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げこげこ天秤

Zentrifräulein――遠心少女外伝――

Cosmic Dark Age 0.4



 空の群青は妹の瞳の色だから、ふと手を伸ばしては引き寄せたくなる時がある。成層圏までの距離は約一万メートル。無論、生身で向かえば、たちまち酸素欠乏に陥る。けれど、もし行けたとすれば、そこに広がる空の色は紺青。――お姉ちゃんの目の色だねと、あなたは言うのだろう。

 高円寺こうえんじすみれは、岩国いわくに飛行場の一角から広島湾を臨んでいた。錦川によって形成された三角州に建設された飛行場。いまやアメリカ海兵隊と自衛隊が共同使用をおこなうことで知られているが、その始まりは呉鎮守府所属の練習隊が配置されたことだと聞いたことがある。乱反射する海風の向こう側に佇むは呉。湾内には、戦艦大和の幻影がいまもまだあるような気さえした。海の色は、空の色だ。思わず惚けてしまったすみれの目の前に、「おーい、大丈夫?」と藍方石らんぽうせきの双眸が現れる。

「ああ、うん。ごめん。ちょっと考え事」

「気を張りすぎなんだよ、お姉ちゃんは」

 自分と同じ顔、自分と同じ声で言われると、本当に不思議な気分になる。十二月の風から耳を守るようにしてフードを被る少女――高円寺こうえんじらん。基地内で〈アウインHauyne〉というコードネームで知られる少女は、すみれのことを姉と呼ぶが、運命に少しの気まぐれさえあったなら、逆だったかもしれない。そう思うと、すみれは小さく苦笑するのだった。寄せ合う背も同じ。絡める手のひらも同じ。それなのに、形成される架空飾パーカーの色彩と、瞳の色が違うのは、それぞれが授かった能力の差異によるものだった。

「って、あれれ? お姉ちゃん、ちょっと背が伸びたー?」

「こんなのちょっとじゃん」

 多分、自分が持つV遠心能力のせいだ。すみれは少しの変化も見逃さないらんにケチをつけるなと溜息をつく。垂直方向Vertical――地球の自転に依拠する遠心力を操る能力を持つすみれは、能力発動時に重力の影響を軽減させる。けれど、母からもらったダークブルーの髪を、らんが肩のところで切りそろえてしまったことに比べれば、すみれのミリ単位の身長の伸びなど無視できることだった。幼いころから活発だったらん。空へ手を伸ばすのがすみれだとすれば、野山を駆けまわろうとするのがらんだった。水平方向Horizontal――広がる地平に向かって加わる遠心力を強化するらんらしいとは思っていたが、ついに一人称を「ボク」にしてしまった時なんか、すみれは頭を抱えるしかなかった。

 もともとは一つの受精卵だったんだよ? もともとは同じ生命体。それを分けてしまったものは何なのだろう。いつからんがどこか遠くへ行ってしまう気がして、そのたびにすみれは怖くなった。

「一緒に、沖縄に行こう」

 これがすみれの口癖だった。遠心能力者の将来は、その能力の大きさで将来が決まる。その能力値の評価がなされる卒業試験。高い能力値であるほど、社会的に高い地位を獲得でき、将来が約束される。


 V遠心第五分類、〈高円寺菫ヴァイオレット〉。

 H遠心第五分類、〈高円寺藍アウイン〉。


 防衛大学付属岩国学園遠心科。そこに入学された時に与えられたステータス。遠心能力は第一分類から第十分類まで存在するが、第六分類以上になれば政府から認められて、その将来が保証される。そのシンボルが沖縄への配属であった。

「沖縄かぁ……。ボク、寒いのは苦手だけど、暑いのはもっと苦手だなぁ」

「文句言わない。沖縄に行けば、私たちはずっと一緒にいられるんだから。だから、ちゃんと本気だしなさい」

「えー。沖縄に拘んなくていいじゃん。お姉ちゃんが〈ダスクDusk〉に憧れるのはわかるけどさ、田舎でひっそり暮らす方がボクはいいなぁ」

らん!! やらない言い訳を作らない!!」

 はいはーい、とらんは分かったような分かってないような返事をして、駆けていく。かつて、コードネーム〈ダスクDusk〉と名付けられた伝説の遠心少女がいた。遠心科生の間で代々引き継がれている噂――『最も強度の高い遠心能力者は、全ての真実にすら至る』。すみれはそんな彼女のことを自らの最終到達点と定めていた。どこまでも高く飛べたと言われる〈ダスクDusk〉。もしそんな存在になることが出来たのなら、たとえらんがどんなに遠くに行ってしまったとしても、すぐに駆け付けられる。そう信じていた。

「じゃっ、後でね。お姉ちゃん」

 卒業試験は午後から、岩国基地内で実施される。V遠心とH遠心では異なる課題が課せられ、V遠心能力を持つすみれには落下物を空中で制止させる試験が課される。想定としては、空中で制御不能となった飛行ドローンの墜落の阻止。数年前まではオスプレイを模した飛翔体で試験がなされたが、時代に応じて試験内容は変更される。

らん……本当に分かってるの?」

 消えていく背中を見ながら、海風が連れて来た虚しさに堪えられなくなったすみれは、フードをギュッとかぶった。

「第五以下で許されるのは……学園や基地のなかだけなんだよ?」








「それでは、高等部第二三期、V遠心能力測定及び卒業試験を始めます。〈高円寺菫ヴァイオレット〉は、所定の位置についてください」


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