【2】まさか本当に死にかけるとは……

結婚してから1年近く経ったある日。ミュラン様は、いきなり苦しみだして倒れ、そのまま意識不明になってしまった。


お屋敷の皆はもちろん、王家や他の貴族にも激震が走った。王家から派遣された宮廷医師や呪術師、神官たちが連日ミュラン様のもとを訪ねて、回復を試みている。


(……そういえば、ミュラン様って偉い人なんだもんね)


わたしは詳しく知らないけれど、ガスターク公爵家は『四聖爵ししょうしゃく』と呼ばれる特別な役職を任されている。国に4家しか存在しない重要な家系だそうで、後継者がいないミュラン様がもし亡くなったら、国の一大事になってしまうらしい。



倒れた原因は、不明とのこと。

未知の病気? 毒を盛られた? 呪いをかけられた? 毎日さまざまな医師や神官たちが回復を試みたけれど、ミュラン様は目覚めず、倒れた原因もいっこうに分からない。


(ミュラン様が死んだら、わたしにはどれくらい遺産が流れてくるんだろ。実家に帰れるかしら。……って、さすがに最低よね、そういう考えは……)


さすがに、不謹慎すぎると思って反省した。いくら歪んだチャラ男とはいえ、夫は夫だ。死んだような顔色で昏睡状態になっているミュラン様を見ていたら、胸が痛くなってきた。


両手を組んで、神様に祈ってみる。

(この世界を作り給うた万物創生の神ウォート・メーゲよ。……わたしの夫をお救いください)


この国の人間なら誰でも唱える、ごくありふれたお祈りだ。

わたしたちは困りごとがあれば、当然のように神様に祈る。この世界を作ってくれた神様に。


(……でも神様って、本当にいるのかしら)

もし本当に神様がいるなら、苦しんでいる人をちゃんと助けてあげてほしいと思った。



王家の命令で、屋敷に住む人・出入りする人は全員、屋敷から出ることを禁じられた――ミュラン様が倒れた原因が不明である以上、全員が容疑者みたいなものだからだ。


愛人たちは、お互いに罵り合って揉めていた。


「あなたがミュラン様に毒を盛ったのではなくて?」

「はぁ? あんたの方が怪しいんですけどぉ? 魔術師でも雇って、呪殺しようとしたんじゃないの? それか、そっちのあんたも不審だよね?」


「バカなこと言わないで頂戴! ガスターク公爵夫人の座が欲しくて通い詰めてたのに、どうして暗殺なんかしなきゃならないのよ」


「そうよそうよ! 子供さえ授かれば妻になれたのに。……ミュラン様が倒れたせいで、人生計画が全部メチャクチャなんですけど!」

……美女たち5人が、醜く言い争っている。


侍女たちから聞いたところによると、ミュラン様は一度に5人の愛人を囲って、子供ができた愛人だけを妻に昇格するという契約を結んでいたそうで。


「最低なチャラ男だわ……」

「仕方ありません。ガスターク家の後継者問題は、先祖代々とても深刻なのですよ」

「どういうこと?」


「子を授かりにくい家系なのです。ミュラン様は無用な人間関係が増えるのを好まない方なので、ご婦人方と婚姻を結ぼうとしませんでした。ミュラン様のお父上様とお祖父上様は、奥様を10人以上娶っておられましたが……」


妻が10人!? 金持ちは規模がでかいわね。

相対的に、ミュラン様がまともに見えてきた……。


「「あぁ~、もう全部馬鹿らしくなってきた!」」

とかなんとか叫んで、愛人たちは別々の客室に引きこもってしまった。あんなワガママな人たちの世話をさせられるメイドたちも、大変だろうなぁ……


ふいに疑問がわいて、侍女に尋ねてみた。

「あれ? ミュラン様は結婚したがらない人なんでしょ? なのにどうして、わたしとは結婚したの?」


「お祖父上様のご命令だからです。『父祖への服従』はガスターク家当主の掟ですので。四聖爵としての魔力を父祖から継承する際に、服従を血に刻みます」


うーん。よく分からない。

けど、ともかくミュラン様は、ご先祖さまの命令に従って生きなきゃいけないらしい。


「……よくわからないけど、意外と不憫な人なのね」


愛人に見捨てられて独りぼっちで苦しんでいるミュラン様が、なんだか可哀そう。

今まで何度も「こいつ死んじゃえ」と思っていたことが、申し訳なくなってきた。



水も食べ物も摂れなくても死なずに済むのが、魔法のすごいところだ。医療魔術師の延命魔術とかいう魔法のおかげで、ミュラン様は昏睡のまま3週間くらい生き続けている。


王家お抱えの学者によると、ミュラン様は『未知の呪い』に侵されている可能性が高いそうで。

呪いの術式が分からない以上、『聖女以外にはミュラン様を救い出すことはできないはず』という結論だそうだ。


「……聖女? でも、この国には聖女なんて一人もいないよね?」

侍女長のロドラに尋ねる。ロドラも困り果てた顔でうなずいていた。


「はい……。この国には建国以来、聖女は一人も出現していません。この地はもともと人間の棲む場所ではなかったため、神の守りが薄い……などという説もあるようですが。海の向こうの他国から、聖女を呼ぶべきかと宮廷で議論されているそうですよ?」


聖女というのは、奇跡を起こしてあらゆる呪いを解けるという女性だ。

万物創生の神ウォート・メーゲに選ばれた女性が、聖女として覚醒するのだとか何とか。

……でもこの国には今、聖女なんか一人もいない。


聖女でなければ助けられない状況なら、わたしにできることなんて一つもなかった。

でも、それでもせめて、看病だけは手伝うことにした。


……妻としての、最低限の義理だもの。


(このままミュラン様が目覚めなかったら、どうなっちゃうのかな)


医療魔術師の隣で、わたしは今日も看病をしていた。


青白い顔で長いまつげを伏せたまま、ぴくりともしないミュラン様。わたしは彼のベッドのそばで、美貌をじっと見つめる。

恐る恐る、彼の頬に触れてみた。ぞっとするほど冷たい。


(……ミュラン様。独りぼっちで、かわいそう)


わたしは初めて、彼の手をぎゅっと握った。


(神様……! ミュラン様を救ってあげてください。感じ悪いチャラ男だけど、たぶんこの国には必要なんだと思います……!)


冷たい冷たい彼の手に、わたしの体温が少しでも移るように。

いつまでもずっと握っていた。



…………そのとき。

彼がいきなり意識を取り戻したから、ものすごくビックリした。



「……え。ミュラン様!?」


ミュラン様はうっすらと目を開けている。


(え? ええ!? 呪いだとか絶対目覚めないとか、そういう話じゃなかったっけ!?)

学者の予想が外れたの!? わたしはどうしたら良いのか分からず、おろおろしていた。


「閣下! お目覚めですか!」

と声を震わせる医療魔術師の横で、わたしはいつのまにか笑顔になっていた。死にかけていた人が生き返ったんだから、嬉しいと思うのは当然だ。


「わたし、屋敷のみんなに伝えてきます!!」

ふと我に返り、部屋から飛び出そうとする。


ところが、ミュラン様はわたしを引き留めた。

「……り、」

りこりす。と呼びたかったらしい。3週間も意識を失っていたから、口がきちんと動かないみたいだ。


慌てて彼の口元に耳を寄せる。

「はい、なんですかミュラン様!?」

「り…………リコ、リス……」


熱を帯びた瞳で。カサカサに掠れた、途絶え途絶えの声で。彼はわたしにこう言った。




すまなかった、リコリス。

愚かだった僕を、どうか許してくれ。

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