第6話 幼い日の約束

「あの……!」


 リラは咄嗟にそう話しかけたが、その続きを考えていなかった。

 

 もじもじと何か言いたそうに固まるリラに、ノアは涙の溜まったまつげをパチパチさせて尋ねる。


「君は……?」

 

「あの、わたし……ライラック=アメジストと申します。リラとお呼びくださいませ。あなたのお兄さまであるアレキサンダーさまの婚約者で……決してあやしいものではないのですよ!」


 自分で怪しくないと名乗ると怪しさ倍増だが、せめて……と美しいお辞儀〈カーテシー〉をする。


「あの、ぼく名乗ってはいないのだけど、どうしてぼくが王子の弟だと……?髪色も見た目も、全然似ていないでしょう……?」

 

「ハッ!それは……ですね……」


 弁明するために、余計なミスをしてしまった。

 

 今世において、ノアとリラは初対面だ。


 しかも前回までの記憶によれば、ノアは契約のため昨日王城に呼び寄せられたばかりのはずだ。

 

 腹違いのアレキサンダーとはあまり似ておらず、王家特有の金髪でもないノアを第二王子だと知る人間は、この城でも限られているだろう。


「信じていただけないかもしれませんが、わたし……ちょっとだけ、先見の明がありまして……」

 

「へえ!そうなんだ……リラさまはすごいですね」


 ノアは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにニコリと微笑んだ。


「じゃあ、もう知っているかもしれないですが──ぼくはノワール=ルビーといいます」

 

「あの……信じていただいて、ありがとうございます。ノワールさま」

 

「そうでないと、ぼくを王子の弟だなんて知らないはずですもんね。──それと、ノアでいいです。母さまはそう呼ぶもの」


 ノアは立ち上がるとズボンについた土を払い、目元をごしごしとこすった。


「みっともないところを見せちゃいましたね……恥ずかしいな」

 

「とんでもない!突然ここに来たわたしが悪いのですから……」


 頬に涙の跡を残しながら、ノアは寂しそうな表情で遠くを見つめている。


「あの……ぶしつけながら、何か悲しいことでもございましたか……?」

 

「ふふっ……リラさまは大人みたいな言葉で話すんですね」


 ノアの屈託のない笑顔が眩しく感じる。


 今までのループでは初対面が血の契約の後だったため、すでに笑顔は失われ、いつも何か諦めたような顔をしていた。


 こっちに来てください、とノアはリラの手を引き、庭園の奥へと足を進める。


 そこには、薔薇に囲まれた小さな東屋〈ガゼボ〉があった。ノアはその中にある白いベンチに腰掛け、リラに隣を勧める。


「お城には昨日来たばかりなのだけど、ぼくのお気に入りの場所なんです。ぼくの赤い髪が目立たないのは、ここしかないから……」

 

「とても美しい赤、ですよね。ここの薔薇のような……」

 

「美しくなんか!……ごめんなさい、ぼくはこの髪、嫌いなんです……」


ノアは自分の髪をひっぱり、忌々しそうに見つめる。

 

「ぼくは王さまの子だから、金の髪で生まれるはずだったのに、こんなにも真っ赤な髪の毛で……。誰からも、生まれることを望まれていなかったんだ」


 この世界の貴族家において、濃淡は違えど当主は皆その一族を象徴する髪色をしている。

 というのも、妊娠中周囲のものが望みさえすれば、生まれてくる子供は親の髪色を受け継ぐことが出来るのだ。


 特に王族は代々ブロンズの髪で、金髪を持たないものに王位継承権はないとされている。

 順当に金色を引き継いだ兄とは違い、ノアは側室である母──ルビー家の赤髪を色濃く受け継いでいた。


「母さまが、毎晩ぼくを抱きしめて泣くんです……。ごめんね、生んでしまってごめんねって……」


 整った美しい顔を歪めながら、ノアは続ける。

 

「王家で生まれたけれど……いらない子だったぼくは、昨日まで母さまと二人、城下町で暮らしていました。たった一人の家族を泣かせるなんて……ぼくは、生まれてこない方が、良かったんです」


 ノアの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

 自分が王族でありながら金髪を受け継がず、城から離れた場所で見放されたように暮らしているのを自覚した時、どんなに辛かっただろう。

 自分の生が、誰からも望まれていなかったと考えても仕方がない。

 

 加えて、今回の急な呼び戻しだ。混乱と期待が入り混じった感情を、王家は血の契約で踏みにじるのだ。

 

 幼い体に余りある苦しみを思い、リラは思わずノアを抱きしめた。


「えっ……リラさま?」

 

 城の人間はルビー家の力を良い様に使うため、母親にノアを生ませた。はなから後継者にするつもりなどなかったはずだ。

 

 自分が生ませておきながら城の外に放置し、契約が出来る年齢になった瞬間呼び戻すなど、親の出来る仕打ちではない。

 

 リラは閉じた瞼に、悔しさを滲ませる。


「……決して、生まれてこなければ良かったなんてことはありません。お母さまは、あなたを愛していますよ」

 

「でも……」

 

「ノアさまが愛しいから泣くのです。愛しているからこそ、あなたに辛い人生を歩ませてしまうことを嘆いて……」


 リラは抱きしめていた腕をほどき、ノアの固く握られた拳に手を重ねる。


「わたし……先見の明があると、先ほどお話ししましたよね。──あなたには、ルビー家には、悲しい宿命があります」


 ノアの瞳は涙で潤みながら、暖炉の炎のように赤く揺らめいていた。


「お母さまはそれを分かっていて、愛する我が子を苦しめてしまうことを悲しんでいるのでしょう。愛していなければ、それほどまでに涙を流すことはないはずです」

 

「そう……なのですか……」

 

「それに!逆に考えてみれば、あなたの赤髪も望まれたものだと思いませんか?」

 

「え……?」


 リラは、ノアの細く柔らかい髪の毛に優しく触れた。


「普通に生まれたら金の髪のところを、多くの人が強く望んだから、赤い髪で生まれたのです。──この赤髪に、ルビー家の力が宿っているのですよ」


 リラは血の契約で利用されるノアの姿を思い出し、苦しそうに微笑んだ。


「あなたの力を利用しようとする者が、この先多く出てくることでしょう。……でも、あなたは負けないで。臨むところだ!逆に利用してやるぞ!という意気込みで、強く強く生きてください!」

 

「う、うん……」


 リラが細い腕で力こぶのポーズを作ると、その勢いにノアも笑みをこぼしてしまう。


「それに……少なくとも、わたしはあなたに会えてとてもうれしいです。──実は今日、ノアさまに会うためにここに来たのですよ」


 リラの可憐な微笑みに、ノアは驚きながら頬を染めた。


「うそ、ですよね……?」

 

「本当です!あなたを愛する、神さまに導かれて参りました」


 リラはくすくすといたずらっぽく笑う。


「それに、本当はナイショですけれど……。実の所わたしとあなたは、これからとってもとっても仲良くなって、一番のお友だちになりますから!……元気でいてくれないと、わたしが困ります」


 リラの頭に、ノアとの思い出が蘇る。


 学園の図書館で時間も忘れ、魔法について語り合った日。母親が亡くなって涙に暮れるリラに、ただただ寄り添ってくれた日。

 そして──命をかけてリラを守ろうとしてくれたあの日のことを。


「これから辛いこともあるでしょうけれど……それ以上に、楽しいことがいーーっぱい待っています!わたしが、そうさせます」

 

「……」

 

「生まれてきて良かったって、絶対に思います。神さまもわたしも、あなたが生まれてきてくれたことに感謝しているのですよ」


 これはノアへの宣言でもあり、自分への誓いだ。

 

 今世は、絶対ノアに苦しい思いをさせない。今まで苦しんできた分、楽しいこと、幸せなことでいっぱいの人生にしてみせる。


「君の言っている未来が本当のことなのか、ぼくにはわからないけれど……」


 ノアは戸惑いつつも、こう続ける。


「君がぼくを思って、励まそうとしてくれていることはわかりました。──ありがとう。ぼくは、君の言った未来を信じたいです」


 そう言って微笑むノアの笑顔が眩しく、リラは目を細める。

 

 ノアを幸せにしたい。だがそのためにやろうとしていることは、本当に正しいことなのだろうか……。

 

 リラは悩みつつも、こう切り出す。


「あの、わたしも数奇な運命の持ち主で……。もしかしたらわたしの廻り合わせに、あなたを巻き込んでしまうかもしれないのですが……」


 モジモジと手を出しかねていると、ノアはふふっと笑ってその手を握った。


「どんな運命であろうと、君が望んでくれるならば、ぼくはリラさまと友だちになりたいです。──生まれてきて良かったって、思わせてくれるんでしょう?」

 

「……はい。約束です」


 二人は握手をしながら、顔を見合わせて笑った。

 

 ……遠くで、リラを呼ぶ声が聞こえる。


「もう、行かなければならないみたいですね」

 

「……はい。でも、またすぐに会えますよ」


 リラは立ち上がり、ポケットの中の魔石をこっそり握りしめて『開花〈ブルーミング〉』と小さな声で唱えた。すると、逆側の手に真っ赤な薔薇が一輪現れる。


「お誕生日おめでとうございます、ノアさま」

 

「ふふっ、リラさまは本当に何でも知っているのですね」


 差し出された薔薇をノアが受け取ろうとした瞬間、バラの棘がリラの指を刺す。


「いたっ……」

 

「大丈夫ですか!?」


 リラの指から赤い血が流れ、白いワンピースにこぼれ落ちた。

 ノアが慌てて首元のスカーフをとり、リラの指に巻いて止血しようとする。


「あの、スカーフが汚れてしまいます……」

 

「大丈夫ですから、それよりも──」


 思ったよりも傷が深いのか、スカーフが赤く染まっていく。ノアはそれを見て、昨夜の母親の言葉を思い出していた。


「あなたがもし……この人を心から助けたい、一生をかけて守りたいと思う人が現れて、その人が怪我をしたならば──そこに口づけをなさい。きっとその傷は治るから」


 ノアが確かな決意を持ってリラの指先に口づけると、その血が僅かに口の中に漏れ入った。

 

 その瞬間ノアの髪が漆黒に染まり、二人を温かく白い光が包み込んだ。

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