第11話 トイレ、借ります

 なんか悔しい気持ちがしないでもないけど、謝ろう。


 奈々子はそう決めた。悪いことをしたわけではないが、コミュニケーション不足だったのは確かで、頼まれもしないのに一方的に太一の仕事に手を出してしまったのは奈々子が悪い。


 何と言って謝ろうか。奈々子が口の中でもぐもぐとセリフを考えているうちに、太一がエントランス前までやってきた。


 奈々子をみるなり太一は


「悪りぃ、トイレ借りていい?」


 と言った。


 暗がりから現れた太一の思いつめたような様子に、何を言われるのかと体をこわばらせた奈々子は、足元がすくわれる思いがしていた。


「い、いいけど」


 奈々子が部屋の鍵を開けるなり、太一は案内されるがまま、トイレにかけこんだ。


(あと少しで自分のマンションなのに、我慢できなかったのかしら?)


 太一は、奈々子のマンションを少し行った曲がり角を行った先に住んでいるはずだ。


 お茶ぐらいは出したほうがいいかと奈々子は思ったが、よくよく考えてみれば、夜遅く、独身の女性の部屋にあがりこんでいる男性を歓待しなければならない理由がない。太一は恋人でも何でもない、ただの仕事仲間なのだ。


 それとも、太一はトイレを口実に奈々子の部屋にあがって、とよからぬことを考えていたのだろうか……。


(トイレ借りにきただけよ、あとはさっさと帰ってもらって―)


 リビングで奈々子がそわそわしていると、さっきまでの青ざめた顔色はどこへやら、すっきりした様子の太一がトイレから出てきた。


「トイレの電球、切れてるぜ」

「あ、そうだった」


 今知ったような顔で奈々子は聞いていたが、実は一週間前から切れてしまっている。換えないといけないとおもいつつ、奈々子の背では届かないのと、別に生活に支障がないのとで、ほったらかしにしてある。ユニットバスの風呂に入るときには、キャンドルを使った。かえってリラックスできる。


「…あのさ、ありがとな」


 居残られたら……という奈々子の心配をよそに、太一はさっさと玄関先へむかい、靴を履こうとしていた。


「トイレのことじゃなくて、イヤ、トイレもそうだけど、リスト…な」

「うん」


 パンプスを脱いだ奈々子と太一の身長差が5センチ開いていた。いつもにもまして、太一の横顔が遠い。


「私こそ、頼まれもしないのに手伝ったりして、ごめんね。一言、きけばよかったよね」

「俺ら、チームだし。お互い、できることをやって補っていくっていうかさ」

「うん」

「できない時は、助けを求めてもいいよな……」

「うん」

「じゃ、また明日な」

「うん……」


 来たときとは打って変わっての笑顔で、太一は奈々子の部屋を後にした。


 カーテンを閉めようと窓際に近寄った奈々子は偶然、マンションを出ていく太一の姿を目にした。暗がりで姿はよく見えないが、大男の影は間違いなく太一だった。太一は、自宅のあるはずの方角とは逆の方向、駅にむかって歩いていた。


(コンビニにでも寄るのかな?)


 その時の奈々子はそう思っていた。

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