【25】決戦前夜

「ミュラン様、これからどうするんです?」


帰路。

わたしとミュラン様は今、ペガサスの背に乗って夜空を飛んでいる。ヴァリタニア王国へ逆戻りしている真っ最中だ。眼下の時計塔が、さっき夜7時の鐘を鳴らしていた。


ちなみにロドラは、妖精王に引き留められていた。しばらく妖精の森に残ることにしたらしい。


「フィアが王太子に掛けた呪いを解くのが最優先だが、できるだけ大勢の前で解呪してやる必要がある。王太子が正気に戻る瞬間を目撃した者たち、全員が証人となるからな」


そっか……。ただ呪いを解くだけじゃ、ダメなのね。もう一度、呪いを掛け直されてしまうかもしれないし。


ミュラン様が、ペガサスの手綱を取りながら考え込んでいた。

「王侯貴族が一堂に会するような場面が望ましいが。残念ながら、今年の妖精節は中止されてしまったしな。どうしたものか……」


そのとき。冴えまくった良いアイデアがひらめいた!


「ミュラン様! 卒業式とかどうですか!?」

「卒業式?」


「夜宴のあった夜に、フィアが言っていたんです。週明けに王立アカデミーで卒業式があるって。卒業式の日に、王太子が婚約者のアレクシア様との婚約を解消するつもりなんですって!」


「なんだと? 王太子とアレクシア嬢は、卒業したらすぐ結婚するはずだが?」

「アレクシア様と別れさせて、フィアが王妃になるんだって言ってましたよ」

「どこまでも腐った女だな、フィアめ……!」


アカデミーの卒業式か……と、ミュラン様はうなずいていた。


「卒業式には、女王陛下や国賓も大勢お見えになる。確かに、フィアを捕らえるには最高のタイミングだな。だが……」

「どうしたんです、ミュラン様?」

「一つ問題がある……」


問題。なんだろう?


「王立アカデミーの卒業式は、白葉月第3週の月曜日――つまり、明日だ」


「えぇええええ!? 明日?」

ペガサスから落っこちそうな勢いで、わたしはのけ反ってしまった。


「もう、そんなに時間経っちゃってました?」

「経っている。準備するには時間が足りないな。僕はともかくとして、リコリスが卒業式に潜入するのは困難だぞ。……君が投獄されていることを、国中の貴族が知っているはずだ」


「あぅ。そういえば、わたし脱獄囚みたいなモノでしたね」

「……王立アカデミーの学生服が手に入れば、君に着せて潜り込ませるんだが。流石にそんなものは、僕も持っていない」

「持ってたら気持ち悪いですよ、ミュラン様……」


さて、どうするべきか。とミュラン様は考え込んでいる。


「ミュラン様。いったんガスターク家の屋敷に戻ったほうがいいんじゃありませんか? 使用人たちに頼んで、街の仕立て屋さんで学生服を買ってきてもらうとか」


「いや、屋敷には戻れない。出入りを防ぐため、監視結界が張られてしまった――僕が君を助けに向かった直後のことだ。あと一歩行動が遅ければ、脱出できなくなっていた」


「……困りましたね」

「協力者がほしいところだが、難しい。誰がフィアや王太子に内通しているか、分からないからな」


むぅ。

再び頭をフル稼働。どうしたらいいかな……そもそも、ただアカデミーに入り込むだけじゃダメだよね。学内の地図とか、卒業式の流れとか、そういう情報も全部ほしい。王太子が婚約破棄を宣言してくる瞬間に、わたしも近くに居合わせなきゃならないし。


「あっ」

「どうした、リコリス」

「……ミュラン様。わたしってば、天才かもしれません。絶対の味方になってくれる人、思いつきました」


わたしがその人の名前を告げると、ミュラン様はしばらく考え込んでから、納得した様子でうなずいていた。


「すばらしいよ、リコリス。彼女なら、僕らと利害が一致する! だが、僕らはほとんど彼女との面識がない。それに、彼女とどうやって接触するか……」

「時間がありません。ともかく会いに行きましょうよ! こういうときはイチかバチかです」


「ふむ……。では、王立アカデミーの女子寮へ向かおう。状況が悪いと判断したら、君を連れてすぐ逃げるから、そのつもりでいてくれ」


方針は決まった。わたしたちは、王都にある王立アカデミーの女子寮へと向かう――


   * * *


アレクシア=レカは絶望していた。


明日が永遠に来なければいい……世界の時間を止められないのなら、いっそ自分の命を絶って、自分だけでも明日を拒んでしまいたい。――そう考えるほど、アレクシアは苦しんでいる。


「エドワード殿下……」


愛する婚約者の名をつぶやいてみた。胸が苦しい。彼はもう自分を愛していないのだと、分かっているから苦しくてたまらない。


王立アカデミー内にある女子寮の自室で、彼女はひとり泣いていた。こんなに泣いたら、明日の卒業式では目が腫れて、見苦しい顔になってしまう……でも、もうどうでもいい。


「……どうせエドワード殿下は明日、私との婚約を破棄するつもりだもの」


本来なら王太子とアレクシアは、卒業式典の最後に、女王や来賓客の前で永遠の愛を誓うことになっている。将来の国父・国母としての重要な宣誓式だ。


でも……その場面で、王太子はアレクシアを捨て、代わりに聖女フィアを妻とすることを宣言するはずだ。先日、王太子とフィアがそのように話し合っていたのを、アレクシアは聞いてしまった。


「全部、私がいけないんだわ。私が未熟だから、エドワード殿下は私を見放したのね……。私なんかより、フィア様のほうが優れているし、お美しいもの」


自嘲気味に、笑みをこぼす。嫉妬に狂う自分は、なんて醜いのだろう。……聖女フィアとは、大違いだ。


フィアは平民生まれでありながら、王立アカデミーに特待生で入学してきた才女だ。まだ正式な「聖女」とは認定されていないらしいが、王太子も生徒たちも、フィアを聖女として敬っている。


一方の自分は、公爵令嬢……しかも四聖爵「東のレカ家」の長女でありながら、大した才能もない平凡な女だ。王太子の婚約者として恥ずかしくないよう、いつも自分を厳しく律して、淑女の鑑となるべく努めた。厳しい王妃教育も、すべて完璧に身につけてきた。それなのに……


「私がいくら努力しても、フィア様には勝てないのね」


今まで優しくアレクシアを見つめていた王太子の眼差しは、ある日を境にゴミを眺めるような冷たい目つきへと変わった。代わりに、王太子が愛し始めたのがフィアだった。


「お父様も、私には失望していらしたわ。婚約を破棄されたら、もう、私には居場所はない…………」


エドワード殿下に捨てられ、父親からも見放されたら、自分はこの先どう生きたらいいのだろう? 醜聞の付いた女など、貰い手がいるとは思えない。……それに、自分は今でもエドワード殿下を愛しているから、他の男性の妻として生きられる気がしない。



――死にたい。


死んで、全部手放してしまいたい。

窓から飛び降りたら、楽になれるかしら……ここは、5階だもの。


アレクシア=レカは、死の魅力に誘われて窓辺に吸い寄せられていった。

窓を大きく開け放ち、そのまま身を乗り出していく。


…………さようなら。エドワード殿下。



椿の花が、ぼつりと首を落とすように。重心を傾けていったアレクシアの体は、ふらりと窓から落ちてしまった。あっけなく、アレクシアは18年の人生を閉じ――



「うわぁあああああああああああ!? アレクシア様が落っこちた! ミュラン様、取って取って!!」

という少女の叫び声が、アレクシアの耳を打つ。次の瞬間、誰かに抱き留められていた。


――え?


「早まるのはおやめ下さい、アレクシア嬢!」

「ナイスキャッチです、ミュラン様!」

叱責する男性の声と、元気いっぱいの少女の声が同時に聞こえた。


アレクシアは目を見開いた。

金髪の美しい男性が、自分を空中で抱き留めている。彼は、黒髪の少女とともにペガサスに跨がっていた。


「…………え?」


何が起きたか分からずに、アレクシアはぽかんとしていた。

そんなアレクシアの手を取って、黒髪の少女が一生懸命な様子で訴えてきた。


「アレクシア様! わたしはガスターク公爵夫人のリコリス。こっちは夫のミュラン=ガスターク公爵です。実は、アレクシア様にお話があって来ました。ここだと人目に触れそうなんで、ちょっとお部屋に入れてもらってもいいですか??」


「お、お話? 私に……」


公爵夫人と名乗った少女は、気合い十分にうなずいている。


「はい! アレクシア様に協力してほしいんです。一緒にフィアをぶっ潰しましょう!」


   *





リコリス夫人から聞いた話は、無茶苦茶で。


「……というわけなんですよ! アレクシア様!」

と言われても、アレクシアにはなかなか理解が及ばなかった。


フィアが襲ってきたとか。

フィアのせいで逮捕されちゃったとか。

夫と一緒にペガサスで逃げたとか。

妖精王に能力を見つけ出してもらった……とか。


「つ、……つまり。エドワード殿下がフィア様に呪われて、操られている、と。そういう理解で、よろしいでしょうか」


引き気味の態度でアレクシアが尋ねると、リコリス夫人は全肯定してきた。


「はい! わたし、呪いが解ける体質なんですって。だから、王太子の呪いを解きたいんです、公衆の面前で!」

「そ、そうなのですか…………」


「……リコリス。落ち着け。アレクシア嬢が引いている」

頭痛を抑えるような表情で、ミュラン=ガスターク公爵が夫人に注意をしていた。


この美しい男性は、間違いなく四聖爵「西のガスターク家」の、ミュラン=ガスターク公爵だ。ガスターク公爵が年若い妻を娶ったという噂は聞いたことがある。……女性経験の豊富なガスターク公爵が、今では妻ひとすじの愛妻家になっているということも。


ガスターク公爵の奥様は、さぞや美しく聡明な女性なのだろう……と、アレクシアは思っていたのだが。


「? どうしましたか、アレクシア様。わたしの顔、なにか付いてます?」

「い、いえ、何でもありません。少し想像と違っていたので、戸惑っていただけです。……失礼いたしました」

この小動物のような可愛らしい少女が……まさかガスターク公爵夫人だとは。


リコリス夫人を一歩下がらせ、ガスターク公爵は真摯な態度でひざまずいた。


「アレクシア嬢。事態は急を要します。学内に精通し、王太子の婚約者でもある貴女のお力添えをいただきたいのです。無礼を承知で、このような夜分に参上致しました」


「ですが……私ごときが、お役に立てるのでしょうか?」

とても不安だ。もし王太子の心変わりが呪いでなかったら、不敬罪で処罰されるに違いない。婚約破棄ではとどまらず、これ以上レカ家に迷惑をかける訳には……


恐怖で身をすくませていると、リコリス夫人が再び手を握りしめてきた。


「大丈夫です。これから話す作戦通りに、協力して下さい! 心を操られてフィアと結婚させられるなんて、王太子が可哀想ですよ。アレクシア様だって、やられっぱなしじゃ悔しいでしょう?」


悔しいでしょう? ――そう言われた瞬間、心のなかでゴトリと何かが動く音がした。今まで押し殺していた怒りや悲しみが、アレクシアの心に強くうずいていた。


「戦いましょう! アレクシア様」


アレクシアは、リコリス夫人の小さな手をぎゅっと握り返していた。


「はい。……私、悔しいです。エドワード殿下にもフィア様にも、思い切り怒ってやりたいわ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る