Task.3「擬態の新人への個別ガイダンス」

 守真伊すまい家によって、良く言えば素朴、悪く言えばボロボロな一軒家に招かれる、専属シェフ改めあつし

 かと思えば、何故なぜ星実つづみが通せんぼして、我先にと家に入った。



「……?」

 不思議がりつつも、ドアを開けようと試みるあつし

 しかし、ノブが動かない。反対側から、星実つづみが阻んでいるらしい。

 あるいは、歓迎されていないのだろうか。先程は、特に喜んでいたようだったが。



「違うわ。

 貸して」

「お?

 おう……」



 露骨に億劫がりながら、名乗り出た懐月なつきにバトンタッチする。

 瞬間、むし星実つづみの方から開けて来て。



「ナッちゅぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁんぅっ!!

 マイ・スウィート・シスタァァァァァッ!!」

 飛び込んで来た姉の顔面を、持ち上げたキャリー・ケースで、懐月なつきふせいだ。



「へぶっ!?」

 衝突しょうとつし、落下する星実つづみ

 そのまま、黙らせるために、取っ手を姉の首にリードのごとく引っ掛け、懐月なつきは靴を脱ぐ。

「さぁ、あつしちゃんぅ。

 どうぞ、上がってぇ」

「お……押忍……」

 どうやら日常茶飯事らしい。

 この家に厄介になる以上、早く慣れねぇと……。そう、あつしは決意を新たにした。



「そう言えば、父さんは?」

「今日も仕事ちゃんですってぇ。

 まぁ、残業代ちゃんはきちんと出るらしいけどぉ。

 まったく……娘が帰って来る日位くらい、早上がりちゃんでもいのにねぇ。

 折角せっかくあつしちゃんが昨晩ちゃん、連絡ちゃんしてくれてたってのにぃ」

「別に良いわよ。

 そんな事でねるほど、子供じゃないわ。

 それに、しばら厄介やっかいになる訳だから、遅かれ早かれ、顔を合わせるだろうし」

「えぇっ!?

 ナッちゃん、またどっか行っちゃうのぉっ!?」

 首にキャリー・ケースを巻いたまま、キッチンに駆け込む星実つづみ

 いや、取れよ。と懐月なつきは、あきれつつ、取っ手を外す。



「言ったでしょ?

『あんたが真面まともな方法でかせげるようになるまでは、あんたの住む所に長居したくない』」

「えー?

 ちゃんと、ガッポリかせいでるじゃーん」

「そうね。FXとパチンコ、宝くじでね。

 どう考えても真面まともじゃないだろが」

「ぎゃぁぁぁぁぁ!!

 オルタ、出たぁぁぁぁぁっ!!」

 悲鳴を浴びつつ、やかましくげる星実つづみ

 あんなのが月収◯◯○万だなどと、誰が信じようか。

 それも持ち前の、愛がこうじてのラッキーだけで得ているなど。

 しかも、それだけの莫大な予算を、ほぼほぼオタ活に費やしているなど。



「な、なぁ……あねさんの仕事って……」

「見ての通り、でまかせ、気任せ、運任せよ。

 あの子、とんでもない強運の持ち主なの。

 ガチャろうものなら、無償石だけで、十連一回ぽっきりで、推しUR完凸出来できほどの、謎パワーの持ち主。

 それはもう、サしゅう宣言したお気に入りゲームの株を大量に買い占めて、パワーアップさせて存続させたことが何度も有ったレベル。

 その気なら、あんたも懐柔してみれば? 上手くプレゼンして興味持たせられたら、物欲センサーに引っかからず、あんたの推しも一発で当ててくれるかもしれないわよ。

 関心具合によっては、凸れるかどうかは別問題だけど。あの子、グッテ○並みに気紛れだから。

 」

本当ホント何者なにもんだよっ!?」

「こっちが聞きたいわ……」

 本当にそう思っているのだろう。

 痛くなったのか、懐月なつきは頭を抱え始めた。



「まぁまぁ。そう、怒らないであげてぇ。

 星実つづみちゃんが生活費ちゃんをまかなってくれるおかげで、ママもこうして、専業主婦ちゃん出来てるわけだし」

「だったら、父さんも、そろそろ退社すれば良いのに。

 星実つづみなら、余裕で出せるでしょう?」

「あの人、堅実ちゃんだから。

『少しでも将来、困らないように。娘に面倒かけさせ無いよう』って、がんとして聞かないのよ。

 誰かちゃんと一緒ねぇ」

「ちょっと何を言ってるんだか分からないわね」

 意味深いみしん微笑ほほえんだ母に、懐月なつきは笑顔を返した。



「で、で!?

 ナッちゃん、いくら出来たの!? 貯金!」

 いつの間にか戻って来た星実つづみが、懐月なつきに腕をからめながらたずねる。

 懐月なつきは、左の人差し指を立て。



「伊達さん」

 とだけ、呟いた。



 最初は「?」という顔をした星実つづみは、どんどん顔面蒼白になり、やがて懐月なつきから離れ。

「セレブッ!?」の一言と共に、ガクッと気絶した。



「別に、大した事無いわ。

 ほんの7、8年で貯まったもの。

 案外あんがいぐにノルマ達成出来たから、むし拍子ひょうし抜けしたわ。

 ベリー・イージー過ぎて」

「えと……つまりは、いくらちゃんなのかしらぁ?」

「一億です……」

「あら、まぁ。

 ほとんどおうちちゃんに帰って来ないうちに、そんなに……。

 相変わらず、仕事ちゃん出来るわねぇ。

 我が娘ちゃんながら、恐れ入るわ」

「そうは言いつつも、まるで動じてねぇ!?」

「問題無いはずよ。

 定期的に連絡は入れてたし、お盆や正月には帰って来てたじゃない」

「そうね。

『仕事、変えた』

『一ヶ月で営業成績トップになった』

『気をつかわれ過ぎてかえって居心地いごこちが悪くなった』

『仕事、変えた』。

 そんな、業務連絡ちゃんだけね」

「うっ……」



 そう。

 普段は出来る女をよそおっている懐月なつきだが、実際にはメンタルが弱く、泣きやすため、重要な用件こそ、メールやLINEで済ませていたのだ。

 そんな彼女に庇護ひごよく? 母性? が刺激され、母は手を洗って拭いてから、懐月なつきの頭をでた。 



「変わらないわねぇ。

 そういう所」

「……してよ。

 あたし、もう三十路よ」

たまには良いじゃない。

 いくつになっても、あなたはママの自慢の娘ちゃんよ」

「……知ってる」

 バック・ハグをする母により首に巻かれた両手に優しく触れながら、懐月なつきは恥ずかしがりつつ、目を閉じた。



「ねぇ、ねぇ!

 ツヅは、ツヅはー!?」

星実つづみちゃんは、うーん……。

 もう少し、頑張りましょうね?」

「えぇっ、なんでぇっ!?

 どちゃかせいでんのに~!!

 横暴おーぼーだ、不平等ふびょーどーだ、家庭内かてーない差別だぁっ!!」

「そう思うなら、もう少し、お金を大事に使いなさいよ。

 どのゲームでも、しのまったく同じカードで満たされたフォルダ増やしたりせずに」

「な、何で、それをぉっ!?」

「あんたがフレ申して来たからでしょうが。勝手に。

 あれ確実に、敵作ってるわよ。

 あんたも、きちんと程々ほどほどに遊べば、無課金でURもSSRもゲットし放題ってだけで、別に大してヘイト集めないのに。

 同じ推しのレベマだけでメインとサポートにセットしてデッキ組んだりして、見せびらかすから」

「え~。ーじゃん、別に~。

 逆ハーのさが分からないなんて、お子ちゃまだなー、ナッちゃんは~」

だまれチビ」

「チビじゃないもんっ!

 合法ロリな童顔巨乳だもんっ!」

「身長と性格が子供なのは変わらないでしょが」

「……ねぇ。

 お願いちゃんだからあなたちゃん達、もう少しママにも分かるようにお話ちゃんしてくれない?」

「今度から俺、フォローします……」

 非オタらしく、やや疎外感を覚えていた母。

 その背中に、仕事を追加されたあつしが、そっと手を当てた。



「ママもやろっ♪

 ぐにいくらでもタイプ、つかめるよ♪」

「あんただけよ。

 そんな、メーカーからすれば迷惑千万以外の何物でもない離れわざが出来るのは。

 あと母さん、めた方が良いわよ? こいつへの嫉妬で、ともすれば狂いそうになるから。

 ソースは、あたし」

「そうそう。

 ツヅへのジェラスィーで、ナッちゃんもたちまち、オルタナッちゃんに……。

 って、えぇぇぇぇぇっ!? なんでぇぇぇぇぇっ!?」

うるさい。

 あんたが、人の折角せっかくコツコツと積み上げた努力で得た成績を、ラッキーだけでゆるつかむからよ。

 昔からそうよ。マーク試験や選択問題なら確実に適当で当てるし、筆記試験でもテスト前の数分で山を当てて赤点をまぬがれるし、義務教育から解放されたら今度は大金を手にし始めるし……!!」

「え……えと……。

 ナッちゃんが家を出たのって、もしかして……」

「ヘラヘラしつつ、最速であたしと同じ生活水準に達するあんたの所為せいで、ストレスがマッハだったからよ、馬鹿ぁっ!!

 言わせんじゃないわよぉっ!!」

「失礼な!

 せめて筋肉付けろぉっ!!」

贅肉ぜいにくの間違いでしょが、このぐうたら魔神まじんっ!!」

「ちょっ……!? お腹は、駄目っ!!

 らめぇぇぇぇぇっ!!」

「あ、あはは……。

 相変わらず、にぎやかちゃんねぇ、我が家ちゃんは……」

「……」



 苦笑いしている母の隣で、あつしは自分の選択を後悔し始めていた。

 俺はこんな、真面まとも台詞セリフを入れる暇さえほとんさそうな場所で、これから本当にやって行けるのか……と。





「ふーん。

 大変そうだね」

「ザ・他人事みてぇに言わねぇでくれ、希新きさら……」



 自宅から改めて持って来た荷物の運搬を終え、簡単に部屋を整理し終えたタイミングで、あつし希新きさらに電話をかけていた。

 あの三人に巻き込まれたあとだと、希新きさらみたいな、アクの強くないタイプが、どれだけ重宝され瑠事ことか……。そうあつしは、ともすれば失礼な理由で、妹の存在に感謝していた。

 なお、本当ほんとうにありがたがるべきは、あつしが一時帰宅する頃には、彼の私物の仕分け、移動を、希新きさらすでに完了させていたという事実である。



 余談だが、隣の部屋では現在、守真伊すまい母娘おやこが、東京から送られて来た懐月なつきの分の荷解きを、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら行っている真っ最中である。



「それより、にいさん。

 気持ちはわかるけど、ちゃんと皆に説明すべきだったんじゃないかなぁ?

 私はともかく年少組は、一緒にご飯するー、くらいの感覚だったよ?」

「そ、それはさっき、帰ってから済ませたろ!?

 オーケーもらい直しただろ!?

 てか、だったらなんで黙ってたんだよ!?」

「目の前でやったら、本人達が気にするからだよ。

 本当ホント……普段はまぁまぁ機転が利くのに、一旦スイッチ入ると文字通り一直線だよね、にいさんは」

「なぁ、希新きさら

 頼むから、お前まで俺を困らせないでくれねぇか……?」

にいさんが、思いつきばっかで衝動的に行動せず、ほうれんそうも怠らず、我が家を振り回さないなら、考えてもいよ?」

「だからぁ……。

 悪かったって……」

「で?

 にいさん。今は、一人?

 これから、ご飯?」

 どうやら一先ずは落ち着いたらしく、希新きさらがフラットに質問する。

 あつしも、それに倣い、調子を戻す。



「そうだなぁ。

 まぁ、そろそろ取り掛からねぇと、あねさん辺りがうるさそうだしなぁ」

「確かに。

 で、にいさん。分かってると思うけど……」

「分ぁってるよ。

 守真伊すまいさん……妹さんの方に、生活必需レベルの料理を叩き込む。

 っても、向こうも中々のくせ強だし、仕事覚えながらってんで、一苦労だとは思うがな。

 けど、まぁ……それだけが、お役御免になるための最短ルートだ。しゃあなしだわな」

「あんまり遅くなったら、もうにいさんの居場所、無くなっちゃうからね?

 ただでさえ私も、もう少しでなくなっちゃうかもなんだし」

「……ちゃんと把握してる。

 だから、希新きさら。お前もきちんと、センポウさんと、幸せになれ。

 やっとこさ、結婚まで漕ぎ着けそうなんだからな。

 こっちのこたぁ気にすんな」

「今、家にない人に言われてもなぁ」

「お前実は結構ってか未だに根に持ってんだろ、そうなんだろ?」



 前言撤回。やはり、まだ不服らしい。



「てかさぁ、にいさん。

 本当ほんとうの所、どうなの?」

の話だ?」

「だってさぁ。

 同僚とはいえ、家族同伴とはいえ、同い年の美女と一つ屋根の下でしょ?

 ねんごろになったり、しないのかなぁって」

ねんごろもネンネンコロリもぇよ。

 そもそも、向こうは俺のことなんて、なんとも思ってねぇだろ」

「それはそうだろうけどさぁ」

「……少しは迷ったり、考えたり、否定したりしてくれてもくない?」

「大丈夫。

 私は、私だけは、にいさんのい所、ちゃんと把握してるから」

「フォローになってねぇ……」

「相手が悪過ぎるよ。

 素直にあきらめなよ、にいさん」

「お前、くっ付けたいのか引き離したいのか、どっちなの?

 磁石理論、めない?」



 どうやら、面倒な地雷を踏んでしまったらしい。

 どう解体したもんか……とあつしが思案していると、ふとメッセージアプリの通知が届く。

 それは昨日、フレンド登録したばかりの物……つまりは、懐月なつきからで。



「……は?」



「……にいさん?」

「なぁ、希新きさら……。

 もし俺から身を引いたとしても、向こうから迫って来た場合……どうすればい?」

えず、頬を抓るのがオススメかなぁ」 

「夢じゃないんだって……寝惚けてないんだって……。

 頼むから、話を聞いてくれよぉ……」



「あー……」と呻きながら思案に困り、だらんと手を垂らすあつし

 彼が持つスマホには、依然としてチカチカと、彼の頭と心を惑わせる、くだんの誘い文句が表示されていた。


 


「お疲れ。

 今、バッファある?

 

 ちょっと、付き合ってしいんだけど」





 木の意匠によりわざと老舗感を醸し出させる、レトロな造り。

 オープンしたてとは思えない、まるでタイムスリップでもしたかのように錯覚させる、クラシカルな内装。

 真空管アンプから奏でられる、音量的にも雰囲気的にも会話の妨げにならない、ジャズ。

 駅に併設してあり気付きづかれづらいがために演出された、隠れ家的な佇まい。

 クリームソーダやホットケーキなど、意図的なメニュー。

 普段さほど嗜まない自分でも一口で分かるほどに、美味なコーヒー、そして紅茶。

 あつし懐月なつきに案内されたのは、そんな特徴だらけのカフェ・里楽りらくだった。



 これが所謂、純喫茶ってやつか。

 そう、あつしは判断した。

 同時に思った。一体何故なぜ、自分は今そんな、明らかに己とはミスマッチな場所で、ナポリタンとコーヒーを堪能してるのか。

 そして、自分のみならず、ここに足を踏み入れた者は問答無用で、流されるまま、さほど不満は持たないまま、古風な食事をしそうだというのに。そんな中、ただ一人だけ、ひたすらクルトンを食している彼女は、どれだけ肝が座っているのだろうと。



「……なに

 あんたも、食べたいの?」

「ちゃうわ。

 そもそも、なんるんだよ……。

 メニューに書いてなかっただろ……」

「ここのオーナー、私の知り合いなの。

 生憎あいにく、今日は外しているみたいだけれど」

「裏メニューってやつか。

 で?」



 あまり呑まないあつしでも一口で分かったほどに美味なコーヒーで一服し、あつしは本題に入る。



なんで、俺を誘ったんだよ」

「あんたにしか頼めないからよ」

「な、何を?」

「……」



 あつしがストレートに尋ねると、懐月なつきはやや退屈そうな顔をした。

 かと思えば、恥ずかしそうに肩を竦めた。



「……馬鹿バカ

 少しは、頭を使いなさい。気を利かせなさい。

 こんなこと……あんた以外の、誰に言えってのよ」

「〜っ!!」



 あ、あれ?

 これ、アレじゃね? 完全に、個別ルートじゃね!?

 早くない!? あーでも、効率重視した結果とかなら、納得だわ!

 などと沸き立ち、一人で舞い上がるあつし

 しかし、ここは男らしく、ドッシリ構えなくては。そう自身に言い聞かせ、わざとらしく咳き込み、あつしは切り出す。



「つまり……どういうことだ?」



 なおあつしが受け身の姿勢を貫くと、懐月なつきはドキッとした顔色を見せた後、赤らめた顔を反らす。

 そして、躊躇ためらいがちに、恥を忍んで気後れ気味に、握り拳を作り、面と向かって、胸の内を明かす。



「スタッフを一通り紹介してしいってこと

 あんた以外とは、まだほとんど、会話すら出来できていないのが現状だから」

「で〜すーよぉね……」



 予想通りではあるものの、とんだ肩透かしを食らい、あつし途端とたんに落胆する。

 一方の懐月なつきは、そんな彼の反応が不思議、不可解でしかなかった。



「そもそもさぁ……。

 それ、本当ほんとうに必要か?」



 気を取り直したあつしが、率直な疑問を投げかける。

 懐月なつきは、大人びた雰囲気で、コーヒーではなくココアを嗜みつつ、柳眉りゅうびを逆立てる。



「当たり前でしょ。

 出勤初日前に同僚のデータをつぶさに把握するなんて、社会人の常識じゃない」

「……社畜の常識、の間違いじゃねーの?

 どっちかってーと……」

「え?」



 あつしからの忌憚ない意見を受け、素っ頓狂な顔をする懐月なつき

 どうやら、本気だったらしい。

 不味まずったか。そう察し、あつしぐ様、場を繕おうとする。



「ま、まぁ、でも、なんだ。

 い心掛け、だよな? うん。

 ただ、その、あれだ。そういうのは、一緒に仕事してりゃ自ずと身に付いて行くからよぉ」

「そ、そうね。分かったわ。

 となれば次のミッションは、あたしの担当、得意分野についてね。

 さいわい、業務用マニュアルは一通りマスターしたけれど」

「んぐぅっ」



 いとも容易く放たれたトンデモ発言に、あつしは軽くせてしまい、慌てて、けれど壊さない程度に、カップを置いた。

 あ、危ねー……もう少しで、吹き出しちまう所だった……翔太○や輪島のおっちゃ○やベルトさ○じゃねーんだからよぉ……。

 などとツッコミつつ、あつしは確認する。



「えと……守真伊すまいさん?

 今、なんてった?」

「……?

 マニュアルなら一通りマスターした。

 なに? 採用されたら、一晩で洗い浚い叩き込んで来るのががセオリーじゃないの?」

「あんたは今まで、どんだけ劣悪な環境に身を置き続けて来たってんだよ……。

 そもそも、なんで一晩で暗記出来できるのよ」

ものの例えよ」

「な、なんだよ……。

 だよなぁ……いく仕事出来できっからって、そんなん人間業じゃねぇよなぁ……」

「一時間あれば余裕だったわ」

「あんた本当ホントに何者なんだよ、い加減よぉ……」



 またしても、底知れぬスペック差を痛感させられるあつし

 この場の空気に飲まれていなければ今頃、もっと派手に騒いで啖呵を切っていただろうに。



「あんた……物凄い逸材だったんだなぁ」

「当たり前でしょ。

 これでも都会で、最前線で戦ってたのよ?

 あまり舐めないで頂戴ちょうだい

「そんなもりぁ毛頭無ぇよ。

 まぁでも、あれだ。この調子なら、間違いく、文句無しに即戦力だろうよ。

 そんだけ有能なら、笑顔の一つや二つ、パッと出来できんだろ」

「……え?」

「……え」



 何気無く出た、あつしの本音。

 それにより、懐月なつきの数少ない弱点の一つが、浮き彫りになりつつあった。



「……なに

 その、『え』は?」

むしろ、あんたに聞きたいわ。

 あたしが、そんな、希新きさらみたいなタイプだと思う?」

「正反対だとは思うよ。

 でも、あれだ。あんた、銀行員だったんだろ?」

「『ネット銀行』。つまり、顔は使ってなかった。

 他の仕事でも、今まで一度も、ね」

「つまり……」

「……ちょっと? 大分?

 かく覚束おぼつかないわね……」

「……あんた、客商売舐めてる?

 なんで、その状態で、やろうと思ったの?」

「そんなこといわよ。

 あたし、きちんと相手に対して、常に敬語でしゃべってるわよ。

 下に見てなんて無いわ。お金と一緒に、敬意と謝意も払ってるもの」

「その割には昨日、俺に対して最初からタメ口全開だったよな?」

「不測の事態で引き起こされるイレギュラーには、誰だって陥るし、決して抗えないわよね」

「あんたてのひら返し好きぎね?

 あと、遠い目止めろ。現実、見ろ」



 ぼんやりとした瞳で窓の外を眺める懐月なつきの顔を、あつしが両腕で正面に修正した。

 急に触られたことしゃくに障ったらしく、懐月なつきは見るからに臍を曲げる。



「だったら、立証してやろうじゃない。

 その代わり、もし成功したら、あんたに証人になってもらうわよ。

 い? これからあたしがどんなに笑顔が下手ヘタで、誰にも信じてもらえなくても、あんただけは、絶対ぜったいに否定するのよ?」

出来できたら、の話だろ?

 いから、とっとと実践してみせてくれ」



 しっ、しっ、とさながら追い払うかのごとく手を動かし、急かすあつし

 我慢の限界だったらしく、懐月なつきは早速、実行に移り。



 その結果……あつしを唖然とさせることに成功した。

 無論むろん、両者にとって、会社にとっても、悪い意味で。



「……」

「……そんなにひどかった?」

「……リライ○のドラマに一般公募枠がったら、迷わず日○枠に推薦して、そのまま最初のオーディションで、参加者側も審査員側もネット側も満場一致で、あんたに速攻で決定するレベル」

「それほどなのね……」



 まぁ……要するに、明らかに虚仮こけにしてるというか、無理してるというか、ともすればクレーム沙汰になってぐに切られそうとか、そういう感じの出来できだった。



「……弱ったわね。

 まさか、こんな落とし穴がるなんて……」

「接客業界なら挨拶、アイコンタクト、お辞儀に並んで、初歩中の初歩なんだがな……」

「初歩、多くない……?」

「今まで、それ以上の仕事、偉業を成し遂げといて、何を今更……」

「違うのよ……こんなはずじゃ、こんなプランじゃなかったのよ……。

 ここに来るまでは、なんの問題もく、どうにかやり過ごして来たのよ……」

「『やり過ごす』って言ってる時点でアウトじゃねぇか……。

 てか、全体的にドライな都会だったからこそ、奇跡的にこときを得てただけなんじゃあ……。

 あんた、あれだろ? 基礎より応用ばかり重視する、器用貧乏タイプだろ?

 ビィ○とか、エクシリ○のエリー○とかと同一種だろ?」

「……随分ずいぶん、言ってくれるじゃない。

 そこまで言うなら、あんたは相応、相当の、さぞかし素敵な、見てる側まで釣られるような物をお持ちなんでしょうね?」

「笑顔って言えよ」

いから。

 とっとと披露、お披露目してみせなさいよ」



 意趣返しでもするかのように、しっ、しっと、と手を払う懐月なつき

 伏し目になっていた彼女が顔を上げた先には、強面を忘れるくらいに、爽やかで明るく、眩しく、まったく嫌味がい満点の笑顔を向けているあつし

 


 最早、勝敗は歴然。火を見るより明らかだった。



「……」

「……そこまで?」

「嘘よ……こんなの、嘘に決まってるわ……。

 このあたしが、こんな、万年顔面脅迫罪男に、完敗だなんて……」

「悪かったなぁ。

 これでも俺、あの店で店長に次いで勤続年数の長い、ナンバー2だから。

 正社員一歩手前のフリーターだから」

「良く、潰れたりしなかったわね……。

 あの店、ヤクザの巣窟、総本山だったりする……?

 ダイナ○みたいな……」

「あんた、いっそ清々しいまでに、とことん失礼だな。

 逆に感心するわ」



 歯に衣着せぬ物良いに親近感を覚えつつも、あつしは再び、現実に向き合う。



「で……実際問題、どうするんだよ?

 もし、さっきのままなら、スタッフとして、あんたを力尽ちからずくで止めるが?」

「……えず、場所替えしましょう」

「またそうやって、話を反らそうとして」

「そうじゃないわ」



 割とシリアスな物言いに、あつしが面食らう。

 そのまま体裁を整え、懐月なつきに問う。



「……なにるのか?」

さっき、カウンターにる子が電話してた。

 内容から察するに店長、つまりあたしの知り合いが戻って来るみたい。

 ただ、今の姿を見られるのは、ちょっと……」

「あー……」



 逼迫した状況に追いやられたのを悟り、あつしは黙る。

 確かに、プライドの高い彼女じゃなくても、こんな所を知り合いに見られるのは、さぞ気不味きまずかろう。

 これまでの流れから察するに、きっと懐月なつきは、その『知り合い』とやらにも、帰郷の旨を伝えていないだろうし、その意味でも精神的過労は避けられない。

 ここは、大人おとなしく従うべきである。そう判断し、あつしは席を立つ。



「外の空気でも吸ってなって。

 会計ぁ済ませとく」

「お願い……」



 貸し借りは主義じゃないと断言していた懐月なつきにしては、めずらしく即答した。

 それほどに切迫した状況ってことかよ。と、あつしなんとも、先行きが思いやられるのだった。

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