第33話 夢と白桃

「ん・・・」

「雅希。目ぇ覚めたか」「とうさん・・・」


まだ眠気が残っている目をこすりながらベッドから上体を起こそうとしている私に、父さんが手を貸してくれた。

そして父さんは、大きな手を私の額に当てると「熱は出てねえな」と呟いた。


「気分はどうだ」

「ねむい。まだ頭がボーっとしてるし」

「寝ててもいいんだぞ?」

「でも・・お昼ごはん、作らなきゃ・・」

「そんなん各自でどうにかするからおまえは心配しねえで寝てろ」と父さんは言いながら、私を再びベッドに寝かせた。


「とその前に」

「なに、父さん」

「界人来てるけど会うか」

「・・・え」


とっくに両目を閉じてほとんど眠りかけていた私は、「界人」という名前(それとも言葉?)を父さんから聞いた途端に目がバッチリと覚めてしまった。

しかも、そのままガバッと上体を起こすくらいの勢いまでつけていたくらいだ。


「ちょっと父さん!界人にしゃべったの?」

「いいや。あいつには“今日のフィジカルトレーニングに行けなくなった”と電話で伝えただけだ。今日はあいつを乗せて連れてく約束してたからな、“トレーニングに行くなら他の足を当たれ”と連絡しておく必要があった」

「あ・・そう」

「界人はゼロ課の候補生だ、あいつなりに推理したんだろ」

「・・・父さんがトレーニング指導を休まなきゃいけない非常事態が発生した。でもスマホ越しに聞こえる父さんの声は“いつもどおり普通”だった。だから父さんに何かあったんじゃない。父さんの関係者――家族――に何かあった、と」

「なんで事件じゃないと言いきれる」

「だってフィジカルトレーニングの指導日は父さん、非番なんでしょ。たとえ父さんくらい地位が上のデカでも、非番だったら事件発生の知らせは基本来ない。よほど危険性の高い事件じゃない限りは」と言う私に、父さんは少しニヤニヤ顔で私を見ながら何度か頷いている。


「おまえも大した推理力、持ってるな。さすが俺の娘だ」

「当然でしょ。警視の父を持つ娘になってもう15年経つんだから。あと」

「なんだ」

「もし危険性の高い事件が起こったら、父さんが連絡する“前”に界人は事件が起こったことを知ってると思う。だからその時点で父さんがトレーニングに行けない事情を察知するんじゃない?」と言った私に、父さんは「かもな」と言いつつ、でも頷いて肯定はしてくれた。


「で、雅希。あいつに会うか?」と再び父さんに聞かれた私は、答えるまでに少し考えてしまった。


たとえ今、寝起きでひどい顔になってても、(実際はそうじゃないけど)病気で寝込んでいても、界人に会いたい。だけど今、界人に会わなくても、月曜日には学園で界人に会えるし、話だってできる。でも・・・。


今、界人に会って何を話そう・・じゃなくて、今私(の霊力)に何が起こったのか、全てを包み隠さず界人に話しても、果たして界人は私を受け入れてくれるかな。

それでも界人は私とつき合いたいと思うかな。

こんな厄介な霊力を持ってる面倒な私と、まだ結婚する気でいてくれるかな。

それでもまだ、私を好きで・・・愛してくれると・・・思う?


沸きあがった恐怖心に、私は思わずギュッと目をつぶりながら、手を握りしめた。


大切な人を失うかもしれない。怖い。

だけど私は、それに立ち向かわなければいけない―――。


「雅希?」

「・・・うん」



ダイニングチェアに座って、銀兄ちゃんとしゃべっていた界人は、私を見つけるなり立ち上がって私のほうへを駆け寄ってきた。


「もう大丈夫なのか?」と聞いた銀兄ちゃんに私が頷くと、「じゃあ俺は席外す。界人、雅希のことよろしくな」と言った。


「はい」

「それから雅希」

「なに、銀兄ちゃん」

「さっき頼人叔父さんが言ってたことを思い出せ」

「え」

「ヒントはそこにある」

「ヒント?何それ。ていうか何のヒントなの」

「前にも言ったろ?持つのは“意思”より“意図”だって。プラス“認識”も。忘れるなよ」

「あ・・うん」


ていうか銀兄ちゃんは一体、私に何を言いたいんだろ。さっぱり分かんない。

それに言いたいことがあるなら私にも分かるように、ハッキリ言ってくれればいいのに。ヘンなの。

リビングから出て行った銀兄ちゃんの後ろ姿を見ながら、全然いつもの銀兄ちゃんらしくない・・・と、私は思っていた。


父さんはまだ私の部屋にいる。

これで今、ダイニングにいるのは界人と私の二人だけになった。


「雅希」

「なに」

「おまえを抱きしめてもいいか」

「・・・は?」


思わず顔を上げた私の目の前に、ニコニコ顔の界人が立っていた。


その界人は、「やっと顔上げてくれた」と言うと、ニカーッと笑顔になった。

まるで自分が立てた作戦が大成功したみたいに、嬉しそうな顔をしてる。

でも界人が突拍子もないことを言うまで、私は、自分が俯いてたことすら気づいてなかったということに気がついた。


なんか・・さっきからヘンな感じだな。

私も界人も、なんだか「いつもの自分自身」じゃないような・・・要するにヘンな感じ。

何よりさっきの銀兄ちゃんだって・・・。


「座ろうか」「あ・・うん」

「あ、そうだ。これ」と界人は言いながら、ダイニングテーブルに置いていた白いビニール袋を私に差し出した。


「え。これを?私に?」

「うん。お見舞いっていうか・・お見舞い」

「なにそれ・・・あ」


ビニール袋の中には缶詰が入ってた。

その缶詰をビニール袋から取り出した私は、思わず笑顔になってしまった。


「スーパー、八百屋、高級果物店。心当たりのところは全部行ったし、飛鳥兄ちゃんにも聞いてみたけど、“白桃はまだない”って言われてさ。だから今日は缶詰で。ごめんな」

「ううん。嬉しい。界人、ありがとう。食べてもいい?」

「もちろん!おまえ用に持ってきたんだし」

「界人も食べるよね?」

「うん」

「じゃ、界人はここで待ってて」と私は言って、桃の缶詰を持ってキッチンへ行った。


缶詰を開けた私は、まず半分に切られている白桃を取り出した。

それを8等分に切る。

これで白桃は、フォークに突き刺して一口で食べることができる。

本物(生)の白桃だと、皮をむくことから始まって、種を取り除いたりする作業がある分、缶詰は手軽だ。


「お待たせ」

「いっただっきまーす!」

「界人ありがとう。いただきます・・・ん、おいしい」

「俺、前にいつ缶詰の白桃食べたのか思い出せね。けどなぜか懐かしい味がするし、缶詰なのに美味いと思うんだよなぁ」

「“缶詰の果物、あるある”だよね。ってどうしたの界人。私の顔になんかついてる?」

「いやなんもついてねえし、相変わらず美人だけど・・料理上手な雅希も缶詰の果物食べるんだって思ったら、なんか・・・安心した」

「え。私だって缶詰とかレトルトものとか食べるときもあるよ。でもまぁ、すごくたまにだけど」

「じゃあおまえも缶詰の白桃食べたのは、超久しぶりだったんだな」

「うん。私もいつだったか思い出せないくらい前の話。でもこれ、ホントに美味しい」

「体か心、もしくは両方とも弱ってるときは、好きなものを食べたら元気出る。っていうのは俺の持論だけど」

「やっぱり界人は父さんからの連絡で、私に何かあったって推測したんだ」

「うん。だからおまえが好きな果物を持って見舞いに行こうって決めてさ。でも白桃はまだ出回ってなくて・・全滅アンド見事に撃沈」

「白桃が出回るのは、早くてもあと二週間後くらいかな」

「そのときはおまえにプレゼントする。一緒に食べよ」


二週間後なんて、たぶんあっという間にやってくる。

だけど界人は、これから私が話すことを聞いてもまだ、私と一緒にいたいと思うだろうか。

まだ私をカノジョにしておきたいと思うだろうか・・・。


なんて今、頭の中でゴチャゴチャ考えてるだけじゃ、何も進展しない。

この状況下で確かなのは、界人には、起こったことを包み隠さず正直に話すべきだということ。


「界人」「ん?」

「聞いて」


フォークを置いた私は、缶詰の白桃を食べながら、私の身に今、何が起こっているのか、界人に全てを話した。


「・・・そっか」

「だから・・・別れよう」

「え。雅希。今、なんて言った・・」「もう界人は私とつき合わないほうがいい」

「はあ?ちょっと待てよ」

「界人はこんな私とつき合い続けることはもちろん、結婚なんてしちゃいけない。界人の将来が台なしになるだけだよ。だからもう・・・私と別れて。私と関わらないほうがいいから。界人のためにも。何より私のためにも。だって、私・・わたしは・・・」「分かった」

「・・・え」

「おまえがそうしたいなら」

「か、ぃ・・・」


え・・・うそ。なんで・・・・・。


「別れよう」と私に言ってる界人が・・・。

私の目の前にいる界人が、薄く視える・・・の。


「かいとっ!」


・・・あれ?

何これ。一体どうなってるの?

なんで今、私は「ベッドにいる」の?「ダイニング」じゃなくて。

まるで私は「今、目が覚めた」みたいじゃないの。

ということは、さっき見たアレは全部、「夢」だったってこと・・・?

にしてはすごくリアルだった。

父さんがいたこととか、銀兄ちゃんが言ってたこととか。

界人との会話だってそう。

「らしくない」っていう違和感はちょっとあったけど、リアル感満載だった。

背景や場所も鮮明なカラーだったし、うち(神谷家)のダイニングやキッチンは、そのままその通りだったし。

何より「缶詰の白桃を食べてる」っていう「状況設定」だって本当の本物だと・・・。


界人。


途端に私はベッドから飛ぶように降りると、自室のドアを開けて、ダイニングのほうへ駆け出した。

・・・そういえば、父さんは私の部屋にいなかった。

そこが「さっき見た夢」とは違ってたところだ。

けど界人は今、うちに来てる。

父さんからのコールかメッセージを見聞きして、「私に何かあった」と推理し、私を見舞いに今、うちに来てくれてるはずだ。それこそさっき見た夢のシナリオ通りに。


「雅希!」


・・・やっぱりいた。

界人はうちに、来てくれていた。


「かい・・」

「やっと目ぇ覚めたな、まー。いくらなんでも寝過ぎっしょ」

「仕方ねえよ。俺の娘は浄化中だったんだからな」


確かに界人はいたけど、今度は忍と父さんがダイニングにいた。

でも三人ともムリに元気っぽく見せてるっていうか・・やっぱりヘンな感じがする。


「ほら雅希、そんなところでボーっと突っ立ってんじゃねえよ。こっち来て座れや」

「あ・・・うん」

「気分はどうだ?・・・熱は出てねえな」

「良かったぁ。雅希腹減ってんじゃね?俺、おまえが好きな白桃持ってきたんだ。食べるか?」


そう朗らかに言った界人が私に差し出したのは、缶詰・・じゃなくて、(生)果物の白桃だった。


「・・・ありがと。美味しそう・・でもよく白桃見つけたね。まだ出回ってないと思ってたけど」

「あぁ、それは・・」

「まーは二週間ぶりに起きたからなあ、そう思うのもしょうがないっしょ」

「・・・え?」


今、忍は私が「二週間ぶりに起きた」って言った?よね。

てことは私は二週間も寝てたってこと!?


思いっきり眉間にしわを寄せている私に、父さんが「どうした?」と聞いてきた。


「ど、どうしたって・・父さん、私二週間も寝てたってホントなの」

「ああ」

「頼人叔父さんが来てくれてから二週間、ずっと寝てたってこと?」

「ああそうだ」

「その間私、全然目が覚めなかったの」

「ああ」

「ぐっすり寝てたぞ、まー」

「な・・・」


何かがおかしい。いや、違う。

この状況も、みんなの態度や反応も、何もかも、全てがおかしい!


私、二週間も寝っぱなしだったんだよ?それなのに・・父さん、忍、界人も、ここにいるみんな、「それが普通」みたいな感じで平然としてるし。それでいて私が「二週間ぶりに」起きても、いつもどおりに「おはよう」と言ってるような感じで私に接してるって・・・。


「ねえ父さん」

「なんだよ」

「私を起こそうとは思わなかったの?さすがに二週間も寝っぱなしって・・明らかにヘンでしょ」

「おまえは浄化中だったからなあ」

「無理やり起こすと返って危険じゃね?」

「えっ?“浄化”って、そういうものなの?」

「そういうものだよ。それにおまえは今、生きてるんだ。細かいことは気にすんな」

「はあ?何それ」

「そう怒るなよ雅希。俺は嬉しいんだ。だっておまえが眠り続けてくれたおかげで二週間もこの家に泊まれたから」

「・・・界人、言ってることがヘンだよ」


界人は私が二週間も眠り続けていたことを全然心配してないどころか、「そのおかげで二週間もうちに泊まれたこと」を嬉しがってる。

そんなの、全然界人らしくない!


界人だけじゃない。忍も父さんも、三人ともおかしいよ!

全然いつものみんならしくない・・・!


「・・・!」

「おう雅希。目ぇ覚めたか」

「・・・とぅ、さん?」

「どれ・・熱は出てないな」

「何言って・・・」


・・あれ?わたし・・・・・・。

は今、ベッドにいて・・・・・。

ガバッと起き上がって・・・・。


「わたし、目、覚めたんだよ・・ね。今度こそ、ホントに」

「ああ。おまえは起きてるぞ」

「そぅ・・・」

「なんだよ雅希、ヘンな夢でも見たのか?」

「ねえ父さん、私はどれくらい寝てたの」

「ま、どうせ隠したって分かることだから今言っておくか。丸一日ってとこだな」


丸一日!?って長っ!

睡眠時間の新記録を更新したかもしれない。でも・・・。


「二週間じゃなかったんだ。良かった・・」


界人!


「あぁ?“二週間”って何の話だ」

「夢の話。ヘンなのに妙にリアルだった。それより来てるんだよね」と私は言った。


「誰が。それとも“何か”か?」

「界人。今うちにいるんでしょ」

「ああ、界人なら昨日からうちに来てるよ。“目を覚ました雅希に会うまでここにいさせてください!”って言うから、昨日はうちに泊まらせた。案外頑固なヤツだな、界人は。ま、もし俺があいつの立場でもそうするが」


最後のほうは嬉しそうな顔して言った父さんに、私は「そうだね」と答えた。

そのときの私の顔も嬉しそうになっていたはずだ。自分でも分かるくらい、口角が上がってたから。


「あいつは今、ダイニングにいると思うぞ。昼メシ食べてるか・・いや、もう食べ終わってるだろうな」

「あ、そう」

「早くあいつに会いたい気持ちは分かるが、浄化が先だ。ほら、水を飲め」

「あ・・うん」


毎回、妙にリアルだった夢では、体はそんなに動かしていなくても結構疲れが溜まってるというか・・まあ精神的な疲労(感)がほとんどだけど、結局、眠っていても夢の世界では“活動してた”から休めてない、という感じがする。

それだけに浄化の水を一口飲むたびに、体の中に染みわたるような・・・とにかく、一つまみの塩入りお水がとても美味しい。


私は浄化のお水をグラス二杯飲んだ。

おかげで実は乾いていた(お水を飲むまで自覚がなかった)喉も潤ったし、精神的な疲労感も少しは取り除けた。


「・・ありがと。ねえ父さん?」

「なんだ」

「界人には話したの。私に何が起こったのか・・霊力のこと」

「まだ話してねえよ。界人には“今日の――ってもう”昨日の話“になるが――フィジカルトレーニングに行けなくなった”と電話で伝えただけだ。とにかく昨日はあいつを乗せて連れてく約束してたからな、“トレーニングに行くなら他の足を当たれ”と連絡しておく必要があった。そしたらあいつ、“雅希はまだ白桃が好きですか?”って返事よこしやがってよ。ま、俺が言ったことからあいつなりに推理したんだろうな。さすがゼロ課の候補生・・おい雅希?どうした。すげー驚いた顔して」

「いやだって、今父さんが言ったことって、夢とほとんど同じなんだもん」

「へえ、そうか。じゃあそれは“ほぼ正夢”かもしれねえな」

「え・・」


「それはイヤ」と言いかけた私は、そう言う代わりに「じゃあ界人は、私を見舞うために昨日からうちに来てくれていて、そのとき白桃を持ってきてくれたの?」と、父さんに聞いた。


「よく分かったな」

「缶詰?それとも本物?」

「なんだ?その質問・・まさか“白桃”も夢に出てきたのか?」と聞いた父さんに、私は頷いて応えた。


「ねえ父さん、どうなの?ニヤニヤしてないでさっきの質問に答えてよ」

「そんなに気になるならおまえが直接確かめればいい」

「何それ」

「どこまでが“正夢”なのかを決めるのは、おまえ自身だってことだ」

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