第9話 白竜と樫の酒場

 フロントに降りてくると、すぐさま店員が視線を向けてきた。

 ウィルは鍵を差し出す。


「お出かけですかい」


 店員は鍵を受け取り、後ろの木箱の蓋を開けてしまい込む。


「オススメの食事所はあるか? ついでに、この街の事を知れるとなおいい」

「それなら、『白竜と樫の酒場』がオススメだよ」

 店員はカウンターに戻ってきながら、近くにあった紙束に手を伸ばす。

 どうやらこの近辺のオススメ食事所が書かれた観光案内のようだった。パンフレットには「オススメ気まぐれ定食ならここ!」だの「景色の良いロマンチックな一夜を過ごすならここ!」だの書かれている。この宿のところにも「寝心地バツグン! 朝食つき老舗ホテル」と書かれていた。自分のところのレストランをオススメしないのはどうしてかと思ったが、どうもこの区画全体で相互扶助が成り立っているらしい。

 店員は地図の一点を指さした。

「ここだね。店主はともかく、客のほうは口が軽いのが多い」

 下から覗きこもうとしていたカナリアが諦めて声を出す。

「ジュース置いてるか?」

「もちろん! ジュースから酒までよりどりみどり。もちろん食事のほうも十分さ!」

「それはいいな。他には?」

 それから他にも二、三軒、めぼしいところを教えてもらうと、貰ったパンフレットをしまいこんだ。最後に、ウィルは思い出したように尋ねる。

「それと、鞄かレッグポーチなんかが買えそうなところはあるか?」

「そいつなら、商店区画の奥の方にあるんじゃないですかね。このあたりにも観光客用に、でかい鞄を売ってる店ならありやすよ」

「わかった。ありがとう」

 ウィルは軽く手を振り、カウンターを離れる。

「じゃあなー、おっちゃん! いってきまーす!」

「行ってらっしゃいませ」

 素っ気の無いウィルに比べて、にこやかに出ていくカナリアには笑顔で手を振った。

 それにしても、あの二人はどういう関係なのだろうと店員は首を捻った。


 宿の外に出ると、夕暮れの迫った街は赤みを増していた。

 そろそろ道路に設置された街灯に灯りがつきそうな時間帯だ。レストランや酒場が多いなら、この区画はこれからが本番だろう。


「うおっ!」


 あたりを見回したカナリアが、驚いたような声をあげた。


「どうした」

「ほら、あれ見ろよウィル!」

「あ?」


 指で示した方角は、駅の方だった。

 そちらへ視線をやると、ウィルも黙り込んだ。なにしろ中央の駅の後ろには、巨大な樹がそびえ立っていたからだ。


「でけーな!」

「確かにでかい……」


 ただでさえでかい駅を越えて、更にでかい。


「あれって、列車の中からも見えてた樹だよな」

「見えてたって、あんなバカでかい樹どうやって見落とし――、あっ」


 ウィルは気がついた。

 列車に入った時、廊下側の窓から見えていたあの樹だ。

 列車でコンパートメントにいた時は、ちょうど樹とは反対側に窓があったので、見えなかったのだ。おまけにあの女記者を警戒して廊下にも出られなかったおかげで、目線は常に反対側。それに、カナリアに起こされるまで普通に寝ていた。それはもう見落とすしかない。ウィルは何も言えずに黙り込んだ。

 加えて、この街は駅を挟んで反対方向。駅から出てきた時はちょうど街側を見ていたし、エレベーターも街側に設置されていた。宿の窓からは目の前の大通りしか見えていない。だからあんな大きなものを見落としてしまっていたのだ。


「そういえば、なんとかってやつが、なんとかっていう巨樹からとれるって言ってたよな」

「……何も覚えてねぇじゃねぇか!」

「なんだっけ?」

「頼むから宿の名前は忘れるなよ……」


 ウィルは後ろの看板を指さす。『空っ風とホイルスの旅籠』がこの宿の名前だ。


「酒の名前はホイルスだろ。で、アンシー・ウーフェンの巨樹からとれたブドウ、と言っていたな」

「じゃあそのアンなんとかいう巨樹ってあのバカみたいにでかい樹のことなのか?」

 相変わらず覚えきれていないようだったが、もう何も言わないことにした。

「さすがにそれは無いだろ。どう見てもブドウの木じゃないぞ」


 そもそもブドウの木はあんなにでかくない。

 駅の背後にそびえる樹は、列車の中から見た時より近いせいか、いまはただただ迫力がある。


「あるとすれば、あの周辺が畑になっているかするんだろう」

「あー。ありそうだな!」

「そこで収穫したブドウって事だろう。この街の地酒のようだしな」

 そう言うと、ウィルは踵を返す。

「そろそろ行くぞ」

「おー」


 歩き出したウィルの後に続いて、カナリアは歩き出した。すぐに追い越して、ウィルのすぐ斜め前を行く。目的地である『白竜と樫の酒場』は、大通りを更に奥へと進んだ先にあった。人々の往来は次第に増え始め、道の真ん中を竜車が闊歩していく。

 これから開店する店もあるらしく、店のシャッターを開け始めたところもあった。街中は夜に向かってますます活気づいてきている。だが、それでも妙に整然とした印象を拭えなかった。


「それにしても、なんかビシッとした街だよなぁ」

「確かにそうだな」


 上から見た時も思ったが、放射状になった街中は区画ごとにきっちりと区分けがされている。建物同士も似たような作りだが、自然発生的に出来たというより、新興住宅地のような整然とした印象を受けるのだ。植樹帯に植えられた木々もそうだった。きちんと手入れがされていて、まっすぐに並んでいる。街中だからと言ってしまえばそれまでだが、上から見た時もちょうど左右対称になるようにされていて、妙にきっちりとした街なのだ。そのせいなのかどうか、横道がほとんど無かった。隣の区画に移動するには決められた大通りを行かねばならず、近道になりそうな近道や横道はほとんど無いのだ。

 その大通りにさしかかると、今度は横の道が斜めに突っ切っていたりした。放射状の道を斜めに歩いているのだということを忘れそうになる。二人は交差点を足早に走り抜けた。


 それ以外の細かい道はほとんどなかった。

 建物同士は密接に繋がっていて、通れそうな裏道も見たところ無い。

 反面、見た目にわかりやすい階級制度が見えるわけでもない。人間もトカゲの種族も同じように働いている。人間もトカゲも老若男女問わず、ありとあらゆる店を出入りしている。もちろん所持金やドレスコードの問題はあるだろうが、目に見えた線引きは無いように思われた。


「めちゃくちゃビシッとしてるわりには緩そうなんだよなー」


 カナリアはそう言いながら、パンフレットを手に店までの道を歩いた。

 しばらく歩くと、教えられた店にたどり着いた。『白竜と樫の酒場』の看板には、樫の木に絡みついた白い竜が描かれている。看板に偽りは無いらしい。アーチ型の大きなドアをくぐると、いらっしゃい、と低い声がした。

 酒場というわりには店内は落ち着いていた。オレンジ色の光が店内を照らし、シックな雰囲気が漂っている。右手側にカウンター席があり、その奥で店長とおぼしきトカゲがグラスを拭いていた。吹き終わったグラスを、上の棚からぶら下がったグラスホルダーにひっかける。その後ろには酒瓶がびっしりと置かれた棚があった。装飾ではなくこれらはみな商品のようだった。置いてある調度品も年季が入っているが、品の感じられるものだった。

 左手側には丸いテーブルの二人用席があり、奥には四角いテーブルの四人席があるようだった。


「こちらへどうぞお」


 二人は女の店員に案内されると、中央の通路を歩き、奥のテーブル席へついた。

 酒場とは書いてあるものの、普通に食事を楽しんでいる客もいた。この国でいう酒場はバルのようなものなのだろう。そしてここは食事中心のレストラン・バルというわけだ。

 店員がメニューを置いて立ち去ろうとしたのを、ウィルは呼び止める。


「オススメは?」

「魚とイモのフライ。それから、ミルク・チーズのベーコン巻き。それと一番のオススメは特製ラザニアになります」

 店員が笑みを浮かべる。

「それじゃあそいつを……」

「二つずつ!」

 先にカナリアが声をあげた。

 ウィルが固まったので、店員は少し含み笑いをした。それからこほんと咳払いして、表情を戻す。

「お飲み物は?」

「サイダーある?」

「サイダー?」

 カナリアの注文に、店員が怪訝な顔をした。

「ええと、炭酸飲料だ。アルコールは無しで、甘いものを」

 ウィルが代わりに答える。

「ああ、ポップのことですね」

「俺も同じものを頼む」

「わかりました」

 店員は注文を繰り返し、そのままカウンターへと歩いていった。

 料理を待つ間、ウィルは周囲へと視線を投げた。レストランとはいえ、あくまで酒場だ。周囲を見れば、意気投合した男たちが一緒のテーブルに座って飲んでいるのが視界に入った。こういうときに酒が強ければな、と思うことがある。だがこればかりは仕方が無い。体質のようなものだ。不幸体質はかたくなに認めようとしないが、自分が下戸なのは自覚があった。

 酒場の中の人物を何人かピックアップして、記憶に留めておく。


「どうだ?」

 カナリアが尋ねる。

「まあ、大丈夫そうだな」

 聞きたいのはこの街の基本的な事ばかりだ。多少田舎者だと思われても仕方が無い。それにいざとなれば店主に頼るのもアリだろう。

 それよりも、先に腹ごなしを済ませてしまう事にした。

 待っている間にも何度かドアが開き、客が入ってきた。

「よお、来てたのか」

「おお、先にはじめてるぜ」

 にわかに店内が騒がしくなってくる。二人の姿はあっという間に他の客に紛れていく。

 オススメというだけあって常に作られているのか、意外に早くやってきた。三つの皿を二人分を頼んだだけあり、テーブルの片側はすっかり埋まってしまった。魚のフライは三つにカットされていて、イモのフライは皮つきの厚切りだった。チーズのベーコン巻きはどれもパリパリに焼かれていて、そのまま食べられるように小さな串が刺さっている。最後にやってきたラザニアからはほくほくとした湯気が出ていた。

 昼間から何も食べていなかったので、この量でも十分だった。一緒にパンでも頼めば良かったと思うくらいだ。そうでなくても、量がわからなくて食べきれなかったとか適当に言ってそのへんのテーブルに持っていけば役に立つ。それだけでも情報収集のきっかけになるからだ。

 グラスに入ったポップは、下のほうに赤いシロップが沈んでいた。氷に混じって、シロップに一緒に漬けられていたとおぼしきベリーが浮かんでいる。マドラーで軽くかき混ぜると、刺激をうけた炭酸がシュワシュワと音をたてた。

 ようやく水分を補給でき、喉が潤う。

 それから白い皿に載せられたフライを口にすると、揚げたての衣がザクザクと音を立てた。中は赤身魚で、鮭に似た味がした。カナリアはポテトを真っ先に口に入れて、熱さではふはふと上を向いていた。ポテトを食べるのは後にしておく。

 ラザニアはたっぷりのミートソースがサンドされていて、熱でどろどろにとろけたチーズが尾を引いた。チーズがかぶったなと思いながらチーズのベーコン巻きを口に入れると、むしろチーズよりもパリパリに焼かれたベーコンの塩辛さが口の中を刺激した。

 ついでにもう一度ポップを飲むと、口の中の油分がきれいさっぱり流された。

 はたと気がつくと、ラザニアが半分以上無くなっていた。

「……普通に食ってしまったな……」

「だってうめーじゃん、これ。ポテトもらっていいか?」

 カナリアはウィルの返事が来る前に、皿から厚切りポテトをかっ攫っていった。

 それに対してウィルも何も言わずに流した。

 他に何か頼んでしまおうかと、置きっぱなしになっていたメニュー表を手に取る。酒も一杯あったほうがいいかもしれない。メニューに目をやると、どんな料理なのかさっぱりわからないメニューも多かった。だがひとつ言えるのは、やたらとメニューが多いということだ。

 列車で走っていた時も、広がっていたのはどこまでも続く草原だった。それなのにこれほど種類豊富な料理が提供できるとは。


 ――ここは交易の一大拠点でもあるのかもな。


 そうあたりをつけて、メニュー表をめくる。

 さて何を頼むかと考えていると、また扉が開く音がした。店の客たちはとっくに来客を気にしなくなっていた。ウィルもそのまま目線をメニュー表へと向けていた。完全に油断しきっていた。


「あーー!」


 突然、耳をつんざくような、悲鳴のような声があがった。

 どこかで聞いたような声だった。それもつい最近。

 驚きで声のほうに振り返ったカナリアの目線が、一気にウィルへと戻る。

 女記者ヘイウッド・ペグが、ウィルを指さしながらふるふると震えていた。驚きではなく怒りでだ。


「見つけた! まほうつ……」


 ウィルの行動は早かった。

 勢いよく立ち上がったかと思うと次の瞬間には一直線に女の前へと立ち、革手袋をした手がそのうるさい口を塞いでいた。


「おい」


 いまにもぶち切れそうな、しかし小さな声で言い、周囲に視線を向ける。反対に女は口を塞がれたままムームーと何事か言っていた。それでもようやく女が眉間に皺を寄せたまま黙ると、ウィルはそっと手を離した。


「まほ」


 もう一度口を塞ぐと、叫び声は再び封印された。


「やめろバカ! 余計なことを叫ぶな」


 さすがに直接言えば通じるだろうとウィルは小声で言った。

 ヘイウッドはまだ怒りの表情でウィルを見ていたが、周囲からの視線を受けているのに気付くとなんとか口を閉じた。ウィルがようやく手を離した時には、静かになっていた。

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