第7話 さあ、猫(豹)退治の時間だ

 真宵がルヴィの指示で辿り着いた場所、そこは上半分に無数のパイプ管が通り下半分は障害物や仕切りが多数置かれた、これまでで一番広い部屋だった。いや、部屋と呼ぶには広すぎるかもしれない。完全に建物に呑まれているかたちではあるが、中規模工場程の規模があるのだ。“空間”と呼ぶのが適切だろう。


「さて、ここが最後か」

【はい、あとは少々の準備と一つ目の大仕事を済ませる予定です」

 

 数度繰り返された真宵には理由が理解できない行動が、ここでやっと意味を持つというのだ。“やっとか”という疲れた思いと“やってやったぞ!”という謎の達成感が、真宵中を駆け巡る。いやいや、達成感を覚えるのは早過ぎるだろう、なんていう常識的な考えは、ルヴィの言葉を実現させる脳死状態となった真宵にはない。きっと何処かに置き忘れていることだろう。現状命令以外できないロボットに等しい。


(私は、やったんだー!)

【まだです、終わってません。この後最低二度は大仕事をしていただきます】

ア、ハイそうか

 

 しかし如何に達成感を覚えても、ルヴィは妥協など許さない。これは真宵自身が選んだ道である。故に、ルヴィは彼女に最高の結果を齎す代わりに、死ぬほど働いてもらう。尤も、真宵自身がそれを拒めば、ルヴィは今すぐにでも別の道を提示するだろうが。


「ふむ、そうだな次は」


 しかし真宵はその弱気で惰弱な精神とは裏腹に、一度決めたことはやり通すことのできる人間だった。そうでもなければ、母親からの『今まで使った分金を稼げ(意訳)』という言葉のためにここまで動いていない。妹達に頭を下げてあらゆる指導を文句を言いながらもこなし、ティーチャー用のテキストを死ぬ気で読み込み、口調から姿勢に至るまで変え、さらにルヴィを頼り努力を惜しまなかった。

 普段はへにゃへにゃな真宵だが、目的さえ定まればどこまでも全力を出せる。それを知っているからこそ、ルヴィは彼女のために全力を出せる舞台を整えることができたのだ。誰よりも真宵が輝ける、そんな舞台を。


【体を壁や障害物にぶつけながら移動してください。さりげなくです。ルートと行動は順次案内します】

「では、少し散歩といこうか」

【ではまず歩きながら目の前の柱に右腕のボタンをぶつけてください。さりげなくです。決して止まってはいけません】


 真宵は指示通り柱の横を通るようにして腕をぶつける————それはもうわざとらし過ぎるぐらいに大きく手を振って。

 ガンッという音を響かせながら柱を通りすぎ満足気な感情を乗せて『どうだ!』と心の中で言った真宵に、ルヴィはいつも通りな、しかし何故か真宵が背筋を伸ばす響きで、不満を示す。


【私は、さりげなく、と申し上げたはずですが。演技が大切だと申し上げましたが。まさか忘れた、とは言いませんね?】

「そ……」

【次はありません。次やったら、一生猫に嫌われるようにします】

「は……」


 真宵は衝撃を受けていた。

 猫に、嫌われる? それも一生? は? 地獄でございますか?

 基本情報。真宵は猫好きである。それもかなり強い度合いの。学習機関での研究発表会で周りがナノ金属構造体やら光子信号蓄積などの題材である中、『猫の筋肉性質とその応用性』という論文を披露し最優秀賞を獲るぐらいには猫好きだ。ちなみに、文章・資料部分を構築したのはルヴィ、異様に上手いイラストを描いたのが真宵であった。当然、評価されたのは前者である。

 そんな猫好きは近所でも評判であり、引きこもり中も何度か猫を預かっていたほどだ。それもルヴィの助けを一切受けずに。真宵の数少ない自主的行動の一つだろう。

 さて、そんな真宵が一生猫に嫌われることに耐えられるのか。無論、耐えられない。

 撫でようとしてことごとく逃げられ、あらゆるスキンシップを無視されれば、その場で自分の首を絞めることぐらいはしでかしそうだ。実はこれまでそうならないようにルヴィが猫に命令していたのだが、そんなことは真宵は一切知らない。ルヴィも知らせる気もない。

 まあつまり何が言いたいかといえば、マジモードのルヴィがこう言っているので、真宵はこれ以上失敗を許されないわけである。

  

【復唱。わざとらしくはするな】

「わざとらしくはするな」

【復唱。全神経を研ぎ澄ませろ】

「全神経を研ぎ澄ませろ」

【復唱。目立つな、溶け込め】

「目立つな、溶け込め」

【復唱。すぐに終わる。待て、しかして磨け】

「すぐ終わる。待て、しかして磨け。……?」

【復唱。最後に、ここがお前の最後だ】

「最後に、ここがお前の最後だ。……ん?」


 よくわからない文言が含まれていたせいでクエスチョンマークを浮かべる真宵だが、次の瞬間悪寒が背筋と太ももを走った。突如起こった体の異変に混乱する真宵だが、表情は相も変わらず無表情。妹に叩き込まれた指導と、真宵自身の才能の賜物である。

 とはいえわけがわからないことに違いはない。真宵は若干の恐怖を覚えながら、ルヴィに問うことにした。


(風邪だよね? そうだよね。Gから始まる怪奇現象じゃないよね?)

【貴方の体調は万全であり、外的要因によるものと考えられます】

(それってゆ、ゆゆゆ、幽r)

【違います。幽霊ではありません。それ以外、例えば温度の違う空気の流れなどでしょう】

(そ、そっか〜)


 ルヴィが言うのならば間違いないだろうと、真宵は安心に肩の力を抜く。

 確かに幽霊のものではなかった。が、どうやら猛獣の殺気は無かったことにされたらしい。真宵もまさか自分のあずかり知らぬ場所で挑発していて、そのせいで猛獣の闘志に火をつけたとは思うまい。


【それより。返事は……】


 ルヴィの言葉の意味にあっと心の中で気付いたのだろう、真宵は即座に声帯で音を作った。

 

「口に出さなければならなかった」

【思い出したのならば良かったです。これからは忘れないように。そして止まらないで歩いてください】

「そうだな」


 悪寒で止まってしまっていた真宵は、ルヴィの言う通りに適当に歩を進める。


【わかりましたね。さりげなくです。自然に、流れるように、集中力を持って。というわけで次です】


 ルヴィが示したのは一つのタンク。そのそばでしゃがんで脇腹を擦れと言うのだ。それも、動きを止めずにそれこそ流れの中で。

 やってみればわかると思うが、この行動はかなり難しい。距離感、力、体の動き、重心、スピードなどなど、重要な要素は沢山あるからだ。しかも今回は失敗を許されないというプレッシャーもある。ついでに真宵はついこの前まで引きこもり、難易度は高い。

 まあ、ルヴィが言ったのだから、遂行可能であることは間違いない。ルヴィは実現しないことを真宵に話すことは少ないのだ。絶対に言わないというわけではないが、今回は可能であろう。ルヴィはその辺りのメリハリをつけるタイプなのである。

 というわけで、真宵は冷静な顔で指示を遂行しようとする。


(猫に嫌われる。嫌だ嫌だ嫌だッ!)


 当然、心の方は大荒れも大荒れだ。


(スー、ハー……これに失敗すれば、死体が一つ生み出される。失敗は許されない。これは、せかいを救う戦いである!!)


 しまいには謎の宣言をする始末。現実でありそうなのが嫌なところ。真宵は自己分析できるのだ。なお、精度はお察しの通りである。

 ちなみに落ち着いてはいない。緊張が酷過ぎて現実逃避気味なだけだ。証拠に、口角が引き攣っている。豆腐メンタル。ああでも、これも外から見れば不敵な笑みに見えているんだろうなぁ。真宵の顔はちょっと見ないぐらいには整っているからなぁ。


(こ、こここ、こうだッ!)

 

 目の前にタンクが迫る。真宵は体を左にずらし、体を脱力させた。

 右腕を持ち上げ倒れるように膝から力を抜き、しかし上体は背筋を伸ばしたまま、それこその流れるように体を動かす。横から見れば頭が一切揺れていないことがわかるだろう。まるで、エスカレーターに乗った人間を模倣するパントマイムにように。

 天性の体幹と一年引きこもっていたのに何故か衰えない筋肉、そして猫への異常な執着が生み出した動きに、それなり以上の観察力を持つ者達は感嘆した。これほど洗練された動きをできるとは、一体どれほどの修練を積んだのだろうか、と。修練など積んではいない、ただ猫に嫌われたくなかっただけだ。

 そしてタンクの横を通り過ぎた真宵は確かに感じた、ジャケットの生地が金属に擦った時の感触を。


(どやっ!)

【合格です】


 内心ガッツポーズを決める真宵に、ルヴィは淡々と告げた。


【あと5ヶ所同じことをします】

「……?」

【約3分で終わります】

「3分だな」


 口に出して確認しているように思えるが、そんなことはない。ただ単に条件反射で言葉を発しているだけである。脳内は『?』だらけだ。それだけルヴィの言ったことが衝撃だったのだろう。

 たっぷり10秒かけて短い言葉を咀嚼した真宵は、その恐ろしい内容に愕然とした。

 なお、彼女はこの時も一切足を止めていない。思考と足を切り離すとは、器用なことだ。まあ、意識と感覚を切り離すのは、夢想家の嗜み。真宵が隠れて小説などを書いているのは……今はどうでもいい話だろう。


「猫はどうなるかな」

【合格に届かなければ、当然嫌われます】

「ふ、張り切るとしよう」


 声は冷静だが、心は恐慌にぶち当たっている。『ふ』も笑いではない。恐怖と緊張のあまり息が漏れただけだ。それでも足は止めないし、歩き姿にもぶれはない。最早、体と思考が一致していない。人体の神秘である。

 それとは別に、大型猫科動物の如き野生味溢れる殺気は、頭がいっぱいだった真宵には届かなかったらしい。その分、その殺気は周りのオペレーターを震え上がらせたそうな。アラヤの豹を『猫』と呼ぶのが、自殺願望者の行為であるというのは、真宵の知らない事実であった。まあ、真宵に侮辱した自覚は皆無であろうが。

 とまあ、そんな周囲はさておき、真宵はルヴィの言うままに壁などに体を擦り付けていった。掛かった時間は約3分。ルヴィの言葉通りである。


「これで、整ったか」

【お疲れ様です。準備は全て終わりました】

「さて、これで少し休みたいのだが……」


 これまでの人生でもトップレベルに集中して意味もわからない指示を遂行した真宵は、外から見てわからないだろうがめちゃくちゃ疲れていた。1年間引きこもっていたとはいえそれなりの体力はある、身体的にはそこまで疲れていない。疲れているのは精神の方である。

 猫に嫌われるのが嫌で精神的な余裕を残さない程に張り切っていたのだ、今の真宵はベッドがあればそのまま眠れるくらいには疲労している。


【ではすぐに一つ目の大仕事を片付けましょう】

「無理だな。わかっていたよ」

(はいはいガンバルマス。やってやりますよー!)


 半ば投げやりな気持ちで真宵は体に喝を入れる。

 ルヴィが許してくれないのはわかっていたこと。多少、いやちょっとは期待していたが、真宵は全然気にしていない。30分くらい休みたいなんて思ってはいても、実現するとは信じてはいない。不満なんてない。ないったらないのだ。ぐすん。


【それでは、復唱してください】

「ああっ」


 なんだか心に引っ張られて変な返事になっていた。息を吐き出すのと声を出すのが混ざったような、笑いを我慢するかのような掠れた返事。ついでに口を開けるのと同時に、泣きそうになって頬が引き攣っていたので、こちらもなんだか変な笑みに見える。

 総評。『これから起こることが楽しみで仕方ないが、それはそれとして相手となる者を嘲る笑み』とかそんな反応に見えた。

 真宵的には風評被害もいいところだが、少なくとも見ている側のほとんどがそういう感想を抱いたのだ。これは見てる者の人間性とかではなく、真宵自身の問題であることは、火を見るよりも明らかである。変顔と認識されるよりは良いだろう。たぶん。

 その影響は隠れている豹を静かに怒らせた程度、問題はない。おそらく。

 そんなことは一切感知していない真宵は、ルヴィの言葉を復唱するために息を溜めた。


「これからの舞台が終わった時、私は数字に抗う者を募ろう」


 集っていた者達が息を呑む。


「私は勝利を約束する。誰一人欠けることのない、完全な勝利を。これまで届かなかった頂へと、導こう」


 朗々と響く宣言。馬鹿馬鹿しいとすら言えるそれは、だが胸に突き刺さった。


「決して届かぬ高み? そんな言葉は捨てろ。可能性さえ信じない賢人など、愚者にさえ劣る」


 アラヤに所属した解放力者は、諦めを覚える。絶対的なまでの『格差』を目の当たりにし、自分の限界を悟るのだ。仕方ないと、これでいいと。

 だが、心の何処かでは思っている。いつか、自分でもあの高みへと登れるのではないか? 誰かとならば、あそこの景色を見られるのではないか?

 そんな思いを心の隅に追いやりながら、訓練と任務をこなしている。

 

「もう十分耐えただろう」


 ああそうだ、自分達はずっと耐えてきた。届かぬ高みを夢見ながら……いや、から目を背けながら、もっと方法があったのではないかと自問しながら、己の力不足を悔いてきた。


「ならば証明の時だ。私についてこい。誰一人として無駄な者などいないということを、ついてきた者に示してやろう」


 冷たく、傲慢な、しかし毅然とした姿と言葉。誰もが憧れた、絶対的なまでの自信。

 Sランクだとか関係ない。この姿だけで、この言葉だけで、疑いなくついていける。

 鼓動が早くなるのがわかる。

 隠している体に震えが走る。

 自然と力を込めた四肢に熱が宿る。

 そんな彼らを知ってか知らずか、真宵は軽く笑みを浮かべる。


「ではその大舞台の前に、猫退治から始めようか」

(誰も聞いてないのに。私何言ってんだろうなぁ。……はあ)


 その笑みがぼっち特有の『一人自分を憐れんでるとなんか浮かぶ笑み』だとは、熱の籠った視線を向ける彼らは思いもしないだろう。いくらルヴィに脳死状態で従っているとはいえ、疲れた脳ではふとした瞬間にこんな思考が浮かぶものだ。人間とはそういうものである。

 それにしても思考と言動をここまで分けるとは、なかなかできることではない。真宵は並列思考がそれなりに得意な部類だった。

 と、そんな真宵ではあったが、ルヴィからの最後のセリフはすぐにくる。

 

【復唱。時は満ちた。本命の前に軽く片付けさせてもらおう。……以下追加ボイス。……ここに今日会った中で最も怖い人物の名前を入れてください】

「時は満ちた。本命の前に軽く片付けさせてもらおう。……はっ……?」


 わけのわからない内容に思わず声が漏れた真宵だが、鍛えられた並列思考は指示通りに『今日会った中で最も怖い人物』の姿を思い描いた。

 きつい印象の吊り目。豹柄のジャケット。なんかめっちゃ怖い笑み。威圧感すごい喋り方。あ、そういえばあの人腰に銃持ってたな〜、なんていう気付きたくもなかった事実まで蘇る。

 そしてこれまた独り言が多い部類の真宵は、浮かんだ人物の名前を口が勝手に発した。


「神谷ミア」


 言ってからあの人ここにいないなぁ、と思った真宵。思考に若干の安心が含まれていたのは、いうまでもないだろう。

 あんな人を殺せそうな視線を向けてくるミアに、真宵は結構苦手意識を抱いていた。

 なので——


「やっと呼びよったなぁ、おどれぁ。散々コケにしてくれよって。皮剥いで塩擦り込むぐらいやすまさんぞ」

(ひえっ)


 ——登場時、凶暴な笑みと共にめちゃくちゃ猟奇的なことを言うミアに、真宵はかなりビビっていた。

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