第2話 妹の友達


「ねえ知ってる?」

「なになに~」

「いつのまにか増えてる友達の話」

「なにそれ~」

「こうやって私達みたいに話してると、気づいたら知らない三人目が~」


 なんて、クラスの喧騒は右から左へ。

 小、中、高と来たけれど、友達ができた経験はないから一人でぼうっと聞き流していた。

 いや、あいつは友達、なのかな、なんて。

 小学生の時の思い出が一瞬蘇る。


 無味無臭な学校も終えて、下校途中。

 ちらほらと視える人だったモノが視界に入り、無視する。

 頭がマンホールで真っ二つに割れたおじさんに話しかけてもろくなことにならないだろう。

 そう、僕にはちょっとした能力がある。

 幽霊が視える、っていう、なんの役にも立たない能力が。



   ☆★☆★☆


「おっかえりー!」


 自室で宿題に勤しんでいると、騒がしい妹がノックもせずに扉を開けた。

 まだ見慣れない妹の中学のセーラー服姿に、目頭が熱くなりそうなのをぐっと堪えた。

 なにせこいつは妹の身体で動く得体の知れない幽霊だ。

 便宜上さやと呼ぶことになったそいつは、本人もよくわからないままに植物状態だった妹に憑りついて生活している。


「……お前あのキャラどこいったんだよ」

「キャラ?」

「もっと静かだったろ」

「パパとママの前では今も静かだよ?」


 その通りだった。

 さやは僕の目の前でだけ自由気ままに動いている。

 その姿はまるで妹の沙羅さらに重なる部分が多くて、僕としてはやめてほしい限りなんだが。


「じゃあ僕の前でも静かでいてくれよ」

「だって記憶喪失キャラだよ? 記憶失ってんのに元気いっぱいって頭おかしくない?」


 無駄な正論は求めてない。


「それに、たぶん私と沙羅ちゃん、歳が近いんだろうね。私何歳か知らないけど」

「真逆の性格だったらよかったのにな」

「そうであればいいのは”にーに”だけでしょ?」

「ぐっ」


 自然と眉間に皺が寄る。

 おにいちゃんと呼ぶな、と僕はさやに言った。

 どうしても沙羅のことを思いだしてしまい、精神が持たないからだ。

 けれど、

『妹である以上それらしい呼び方しなくちゃだよね? 私バカだから、パパとママの前でボロが出ちゃうし』

 と言われ、それはそうだけど、なんて納得してしまい。


 新たな呼び名が”にーに”だった。


 なんだそれは、ふざけるな。

 どこの世界ににーになんて呼ぶ妹がいるんだ、と憤って調べたところ、驚くことに沖縄ではなんと兄をにーにと、姉をねーねと呼ぶ方言があった。

 二次元の創作だと思っていただけに驚きを隠せない。


 それに、それにだ。


「どうしたの、にーに?」

 さやが僕の横にちょこんと座り、首を傾げて覗き込んでくる。

「ぐぅっ」


 沙羅の顔で、沙羅の声で、そんな、そんな呼ばれ方。

 ――こいつのことをかわいいだなんて思いたくないのに!

 

「お前……生前悪女だったろ」

「あははっ、しらなーい。あ、そうそう。あとで友達来るから!」


 そういってさやはパタパタと部屋を出て行った。

 頭が痛くて抱え込む。

 どうしてもあいつの節々に沙羅を感じてしまう。

 でも、未だに沙羅が目を覚ましていないのに、別人に妹を感じて一息つきたくない。

 沙羅と波長があったからこそ、憑りつけたのかもしれない。



   ☆★☆★☆



 ピーンポーンとインターフォンが鳴って、慌ててさやが階段を降りて行った。

 上がってきて廊下を歩く時、話声が聞こえたから、さっき言ってた友達が家に来たんだろう。

 まぁ、よかった。

 沙羅の体裁的なところを考えても、もし今後目が覚めた時にぼっちより友達はいた方がいいだろうし。

 それに。

 さやも根が悪い奴じゃないから、こうなってしまった以上、楽しく生活が送れているのはいいことだ。


 宿題も終わったので一息をつく。

 冬の寒さもあってか、ぶるっと尿意が感じられたからトイレに行こうと部屋を出た。


 びくっとしてしまった。


 僕と妹の部屋は隣同士。

 その妹の部屋の扉の目の前に、妹と同じ学校のセーラー服の女生徒が立っていた。


「あ、こんにちわ」


 腰ほどもある黒い髪は前髪も長く、目が全く見えないほどで口元しか確認できない。

 しかしその子は声をかけるも、口を開く素振りはない。


 にやり、と。

 口角だけが、静かに上がっていく。


「沙羅の友達、だよね? ゆっくりしていってね」


 うんともすんとも言わない。

 笑い声も出さずににやり、と微笑んでいるだけ。


 変わった子だな、なんて思いながら階段を降りて、一階のトイレで用を足した。


「ふぅ……っ」


 トイレの扉を開けると、妹の友達は目の前にいた。

 さっきよりもずっと近く、用を足し終えていなかったら漏らしてたかもしれない。


「あ……君も、トイレ? ここ、だよ」


 言うも、反応はない。

 ただ、にやり、と口角が静かに上がっていくだけ。

 これは変わった子、というより、不気味だ。


「はは、はは……」

 乾いた笑いしか出てこない。

 正直関わりたくなかった僕は、その子の横をすっと通り過ぎ――ようとした。


「なっ」


 手首を掴まれた。


「ど、どうしたの?」


 答えはない。

 異様に冷たい手の感触は、不思議なことにぶよぶよと流動的にすら感じられて、気持ちが悪かった。


「痛っ」


 次第に握られた力が強くなっていく。

 手の位置が下のためよく見えないが、爪を立てられているのだと思った。

 けれど、爪。

 爪、なのか?

 本当に?

 でも爪の割に、どうして、肉を刺すような痛みがも感じられるんだ?


「や、やめて……」


 みしみしっ、と骨が軋むような音がする。

 立っていられなくなった僕はへたれこみ、砕けそうな手の激痛に大量の脂汗を搔いていた。



 ――つ、潰れる。



「なにやってんのー?」


 すっと手の痛みが消える。

 調子のいい声に目を向けると、戻ってこない友達を心配したのか、さやが一階に降りてきていた。


 未だにじんじんと痺れる左手の感覚がどうにもぎこちない。


「どしたの、にーに」

「な、なんでもない」


 打ち震える心臓と切迫した息を整えることもできず、僕は自分の部屋へと戻っていった。

 ベッドに倒れこんで掴まれた左手首を見ると、確かに爪のような跡が、ぐるりと十個つけられていた。



   ☆★☆★☆


 夕食を終えて、僕はさやの部屋の扉をノックした。

 扉を開けられ、中に入る。


「どしたの」


 やけに鬼気迫った僕にさやが首を傾げる。


「今日来てた子、なんだけど」

「うん」

「あの子、どういう子なんだ?」

「どういう子って……まぁ、静かな子だよ。でも私が学校行って、最初に声かけてくれた子で、いい子だと思うけど」

「そっか」


 さやはあの子になにもされていないようだった。

 だから言うのは心苦しかったが、でも僕の身に危険があるから言わざるを得ない。


「悪いんだけど、家に呼ぶのはやめてくれないか」

「えー……もしかして、あの子、人じゃないの?」

「多分、な」

「なにかされたの?」

「ちょっと、な」


 握りしめられた痣と十箇所の傷のついた左手首を見せる。


「これは許せないね!」

「……なにが?」

「だってにーにを傷つけたんでしょ!」

「いや、にーにって、別に、僕とお前は他人だろ」

「他人! 命がけで私を守ってくれたのに!?」

「あれは成り行きで……」


 この前の口裂け女の時だろう。

 そういえばあの事件は変死体としてニュースになっていた。

 犯人は捕まらないだろうけど。


「まぁ、いいや。さやがそのつもりなら付き合いは控えてくれ。お前も危ないし」

「うん、そうするよー。私あの子以外にも友達いるからへーきへーき」


 どうして僕は憑りついた幽霊にコミュ力で負けてんだろう。


「にしてもにーに、変なのに好かれるんだねぇ」

「お前が来てからだよ……もしかしてお前が呼び寄せてんのか?」

「そんな力私にあるのかなぁ?」


 あったとして、さやも死にかけてたから随分と制限の効かない力だ。

 まぁ、こいつにそんな力があったとして、なかったとして。

 沙羅の身体を傷つけるわけにいかないから、僕は僕にできることをするしかない。


 気をつけろよ、とさやの頭に手が伸びかけたのを、気づいた僕は手を下ろして、さやの部屋を出て行った。

 さやはどうして僕に敵意を向けないんだ。

 あいつがそんなんだから、どうしても沙羅の幻影を追ってしまう。

 でも、どちらかというとこれは僕の問題だから、深いため息でごまかすしかなかった。



  ☆★☆★☆


 夜も深まり眠っていると、妙な寒気を覚えて目が覚めた。

 まだ辺りは真っ暗で、何時だろうと寝返りを打って時計を見ようとして、視界にそれが入った。


 さやと同じセーラー服を着た、やけに髪の長い女生徒が、月の光でぼんやりと確認できた。


 飛び出そうな心臓を抑えつけて布団を頭まで被る。


 なんでこいつがここにいるんだ!


 いや、違う、僕が言ったんだ。

 人じゃない。

 そんな人じゃない存在に、理屈で考える意味はない。


 みし、みしと。

 床を軋む音が近づいてくる。


 ふと腹のあたりが重くなって、ソレが乗っかかってきたのだと想像してしまう。

 布団を挟んだ顔のあたりが段々と生ぬるく心地悪いものになっていく。

 次第に息遣いが大きく、荒く、強くなっていく。


「――――ニ、――ツ――」


 ぶつぶつと、聞き取れないくらいの声でなにかを言っている。

 恐怖に圧し潰されそうになる中、どうして、どうして人はソレを確認する恐怖から逃れられないのか。

 未知が最大の恐怖と決めつけてしまうのか。


 僕はゆっくりと、頭に被った布団を下ろしていく。


 それは。

 人じゃない。

 幽霊でもない。

 例えるなら、そう。

 化物だと、言う外ない。


 顔面の中央は四方向に裂け、まるで大きな口であるかのようにぱっくりと開かれていた。

 三段に連なる規則正しい歯と、喉の奥からは何十本も蠢くミミズみたいな、舌のようなものがぐねぐねと動き回っていた。


 そして、振りかかる吐き気を催す臭いと生ぬるさの中で、僕はソレの言葉を聞いた。


「ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ、ヒトツニ……」


「うわあああああああああああああああ!」


 咄嗟に枕元にあったメモ用のボールペンを握りしめて、力いっぱいに口内の奥深くへ突き刺した。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 あまりにも低い人ならざる断末魔が轟く。

 喉から血が噴水のように溢れた。


 べちょ。


 顔や腕についたソイツの血はスライム状の液体。

 不気味な液体が僕の顔を余すとこなく塗りつぶしていき、断末魔の咆哮を続けるその世界に、僕の意識は限界を迎えて散っていった。





 目を覚ますと、朝だった。

 昨日僕が見た地獄は夢だったんだろうか。

 腕にも、身体にも、部屋のどこにも、気持ちの悪い液体の痕跡は見られない。


 ほっと胸を撫で下ろす。


「学校、行かなきゃ」


 ベッドから起き上がり床を踏むと、ころころと転がっていくボールペンがあった。

 枕元に置いてあるメモ用のボールペンだ。


「ひっ」


 拾い上げて、小さな悲鳴をあげてしまう。

 ボールペンの先端には、緑色の、スライムのような液体が付着していた。


  ☆★☆★☆


 それから数日が経った。

 さやに聞いた話だと例の子は学校に来ていないらしい。

 いやそれどころか。

 クラスメイトに聞いても誰もその子を知らないし、そもそもさやもどこのクラスの子だったかもわからないと言っていた。

 僕の目の前にも現れていないから、それでいいんだけど。


 こんこんっ、と珍しく僕の部屋の扉がノックされる。

 開けるとそこにはさやがいて、後ろにもう一人、いるようだった。


「ただいまー。友達つれてきたよ!」


 勘弁してくれ……。

 近日のトラウマが蘇ってぞっとする。


「お、お久しぶりですっ」


 けれど、その子は普通に話し、お辞儀もする、普通の子だった。

 よかった。


「久し、ぶり?」

「あ、あの、覚えてませんか、ゆ、夢ですっ」

「あー、夢ちゃんか。久しぶりだね。小学生の時よく沙羅と遊んでくれてた子だ」

「は、はいっ。覚えててくれたんですねっ」


 そりゃこの子は本当に沙羅と仲が良かったから覚えている。

 家にもよく遊びに来たし、僕にも懐いてくれていた子だ。


「また仲良くしれくれてるんだね、ありがとう」

「い、いえっ」

 ただやけに緊張しているようだった。

 昔からもじもじと人見知りな部分はある子だったけど、悪化したんだろうか?


「ゆっくり遊んどいで」

「はっ、いやっ、あのっ、お、お兄さんも! 一緒に遊びませんか!」


 と、両手で手を握られてしまった。

 でも、それは人の温度があって、十箇所の痛みもなくてほっとする。


「僕がいても邪魔でしょ」

 自嘲気味で笑い返す。


「い、いえ! お兄さんと一緒だとっ、た、楽しいですっ!」


 ぎゅうっと握られた手、開いた瞳孔、荒い息遣い。

 有無を言わせない迫力にのけぞってしまう。

 


「じゃ、じゃあ後で、そっち行こうかな」

「はいっ!」


 すると満足してくれたのか、夢ちゃんは手を離してくれた。


「先に私の部屋いっといてー」

「う、うんっ。へへっ、うへへっ」


 夢ちゃんはさやの部屋に入っていった。

 さやが首を傾げて僕のことをじとりと見ている。


「……なんだよ」

「にーにが変なのに好かれるの、私関係ある?」


 なにか言い返したくても、反論できる材料が見当たらなくて、目を逸らした。



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