着込んだ。玄関のドアを開けると、鉛色の空からサラサラと音を立てて粉雪が舞い落ち、光郎の無造作に伸びきった髪の毛は徐々に真っ白に染まっていった。光郎はジャンパーのポケットに手を入れ、背中を丸めながらおぼつかない足取りで歩き続けた。

 駅へと続く商店街に入ると賑やかなクリスマス・キャロルが響き渡り、街路樹には色とりどりの電球が輝いていた。

 クリスマスイブということもあってか、今日は家族連れやカップルの姿が目についた。うつむきながら歩く光郎のすぐ隣を、瑠衣と同じ位の歳と思われる小さな男の子が、両親と楽しそうに話をしながら歩いていた。


「今夜、サンタさんが来るのが楽しみだなあ。僕、いつも運動会でビリだから『ほんのちょっとだけ足が速くなる靴』が欲しいってお願いしたんだ」

「なんだよそれ。そんなものがあるわけないだろ? 」

「あるもん! 学校の友達もみんなサンタさんにお願いしてるんだよ。料理の上手くなる包丁とか、歌が上手くなるマイクとか」

「本当なの? みんな変わったものばかり頼んでるのね」


 男の子の話が本当かどうかは知らないけど、サンタクロースの存在を疑うことも無く楽しそうに話す純粋さを、光郎はとても羨ましく感じた。 

 光郎は商店街をくぐり抜けると、そこには私鉄の駅舎があった。いつも通勤で使う駅であるが、休職後は一度も足を踏み入れていなかった。

  狭いホームに電車の到着を待つ人達がひしめき合い、光郎の周りにも沢山の人達が取り囲むように立っていた。そのうち何人かは、まるで不審者でも見るような目で光郎のことを見つめていた。その時光郎の耳に、誰かが噂話をしている声が聞こえてきた。


「あの人の髪の毛ボサボサじゃん。ちょっと怖くない? 」

「表情も暗いし、全然幸せじゃなさそう」

「仕事してるのかしら? 浮浪者? 」

「あんな風になったら、人生おしまいよね」


 光郎は耳をふさいだまま首を振った。


「このまま生き続けるのはもう嫌だ! ここから消えてしまいたい! 」


 その時、駅舎内にアナウンスが響いた


『まもなく一番線に、京成上野行きの上り電車が入ります。白い線の内側でおまちください』


 雪の降る中、眩しい光を放ちながら電車がどんどん近づいてきた。

 光郎は、次第に近づいてくる電車を見ながら大きく頷いた。そして、ホームに引かれた白い線を越え、眩しい光に吸い込まれる虫のように全身を投げ出した。


「銚子に住むおやじとおふくろ、こんな俺をここまで育ててくれてありがとう! 真琴、こんな俺と結婚してくれてありがとう! 瑠衣、こんな頼りない父親でごめんな! 竹永、俺の分もがんばってくれ!」


 電車から耳をつんざくような警告音と、急ブレーキによる強烈な摩擦音が響き渡った。そして光郎の身体は、何かにぶつかった音とともに空へと舞い上がった。


「終わったんだ……。でも、これでいいんだ……」


「良かねえよ。馬鹿かお前は」

「は? 」


 気が付くと、光郎の背中は後ろから誰かに抱きかかえられていた。そして、その身体は地面ではなく空中をさまよっていた。

 驚いた光郎が後ろを振り向くと、そこには白くて大きな袋を背負って笑うサンタクロースの恰好をした男がいた。

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