第26話 唐突に曇らせをぶち込むポンコツ

 午前6時30分。

 おおよそ6時頃に自然と起床したり叩き起こされたりしたオペレーター達が、身だしなみを整えて一階に集合した時間だ。

 日本支部の中では最も階級の高いうえが、揃った人員に挨拶をする。


「おはようみんな。ちゃんと眠れたようで良かったわ。それじゃあ今日も、真宵ちゃんに任せようかしら」

「了解した」


 恒例化しつつある真宵への委託。それに文句を言う人間はいない。当然だろう、ここにいるほぼ全員があの混合実践式戦闘訓練フルランクバトルにおいて、真宵の実力を身を以て知った者達なのだから。あの光景を目にした者で真宵の能力を疑う人間がいたならば、それはあまりにも特異な思考の持ち主だけだろう。

 真宵が一歩前に出る。

 姿を目に映していたオペレーターが、見惚れた。

 濡羽色の中でも一際光沢のある漆黒の髪。シルクのように流れ癖一つないそれは、本当に人間のものかを疑ってしまう。

 スラリと伸びた細い手足。高めの身長の中でそれは、人体のバランス美と機能美を何をするまでもなく実現している。

 切れ長の目の中で凛々しく輝く碧眼。透き通った青空かと見紛う瞳は、磨き上げられた濁りのないサファイアを連想させる。

 日本人にしては少々彫りの深い容貌。傷ひとつない白い肌。キリリと結ばれた唇。

 使い古された言葉だが、“美しい”が最適に思える。

 機能美と芸術美、どちらも兼ね備えた人類の奇跡と言っても良いほどだ。


「不肖の身ではあるが、ここでの行動を述べさせてもらおう」


 凛とした声さえも、“美しい”の一つ。

 だが何よりも、そのカリスマだ。所作の一つ一つ、声の一言一言にさえも宿った、人を惹きつけてやまない上に立つ者の覇気。

 胸に刺さる“力”を備えた指揮官。これほどの存在が、アラヤの歴史上に何人いただろうか。


「今日12時00分ヒトフタマルマルより前線の魔獣討伐作戦が開始する。今回の目標は耐久力に定評があり、長時間の任務となるだろう。しかし私達には直接の関係はない、万事前線で張り切る人員に任せるのが最適だ。我々に任された仕事は別にある」


 これほどの人物の下で動けることが、一体どれほど大きな誇りであることか。


「後方拠点には現在多くの人間が駐留している。支部間のいざこざは勿論、自衛隊との折衝も考えられる。それを未然に抑えるのは至難の業だ。そこで、それを可能にする手段を考えた」


 至難の業と言いながら、可能にする手段を容易く実現する。

 あまりにも無茶苦茶な言葉にも、疑念を抱く人間は少ない。真宵の(実際はルヴィの)神算鬼謀に慣れてきている証拠だろう。

 普通に戻れるかなぁ。それだけが心配だ。


「各員は二人一組ツーマンセルで巡回」


 ここまではいたって普通の指示。


「(ルヴィが)事前に察知した折衝を伝えるので、起こる前に現場に向かい止めろ」


 めちゃくちゃだ!? 手段も指示も無茶振りが過ぎるぞ!?

 百歩譲ってルヴィで事前察知できるのは良い、あの世界最高の知性ならばできないことはないだろう。だが事が起こっていないのに止めるのは、はっきり言って成功するとは思えない。

 お前らも反抗して良いんだぞ。こいつポンコツだから無茶振りするし。


「どうやって止めればいい」


 リアムお前正気かっ!?


「原因の八割は溜まった不満や好悪の感情からくる。それを伝えるので、核心をつく言葉を一つ二つ言えば素直に話すだろう。そうでなくとも牽制はできる」


 多分気付いていないと思うが、言っていることが鬼畜過ぎるぞ。

 相手の視点から見れば、自分の内面を抉られた上で話せざるを得ない状況を強制され、拒否しても思考を読まれたと考え下手な行動ができなくなる。実に悪辣で人の尊厳を犯す行いだ。

 おそらくこれを実現可能なレベルまで持っていったのはルヴィなので、ただ単にルヴィが悪辣なのだろう。あの脳内AIやば過ぎだろ。人権を何だと思っているのやら。人間じゃないので規則に縛られないか。


「各支部からの反感はどうするつもり?」


 悪辣さを瞬時に理解した茜が、真宵へと問いかける。


(反感? どうするのルヴィ?)

【『三日月真宵の指示で来た』の一言を言えば、不満は全て貴方に向きます】

(何それ嫌なんだけどっ!?)

【もう会うこともない人間から不満を向けられても、何も問題はないでしょう】

(確かに!)


 ポンコツちょろ過ぎだろっ! もっと良く考えろ、ぜぇったい後悔するぞ。

 だが悲しきかな。真宵ポンコツはルヴィを途轍もなく信頼しているのである。後で後悔する事など思考の外に放り投げるのだ。


「『三日月真宵の指示で来た』と言え。不満は全て私に向けられ、何の損失もない」


 あーあ、言ってしまった。

 口にすることは考えるべきである。例えば、“それを聞いた人間が何を思うか”とか。


「真宵ちゃん……! それは……」


 (真実とは異なる)裏の事情を知っているうえが、真っ先に反応した。

 そのもの悲しげな表情を見て、オペレーター達も真宵の言葉が何を示すのかを理解する。

 大勢からの不満や疑念、思惑などを一人で受け止める。つまり真宵は、自ら“生贄”になろうとしているのだ。まるでそれが、日常の延長線上にある当然の事項であるかのように。


「何か問題があるか?」

(これっきりの関係だし、別に私も……いやちょっと気遅れするかなぁ)

【ですが?】

「何も問題はない」


 ああそうか。この人はそういう人だった。

 自分の事よりも他人の事を想える優しい心を、その冷静な表情の下に隠し持っている。だからこそ、こんな選択肢を何の躊躇いもなく選んでしまう。自分を犠牲にする事を、真っ先に選択できる。

 何も問題はない?

 各国支部に目をつけられて、問題がないはずがない。

 東堂茜ナンバーズを打ち破った事もその内知れ渡るだろう。その規格外の評価ランクもいつまでも隠し通せるものではないはずだ。

 そして何よりティーチャーの立場は、指揮官やオペレーターのそれより強固に守られているわけではない。つまりは外部からの干渉を受けやすいということ。

 真宵の実力ならばいつか海外任務に派遣される可能性もある。

 何らかの問題が起こるのは、確実なのだ。


「そんなこと真宵ちゃん一人に押し付けられないわ」


 うえが毅然と言い放つ。その表情に、悲しげな色を滲ませながら。

 コマンドティーチャーに成ってから三年、うえも生徒を失った経験は当然ある。

 だからといって、いやだからこそ、誰かを犠牲にする苦痛は耐え難いものだ。

 深い悔恨の記憶の中に見える生徒や同僚の顔、誰も彼もが苦痛の中で——笑みや困った顔をして、“残してしまってすいません”と言っている。実際に通信で聞いた最後の言葉でもあるその言葉が、耳の中で反響している。

 もう二度とその言葉を聞くまいと願いながら、何度悔しさに机を叩いただろう。


「私達で負担を分担する方が良いわ」

【インパクトが足りません】

「インパクトが足りない」

「だったら私の指示なことにして。これでも上位教師だもの」

【樽井うえの能力は全て把握されています。同時に“未知”が足りません】

「うえティーチャーの能力は知られている。同時に“未知”が足りない」

「真宵ちゃんが背負わなくても何か方法があるはずよ。一緒に考えましょう」

【これが最適解です】

「これが最適解だ」

「そんな事はわかっているのよッ!!」


 部屋に響き渡る叫声。

 そうだわかっている。真宵の提案がどれほど合理的かなど、とっくに理解しているのだ。

 ワールドランカーオリヴィエのお墨付きまでもらった正体実力不明のティーチャー、これほど警戒を与える存在もそうそういまい。そんな人間からの指示だと言えば、下手な動きはほぼ確実に止められる。そしてヘイトはほぼ全て真宵に向き、うえ達への反抗や干渉もある程度抑制される。

 同時に問題は事前に止めてしまえるという。真宵ならば可能なのだろう。

 完璧だ。表面上だけとはいえ、今までないほどに平和的になる。任務終了までの期間に限ってしまえば、これ以上ないほどに“最適解”。

 ただ一人、真宵が犠牲になることを除けば。


「だけど別に真宵ちゃんじゃなくたって……!」


 その一点が、受け入れられない。


「うえティーチャー……」

「わかってるわそれが最適なんて……真宵ちゃんが考え抜いた末の答えだって、ちゃんとわかってるの」


 すまないうえ、真宵は何も考えていない。

 真宵お前も心の中でポカンとするな。うえが可哀想だろ。


「私達に負担がないように考えた結果でも、自分を大切にして欲しいのよ……?」


 すまないうえ! 真宵にそんな崇高な思いはない!

 巡回警備も勝手に言い出した事だし、自分は裏で安全に指示だけして楽しようとしているのだ。むしろうえ達の仕事を、ビクビクしながら増やす側だ。

 何故こんなことをしているのか。新米ティーチャーは成果報酬システムなんだよ。これで察してくれ。

 実は茜ぶっ飛ばした時点で年俸制+成果報酬制システムに変わっているのだが、そんなこと真宵は一切知らない。急なことなので人事システムも追いついていないため、そもそも通知すら来ていないのだ。


「みんなで一緒に頑張るのが、仲間でしょう?」


 すまないうえぇぇええッ!! 真宵はアホなんだぁぁああ!!

 さて、そんな善性を真宵はどう受け取ったのか。


(そんなに……そんなに……私の事を考えながら給与アップに協力してくれるなんて!!)


 こんのドアホがぁァぁあアッ!!

 ルヴィ! お前は真宵がそれで良いのかルヴィ!?


【…………っ】


 ウケやがってよぉこの野郎。愉悦ってんじゃねえぞ!

 周りの悲壮感が半端ないせいで、空気感が最悪なんですけど!? 少しは何とかしてくださいませんかねぇ! しない? さいですか。


「君の言葉はわかった」

「真宵ちゃん……」


 少しだけ明るい顔を取り戻したうえ。だがその表情は、続く言葉に再び影を宿す。


「だが言葉は取り下げない。これが最適解であり、最も私に利となるからだ」

(ルヴィが言った通りにしないと、後が怖いからね。こういうのは低オリジナリティで)


 ルヴィ依存症な真宵である、ルヴィの言葉には思わず従ってしまうのだ。つまりは深く考える事を放棄する。

 しかしうえ達はそう受け取らない。必死に仲間を庇おうとする、自己犠牲の塊に見えるのだ。

 何だこの温度差は。地中海とアイスランドぐらい平均気温(概念)に差があるのでは?


「そう……そうなのね……。そんなに……ッ!」


 私達は頼りない存在なの?

 その問いは、口にはされなかった。

 誰もが悔しさと自己嫌悪で、歯を食いしばる。

 不甲斐ないのだ。自分達の力は真宵の遥か下で、見ている視点すらどうにもならない。AランクもBランクもCランクも関係なく、等しく庇われる立場なのだから。

 バスで吐き出してくれたのに、結局は助けになる事すらできない。

 力あるだけで背負わせてしまう己が、何よりも許せないのだ。


(なんか空気悪くない?)


 今更かい。


【貴方のことを心配しているようです】

(や、やさし過ぎじゃないですかぁ)


 その優しさをぶち壊している自覚を持った方が良い。


「安心しろ」


 感謝と安心材料を提供する為に、真宵が口を開いた。遅いわ。


誰とも知らぬ不満リスクを遥かに凌駕するお金メリットが得られることは確実なのだから。心配するだけ無駄だ。不満など何処かに飛んで帰っていくだろう」


 安心させる為の方便……というわけではないようだ。

 だって、真宵は笑っていた。薄くではあるが、そこには美しい微笑が浮かんでいる。

 部屋を見渡したのだから全員が見ている。それが嘘だとは、どうしても思えなかった。


「不満などいつまであるものか」

【本日16時までです】

「そんなもの本日16時00分ヒトロクマルマルまでだ。……?」


 具体的過ぎる時刻設定に、真宵を含めた部屋の全員が内心首を傾げた。


「それは、どういうこと?」

(どういうこと?)

【その時になればわかります。ついでに巡回もその頃には終えて集合した方が良いでしょう】

(何もわかんないよ!?)


 ルヴィの気まぐれにツッコむ真宵。

 しかし周りにそんな姿は見せられない。いつものポーカーフェイスでなんか誤魔化す。


「ふ、楽しみにしておいてくれ。ついでに言っておくが、その頃には巡回を終えて集合してくれ。何か大きな事が起こりそうだからな」


 流石は真宵、ルヴィとの付き合いが長いだけはある。経験から厄介事が起こりそうな気配を見事に感じていた。


「……一つ確認するわ。それは真宵ちゃんにとってプラスになるのね?」

【最高の結果になるでしょう】

「ああ、最高の結果になるだろう」


 視線を合わせる真宵とうえ。

 真宵が本当は鼻の頭を見ている事など感じさせない真剣さの中、うえはため息を吐いて「いいわ」と結論を出す。


「今回は納得してあげる。でも、真宵ちゃんが自分を大切にしなかったら私達は怒っちゃうわよ」

「それこそ問題はない。私は臆病だからな」

(その“臆病”が、“仲間の犠牲”にだった人が沢山いたのよ)


 そんな考えが浮かぶが、うえはそれを振り払った。

 信じると決めたのならば、最後まで生徒を信じる。それが“教育”だからだ。


「話を逸らしてごめんなさい。続けてくれる?」

「それでは、本日の行動を決める」


 キリッとした表情を作る真宵。


(どうすればいいの?)


 色々と台無しだ。


【では最適解を述べさせていただきます。まず——】


 ルヴィの発言を何とかこうとか噛み砕き、真宵は自分の言葉に置き換えた。


「バディはこちらで決めさせてもらった。詳しくはこの紙を見てもらう」

「これは……」


 真宵がポケットから出した紙を、リアムが受け取る。

 そこには二人組バディの名前と、横には別の文字が書かれていた。


「この横の“ヴィークル”とはなんだ」

「横にあるのは調達あるいは達成してほしいタスクを表している。“ヴィークル”は文字通り移動手段の確保、自衛隊などに要請して16時00分ヒトロクマルマルまでに調達してくれ」

「“アグリーメント”いうのはなんなんです?」

「浦賀のバディには巡回の合間にスイス支部に頼み、白紙の契約書を貰ってきて欲しい。『a4-dアルフォーディン契約書』と言えばわかる。こちらは13時00分ヒトサンマルマルまでだ」


 その後も質問に答え続け、シナを最後に発言が止まる。

 真宵が何を成そうとしているのか、わかる人間は誰一人いなかった。


「それでは、今日最初にすべき指示を出そう」


 緊張した面持ちのメンバーに、真宵はふっと笑って告げる。


「少し遅くなったが、満足するまで朝食を詰め込め。腹を満たさなければ集中もできないだろう」


 同意と笑い声。

 朝から少々暗い空気があった日本支部は、明るい声でそれを拭い去った。

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