第13話 バレエシューズ

 香水発売中止の事後処理は、あっけなく済んでしまった。準備には相当な時間をかけたというのに、中止のプレスリリースを出し、問い合わせに対応しているうちに、会社は別の方向へと進みだしていた。


 奈々子だけがまだ同じ場所にとどまっている。


 ルーティンワークをこなすだけの奈々子は、ヒールを脱がされて素足で立たされているようなみじめさを感じていた。


「お先に失礼します」


 仕事はまだあったが、残業する気にはなれない。明日に持ち越してもどうということのない仕事である。


 奈々子は定時でオフィスを出た。


 だからといって、いくあてもない。マンションにもまっすぐには帰りたくない。あてもなく、奈々子はセンター街へふらりとむかった。


 週のなかば、水曜の夜とあって、街を歩く人々の足は速い。気分がせいて、金曜日を待ちかねている足取りだ。


 ショーウィンドウをみてまわるだけで、奈々子は買い物をする気にもなれなかった。


 シューズを扱う店には、バレエシューズが目立つ。


(背の高い人だから、似合うのよ)


 平均身長以下の奈々子に、ぺたんとしたバレエシューズは似合わない。幼稚園生が上履きを履いているようにしか見えないだけで、かえって足の短さを際立たせてしまう。


 むしゃくしゃした気分で、奈々子はゲームセンターに立ち寄った。


 いつもならうるさいと思う喧騒が今日は逆に心地よい。心に浮かぶひとり言の恨み節を聞かないで済む。


 両替をすませ、小銭を握りしめた奈々子は、パンチングマシーンにむかった。


 バカやろう バカやろう


 マシーンのグローブに奈々子はやりきれない怒りをぶつけた。


 誰が悪いわけでもない。突然契約を打ち切ったジェーンは悪いが、彼女を責めようがない。


 せいいっぱい仕事をしてきたのに、あの時間は無駄になった。あの時間を返して欲しい……。


 奈々子はグローブにむかって、拳を繰り出し続けた。


「俺にもやらせてくれ」


 太一の声はよく通る。ゲームセンターのけたたましい音のなかで、太一の声だけがはっきり奈々子の耳に聞こえてきた。いつの間にやってきたのか、太一が背後に立っていた。奈々子は黙って太一に順番をゆずった。


 スーツのジャケットを脱ぐなりネクタイをゆるめ、シャツの袖をまくりあげた太一は、マシーンに殴りかかっていった。


「駅前にさっ、うまそうな焼き鳥の店っ、みつけんだけどっ、今日寄ってかねっ?」


 太一は奈々子の倍のスコアをたたき出した。


「おごりならね」

「おごるよ。リストの借りもあるし」

「結局、使わなかったリストで、私、役には立ってないけどね」


 太一の最後のパンチは最高記録を叩きだし、ふたりはゲームセンターを後にした。

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