アラヤ日本支部統括長の受難

 岡弓鳳は、とある人物のもとを早足に目指していた

 胸の内に渦巻くは疑念。思考を占領するは驚愕。

 アラヤ日本支部のトップとして常に毅然としなければならないが、今回ばかりはそうも言ってられない。


(魔獣が凶暴化して前線壊滅? 日本支部が新前線構築? フランス支部が話を通さず新型解放学兵器を持ち込む? 真宵君の一撃で本獣討伐? しかもメリュ・フォーサイスを覚醒させた? 何が起こっているんだ本当にっ!?)


 緊急連絡として知らされた怒涛の情報量に、鳳は目を回すばかり。

 電源を切っている端末も、先ほどまでは恐ろしいほどに鳴り響いていた。各国政府やアラヤ支部、日本国内からも凄まじいコールの嵐。正直怖くて二度と電源を入れたくない。

 一番わからないのは、真宵が本獣を討伐したという点。ナンバーズレベルの解放力者を隠していたといきなり怒鳴られた。理不尽だ。

 真宵は解放力者ではない。それは検査の結果と過去の記録を踏まえての事実。

 だがここにメリュ・フォーサイスイギリスナンバーズ10が入ると話は違う。世界でただ一人、使。それがメリュ。

 もし真宵がメリュと同じ特異性を持っているのならば、話は凄まじいほどややこしくなってしまう。強大な力ならば尚更のこと。

 その事実確認も含めて、全てを観ていた可能性の高い人物を訪ねているのだ。

 目的の扉まで着いた時、プライベート用のウェアラブル端末に秘匿回線で通信が来た。

 相手を見れば数少ない親友である神谷ミアだ。

 焦燥の熱に当てられながらも、通話に出る。


『おどれ鳳ぃぃぃいい!! 何企んどるや言ってみぃぃいいい!!』


 怨嗟の鬼もかくやの絶叫。鳳の自制心も吹っ飛んだ。


「何の話だふざけるのも大概にしてくれぇぇぇえ!!」


 取り繕う仮面すら投げ捨て、いい大人二人の絶叫が響く。


『まぁだ逃げよるか鳳ぃぃぃいいいッ!! なんであいつをティーチャーなんぞにしたんやぁぁぁああ!?』

「あいつって誰のことだよぉぉおお!!」

『ふざけんなボケぇええええ!! あいつの過去知っとって働かせたんかぁぁぁぁああ!?』

「だから誰の話だよぉぉぉおおお!!」

『三日月真宵のアホンダラに決まっとろうがしばくぞぉぉおおお!!!』

「だから今まさに琴業君の所に来てるんだよぉぉぉぉおお!! もう切るからねぇぇぇええッ!!!」

『はあぁ!? 待てやこの——』


 肩で息をしながら通知を切る鳳。なんかうん、お疲れ。多分ミアの方であらぬ疑いが生まれているが、今は忘れてくれ。

 息を整え、鳳はインターフォンを鳴らした。


『……だれ』

「僕だ。少し聞きたいことがあるからいいかな?」


 少し考えるような間が入り、鍵が開く音がした。入室許可の証だ。

 扉をくぐり20メートルほどの廊下を進めば、頑丈な密閉扉が先を塞いでいる。認証装置はあるが鳳は登録されていないため開けられない。しかし部屋の主が操作したのだろう、分厚い金属扉は音もなくスライドした。

 薄暗く、巨大な機械によって圧迫感を受ける部屋。部屋自体は広いのに、さまざまな機械やモニターによって人のいられるスペースが異様に狭い。

 そんな限られたスペースに、一人の少女が座っていた。


「……なんの用」

「君の力を借りたいんだよ、奏君。ナンバーズ3の君にしか確認できないことなんだ」


 無表情で視線すら向けない。いつものことだ。

 話は聞いていることを知っている鳳は、気にせず言葉を続ける。


「次は何処」

「各国合同任務の現場だよ」


 珍しいことに、奏は結果報告以外の意思を以て鳳に視線を向けた。

 奏の瞳が僅かに輝いて見えたのは、モニターの光ゆえだろうか。


「……今観てた」

「……話が早い」


 観ていた、というのは比喩でも何でもない。

 日本ナンバーズ3、そしてオリヴィエ同様世界ランキング4位タイに座す超越者こそ、この琴業奏なのだから。

 彼女の解放力はまさに地球規模の代物。

 

全球解析者ガイア・アナリスト


 制限はあれど、地球上の事象を文字通りする。

 流石に個人個人を追跡するのは難しいが、とある条件さえ満たせば問答無用で情報を得られる。

 

「真宵君に関する情報がほし——」

「無理」


 鳳の言葉を、奏はぶっつりと叩き切った。

 目を剥く鳳に、奏は無感動な顔で首を振る。


「何故だい……!? 君は真宵君に“マーク”を付けていただろう……!?」


 それは真宵が任務に赴く前、合同任務前会議での話だ。

 そこで奏は真宵にとある画面の映し出された端末を見せた。それこそが個人追跡を可能にする条件だ。

 正確には、対象の脳に保存される“情報体”こそがマーク。マークをつけられた生物は脳を損傷するか情報体消去を行わない限り、奏の解放力から逃れることはできない。

 ならば何故、マークを付けられたはずの真宵の情報を、奏は渡せないのか。

 感情ではない。理由は単純。


「マークなら消された」


 今日何度目かもわからない驚愕、鳳は表情筋を引き攣らせる。

 大声で問い詰めたいことが沢山浮かぶが、多すぎて逆に言葉が出てこない。

 思考が混乱するほどに、マークが消されたという要素は強大だった。


「……いつの、話なのかな?」


 結局出てきたのは、そんな質問。


「会議室出た直後」

「何故その時言わなかったんだい!?」


 思わず大声が出た鳳に、奏は眉を顰めた。

 鳳は自分を戒める。

 相手は世界ランキング認定者ワールドランカー、しかも鳳よりも上位。本来ならば鳳が傅くところを、奏の良心で下についてもらっているに過ぎない。


「すまない」

「情報体を消す解放力。そんなものがあるのかずっと観てた」


 奏の表情はいつも通り。鳳は許されたのだろう。


「どうだったのかな」

「わからない。それが答え。解放力は多分あるだろうけど、考えられる選択肢があまりにも多過ぎる。異常、多彩、特異。参加していた魔術師メイガスがもう一人いたのかと思った」

「オリヴィエ君が……」


 万能者たる魔術師メイガス。世界ランキング4位タイ、オリヴィエ・パラメデス・ローズブレイド。

 ときに空を飛び、ときに物を操り、ときに傷を癒す、不可能などないかのような応用性。『解放戦力は一人につき一つ』という大原則を犯すかのような、万能とも思える能力。

 世界ランキングの中でも一際不可思議な解放力を持つ彼女、真宵はそれに匹敵するかもしれないらしい。


「何より魔獣を討伐した一撃、観測点が一時的にズレた。日本ナンバーズ6イトナと同じ、次元情報の改変か空間断裂の可能性が高い」

「ッ——!」


 鳳は絶句した。

 それはもはや、ナンバーズに準ずる解放力だ。しかも能力の底を見せていないならば、世界ランキングにさえも……

 ……真宵の評価が爆上がりしているが、忘れてはいけない。あいつは紛うことなきポンコツである。全力で真面目に勘違いを振り撒く天災ポンコツなのだ。


「支部長は、真宵を?」

「い、いや。セントラルビルは基本僕の解放力が使えないし、直接会うことも……」

「それって本当にたまたま?」


 本当にたまたまです。これに関してはルヴィも関わってません。

 それを知らない二人の中で、真宵の存在がどんどん大きくなっていく。


「……直接、会う必要がありそうだ」

「私も、もっと会いたい」


 奏の一言に、鳳は意外だと感じた。

 彼女は基本誰とも会わず、この部屋でほとんどの時間を過ごしている。奏自身も誰かといることを避けていた。

 鳳の視線に気付いた奏は、簡潔に理由を説明した。


「真宵は私と同じ、そんな気がする」


 奏と同じ。鳳は考える。

 

(奏君には不自由を押し付けている。こんな部屋に押し込めて、表に出すこともままならない。……孤独、か。真宵君も、孤独の中に生きているということか?)


 学習機関に残る資料では、真宵の性格は明るく社交的と記されていた。だが実際会ってみれば、軍人そのものの空気を纏っている。原因があるとすれば、空白の一年間。一年の間に、一体何があったというのか。

 では、鳳が考えている『私と同じ』が正しいか、奏の思考から見てみよう。

 

(怪談白物語が好き……私と一緒。一緒にできたら楽しいかな……うん、楽しみ。友達に、なれるかな? TRPGの練習しておかなくちゃ)


 はい、鳳さんは見事に外していますね。南無。


「……ありがとう奏君。いつも助かっているよ」

「今度は真宵と会わせて」

「…………できる限り善処しよう」


 部屋から出れば、密閉扉は即座に閉まってしまった。

 薄暗い部屋とは対照的な明るい廊下で、鳳は息を吐く。


「これから、少し忙しくなりそうだ」


 二つ目の扉をくぐり廊下から出たところで、電源を切っていたはずの端末から通知音がした。

 鳳の背中に嫌な汗が流れる。

 専用端末が強制起動。それができるのは、アラヤの情報を精査し重要事項さえ決定する世界最高峰の演算機構『ソロモン・ツリー』か、全ての各国アラヤ支部を統べるアラヤ統括局以外は考えられない。

 恐る恐る通知を見れば、ソロモン・ツリーと統括局両方から一件ずつ来ていた。

 もはや顔も真っ青。処刑直前の罪人もかくや。

 見たら絶対面倒事、しかし見なければ厳重処罰も考えられる。

 進むも地獄退くも地獄。味方も道ずれもここにはあらず。地獄の裁定避けるに能わず。

 そんなわけで、まずはソロモン・ツリーの方から。


『三日月真宵の周囲に一体の未確認妖精を確認。メリュ・フォーサイスの解放力とは無関係のもよう。類似解放力の可能性大。B5ランクに再登録された魔獣の討伐結果を含め、指揮官コマンダー評価Sシュレディンガーランク及び任務実行作戦員オペレーター評価Sサリオンランクを統合した『人類守護評価Sサベルイルランク』を新設、三日月真宵を登録するものとする。これは秘匿管理レベル6に相当する——』


 鳳は通知を閉じ、目尻を揉んだ。


「僕はもう驚かない……本当に何が起こっているんだ? 妖精? 冗談だと言ってくれ……」


 思考がめちゃくちゃブレインフォグ。おいたわしや。

 だがここで終わらないのが真宵に関わった者の末路である。

 鳳は残った統括局からの通知を開いた。


『やあ鳳、元気にしてるかい? 面白い子を隠しているじゃないか。ぜひ紹介してくれ。いややっぱり君に頼むのはやめよう。私が直接会いにいくからね! そんなわけで日本に行くから諸々手配よろしく!  P.S. チョコシガーを山ほど用意しといてくれ!    アラヤ統括局最高司令官、ミスティナ・ラングレーお嬢様より』


 実にフランクな文面である。画面の向こうにいるのが、半世紀以上前にアラヤを作った人物とは思えない。

 鳳は自分が端末を床に投げつけないように、先に床へとそっと置いた。

 そして天井を見上げて……我慢の限界がきた。


「どうしてこうなったッッ!!!!」


 真宵とルヴィのせいでございますよ。

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