第34話 奇跡劇

 ヘレンとミカエルが広場を後にし、再び大通りを歩いていた頃。


「あっ」


 通りの向かい側の光景──男一人が二人組の男と言い争いをしているのがヘレンの目に止まった。


「あーあーまた喧嘩か。今日何回目だ?」


「誰か止めに行きなさいよ。客が寄り付かなくなるでしょ」


 珍しくない光景なのか周囲の人間はそれを目にしつつも落ち着いている。やがて言い争いの勢いは増し、一触即発の様相へと変化していく。


「あの、アレ……」


「多いみたいですね。常態化している、というより増えたのは最近の話なのでしょう。恐らくこれも」


「いやあのっ、止めないと」


「……本気ですか?」


 言い争いは殴り合いへ。暴力の現場となった向こう側へ指差すヘレンにミカエルは困惑していた。


「目立つ行動はするなと言われたでしょう。というかその言い付けが無くても介入する意味が」


「すいません行ってきます!」


「は」


 止める暇も無くヘレンは走り出す。伸ばした手が空を切り、ミカエルはわずかな時間硬直していた。


「……え、そういう人だったんですか?」


 煙たがる衆人の間を通り抜け堂々と乱入する。そんな乱入者に対し、一人を一方的に追い詰めていた二人組は直前までの怒気をそのまま向けた。挙動不審気味に静止を促すヘレンに拳が迫る。


「勘弁してくださいよ。私達は能力的に戦闘面に不安がある──」


 呆れ声で合流しようとするミカエルの動きが止まる。二人組の片割れが繰り出した拳は見事に空を切っていた。


 唖然とする片割れを見てもう一人が蹴りを繰り出すがそれも当たらない。大げさな動きでは無く身体の向きと位置を少しズラす程度の動き。


 少なくとも、ミカエルの目にはそれが偶然による回避に見えなかった。


「も、もう止めましょう」


 ヘラヘラとした笑顔でなおも静止を願うヘレン。二人組はその様子に毒気を抜かれたのか、もしくは攻撃を避けられた事に対する羞恥からか、不満の残る表情でそそくさとその場を後にした。


「すげえ! やるじゃねえか姉ちゃん!」


「大の男の喧嘩に割り込んだのは大したもんだ! 無事だったのは偶然だろうけどな!」


 衆人からの歓声と拍手の中でヘレンは二人組に追い込まれていた男に声をかけるが、男はバツの悪そうな表情で逃げるようにその場を去る。


 ヘレンは何かを取り繕うようなにやけ顔を崩し、沈んだ表情を見せた。


「……という訳でもなさそうですね。大丈夫?」


「あ、ミカ……ね、姉さん」


「無鉄砲な真似は止めなさいと言ったでしょ。──すみません! どこか怪我の具合を診てくれる場所はありませんか!」


「ん? 当たってたのか?」


「姉か何かだろ。心配なんじゃないか。……そこの脇道をしばらく進むとがある! そこに行けば間違い無いぞー!」


「ありがとうございます! ほら、行くよ」


「は、はい」


 二人は示された道を進む。ヘレンに怪我の様子は無い。


「自然に場所を聞き出せました。無駄にはならなかったですね」


「……協会って」


「医療協会のことです。各地に設けられた支部の一つがここにありますのは認知していましたが、流石に場所までは知らなかったので。これからそこに向かいます。あ、怪我のフリとかはしなくても良いですよ」


「何か、用があるんですか?」


「依然情報収集ですよ。支部とはいえ協会は協会。この都市においてもそれなりに力を持っている筈です。だからこそ確認する必要がある。勇者一行わたしたちの味方か敵か……次期会長としても、ね」





 ☆




 医療協会メルクーア支部は都市の南東にその拠点がある。


 回復術による外傷の治癒の他、そういった術による治癒が及ばない外傷や病人等への対応を一手に引き受ける都市唯一の施設である。


「……これで良い。しばらく患部には触れず、違和感が無くなるまで激しい運動も控えたまえ」


 清潔さを保った部屋の中、白い上着を身にまとった男は目の前の身体から自らの手を離した。


 傷が癒されたことを確認した患者は何度も男に頭を下げその場を後にする。


「ふん、殊勝なことだ」


「失礼します。ガラン支部長」


 男が白髪交じりの髪を掻き上げ息をつく中、同じく白を身にまとった女が部屋へと入る。


「なんだ」


「本日八件目の患者が治癒料に抗議を……」


「無視しろ。払えなければ労働で補填、それも拒否するならば今後一切出禁だ。治癒料は我々が決める。そこは揺らがん」


「分かりました。それともう一つ、支部長を訪ねたいという方が二人」


「? 患者か?」


「いえ、それが巡礼を名乗っていまして……」


「……古臭いことをする者も居るものだ。分かった、今なら時間もある。話だけは聞いてやろう。応接室へ通せ」


「分かりました」


 男は部屋を後にし応接室へと向かう。その表情には懐古と苦みがあった。


(巡礼……各地の支部を訪ね歩き見聞を広め術の練度を高める。懐かしい響きだ。忘れたいことまで思い出してしまうほどに)


 来客用の服装へと着替え長椅子へと腰を下ろす。ちょうどその頃、テーブルともう一つの長椅子を挟んだ先にある出入口の扉からコンコンと音が鳴る。男は入室を許可し、遅れて扉が開く。


 足を踏み入れたのは若い女の二人組だった。銀の髪を背に流し柔和な笑みを浮かべる女と、その後ろに隠れるように付く薄い金の髪の女。

 

 男が注目したのは前者だった。若く、未熟。外見は間違いなくそうである筈なのに、なぜか胸騒ぎのようなものがあった。


 そして、予感は直後に的中する。礼を交わすこともなくその女が自らの懐からを取り出した瞬間。


 男は長椅子から即座に立ち上がり、床に低身していた。


「え、えっ」


 後ろの女、ヘレンは男の突然に行動に目を白黒させる一方、ソレを取り出した張本人であるミカエルの表情に変化は無かった。


「もっ、申し訳ございませんっ!!! 突然の来客が三つ指を持つ方だとはっ、露知らず……!!」


「構いません。席に戻っても良いですよ」


「いえ、このまま……」


「そうですか。なら私達も立ったままで。……では、早速本題に。私達は貴方に聞きたいことがあって来ました。タイヨウの集いという言葉に聞き覚えは?」


「! ……あります」


「なら、知る限りを話してください」


 求められるがままに男は話した。そしてそのほとんどは二人がこれまでに集めた情報を裏付けるような内容だった。


「都市運営を議する参事会へも出席している、か。有力者との伝手もその機会に?」


「恐らくは。彼らは既にこの都市の権力構造に深く食い込んでいるかと……」


「ふむ。──では貴方はどうですか?」


「っ!」


「貴方もその有力者でしょう。であれば彼らと繋がりがあると疑るのが自然な流れです」


「いえ、ありません! 数度彼らの従業員を名乗る者達に術を施したことはありますが、それ以上はっ!」


 目の前の上位者はタイヨウの集いについて探っている。少なくとも非友好的な理由から。男の中でその程度の察しはついていた。


 そして実際に組織としても個人としても己はタイヨウの集いとの繋がりを持っていない。過去のある経験から彼らを胡散臭い、と判断し距離を保ってきた。


 自分は無関係である。祈るように言葉に念を込め、男は額を床に擦り付けた。


「頭を上げてください」


 許しを得た。その思いで指示に従った男が晴れた視界に見たものは、膝立ちになり己を見つめる女の笑顔とその手に光る指一本程の小さなナイフ。


 その瞬間、男は理解と共に覚悟を決めた。


「貴方のことを信じさせてください。協会における最大の信の示し方、分かりますね?」


「……はい」


 男は震える手でナイフを受け取る。利き腕の右手でそれを持ち、左手は地面に。


 そのまま広げた五本の指。その内の一番小ぶりな指の先へゆっくりと刃先を合わせる。


「どうか、どうか御刮目をっ!! 叛意無き我が心、今証明しますッッ!!!」


「え、えっ?」


 状況を理解出来ないヘレンの疑問符。しかし最早蚊帳の外だった。


 ざくりと、音が鳴った。指先と関節を仕切るように刃が降りる。続くのは苦悶の声と荒い息遣い。


「見事です」


 平坦なミカエルの賞賛。それを聞いた男は耐え難い痛みと指先の喪失感、そして微かに湧き始めた怒りを抑えつけ、まだ終わっていないと判断する。


「お望み、であれば。もう一指……!!」


「ちょっ……なにやってるんですか! こんなこと……!」


 薄く血に濡れた刃先はゆっくりと親指の直上へ。事態を把握したヘレンが男を止めようと動く。


 しかし、その必要は無かった。ミカエルはナイフと手の間に自らの手を滑り込ませ地に落ちた指を拾う。


「もう結構ですよ。動かないで」


「……! おおっ……!」


 断面を合わせて抑えつけた瞬間、光が溢れる。感嘆の声を上げる男の目頭からは安堵からか涙が流れていた。


「ガラン・マクレガー。十数年前に協会本部での権力争いに敗れた貴方は結果として現在の地位へと収まった」


「私の名を……」


「その苦い経験は消えぬ野心となったのか、もしくは危機を嗅ぎ分ける謙虚となったのか。人心とは、どこまでも読めぬモノです。それでも私は──」


 自らの人生は燻りであった。敗北によってこの辺鄙な都市に送られて、それ以後は惰性のように降ってくる仕事を消化し続けた。


 そんな自分を肯定出来たことなど一度とて無い。しかしこの瞬間。


「貴方を信じましょう」


 元通りとなった手を包む両手とその柔らかな表情に、男は全てを肯定されたような感覚を抱いていた。流れた涙が熱く頬を伝う。


「貴、女は。三つ指、この術の練度、貴女は一体──」


「しっ」


 ミカエルは人差し指を自らの唇へと当て、変わらない笑顔で警告した。


「この世には知らなくても良いものもある、そうでしょう?」





 ☆




「かつて王国がこの地に拓かれようとしていた時、その発展を阻もうとするがそこには居た。両者の戦いは激化し、日に日に傷を負う者は増していった。その時です。他者の傷を癒す力を持つ男が現れたのは。彼には生まれつき左腕が無かった。そして右の手も親指と小指の二本が欠けていた。そんな彼は不休で戦場を駆け、人差し指で己を、中指で仲間を。そして時には薬指で己が敵をも癒した。……協会の創設に関わる話です」


 ミカエルは懐からソレを、三本の指が象られた証を取り出す。


「これは協会の有力者の証です。どれだけ力を持っていても基本は二つ。三つ指を持つ者は本当に限られている。だからこれを見せた途端にスムーズに話が進んだ訳です」


「……さっきのは」


「ああ、アレはその話にちなんだ儀式みたいなものですね。何らかの責任を問われた時や謝罪の意思を示す時に行われます。今時やる人は少ないそうですが。それにしても、彼からは別れ際に良い情報が得られました。関わりある有力者が集まるとそのの存在。普通の住人からはまず聞けない情報です」


「……」


「そんなに気になるんですか? まあ、あのまま二本目に行こうとしていたら無理矢理にでも止めそうでしたしね。一応言っておきますが彼は別に助けを求めていませんでしたよ。覚悟を決め、我々の中で通じる方法で潔白を示しただけです。さ、行きますよ」


「……はい」




 ☆




 承認欲求なんですかね? 誰かを助ける事で認められる、と考えているのでしょうか。いたずらに手を伸ばしてもそれは叶わないんじゃないでしょうか。認められたいという気持ちは分からないでもないですが。


 隠された王族、そして恐らく最初から望まれてすらいなかった子。きっと私とは比せないくらいの生を歩んできたのでしょう。


 それ故の行動なのであれば……哀れで同情しますね、少し。

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