第6話 少年少女の秘密

 動揺した。おもわず森谷を見る。

 いつもは剽軽でちゃらけた彼も、いまは将臣のことばに同意するように、ウンウンと深くうなずいている。恭太郎たちと初めて会ったという離島にて、彼はそれを実感する何かを経験してきたようである。

 沢井はふたたび将臣に視線を戻した。

 いまだに彼の右手がフォークを握るようすはない。

「人心の声に対する知覚──これにはさすがのヤツも、参っちまうそうです。耳を塞いだところでどうにもならず、ただ人々が思うままの声が自然と耳に入ってくる。まあ、無理にでも聞かないようにすれば、我々が虫の音をBGMだとおもうように、わずらわしい雑音程度にしか聞こえないそうですが」

「秋の夜長に聞く田舎の虫の声は地獄やで……」

「ええ。だから恭は、人混みが嫌いなんですよ。物理的に人間が少なければ、その声だって聞こえてはこないから」

「…………」

 まさか。

 と、一笑に付すことは簡単である。しかし彼らのこの反応。およそ自分を担ごうなどという意図は見えない。正直なところ、あの恭太郎ならばそのくらいの力を有していてもなんら違和感はない──という気もする。おもえば昔から、あの少年は人と違う空気を纏っていた。

 沢井の葛藤を見透かすように、将臣が苦笑する。

「そんなだから、その定食屋でも一花の声を聞いたのだとおもいます。──一花が聞かせたといった方が正しいかもしれないけど」

「……分からねえが、とりあえずは分かったよ。でもそしたらさっきの、“イッカだけが聞けたもの”っていうのはおかしくねえか。恭のヤツの方が耳がいいなら、イッカだけが聞けるってのは──」

「沢井さんは……話が早くて助かります」

 と、なぜか将臣はすこし感動したように目を見開いてから、ふたたびいつもの無表情に顔を戻した。

「恭太郎が聞けるのはあくまで、この世にある物理的なものから発せられる音のみです。人心の声は例外ですけど、それも一応生きた人間の声ですしね。しかし一花はその限りではない。この意味分かりますか」

「…………それは、怖い話か?」

「あ、苦手ですか?」

「いや、そういうわけじゃねえが。仮にも刑事がそういうオカルトめいた話を真剣に聞くってのもな……」

 苦笑まじりにつぶやいてみる。

 が、将臣はいたって真剣な面持ちで首をかしげた。

「オカルト、科学──あくまで常人が偉そうに区分けしたにすぎない分類に、思考を縛られるのはおろかでしょう。現実の事象は時として、人知を越えるときがある。たかだか数百年しか知られていない科学で、この世のすべてが分かるなんて思考は傲慢がすぎるのでは?」

「いや、なんだ。お、俺だってなにもそこまで科学信奉者ってわけじゃねえよ。ただ、刑事がホシをあげる際にもっとも必要とするのは物証だ。いまの世界じゃ、現実的に存在するものがすべてなんだよ」

「承知しています。ただ、オカルトと一括りにして、少女に起こる事象に真剣に向き合わないのは、科学を言い訳にした怠慢だとおもうのです。それが自身の認識領域を越えていたとしても。そもそも心霊だのオカルトだのという世界については」

「わ、わかった。分かったよ。真剣に聞く!」

 やけくそに答えた。

 これ以上、この理屈屋の弁舌に責められてはかなわない。まったくどこが高校生だ。口だけならもはやりっぱな学者様である。腹いせに森谷をにらみつけると、彼はニヤニヤとわらってこちらを見ていた。

 野郎。かつて自分もおなじく論に巻かれた口か。おなじ目に遭う同僚がおかしくって仕方ないと見える。

 将臣もまた確信犯なのだろう。

 いじわるく目元をにやつかせて、スミマセンと口だけの謝罪をした。

「沢井さんが真面目に聞いてくださるので、つい」

「いまおまえが真剣に向き合えって言ったんだろうが!」

「ははは……ええ。いや、こんなガキの屁理屈に付き合ってくれる大人なんだなあとおもって。あいつらが懐く理由が良く分かりました」

「…………、いいから続けろ。イッカの話だろ」

「あ、ハイ」

 スミマセン、と今度は心を込めた謝罪をし、将臣はつづけた。

「お察しのとおりですが、一花は第六感といいますか──チープな言い方をすれば霊感が強いんです。彼女は霊であったり、残留思念であったり、そういった、いわば目に見えないものの想いを受けとることに長けている」

「…………」

「アレが話しベタですから要領を得ないことも多いですが。しかし沢井さんもご存じでしょうけれど、一花は嘘をつかないので」

 それは感じ入る。

 警察組織に身を置いてから、数多の被疑者を相手にしてきたが、嘘をつく人間とそうでない人間はまず見分けられる──という自負もあった。

 その自負のなかで、数年前、彼らとの一時の関わりのなかでおもったのは、一花も恭太郎も決して嘘はないということ。彼らは自分にも他人にも、決して嘘をつかずに生きているということである。

 一花は、と将臣が目を伏せる。

「そういう体質なのか、妙にそういったものに好かれる傾向にあるようで。おまけにあれでなかなかのお人好しなもんだから、これまでも厄介に巻き込まれることが多かったんです」

「厄介?」

「こないだの事件もそうやろ。離島の──」

「あれは……これまでの厄介のなかじゃ飛びぬけて大災厄でしたよ。さすがの一花もすっかりトラウマになっちまいました」

「そらそうやで。大人のオレでさえ、もう人形は勘弁やし」

「その離島の事件ってのは、そんなにひどかったのかよ」

 休暇明けの森谷が、開口一番「えらい目に遭った」と喚いていたことは記憶にあたらしい。が、そのときの沢井はどうせいつもの誇張にまみれたささいなことだと、気にも留めていなかったのである。

 ひどいなんてもんやない、と森谷は頭を抱えた。

「くわしくは飯の場やし省くけども。あれは──ほんまに人知を越えてきたと思うたわ。正直な」

「…………」

「まあ、幽霊というのは……人が死んでいるからこそ存在するわけで。そんなものが一花のまわりに集まってくるので、必然的に人死にに出くわす確率も高いんですよ」

「コナンくんかよ」

「あの死神といっしょにしないでやってください。一花はあくまで、人死にが先にあるんです」

 信じようと信じまいと。

 そんなあいまいな、どっちつかずのことばが脳裏をよぎる。しかし沢井のなかに湧き上がる想いは、信じるか否かよりもなによりも、

「イッカがあれから、そんな経験をたくさん乗り越えてきたとはな──」

 という感慨であった。

 彼女が放蕩少女だった当時は、すべてをあきらめたような、すべてを捨てきったような面持ちで歓楽街をさまよっていた。親への鬱屈した感情と思春期特有の葛藤がない交ぜとなり、ただなんとなく、この世界の流れのままに自身の人生すべてを任せているようだった。

 そんな一花が、恭太郎や将臣に支えられ、だれかの想いに寄り添って(不可抗力によるものだそうだが)困難な壁を乗り越えてきたのだというではないか。沢井はひとりで感傷に浸ると、うんうんと意味なくうなずいた。

「そうかそうか。イッカ、良かったな」

 え、と森谷が眉をひそめる。

「話聞いとった? 厄介に巻き込まれてめいわくしとるっちゅう話やったんやけど」

「でもそれをなんだかんだ、恭太郎と将臣が解決してくれたんだろ」

「勘弁してください。おれも恭も、まだ高校を卒業したばかりのガキなんですよ」

「こうして話してるかぎりじゃりっぱに大人だよおまえは。俺が保証する」

「そういうことが言いたいんじゃありません。このあいだの離島の事件もそうですが、なんとなく……一花が引き寄せているものの規模が大きくなっている気がして」

 めずらしく理屈屋の顔がこわばる。

 それで、と沢井は先をうながした。この話の終着点が見えない。

 だから、と将臣の声にわずかだが苛立ちがこもった。


「今回一花が聞いた旋律──これも何か、とんでもないものが裏にあるような気がしてならないんですよ」

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