第12話 格闘
男はフフフと何とも気持ち悪い笑みを浮かべたあと、ふいに辺りが静まり返ったことで違和感を覚えたようだ。
顔をしかめ、すぐさま側にいる俺の存在に気づく。
「な、……てめえどっから現れた!?」
「えっ……と」
だめだ。心の準備が不十分だったせいで俺もテンパっている。捕捉対象者が動き出すのはこれで三度目なのに。俺は何をやってるんだか……。
だが怯んではいられない。以前の闇医者と同じであれば、こいつをどうにか気絶させなければならない。今度はレイと違って人を殺している人間だ。重大人物とやらで間違い無いだろう。
「なんだぁ? どうしてこんな静かなんだ……おい、どうなってる!?」
男に胸ぐらをぐっと掴まれる。どうなってると言われても、これじゃ苦しくて説明出来ないんだが……。
そこへタイミング悪く通路の向こうから足音が聞こえた。カノンしかいないだろう。何とも間が悪い。
「賢太さぁーん、おつかれさまですぅ。こっちはぜーんぶ終わりましたよ……って、おぅわ!! そ、そちらの方は……?」
男がじろりとカノンに目をやった。
相手が若い女の子だと気づいたからか、口元が緩み全身を撫でるように眺めた。
「おいおい、そんな格好でどうしたってんだぁ?」
掴んでいた手を離すとくるりとカノンに体を向け近づいていく。
「おわわ……ちょ、何だか怖いので来ないでくださーいっ」
カノンが身をすくめながら言った。
タンクトップにショートパンツという露出度高めの格好が仇になったかもしれない。何なら反対側にもレイという女の子がいるのだが、こちらは金庫破りで着ていた作業着のおかげか女の子と認識されていないようだ。
しかし、男はナイフを持っている。カノンに近づかせるわけにはいかない。
「ま、待て!」
勇気を振り絞って男の肩に手をかける。
すると男はめんどくさそうに一瞥をくれたあと、肘を思い切り俺のみぞおちに押し込んだ。
「うっ……!!」
「うっせぇな。だからお前誰だよ? 邪魔すんな」
なんて喧嘩っ早いんだ。けどここにはか弱い女子が2人いて、それを守ってやれる男は俺しかいないのだ。ここで逃げるわけにはいかない。
みぞおちの痛みを堪え、男を後ろから羽交い締めにする。
「なっ……てめぇ何しやがる!! あぁ!?」
「カ、カノン……逃げろ! 早く!!」
「ほぅわ!? どういうことなんです!? 逃げろって賢太さんは!!?」
だーっ、そんなこと言ってる間に逃げてくれよ! こちとら体力の無さには自信があるんだ。そう長い時間は男を止めていられないんだって。
「はーなせっ!!!」
勢いよく身をよじられ思わず手を離し壁に叩きつけられる。こちらの想像以上に力が強い。そりゃそうか、大の男を数人刺殺するくらいだ。相手だって無抵抗だったわけじゃないだろう。
「何なんだてめーらは一体!! それにこの状況!! 何が起きてんのか説明しやがれ!」
「ぐっ……」
「ここは時間が止まった世界よ」
レイがぼそりと男に向かって言った。
「時間が……何だって?」
「時間が止まってる世界をあたしたちは旅してたの。そしたらこの旅館が燃えているのを見つけから、何が起きてるのか興味本位で見に来たってわけ。それだけ」
淡々とレイが答えた。いやこの男にそんなこと説明する必要あるの? 時間が止まっているなんて知ったら絶対悪さするに決まって……そうか。この世界で犯罪まがいの行動をすると寸前で捕捉されるんだ。だったら好きに行動させて勝手に自滅するのを待ったほうが効率がいい? どうせ時間が止まってるとなれば欲望のままに犯罪をおかすことは目に見えてるしな。
「バカにしてんのか……? ……だが、あながち嘘じゃあねーってことか」
男は通路の窓から階下をのぞきながら言った。
「何もかも止まってるのは本当みたいだ。……くくく、最後にこんな面白いもんが見れるとはな」
「最後って?」 レイが尋ねる。
「そのまんまの意味さ。俺をクビにした料理長と同僚には復讐できたし、退職金すら出さなかったこの旅館は火事で商売にならねぇ。だが大勢人が死んだからな、俺の死刑は確定だ。最後にここで高みの見物をしながら死んでやろうと思ったのさ。これでな」
そう言ってアーミーナイフをぺちぺちと首元に当てる。
「だが……時間が止まっているとなりゃあ……今を最後にする必要もないってかぁ?」
男が邪悪な笑みを浮かべながら言った。
「色んなお楽しみはとっておくとして……まずはそこの女に楽しませてもらおうか? なあ?」
「ひ……わ、私ですか!!?」
カノンがびくりと体を震わせた。
「どういう事情か知らないが、ここで動けるのは俺たちだけなんだろ? そこのヒョロイ男じゃあ楽しめなかっただろ? 違うかぁ?」
おい待て俺とカノンはそういう関係では無いぞ。
「ひゃ……け、結構ですぅ! 私は賢太さんだけで十分楽しめますぅ!!」
いやいやそれ誤解を生むって。
「そう言うなよぉ。そっちの女でもいいぞ? 女で合ってるよなぁ? 野暮ったい服装なんでしゃべるまで分からなかったが」
レイにまで目をつけられた。
「ほら、こっちに来いよ。どうせ逃げらんねーぜ?」
そう言ってレイの方へ歩み寄る。
くそ……力じゃかなわないのはさっき証明されたが、だからって黙って見ているわけにはいかない。
……でも待てよ。ここでレイに乱暴を働こうとすればこの世界のシステムで奴は勝手に消えるんだよな。じゃあ黙って見てれば……。
「何とか言えよ、女ぁ!?」
……いや。ダメだ。たとえ勝手に捕捉されるとしても、あんな男に迫られてレイが恐怖を感じないはずがない。それを見ているだけなんて一番しちゃいけないことだ。それに怪我をしない保証だって無いんだ。捕捉が間に合わずに傷を負う可能性だってある。あいつを……放置しちゃいけない!
「やめろ!!」
再び男を羽交い締めにする。というかそれ以外にこいつを止める方法を思いつかないんだが。蹴ったり殴ったり? 無理。初心者がそんなことしてもかえって事態が悪化しそう。
「ったくしつけーって……言ってんだよ!!」
振り向きざまに男に思い切り殴られた。いってー……。でもここで手を離せばレイが……と思ったときだった。
「ごふぅっ」
男の顔が天井に向かって思い切り跳ね上がる。
「……へ?」
何が起きたの?
男は意識を失ったかに見えたが、それは一瞬のこと。すぐに気を取り直すと、みるみる顔を赤くし怒号を吐く。
「何しやがんだ!! この……ぐほぅっ!!」
言い終わらないうちに体をくの字に曲げて悶絶する。
そして膝を落とし大きく咳き込む男の前に、威圧感たっぷりにレイが立ちはだかった。
あまりにも素早い出来事でよく分からなかったが、どうやら最初の衝撃はレイのアッパー。そして2発目はキックが男のみぞおちにピンポイントで放たれたらしい。
レイは氷のように冷たい目で男を見下ろす。
「死ねば?」
そう言うと、男の脳天めがけ強烈なかかと落としを繰り出した。
「ぐ……むぅぅ」
何とも言えない呻き声を出して男が白目を向く。そのままぐったりと床に倒れ込んでしまった。
こ、これは……?
「賢太。捕まえるなら早くしなよ」
レイが落ち着いた口調で言った。「あ、……はい」 慌てて寝転がっている男の肩に手を触れる。
「重大人物、捕捉シマシタ」
音声が流れ男の体がパシュっと消えた。
「こういうパターンもあるのね。なかなか重労働じゃない」
何でもなさげにレイが言う。
いやいや、あなた何者なんです?
「すっ……ごーーい!! 今の何よぉ、レイちゃん!!」
カノンがハイテンションな声を上げて駆け寄ってきた。
「何って。格闘技」
「レイちゃん格闘技使えるの!? すごいよぉ、何で何で?」
「べ、別にすごくない。だいたい、これくらいの小者自分でなんとか出来なきゃ犯罪グループになんか入っていられないもの」
あ、小者だったんだ、アレで。重大人物とか音声では言ってたけど。
「でもレイちゃん。大丈夫、怪我してない?」
「大丈夫よ……ちょ、っと離れてよ……」
「本当に? 平気?」
まるで思春期の娘と母親だ。
「でも助かったよ、レイ。俺ひとりじゃアイツを止められなかったから……その、すまない。頼りなくて」
本当に情けない。十代の女の子に犯人を始末してもらうなんて。
「賢太は賢太のやれることをやったでしょ? それでいいんじゃないの?」
「いや、でも……」
「いいって言ってるの。あたしに危害が及ばないよう助けてくれようとしたんでしょ? それで十分じゃない」
「まあ……」
レイが男前すぎる。
そうこうしていると、いつの間にか空の色が明るくなり、いつもの土曜の朝に時間が戻った。
「この天気はどう判断すればいいわけ?」
レイが言った。
「やるべきことが終わった、ってことだな」
「ふぅん。……ならもうここに用は無いわね」
そう言ってレイがすたすたと歩き出した。
カノンが「レイちゃん待ってー」といって後を追いかける。
何やかんやあったが……くたびれたな。
せっかくだからこのまま温泉にでも入りたい。
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