第4話 大食漢の弁舌屋

 藤宮家は、財政界御三家の内の一つである。


 ──という通説は財政界に疎い沢井でも知っている。新時代に突如流星のごとく現れた現当主、藤宮丞太郎ふじみやじょうたろうが一代で築き上げたその名声は、ここ数年至るところで目にするようになったその名を冠するグループ会社がありありと証明していた。

 経済成長が横ばいから低迷に落ちぶれた日本国家において、その復活を予感させてくれる、いまもっともホットな経営者である。


 さて。

 大きなヤマを終えたばかりの沢井と森谷は、あれから午後中通して報告書作成に明け暮れた。上が納得するものが出来上がるまで慣れぬパソコンとにらめっこしていただけに、沢井の眼精疲労は限界である。

 とはいえここ数週間、捜査本部に詰めていた労をねぎらってか、課長がめずらしく一時間残業のみでの帰宅を許してくれたこともあり、いまは森谷の運転で夕食会場となる場所へと向かっているところだ。

 話題は昼間のふたりから『藤宮家』に移っている。

 びっくりしたで、と森谷はハンドル片手に苦笑した。

「島で会うて、話を聞いたらあの藤宮家の子息っていうやんか。もうお父上の口利きで転職斡旋してもらおか思たわ」

「辞める気もねえくせによくいうぜ。まあ、あいつが藤宮の子息だってことに驚いたのは同意だけどよ。どう見たって恭が藤宮の後継なんて結びつかねえしな」

「後継にはならんやろ。アイツ、兄姉いっぱいいてるし」

「え、そうなのか」

 缶コーヒーを飲む手が止まる。

 おいおい、と森谷は横目で呆れたような声を出した。

「昔から知っとるわりに情報少なすぎるやろ」

「しかたねえだろ、そもそもガキの補導だって少年刑事課の仕事じゃなかった」

「藤宮家の子どもは全部で五人。長男、あいだに三人官女を挟んで末っ子があの恭太郎や。長男はもう三十半ばやろうから、けっこう歳離れとるよなァ」

「へえ──仕事は?」

「長男は医者、長女が法医学医、次女が幼稚園教諭、三女はフリーカメラマン」

「ずいぶん……」

 華々しいな、と言いかけて口ごもる。

 言いたいことはわかる、と森谷はしみじみうなずいた。

「おまけにみんなぶったまげるほど粒ぞろいやしな。末っ子の顔見たらわかるけど、血筋っておそろしいで」

「見たことあんのか」

「三女以外は。長男は病院のホームページに顔出ししとるし、次女もどっかで写真見てん。長女は──帝都中央医科大学で見たことあるやろ?」

「帝都…………ああ。法医学医って、解剖立ち合いで一回だけ会った。そうか、あの執刀医は藤宮っつったか」

「マスクでよう分からんかったけど彼女もえらい別嬪さんらしいやん。まあでもたしかに、みんなもれなく職もちやさかい、逆に後継らしい後継がいないってうわさもあるけどな。この調子やとほんまに恭太郎が継ぐかもしれんぞ」

「商才があるようには思えねえがな──」

 と、沢井がぼやいたところで車は高級ホテルの駐車場へと入ってゆく。

 食べ放題に行く、とだけ聞いていたがまさか高級ホテルのビュッフェだったとは。おまけに金は相手の分も含めて森谷持ちだという。そこまでの接待をする必要がある相手なのか、と沢井はシートベルトに手をかけながら眉をひそめた。

「アホ、卒業したとはいえまだ高校生やで。こないホテルの食べ放題代金を割り勘する大人がどこにおんねん。今日はオレが誘ってもうたから龍クンの分もおごったるけど、お財布が寒々しいわ」

「だったらこんなバカ高ェとこじゃなくてもいいだろ。恭の友人さながら、よほどのお坊ちゃんなのか」

「とんでもない。些末な寺院の息子ですよ」

「へえ。寺の、……」

 沢井は森谷を見た。

 彼はぶんぶんと首を横に振る。

 たしかに、落ち着いたトーンでややゆっくりと話す口調は森谷とは異なる。沢井と森谷は同時にうしろを向いた。

 ベージュのインナーに黒ジャケット、黒いスラックスを着用した素朴な青年が微笑を浮かべて立っている。敏腕刑事と褒められる沢井に気配すら気取られず、これほど近くに寄るとは。目前の微笑に妙なプレッシャーすら感じて、沢井はわずかにたじろいだ。

 対する森谷はよかったァ、と安堵の顔を浮かべる。

「まークン。ようひとりでたどり着けたな!」

「タクシー使いましたよ。自力で行けるって言ってるのに、それだけはやめろって森谷さんが再三うるさいから……」

「当たり前や。お前さんは賢い電子辞書のような男やけど、地図はいっさい無搭載やからな」

「…………」

 わずかに森谷へ不服の目を向ける。

 それから、奇妙な熱をはらんだ切れ長の瞳がゆっくりと沢井へと向けられた。

「こちらがメールにあった?」

「そ。オレの同僚」

「沢井だ。勝手に同席することになっちまって、わるかったな」

「とんでもない。森谷さんとふたりというのもぞっとしないし、なによりあのふたりが世話になった人だと聞いてどんな方か気になっていたんです。……改めまして」

 浅利将臣あさかがまさおみと申します、と将臣はゆっくりと頭を垂れた。

 所作ひとつひとつに無駄がない。寺院の息子と言っていたが、果たしてそれだけで一介の高校生がこれほどの落ち着きと品格をまとえるものだろうか。沢井はつられて頭を下げた。

 おし、と森谷が手のひらを打つ。

「ほな自己紹介も済んだことやし行こか。はー腹減った!」


 ※

 沢井は目をうたがった。

 すらりと細身な身体の将臣が、大皿に料理を盛る。これは一度目ではない。三度目だ。食事がはじまってから、それなりに話しているにもかかわらず、山盛りに盛られた料理を恐ろしいスピードで食べつくし、現在二度目のおかわりに立っているところである。

 いったいあのごぼうのような身体のどこに入るのか──と、沢井はようやく一皿食べ終えた自身の中皿を見下ろして、おもわずため息が漏れる。ほどなく席に着いた将臣は、初対面のときの大人びた無表情はそのままに、しかし瞳の奥は少年のように爛々と輝いている。年不相応な男だとおもっていたが、その胃袋と本能は男子高校生らしい。

 慣れているだろう森谷も、うんざりした顔でフォークをぷらぷらと揺らす。

「なんでそないに食って痩せてんねん。詐欺やろ」

「育ち盛りの高校生ですから。代謝がいいんです」

「羨ましいわァ。オレなんかすこし筋トレさぼるとすぐ腹に肉つくのに。龍クンならこの気持ち分かるとおもうけど」

 と、話を振られて沢井は「ああ」とあいまいに答えた。

 それよりも気になるのが、いまだ手を休まず食いつづける将臣である。その食いっぷりはもはや化け物だ。

「多少なら太ってもいいじゃないですか。痩せているよりは貫禄があっていいと思いますよ」

「嫌やァ。モテへんくなるし」

「体形とモテ非モテは比例しませんよ。モテない理由が体型にあるとおもっている人は、問題の根本がその性格にあることに気づいてないものです。そういう人は、どうせ痩せてもモテません」

「辛辣やな」

「何事も考え方次第ってことです。太っている自分を見てデブスと落ち込むか、貫禄があって良いと思うか。それひとつで顔つきがガラッと変わる。人間、考え方で幸にも不幸にも――というか森谷さんだって、痩せの部類に入ると思いますけど」

「オレはきちんと鍛えとるからスタイルが良う見えんねん。細マッチョって言うてくれ」

「嫌です」

「…………」

 あっという間に。

 先ほど大皿に盛られた料理が、もうなくなっている。食べながら喋っているようすはなかったが、あれだけ弁舌滑らかに話すなかでいつ食い終えたのか。ずっと見ていたはずの沢井にも分からない。

 ところで、と将臣も大皿を眺めながらつぶやく。

「本題は──あのふたりの件ですか」

「えっ」

「懐のさむい貴方がわざわざ、おれの分ならまだしも、用もなしに沢井さんの分までおごるわけはないとおもって。違いましたか」

「ほんっまにかわいくないわァ自分。……分かっとんねやったら本題入る前に飯、取ってきい。絶対話しはじめて二分後に中断すんねや」

「さすが捜査一課の洞察力ですね。おれもそう思います」

「ムカつくなァ、もう!」

 四皿目。

 席を離れる将臣の背中を眺めながら、沢井は唖然として「まだ食うのかよ」とつぶやいた。

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