第35話 創世の聖槌

 断頭台がギシギシと音を立てるのを聞き、リラの頭が真っ白になる。──その瞬間、路地裏の空き地一面に広がる白い花々が脳裏をよぎった。


「やめ……なさい!!!」


 リラは髪を留めていたバレッタを勢い良く引き抜き、両手を証言台に叩きつけた。


「『開花〈ブルーミング〉』!!!」


 右手にバレッタを握りしめたまま、リラは力の限り叫んだ。


 すると台は一瞬のうちに白い花で覆われ、花々は瞬く間に範囲を広げていった。


「な、なんだこれは……!?」


 花は絨毯を転がして行くように勢い良く生育し、狼狽えて立ち上がる司祭達の足元まで侵食する。床が埋め尽くされると、壁を這って勢力を伸ばし、ついには天井まで到達した。


 部屋全体がむせ返るようなマーガレットの香りに包まれ、司教達が口を抑えて咳き込む。

 リラは神聖力の抑圧から解放されたが、ほぼ全ての魔力を使い尽くし、呼吸も難しくなった体を辛うじて腕だけで支えた。


 おぼつかない足取りでテディの元へ向かうと、ゆっくりとした動作で断頭台から腕を外し、司教達を睨みつける。


「聖女だの、何だの……。そんなどうでも良い事の為に、私の弟の腕を切らせてなるものですか!!──貴方達こそ、司教を名乗っていますが……あの優しい神の教えが、人を傷つけるものである筈がありません!!!」


 怒りと悔しさで溢れる涙をそのままに、生涯出したことのない大声で、リラは叫んだ。


「神は、全ての人を愛しているのに……」


 そう呟きながらテディの体を抱きしめると、リラの体は限界を迎え、地面に崩れ落ちる。


「……よく言ってくれたわ、リラちゃん。──後は私に任せて」


 ──遠くなる意識の中で、慈しむような神の声が聞こえる。


 その瞬間、カッとリラの体が閃光を放ち、全員が思わず目を瞑った。瞼を開くと、純白の髪をふわりと空中に靡かせて、光り輝くリラが部屋の中央に立っていた。


「あ……なた、は……」


 腰を抜かして座り込んだ司教長の手足に、白いマーガレットが絡みついてくる。

 慌てて逃れようとするも、手足を捉えた花は根を張るかという勢いで、締め付けを増してきた。


「貴方達には……失望しました」


 リラが司教席に続く階段を上ってくるのを見て、司教達は体を寄せ合って震え上がる。リラの足が触れた場所からはシュルシュルと茎が伸び、次々に新しい花を咲かせていった。


「名乗らなくても分かりますね?……私が、貴方達の信じる唯一のもの──そのはずでした」


 リラの体を借りた神は、階段を上り終えると冷めた目つきで司教長を見下ろした。


「私が聖書に記した言葉は……聖なる名の下には、人を傷つけても良いというものでしたか?信者から金をむしり取って、自分達だけ豊かに暮らせ、というものでしたか?」


 司教達は口を開けたまま、ガタガタと震えている。


「……どうなのか、と聞いているのです!!」


「ぐっ……!あああぁ!!」


 神が勢い良く右手を振るうと、司祭達は自らの腕を押さえてのたうち回った。


「これが貴方達が、あの少年に与えようとしていた痛みです。……そして、困窮しながらも教会に縋るしかなかった、信者達の痛みです」


 神は司教長の頭をガシリと掴むと、涙を浮かべて震える彼の顔を自分の方に近づけた。


「貴方達も私の愛する子供……本当はこんなこと、したくありませんが……」


 神は琥珀の様に輝く金の瞳で司教長を見つめると、グッとその手のひらに力を入れた。


「あ……?う、うああ……あ……」


 司教長のほぼ白に近かった薄緑色の髪がみるみるうちにくすみ、絵の具の筆を濯いだ後の様な灰色となった。


「貴方の神聖力を、全て抜き取りました。……まあ、抜き取るほどの神聖力もありませんでしたが」


 司教長は抜け殻の様に虚空を見つめ、時おり喉から言葉にならない呻き声を発している。


「聖書に基づく善行を積んで行けば、少しずつ回復して行くでしょう。魔力も神聖力も無い貴方が、生きていくすべは他にありません。──もう一度初心に帰って、地方の教会で人々のために尽くしなさい」


 司教長の頭から手を離すと、神は冷え切った目つきで残りの司教達を見渡す。


「貴方達も、最初は一人でも多くの信者を救おうと、神官を志した身。……しかし、今はどうですか。神を信じるという言葉は口ばかりで、神聖力はカケラほどしかありませんよ」


 神は祭壇に近づき、棚に置かれていた聖書を手に取る。

 

「その腐った性根を今すぐ叩き直さなければ、聖槌を下します。──どうなるかは、分かりますね」


 神は聖書をパラパラと捲り、創世記の一節を指差して微笑んだ。司教達は青い顔を一層青くし、ガクガクと頷いた。


「もう一度、聖書を読み直してください。貧しい人を救い、病んでいる人を癒し、悲しむ人の為に祈るのが教会の役目です」


 神はゆっくりと階段を降りると、座り込むテディの両肩に手を置いた。


「私の愛する子。……心の優しい貴方に、いつか教会を任せます。──その時まで、人を愛し、愛されることを学びなさい」


 囁く様に耳打ちすると、神はテディの額に優しくキスをした。


・・・・・

 

 リラが目を開けると、呆けたテディの顔があった。


「……テディ?」


 リラの声に、テディはハッと正気に戻る。


「お姉さま、なんですね……?」


 頷いて司教達の席に目を向けると、集まって何かを話している。司教長だった人物は、すでに退室しているようだ。

 リラの視線を感じ、一人の司教が怯えた様子で頭を下げた。


「大変……失礼いたしました、聖女様。疑いましたこと、どうぞお許しくださいませ」


「私にしたことは、良いのです。それよりも、この子、セオドアに……」


 司教達は口々に謝罪し、一斉に頭を下げた。テディは姉と顔を見合わせ、小さく頷いた。


「聖女云々は、もう宜しいですか?最初に決めた取り決め通り聖石をお配りいただけるなら、こちらから言うことはありません」


 リラの言葉に、司教達はコクコクと頷いている。


「あの、今後は自由に聖女を名乗っていただいて構いませんので……」


「……必要があれば、そういたします。では、失礼して……」


 出口へ向かおうとしてふらついたリラを、マシューの太い腕が抱き上げる。マーガレットが空間の神聖力を吸収し、動けるようになったようだ。


 四人が部屋の外に出ると、クリストフがドアの脇に姿勢良く待機していた。


「司教会は終わりましたか……。では次に、教皇代理のお部屋にご案内して……」


 クリストフが先導しようとするのを、中から出てきた司教が慌てて止める。


「もういいんだ!早く、お帰りいただくようにご案内しろ……」


「……はい?しかしスケジュールでは、この後教皇室へ向かう予定でしたので……」


 元々司教会でリラを捉えてしまう予定だったのだから、それは表向きのスケジュールなのだろう。

 中で起きたことをしらないクリストフは、焦る司教を傍目に廊下を進もうとする。


「では、教皇代理様にお会いしていきましょう。……宜しいですね?」


 リラが睨みつけるようにそう言うと、司教は小さく縮こまって口をつぐんだ。


「リラ、良いのか?早く帰らなくて……」


「大丈夫です、お父さま。それよりも、どんな方が教皇の代理をされているのか、気になります」


 リラはマシューに抱えられながら、小声で家族だけに聞こえるように話す。


「教皇も司教達と同じように、ただの年功序列で選ばれた権力のある人物なのか……。それとも、神聖力が強い方が、お飾りで座らされているのか。──昔の、パール家のように」


 テディは目を見開いた後、真剣な眼差しでリラの顔を見つめる。


「神聖力の強い方が、教会の良いように使い倒されているのであれば、放っておくことは出来ません。──どのパターンか分かりませんが、とにかく会ってみましょう……」


 そう話している間に、鈍い銀色に輝く扉の前にたどり着いた。扉には聖書とマーガレットの繊細な細工が施されているが、取手が見当たらない。


「こちらが、教皇代理のお部屋です。どうぞ……」


 クリストフが扉の細工に埋め込まれたダイヤモンドの内、数個に順に手を触れると、触れた石が輝き扉がゆっくりと開き始めた。


「……ごきげんよう、神に愛された聖女様よ」


 部屋の中からは、川のせせらぎのような透き通った声が聞こえてきた。

 

 

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