第11話 時に弱さを見せることが、人の距離を縮めたりする


 薄暗い部屋で一人、私は椅子の上で体育座りをしている。


 アリスを傷つけてしまった、のだと思う。どんな顔をしていたのかは見えなかったけど、喧嘩なんて誰だってしたくない。喧嘩すれば胸が痛くなる。私だって喧嘩なんてしたくなかった。でもアリスだって悪い。けど私が我慢すれば良かった。耐えてたのにそれを無視したのはアリスじゃんか――。


 思考がグルグルとループする。泣いてないのに、目がぼやける。心臓が冷や汗をかいているような気持ち悪さがあって、くらくらする。


 そんな思考を断ち切るように、パチリ、と音がして光が部屋に満ちた。


 急な変化に、まぶたがぴりっと痺れる。


「い、いたのか……」


 そこには、茶髪で表情を隠した少女。


「……おかえり」


 あぁ、そっか。私一人の部屋じゃない。茜だってこの部屋に帰ってくるんだ。あれ、今何時だっけ。ご飯も、お風呂も済ませてない。でも動く気力が湧かない。でも動かないと、明日も学校があるのに。


「……ど、どうした?」


「……ぇ」


「ひ、酷い顔、してる」


 どうやら、今まで全然接触してこなかった茜が自分から話しかけてくるくらい、私の顔は酷いらしい。ちょっと嫉妬が爆発してアリスの無神経発言にキレて部屋から追い出す喧嘩しただけなのにね。だけってレベルかな……はぁ……。


「……あ、甘いもの、け、ケーキとか、食べるか?」


「……いいの?」


 差し出されたのは流行りの喫茶店の袋。そうだった、今日行こうと思っていたお店のやつだ。


「い、いっこくらい、いい」


「ありがとう」


 ほっと、茜が息を吐いていた。


 もしかしたら、私は茜のことを誤解していたのかもしれない。


   §


 折りたたみテーブルを取り出して組み立てる。茜が用意してくれた紙皿にケーキを乗せる。ちょっとだけ寂しい感じだけど、皿がないよりはずっといい。私はありがたくケーキを選ばせてもらった。


 お嬢様たちに人気ということもあり、かなり上品に感じるショートケーキ。苺は宝石みたいにツヤがあって美味しそうだ。


 茜は綺麗なチョコ細工が乗ったチョコケーキを選んでいた。落ち着いた色合いだけど、華やかさは欠けていないバランスで、これも可愛くて美味しそう。


「いただきます」


「い、いただきます」


 生クリームとスポンジの層をプラスチックのフォークで割って口に運ぶ。柔らかくて透き通った甘さが身体に染み渡っていくのがわかる……頭がクリアになっていくような、それでいてお腹がすいていくような。お腹、減ってたのに気が付いてなかったんだ、私。


 時計を見れば食堂はもう閉まっている時間だ。何時間自分の殻に閉じこもっていたんだろうか。


「美味しい……ありがとう、茜」


「う、うん」


 相変わらず顔が見えないままで頷く茜。少しぎこちないけど、こちらに気を使ってくれたのは伝わってくる。


 話しても、いいんだろうか。相談に乗ってくれる? それとも単に見かねてケーキをくれただけ?


 正直、茜は私が落ち込んでいても無視して勝手に寝ちゃうタイプだと思っていたから、優しくされて戸惑っている。美智から聞いた話もあったし。


「…………」


「…………」


 無言でケーキを食べ進める。食べ終わったら、話しづらくなる気がする……コーヒーとかあったかな。確かまだインスタントコーヒーが残ってた気がする。


「コーヒー、いる?」


「う、うん」


 返事を聞いて立ち上がる。コンビニで売ってる安いやつだけど、お湯で溶かすだけだし濃さも自分で調整できるから常用してるものだ。


「あっ」


 棚から取り出した途端コーヒーのビンが手から滑り落ちる。ゴン、と低い音が鳴って、フローリングの床を転がった。カーペットとかを敷いている訳では無いから焦ったけど、幸い割れはしなかったようだ。


「わ、私が、入れる」


 私の不甲斐なさを見かねたのか、茜が床の瓶拾ってケトルに向かう。


「……ありがとう」


 恥ずかしくて、情けなくて、とぼとぼとテーブルに戻ってお湯がカップに注がれる音を聞くしかできない。


 本当に、情けない姿を見せてしまった。


 目の前のケーキを見て、思った以上に自分が弱っていることを自覚する。


 本当は私がケーキを買って、茜と話そうと思っていたのに。なにもうまくいかない。


 こちらに二つのカップを持って歩いてくる茜を、ぼんやりと見つめると、いつもと違って逃げるような仕草もせずにテーブルにコーヒーを並べてくれた。


「ど、どうぞ」


「ありがとう」


 コーヒーを一口入れて、息を吐く。


 ……話そう。多分、茜は待っててくれているんだ。


 深呼吸をして、話すべきことをまとめる。感情的になるのはダメだ。ちゃんと、整理しながら話すんだ。


「この前ここにいた、アリス……聖陽ひじりアリスって子と喧嘩したの。私の嫉妬が原因で」


「…………」


 茜は黙ったまま、私に先を促す。


「今日、魔法の授業で魔法文字を書いてて……私、普段からイラストで魔法を混ぜた線を書くことに慣れてたから自信があったんだけど、アリスは同じ時間で私の二倍近く魔法文字を書いてたの。それが、悔しくて」


 そうだ。自信があった。この学園で誰よりも、私が書けるんだと、聖約の日――魔法に目覚めた日から毎日ずっと書いてきたんだから、負けるはずないって、そう思ってた。


「その後、アリスと共通の友人と話した時に、私にだけ隠し事をされてるって知って、なんで私だけって、そう思って……それで、今度はアリスから私が負けたのは、手を抜いたせいだって言われて……」


「け、喧嘩になった、のか」


「うん……」


 茜は、そうか、と言ってからコーヒーを飲み、一拍置いて口を開いた。


「喧嘩の、り、理由は、わかった。それで、ど、どうしたいんだ」


「……ぇ」


「聖陽と、これから、ど、どうしたいんだ」


 喧嘩の理由に対しても、私の状態に対しても、どっちが悪いとかの感想も一切なく、茜は私の意思を問いただした。


 私は、どうしたい……?


「……わ、わかんない」


 アリスとまた仲良くなりたいんだろうか。でも近くに居れば、またこんな風に醜く嫉妬をするんじゃないだろうか。アリスに対しても、アリスの友達に対しても。もしそうなら、嫉妬するたびに、私は自分の愚かさに苦しむことになる。


 それは、つらい。


 でも……。


「じゃあ、しっかり、か、考えた方がいい。じ、自分の意思が、はっきりしてないと、迷う。迷えば、自分が辿り着きたい、場所には、す、進めない。ただ、立ち止まって、傷つくだけ、だ」


「――――」


 茜が顔を見せて、普段よりずっと強い声で言った。


 ずっと髪に隠されていた目がこちらをはっきりと捉えている。初めて見えた茜の表情は、とても臆病な人間には見えない。銀色に近い美しい灰色の瞳には、芯を感じる強い意志が宿っていて、私に誤魔化すな、と言っているようだった。


   §


『そういえば、美智のクラスに私と同じ、外部入学の茜っていたでしょ。一応ルームメイトなんだけど、クラスでどんな感じ?』


『茜さん……鏡山さんっすかね? う、うーん……あの人ユウさんとは別の意味で尖ってるタイプみたいで、クラスで敵作っちゃってまして』


『私は尖ってないわよ。それで……茜は一体何をやったのよ』


『自覚無いんすね……茜さんはクラスの中心人物の子が声を掛けた時に――』


   §


 ふと、昼休みに美智から聞いた話を思い出す。


 今の姿はその話のイメージとは一致しない。美智からの話で、私はクラスで孤立している誰に対しても攻撃的な根暗な子なんだと、勝手に決めつけていた。


 茜は明確な意思を持った優しい少女だと認識を改め――心のどこかで侮っていたことを恥じる。


「す、少なくとも、部屋で、い、イチャついてたお前たちは、た、ただの、友達って言うには、無理がある、くらい、な、仲が良く見えた。い、一緒に、いたいんじゃ、ないのか」


「……うん」


 アリスのことは、嫌いじゃない。親友だって言ってくれて本当に嬉しかったし、ここで関係を終わらせたいとは、思わない。


「でも、またこういう風になるのが怖くて」


 アリスは天才だ。それは動かしようのない事実で、アリスと関わっていくのならこの先間違いなく今日みたいな感情は訪れる。私はそれを乗り越えられる自信がない。


「な、なれば、いいんじゃないか」


「……へ?」


「ひ、聖陽のことは、し、知ってる。ファンクラブが、う、うちのクラスでも、あるから」


「ファンクラブ!?」


 アリスが人気だったのは知ってたけど、そこまでなの!?


「じ、自分より、上の実力者に、嫉妬できるのは、本気だからだ。諦めた、人間は、嫉妬すら、できない。だ、だから嫉妬して、それを忘れるくらい、努力すればいい」


「ふ、ふふ……あははっ、茜って、強い人だったんだね」


 茜の理論は、要は嫉妬してる暇があれば努力して隣に居ろということだ。脳筋過ぎる。でもシンプルで悪くない。


「お前は、思ったより、よ、弱かった。く、口調も、か、変わってるし」


「……あ」


 そういえば素が出てしまっている。ゆ、油断した~!? クール系美少女JKとしてのガワが!?


「い、いいんじゃ、ないか。ふ、普段の、高慢な感じより、付き合いやすい」


「高慢!? そんなイメージだったんだ……」


 どうしよう。普通にショックなんだけど。


 私が肩を落としたのが面白かったのか、茜が笑っていた。笑うとすっごい雰囲気柔らかくて可愛いな……。


 そうだ、この機会に聞いておきたかったことを聞いてしまおう。


「ねぇ、茜ってクラスの子に話しかけられた時に、格下を集めて安心するやつと仲良くする気はないって面と向かって言ったんでしょ? クラスで孤立しちゃうのにどうして?」


「ど、どこから聞いたんだ、そ、そんな話」


 あなたのクラスの変態さんからですね……。


 茜は、顔を上に上げて思い出す仕草をしてから語りだした。


「あ、あいつは、Eクラスで落ちこぼれ扱いされてる中で、なんとか上に立てたから、じ、自分より下を見て、まだ、大丈夫って、自分に、い、言い聞かせていた。そ、そういうやつと、一緒に居たら、自分も、下を見て、安心するようになる。だから、そう言った。ああいう、やつは、なぁなぁに言っても、伝わらない、から」


「……お、おう」


 やばい。マジで茜さん強い女かもしれない。美智が尖っているタイプと言っていたのはこういうことだったのか……?


「か、仮に孤立したって、やりたいことを、やれれば気にならない」


「……やりたいことって?」


「……ま、まだ好感度、不足だ」


「えぇ!?」


 ルームメイトとの親睦はまだまだ先があるらしいことが判明したのであった。




※作者による読まなくてもいい設定語り

 ユウは周りから結構疎まれたり、高慢に思われたり、煙たがられたり、変な人扱いされたり……とマイナスの感情と共にみられることが多かったりする。とはいえ学園の特性上、特に陰口をたたかれたりすることはない。

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