第18話 〝未来の英雄〟
シスは、緩慢に脳を覚醒させ始める。まず認識したのは身体の怠さだ。そして左腕の鈍痛。動かそうとしても、その感覚は得られない。腕一本を代償にロンドニキア竜王国神骸宮殿に侵入かと、少し鬱々とした気分に陥っていると、レナスが額にキスをしてきた。
「レ、レナス……――突然どうしたんだ?」
「え……あ……えと……うーん……」
レナスはあらぬ方向を見たり、青白い肌の頬を赤らめたりと忙しかった。
「レナス……――怒ったりしないから、教えてくれないか?」
「ケガをされていてもシス様は、昔恋した勇者様みたいだなって思ったら――――」
「――――思ったら?」
「私は……〝第二〇代魔王〟レナスは……我が主様を慕うようになったの」
――――え⁈
「で、で、で、でも……レナスはまだ幼女だろ? 僕は相手としては相応しくないよ」
「なら、大人になればいいのね。魔力を使って無理矢理……」
『何を騒いでるのかしら』
「ベル……――助かった。レナスをどうにか落ち着かせてよ」
「黄金妖精のリンドベル・ベルリリー……懐かしいわね」
『ちなみにここはどこ?』
「ベル……〝巨人の鋸の〟昇降機の上だよ。ずっと上がりっぱなしで、まだ上に着かないみたいだ」
うーんと手を顎に当てて、リンドベル・ベルリリーは考えを巡らせる。黄金妖精は魔王の魂と同じで不滅だ。ある種の〝知恵者〟ともいえる。リンドベルは答えを出す。
『レナス、惚れっぽいのは相変わらずのようね』
「ベルだって、毒舌の大酒飲みは変わっていないんでしょう?」
シスは相談している最中にフレアベルゼの麦酒の入った樽をチラチラと見ていたことに気付いていた。シスは自分の火酒を飲ませようと考える。
『シス……この子は少しばかり病んでいるから気を付けなさいよ。今だって隠しているけど、あなたの切れた左腕を凍らせて隠し持っているんだから』
「レナス、そんなの何に使うって言うんだ?」
「我が主様の腕を枕にしようと思って……」
「…………ベル……――レナスを召喚中止するのはありか?」
『そうは言っても間違いなく最強格の一柱よ?』
「なら……――うまく御すしかないな」
リンドベル・ベルリリーは酒をチラチラと見始める。仕方なく木製のジョッキに火酒を注いでやる。ごくごくと息吐く暇もなく火酒を飲んだリンドベルは、満足したようでフラフラと飛びながら、シスの膝の上の〝魔王の書〟の上に乗った。
「そういえば……――吸血鬼のブリジット・レイラ・アリントンから、魔王候補の話を聞いた」
『あら、案外早く分かったのね』
「何もかも知っていてるのに……――なぜ教えてくれなかったんだ?」
『全ては運命で決められたことよ。それに抗っても、得られるものはないわ』
「なぜ……――そう言い切れるんだ? 運命は一本道だとでも言うのか?」
『ふふふ、一本道じゃないわよ。でもいずれ収束する結果は変わらない。〝ルツィフェーロ〟も最初は嘆いていたわ……でも、世界の均衡が乱れた時、転がり落ちるのは弱者たちだけ。それを悟った〝ルツィフェーロ〟は〝魔王の書〟をはじめとした不滅の魔道具を作ったのよ』
温厚なシスが苛立っていた。リンドベルの話は筋が通っているようだが、犠牲の上に成り立つ平穏をシスは決して好まないし、望まない。そこで一つの答えが出た。〝魔王〟になってやろうかと。誰も傷つけない優しい魔王。だが、その前にフィオを助けなければならない。
「ベル……――教えて欲しい。未来は変えられる選択肢はあるんだよな?」
『ないわけじゃないけど……いばらの道よ』
「道があるって……――訊けただけで満足だよ。僕は……――その道を進む」
『美味しい酒だったわ。一つ教えてあげるわ。今、この瞬間勇者が誕生している気配があるの。生まれたのか、選ばれたのかは分からないけどね』
「魔王候補もだけど……――勇者候補は誰に選ばれるんだ?」
『星、世界、命、神、宇宙……色んな言い方があるけど、運命的なものね。黄金妖精はウソを吐かないけど、〝真実の扉〟には到達できないわ』
面白そうに荷台の幼竜フェシオンと遊んでいる〝断罪の冷嬢〟レナスはにこやかだった。まるでこちらの話に注目しない。無邪気なだけに暴走したら危険そうだとシスは警戒感を強める。それを見て、黄金妖精――――〝闇の住人〟はケラケラと笑う。
『仲良くなった海竜が人間に殺された時の光景は凄まじかったわね』
「殺された大切な者の為に……――怒るのは当然だと思うが?」
『巻き添え喰らった方はたまったもんじゃないわよ。南の海はいまだに荒々しい状態が続いているし……怒りと正義は同義じゃないわよ』
「そんなの俺には関係な――――」
『――――あるでしょう? 魔王になったらどうするの? また、〝眷属狩り〟が起きるわよ』
「…………」
それに対する答えをシスは持っていなかった。その昔、魔族の血が流れた優秀な貴族が〝眷属狩り〟に遭い、非業の死を遂げたという。有名な物語だ。それを思い出しているとリンドベルは、衝撃の発言をする。
『召喚士一族バレッタ家の真祖ローバレルもまた魔族の血が一滴ほど入った者よ』
――――な⁈
シスが驚くのも無理はない。今現在に至るまで〝眷属狩り〟は行われ続けている。更に言えば、シスは腕にびっしりと魔王たちの紋章がびっしりと刻まれていた。見つかれば問答無用で断頭台にかけられるだろう。一〇〇〇年前から見せしめの為のギロチンは続けられている。
『声も上手く出ない程驚いたのね。あと一つ教えてあげてもいいかもね。フィオが神託の巫女として連れて行かれたと思うけど――――体のいい生贄よ。あと三日間だけ神骸宮殿の奥で清められて、王都の〝竜餐の儀〟に備えられるわ』
「〝竜餐の儀〟って、一〇〇〇年に一度の行事だろ? まだあと八〇〇年あるはずだ」
『狂王グレン・ジオ・ロンドニキアが考えることなんて私が知るわけないじゃない?』
レナスが荷台からひょっこりと顔を出す。そして無造作にリンドベル・ベルリリーを掴む。リンドベルは……抜け出そうとしているが、レナスは離さない。
『魔王レナス……あんたってば、いつもこっちが姿を消そうとする瞬間を狙うわね?!』
「まだ、少し何かを隠しているでしょう?」
『げ? 分かったのあんたのとろい脳みそで?』
「羽根を千切っちゃうよ?」
『分かったわ。教えてあげるわよ。シス・バレッタ……あなたは〝英雄の卵〟よ。左腕を失くそうが、妹を奪われようが、両親を殺されようが、それは変わらないわ』
「〝英雄の卵〟?」
『運命を自ら切り開く者を人は〝英雄〟と呼ぶわ』
シスは考えた。運命を一方的に押し付けられる力。忌々しいと思うそれを変える力があるという。ならば……――それに一縷の望みをかけるのみだ。
――――僕は〝魔王〟ではなく〝英雄〟になりたい。
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