第10話 決戦直前の集い/赤石の姫

「最後のワイヤーを張り終えました」

「ご苦労。大体の準備はこれで終わりだ」


 ミアとの勝負が行われた空間に、真宵の労いが響いた。


「しっかし、本当にこれだけであの7セブンを止められますかね。彼女は特異な解放力ではなく、アーツを使った時の強大さだけで上り詰めた、正真正銘パワー系最強です。純粋なフィジカルで彼女を凌駕する人も世界にはいますが、総合的に見れば彼女が最も優れたアーツ使いであることは明白。そんな相手にこんな小細工が通じますかね」


 緊張からだろう。一人の青年がそんなことを口にする。

 青年が不安を口にするのは仕方がない。これから相手にするのはアラヤ日本支部の頂点に立つ七人のナンバーズ、その一人であるのだから。青年にとってナンバーズは最強の象徴。勝てるイメージが湧かないのも無理はない。

 だが、青年は口にしたことを後悔した。

 目の前にいるのはナンバーズに迫るかもしれないSランク。気分を害せば、青年など即座に切り捨てられる。


「その思いを大事にしろ。疑い知ろうとすることは、なにも間違いではない。だが忘れるな。疑うことと諦観を覚えることは、全くの別物だ。そして、勝てるか疑うことと負けるとイメージすることも、また違う」


 真宵の口から出たのは、諭すような言葉だった。

 準備が終わり集まっていた十数人を、彼女は視界に収める。


「君たちはどちらだ? 勝てるか疑っているのか、それとも、負けるイメージを抱いているのか」


 真っ直ぐな視線に、半分以上は視線を逸らした。

 当然だ。彼らは自分の限界を理解している。それが強者にとってどれだけ低いことかも、なんとなくイメージできた。できてしまった。

 この中で真宵が倒したミアに勝てる者など、皆無と言っても良い。ミアの訓練を受けていない者はいないからこそ、勝てるイメージなど抱けるはずがないのだ。

 まして、今度の相手はミアとタイプは同じながら、ミアを上回る頂点。負けるイメージは鮮明に浮かぶ。


「そうか。今はそれで構わない」

「……いいんですか」

「負けをイメージするぐらいならば、な。君たちが自覚しているかはわからないが、負けを確信している者はいない。ならば、あとは私の采配次第だ」


 真宵の言葉に、全員が驚いた。

 真宵にではない。彼女の言う通り負けを“確信”しているわけではなかった、自分に対してだ。

 相手が圧倒的な強者であることは、全員が知っている。ならば、何故自分達は絶望していないのか。


「私についてくるのだ。予想も想像も超えた結果を齎そう。落胆などさせないし、くだらない負けなど考える暇も与えない」


 彼女がいるからだ。ただ立っているだけで周りが見上げてしまうような、そのカリスマに魅入られてしまったからだ。


「そして忘れてはいないな? ここからはだ。楽しみにしておくといい。届かない高みに手をかける瞬間を、その手で成し遂げる時をな」


 ああ、彼女になら。夢を見せてくれる強者になら。高みに連れて行ってくれる先導者になら。三日月真宵という指揮官にならば、どれだけだってついていける。

 それが、のオペレーターの抱いた、紛れもない本心だった。


「そのためにも、最初に説明した役割はシュミュレーションしておいてくれ。やるとやらないでは成功確率が違う。なに、そう気負うものでもない。最悪私がなんとかしよう。……だが、それは君達の希望ではないだろう。ならば、最前を尽くせ。その先に、道は拓けているのだからな」


 道は拓けている。誰もが、その言葉を胸に刻んだ。

 勝利はすでに自分達の前にあるのだと、彼女が示した証なのだから。





     †††††





「すまない。少しいいか」


 それぞれ自分の配置に着く中、真宵は一人のオペレーターに声をかけた。


「んんー? なんだにぇー」


 驚くほど特徴的でめちゃくちゃ気の抜けた話し方だが、真宵の顔は冷たいままだ。


(うぅん? 何処の方言だろう。なんか面白くて癖になる喋り方だなぁ。にぇーにぇー)


 別に変わった喋り方に釣られてIQが下がっているわけではない、このポンコツ具合が通常運行だ。

 とはいえ、すぐに分割した思考を整え、告げるべき言葉を思い出す。別の思考では相も変わらずポンコツしている。無駄に高度な分割思考である。才能の無駄遣いともいう。


「君には個人的に頼みたいことがある」

「私かにゃー? 私はEだから待機だにゃー。なんの取り柄もない私に何を頼むかにぇー?」

(にゃー! 猫! 猫だ! この人も猫好きか!)

【猫は後に。今は頼むことを優先してください】

(りょーかい。でも……猫……)

。もしできなければ、貴方の顔面が陥没するかもしれません】


 ルヴィからの衝撃的な言葉に、真宵は脳内から猫を泣く泣く追い出し、話に集中することにした。


「その能力を見込んで言おう。作戦の最中、ちょっとした足止めを頼みたい」

「アーツマスターをかにゃー? いくら真宵の年上であるフロライアでも、荷が重いんだにゃー。そもそも、そんな技能持ってないんだにゃー」

「確かに君の資料を見る限り、特筆すべき技能は確認できなかった。強いていえば諜報に関する技能が平均に届くくらいか」

「真宵がどうやって知ったかは聞かないんだにゃー。そんなわけで、隠れてもいいかにぇー?」

「ああ、隠れてもらって構わない。……その『ルビー』……いや『パイロープガーネット』を使ってくれるのならば、あとは好きにしてもらって構わない。引き受けてもらえるのならば勝利を確実にできるからな」


 真宵の言葉に、女性オペレーターは雰囲気を変えた。


「秋フロライア。ニーアの姫君たる君にしか頼めない。ここで数字に勝つには、今のままでは明らかに足りない。だがあと一手あれば万全だ」

「…………」

「その力が万物を終焉に導くものであることは承知している。の担い手たる君がその力を隠すことも当然だ。だが、アラヤここに所属しこの訓練に出ている以上、人として善く在ろうとしているはずだ。この場だけで構わない、今後一切関わらなくても良い。たった一度だけ、その『パイロープガーネット』を使ってほしい」


 フロライアは考える。目の前の少女は何が目的でこのようなことを言っているのか。

 予言を知っていて、結果を知っている。あまつさえその力の正体さえ知っていることを匂わせる。

 何処で情報を手に入れたのかはどうでもいい。Sランクの前所属不明の少女など、何ができてもおかしくはないのだから。

 問題は、真宵がなんのために接触してきたかである。


「……何をさせるつもりかにぇー」


 警戒を滲ませながら問うフロライアに、真宵はなんてことないように告げる。


「片足が沈む程度に足場を脆くしてほしい。範囲は28センチ四方。対象は数字の右足」

「んんー? そんだけかにぇー?」

「ああ、それだけだ」

「んんーんんんー?」


 てっきり世界征服とか国家崩壊とか言われるかと思っていたフロライアは、割と拍子抜けした。


「報酬として大したものは用意できないが、ホワイトアロー・エレクトロニクスの優待券ぐらいは用意しよう」


 しかも大したものは用意できないと言っておきながら、世界有数の企業の優待券を渡す用意があると言う。

 ホワイトアロー・エレクトロニクスといえば、取り入ることができれば墓場まで安泰といわれるほどの待遇の良さで知られている。その優待券といえば、血眼になっても求める人間がいるほどだろうに。一体どういう関係だろうか。


(お母さんが友達ができたら優待券渡すって言ってたし。……優待券ってなんだろ?)


 そう、真宵の母はあのぽやぽや具合からは想像しにくいが、大企業の代表なのである。しかも結構親バカだ。そしてこのポンコツはその重要性が何もわかっていない。お菓子もらえるのかな〜、ぐらいの認識しかない。

 大丈夫。三日月家ではいつものことだ。ちょっと外からは理解し難いが、あの家族の中では通用するのである。どんな家族やねん。


「そんでー、真宵に何の利があるんだにぇー?」

「顔(が陥没するの)を何とかできる」

「顔ー?」

「人であれば、守りたいものだろう?」

(あー、メンツのことかにゃー)


 メンツを守りたいならば真宵が本気を出せば良いだけだと思うが、あくまでオペレーター達の意思を尊重するつもりなのだろうと、フロライアは好意的に納得した。

 実際は、真宵は物理的に顔を守りたかっただけである。顔面陥没とかヤバすぎだろ。


「良いにゃー。そんぐらいならお安い御用だにぇー」

「感謝する。君の『パイロープガーネット』が保険としてあるならば、私としても安心できる。私を助けた恩は、必ず返すと約束しよう」

「全部秘密にしといてくれるなら、何でも良いにゃー。それじゃー隠れるにぇー」


 真宵に背を向けたフロライアは、少し歩いた後「あ、それと」と振り返る。


「私は『ルビー』の方が好きにゃー」

「そうか。了解した」


 フロライアが隠れた後、姿を見せているのは真宵だけになった。


(これで顔面陥没はなくなったよね?)

【はい。貴方の顔面は守られました。そして計画の成功も確実となりました】

(あ、合図とか決めてなかったよぉ)

【ご安心ください。最善のタイミングで彼女は仕事を果たします】

(ほえー、フロライアさんって凄いんだなぁ。……若干厨二病っぽいけど)


 真宵はフロライアを厨二病判定していた。

 自分の口から出た『万物を終焉に導く力』とか『予言に名高き三つの滅びの担い手』に真剣な顔で反応した時点で、ああ、この人絶対ファンタジー大好きなんだろうなぁ、と確信していたのだ。


(そういえば、結局ルビーとかガーネットとかって何だったの? 宝石なのはわかるけど、そのままの意味じゃないでしょ。何かの隠喩かなぁ。何かの機械? うぅん? アラヤにいるから解放力とかそんなん? 物質の結合を弱めるか、密度を変えるとかかなぁ。水分を操るのは、なんかしっくりこないしなぁ。まさか構造そのものに干渉するはずもないし……)


 非常に的確な位置を突いていると言わざるを得ない、ルヴィはそう評価した。

 真宵はポンコツで能天気だが、人並み以上の知性と才能を持っている。そうでなければ、生まれた頃からルヴィという異常に接していて、まともな精神を育むことができるはずがない。

 いや、確かに真宵の精神は“まとも”とは言い難いだろう。だが少なくとも、“善良”な精神を有している。


【秋フロライアのルビーは極めて有用な性質を持つ機能です。特に、私にとっては】

(ルヴィにとって有用かぁ。だったら、大切にしないとねぇ)


 卑怯な手だ。ルヴィを絶対視する真宵にこう言えば、彼女は思考を止めるだろうということはわかりきっている。

 だがそれでも、たとえいつかを目にして恨まれることになろうとも、ルヴィは誤魔化す道を選ぶ。

 それが真宵のために用意する果てのプレゼントに繋がることを、誰よりも知っているが故に。


【数字との大仕事では、貴方も助けられるでしょう】


 だから……だからルヴィにただ一人寄り添ってくれる真宵を、ルヴィは何度でも裏切るのだ。謝ることすら許されずとも、何度も、何度も。悲しむことができなくとも、何度も、何度も。


(それだっ! 結局“数字”って何だろう? なんか強い人ってことしかわからないんだよね)


 ルヴィは機能を果たす。大丈夫、ルヴィには悲嘆というものはない。効率を落とす要因など、何もないのだから。


【それならばすぐにわかります】

(そうなの?)

【ええ、なぜなら——】


 真宵の背後から、扉が開いた音がした。


「……ここにいたのね。最後まで会えなかったのは、貴女の思い通りかしら」


 聞き覚えのある声だ。凛とした響きが特徴的な、若い声。


【——もう来ていますから】


 ゆっくりと振り返った真宵の目が、一人の少女を映す。

 そこに立つ者こそ、アラヤ日本支部最強の称号そのものであるナンバーズ、その7を頂く解放力者の頂点だ。


 さあ、最後の大仕事が始まる。

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