懐かしい想い出

 私はそれを告白されて、どっと顔から血の気が引いていた。

 ……本当に覚えてない。クリストハルト様と会った記憶、本当になんにもない。たしかに幼少期のことは夢でうすらぼんやりと見た記憶はあるけれど。

 私が口をパクパクさせていたら、クリストハルト様は「イルザ?」と聞いてくる。


「そ、そうですね……そんなこと……ありましたよね。はは」

「……君が覚えてなくても仕方がないと思う。君のご両親も、私が王都から避難してきた経緯は知っていたから、私の身分は徹底的に隠していたし。君も王都の人間が来ていたことはよくあったのだろう?」

「うち……ほんとーうに、ただの田舎の領地ですのに、なんでそんな王都の……それも王族の皆さんに頼られるのか、意味がわかりませんねえ。はは……」

「むしろ逆だと思うぞ」


 メイベル先生が指摘した。はて、と私は首を傾げる。


「お前のお父上が、王都の政治に参入するようだったら、そんなところに国王も継承権がないとはいえど、王子を送り出すような真似はしない。自領以外には興味を示さず、外から来た人々をなんびとたりとも分け隔てなく接するというのは、王都でだって相当珍しいんだよ。だから、お前のところの領地を頼った」

「ええ……そう、なんですかねえ?」


 うちのお父様、私を四倍差婚にしかけた張本人なんだが。それにクリストハルト様がうっすらとした笑みを浮かべた。

 ……私が遠巻きに眺めてうっとりとしていた、本当に稀にしか浮かべない微笑だった。


「ああ、だから君のところに頼った。王族は何度も君の領地に頼ったし、感謝の印を与えたくても、君たちは毎度断った。それを誇らしいと思ったんだ」

「……多分ですけど、うち、面倒ごとに巻き込まれるより自領に篭もってるほうが楽だと思ってただけですけど」

「もし、真に面倒ならば、私たちのことを匿ってもくれなかったよ」


 たしかにそうなんだよなあ……。あれか。うちは代々根っからのお人好しなのか。

 自分でそうまとめていた。相変わらず、全く思い出せない。これ、宮廷魔術師に記憶を消されたとか、そんなことないんだよなあ……。

 私がそんなことを思っている中、淡々とクリストハルト様は語った。


「君にとっては大したことはなかったかもしれないし、君の領地ではよくあることだったのかもしれないけれど。私は自尊心というものが欠落していた。兄上は素晴らしい方だったし、義姉上はそんな兄上を支えるために努力を怠らなかった方だったから。そんなふたりを見ていたら、誰だって腰がひけてしまう」


 クリストハルト様が、どこか遠くを見る目をした。

 その横顔は……どこかで見覚えがあった。そして、ふと思い返した。


「クリス……?」


 口から出てきた名前に、クリストハルト様はぱっと振り返った。


「思い出してくれたのかい?」

「……思い出すもなにも……あの子だったんですか? よく泣いてた……私よりも小さかったし」


 ああ。そりゃクリスのことだったら、私クリストハルト様とイコールで結べないはずだった。

 お目目はいつも大きく、しょっちゅう泣いていた。なにかあったら泣く。

 畑の番犬に吠えられてもびっくりして腰を抜かすし、うちの中庭に大量に生えていたアザミを引っこ抜いている中、葉っぱや花のトゲトゲで手を引っ掻いても泣いていた。

 王都から毎年それなりに人がやってきていて、そのたびに私が屋敷の案内をして面倒を見ていたけれど、あれだけ泣く子は初めて見たし、私の記憶を辿ってもクリス以外でそこまで泣く子に会ったことがない。

 今のあまりに表情がクールで怜悧な美貌の持ち主のクリストハルト様とは、記憶が全く結びつかなかったのだ。

 ……私、年下の小さい子が来たと思って、しょっちゅう姉御風を吹かせていたような気がする。むっちゃくちゃ、偉そうにしていた気がする。


「あ、あのう……幼い頃のやらかしもまた……不敬罪に含まれますかねえ……首が胴とお別れしますかねえ……ははっ……」

「どうして君はなにかあったら、すぐに首と胴を切り離そうとするんだい?」

「いや、だって。もう。私、無茶苦茶失礼だったじゃないですか!?」


 思い返してみても、ハチの巣箱を見せてあげようとして、ハチを大量に出してしまい、泣き出したクリスをポコンと殴って「ハチが余計に威嚇するでしょう!? ハチの巣の前で泣かないでちょうだい!」とキレたり。

 かくれんぼうして、隠れて待っていたけど屋敷の中で泣いているクリスに「これも作戦かなあ」と思って物置でずっと観察していたけれど、単純に迷子の上にひとりだから心細くて泣いていただけだったから、慌てて助けに行ったり。

 ……ろくなことしてないな、私。これドミニクさんに知られたら「いい加減にしろ!?」とキレられても仕方ないな。ははっ。

 ただ、私がダラダラと冷や汗を掻いている中でも、クリストハルト様はのんびりとしていた。


「あれだけ人間扱いされたことはなかったから。皆、私のことを人形のように扱っていたから。敬語を使って、粘り気のある気配を出して、糸で引っ掛けて身動き取れなくするように」

「あ……」


 思えば、クリスは嵐を怖がり、シーツお化けになっていたときに、ポツンポツンと話してくれたっけ。


「イルザの父上と母上はすごいね。こんな嵐の中、皆のために馬車で走って行って」


 シーツから全然首を出さず、ガッタンガッタンと窓が鳴るたびに、ビクンビクンと震えていた。それに私は「そう?」と答えた。お前本当に生意気だな。


「それって普通のことじゃないの?」

「……そんなことないよ。ぼくはずっと、すごい人たちと比べられていたから。きっとぼくの家族も、そんなことできるんだろうけど、ぼくは……怖くって、やれと言われてもできないと思うんだよ……」

「そりゃひとりでやろうとしても、無理じゃないの? お父様とお母様だって、馬車の御者さんがいて、馬がいて、出迎えてくれる村の人たちがいるからできるけど。ひとりで全部やれって、無理だと思うの」


 クリスは私の言葉に驚いたのか、ようやっとシーツから顔を覗かせてくれた。

 くるくるした大きな目には、相変わらず涙が溜まっていた。それを「きれいだなあ」と思いながら眺めていたのは、記憶に残っている。


「……どうすればいいんだろう。ぼくの家族はすごいけれど、ぼくは」

「わかんないけど、味方を増やせばいいんじゃない? うちのお父様とお母様だって、視察をはじめた頃、税金上げる気かって警戒されて、全然村の人たちに心を開いてもらえなかったって言っていたわ。私はあなたの味方ですって、ずっと言い続けるしかないと思うの」


 ……我ながら偉そうなことを言ったなあと反省している。そんなこと、王都の人たちに利用されかけたから逃げ出した子に言う話じゃないのに。

 私が頭を痛めている中、クリストハルト様はうっすらと微笑んだ。


「君がそう言ってくれたから、私は王都に帰る決意を固められた。その中で無事に生き残って、国を変えようと思えたんだ」

「そうなんですか……ところで私、結局なんで誘拐されたんですかね? 私とクリストハルト様の関係とか……」

「単純にあれだけ精密な自白剤をつくれた例はそんなにないからだと思う。宮廷魔術師でも、メイベルほどの腕でなければ無理だろうから」


 そっかー。そっかー。私自白剤製造マシーンとして誘拐されたんかー。

 ……クリストハルト様の人質の価値もなかったんだなあ。いや、そこまで自惚れていいのかいとは思うけどね。ははは。


「……だいたいの事情はわかりました。それじゃあ、そろそろ帰らないといけないですよね?」

「そうだね。そろそろ制圧も完了したから」


 下のほうは、もう近衛騎士団が犯人たちを連行している。

 私はクリストハルト様とメイベル先生と一緒に馬車に乗せられた。念のため私は宮廷魔術師の人々からなにかしら呪いをかけられていないか確認してから、王立学園へと送られることとなった。


「ええっと……結局、私が自白剤つくらされかけたのって、クリストハルト様が自白していたから……なんですかね?」

「そうだな。あれで王族の弱みを握って、その情報を元に殿下たちご兄弟を分断させようとしたのだろう」


 つまりは。王太子殿下とクリストハルト様が仲いいのを面白く思ってない一派が、ふたりを仲違いさせたかったと。兄弟が結束して王都の社交界の癒着でのギットギトを浄化されてしまったら、旨味を吸えなくなってしまう貴族が出てしまうから、王太子殿下が玉座を継ぐまでをタイムリミットに、兄弟仲を割こうとしていたってことか。

 メイベル先生が一旦王城に戻っていたのも、この社交界のごたごたの収拾のために呼び戻されていたんだろう。

 しかし、ここで近衛騎士団が動いたってことは、貴族の癒着状態も少しは解消されたのかな。されたといいなあ。

 メイベル先生は「ところで殿下」と声をかけてきた。


「なにか?」

「うちの弟子について、説明はせずともよろしいのですか?」

「……彼女には申し訳なく思っている。だからこうして呪いの精査も……」

「そうじゃなくって、自白剤の件ですよ。王立学園に戻ってからでは話せないこともあるでしょう。私は今から寝ますので、きちんと話をしておいたほうがいいですよ。それではおやすみ」


 メイベル先生ー! メイベル先生ー!

 いきなり爆弾投げてから寝たふりするのはやめてくださーい!

 ……私がなかったことにしようとしていたことが、蒸し返されてしまった。……クリストハルト様が、今まで私に言ってきて、手をむにむにしてきたり抱き締めてきたり……キスをしてきたりしたのは、つまりは、自白剤のせいで自棄を起こしたのであって、惚れ薬のせいで好きでもない女を口説いていた訳ではなかったんだよなあ……。

 ……私、本当に小さい頃、ろくでもないことしかクリストハルト様にしてなかったと思うんだけれど、なにがどうなって私のこと考えてたのか、全然わかんない。

 なによりも、クリストハルト様ときたら、メイベル先生が寝たふりしてしまった中、こちらが恥ずかしくなるほどに顔を真っ赤にさせて、固まってしまった。

 私もここで、自惚れて「私のこと好きなんですか!?」と聞ける度胸もない。これ、どうしたらいいんだ。なにを言ったらいいんだ。そもそもこれ、どう処理するのがいいんだ。「なかったことにしましょう」とこちらから言っても不敬罪、「誰でも失敗はありますよ」と励ましても不敬罪。え、私これ、なにも発言権なくないか。

 困り果てた末、私は「あのう……クリストハルト様?」とおずおずと尋ねた。


「イルザ?」

「……大変申し訳ございません。全く気付かず」


 謝罪してもなお不敬罪だったら、もう詰んでいる。そのときは首に胴との別れを告げさせてくれ。

 クリストハルト様はきょとんと目を丸くしたあと、軽く首を振った。


「……あの頃より私も声が低くなり、身長も伸びたから」

「……私、クリストハルト様を初めて見た……いや、再会した? とき、発光しているように見えました。世の中にはこんなに綺麗な人がいるのかって、衝撃を覚えたんです」


 私がそう言った途端に、クリストハルト様の表情から一瞬笑みが消えた。えっ、なんか駄目だった? 私これ以上この人になにかやらかすの嫌なんですけど。

 私がおろおろおたおたしていたとき、クリストハルト様は噛み締めるように言った。


「……君は、私が君の屋敷にしばらく滞在するときも、全く同じことを言っていたんだよ。君は覚えていないかもしれないけれど」

「……私、初対面の人にまたも失礼なこと言ってましたかね。すみません」

「ううん……君は私にとっての初めての人だったから。私の家のことを見ない。優れた兄上や義姉上を見ない。利用できるできないも関係なく、ただ『きれいね、光ってる人初めて見た』と言ったんだよ……私のことをなにも伝えていなかったから、覚えているはずないだろうに、私は後生大事に覚えていたんだよ。重いね」

「……そ、んなことは、ないと思います」


 本当に、申し訳ないほどに、全くなーんも覚えていない。本当に申し訳ない。

 だって王都から来る人たちは、いつも綺麗な身なりをしていて、私の知らない話をいろいろ教えてくれて、私がその人たちの博識さに憧れて、自分も一生懸命背伸びをして、自領のことを案内して、いろいろ教えたりしていたから。

 全部を王都の人たちでひと括りにしてしまって、王立学園に通うことになったら、やってみたいことをあれやこれやと想像していた。

 ……そこに王子様とのラブロマンスなんて恐れ多いこと、全くもって考えていなかった。

 クリストハルト様、そこまで噛み締めるように伝えてくれるほどの価値、私には全くないですよ!?

 ……と、言えたらよかったのになあ。

 ここでなんか伝えられたらよかったけれど、私は見事なまでに腰抜けで、なんにも伝えられなかった。


「……私、一生懸命勉強します。勉強して……宮廷魔術師になります」

「そう」

「王都にずっといますから……宮廷魔術師って、そんなメイベル先生みたいに王族の人ともっと気安くしゃべられるもんなんですかねえ……」

「さあ、どうだろう。メイベルは王立学園の講師も兼任しているから私にもよくしてくれるけれど、他の宮廷魔術師とは表立ってしゃべったことがないから」

「そう……なんですか。えっと。王都にはずっとずっといますから。本当に。ええ」


 私は王都に残るってこと以外、なんにも伝えられなかった。

 だって、うちの実家は子爵で、クリストハルト様は王族で。身分的にはいくら回りが「いいよ」と言っても、納得させられるものでもないだろう。

 それでも周りを納得させるとしたら……私が王城で働いて報いる以外にない。もしかしたら、私がどれだけ頑張っても、先にクリストハルト様の婚約が決まってしまったらそれまでだし、お父様が私になんか持ち込んできたら、なんにもできないかもしれないし。

 それ以上は、なにも言うことができず、私は王都の宮廷魔術師たちが住んでいる屋敷に通されると、そこに滞在している宮廷魔術師の人たちに呪いがかけられていないかの精査をされることとなった。

 皆が皆、メイベル先生みたいに年齢不詳な人たちばかりで、男の人も女の人も、とにかく何歳なのかの判別ができなかった。皺こそ刻まれてないものの、言動がどこか老成しているから、本当になんもわからん。


「はあ……君がメイベル女史のところの秘蔵っ子」

「あの自白剤をねえ……」

「……アワワワワ。クリストハルト様に間違ってかけてしまった自白剤って、結局解除されたんですか?」

「ううん。時間薬以外にどうすることもできなかったから、騎士くんが怒っていたよ」


 ドミニクさんごめんなさい。ごめんなさい……。

 最終的に魔除けにローズマリーの香油を吹き付けられて「終わり。呪いの形跡はなし」と太鼓判を押してもらった。


「宮廷魔術師になるんだったら、まあ頑張りたまえよ。殿下のお気に入りの座を死守したいんだったら、余計にね」

「……は、はいぃ」


 まだただの子爵家子女以外になんの肩書きもない私は、「好き」のひと言すら言えずにいた。

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