竜鱗騎士と読書する魔術師3.5 まあまあ最悪の飲み会

実里晶

第1話 まあまあ最悪の飲み会


 史上最悪の一週間が終わった。

 もちろん翡翠女王国に来てからというもの、僕にとって悪くない日というのが存在していないわけだけれど、常に最悪を更新し続けているので直近の七日間が『一番最悪』ということで間違いないと思う。


 どう考えてもアレ以上に悪くはなりようがないだろう、という嵐みたいな期間が通り過ぎると、しみじみとそのヤバさが滲み出てくる。

 マージョリー・マガツの死から始まった一連の事件は僕の命運をピンポイントに、かつ的確に変えていった。竜卵、魔眼の尖晶家、星条コチョウ、秘色屋敷の交霊会、黒一角獣の角、その他もろもろ……。

 何もかもが変わった。

 女王国はマージョリー・マガツを失い、文字通り予測し得る可能性を喪失した。

 黒いものが白くなりカラスがウサギになった。それくらいの変化だ。

 でも変わっただけで、僕は放り出されたままだ。どうしたらいいのかわからず、ときどき突然、叫びたい気持ちにさせられる。道の真ん中で金切り声を上げてる大人って、こういうふうに作られているんだろうな、と思う。


 まだ街は瓦礫も目立つ。

 一時的に通り雨が埃っぽさを洗い流していった。


 石畳の道は街灯を反射して飴色に輝いている。

 天海市はからくも竜卵の攻撃から逃れた。街を去っていった人々はゆっくりと国内を移動し、日常へ回帰しようとしている。竜の危険性や避難の情報を流していたマスメディアは方針を転換し、府の対応を議論しはじめた。

 目先の災難を回避したとしても、海市は幾度も攻撃を受けて、その爪痕は癒えないまま、救世主を失ったままだ。土地や建物や人々は無数の傷を負って、血を流したままなのだ。そして時間は、そんな疲れ切った人たちを休ませるためにわざわざ止まったりはしなかった。

 彼らも同じなのだ。あの七日間に関わった人たちはみんな、千里眼を失って、どこともしれない場所に放り出されてしまった。

 だけど日常というのは残酷なもので、混乱の嵐が吹きすさぶなか、それでも息をしろとせっついてくる。

 病院や公共交通機関がいちはやく機能をしはじめ、魔術学院も三日後には通常授業を始める予定だ。


 そういうタイミングで紹介されたレストランは「世の中の出来事とは無縁ですよ」というような澄まし顔をしていた。


 硝子の戸には金文字で《大山猫亭》という店名が記述してあり、それを開けると絨毯じゅうたんの敷かれたやたら長い廊下に出た。

 まず最初のドアを開けると、次の扉に視界をふさがれる。ドアの足元にはブラシが置かれていて、扉にはめこまれたすりガラスにはやはり金文字で男女別に店のドレスコードがひとつずつ記述されている。

 男性は帽子と外套、ピカピカに磨かれた靴、カフスボタンと懐中時計、最後は香水だ。その度にドアを開けたり閉めたりしなくちゃならない。

 まるで『注文の多い料理店』だが、予想とは違ってひとつずつ着衣をはぎ取られたり、顔や体に牛乳のクリームを塗りたくられたり、小麦粉を叩かれたりするようなことはなかった。


 僕をこの店に誘った人物によると、


「昔はそういう魔術が働いていたようで、何人か行方不明者を出したようですが、今は法律に反するので」


 ということだそうだ。


 店の伝統がひとつずつ開いては閉じ、最後は支配人が待ち構えていた。

 バーカウンターの隣には、レストランを背景に、魔術捜査官に取り囲まれて鎖に繋がれている巨大な毛むくじゃらのバケモノの写真が飾ってあった。以前はとてもではないが、落ち着いて食事が楽しめる雰囲気ではなかったようだ。

 係の人間が外套を受け取り、クロークにしまってくれる。

 わざわざ応対に出てきた支配人だという初老の男性は、この店は竜卵の騒動の最中も、海市に残ったスタッフで営業を続けていたのだと誇らしげに語った。

 

「支配人、彼の前でするにはいささか恥ずかしい類の自慢話ですよ」


 通信ホログラムに映しだされたマスター・サカキは、苦笑いを浮かべた。

 土地勘がない僕のために、ずっと道案内をしてくれていたのが彼だ。そして、このレストランに僕を招待したのも彼だ。


「こちらにおわす御方は、我らが女王国のえある赤薔薇、紅水紅華こうずいべにか殿下の騎士であらせられる。次代の王の父君となり、女王陛下と国民を守護してくださる方です。そればかりか、溢れる才能ですでに幾度も女王国の脅威を打ち払っておいでです。敬意を払ったほうがいいでしょうね」


 支配人は青ざめた顔をした。

 僕はこの手の反応にすでに辟易へきえきしていた。


「マスター・サカキ、やめてください。自慢話をしに来たわけじゃないんです」

「あらあら謙虚アピールですか?」

「そういうの、なんの得にもならないって学習済みなんですよ!」


 異世界転移してチートを手に入れ、誰からも褒めそやされるというのははたからみていればそこそこ楽しいイベントに思えるだろう。でも実際やってみると、だからなんなんだっていう話だ。

 誰かから注目されて丁重に扱われるというのは、それだけ立場が多いっていうことだ。それだけ誰かから着目されて、そのまなざしの先にいる誰かの敵になったり、利用されたりする危険性があるということでもある。

 なーんにも楽しくなんかないぞ。

 なーんにも。


「だいたい、騎士になったのは成り行きで、紅華の夫は誰か別の人物がなるよ。僕と彼女じゃどう考えても釣り合わない」

「ええ~。仮にアナタと殿下の御子様が王座を逃してしまったとしても、ひとりでも子をもうけてしまえば一生安泰なのに。そんな大チャンスを見過ごすなんて~」

「貴方と話してるとうっすら使い魔オルドルのこと思い出すんですけど……」

「それにヒナガ先生、研究費の助成も受けてないでしょ。企業からの助成金は条件が厳しいですし。学院で研究を続けていくなら資金源の確保は鉄の大命題ですよ」


 再度、文句を言おうと準備して、僕は口が半開きになったまま固まってしまった。


「そういえば、僕って魔術学院の教官なんだったんだな……」

「え? そこからですか?」

赴任ふにんしてからというもの、教官らしいこと何一つしてなかったので……」

「血みどろになってましたね。いつも。私はおもしろいなと思ってました」

「助けてくださいよ。ウファーリに襲われたときとか」

「んふふ。あのときはカガチ先生が傍観とお決めになったので……、まあ別にあのときだけじゃないですけれど」

「んふふじゃないんですよ」


 クスクス、という笑い声が支配人の後ろから聞こえてきた。

 ホログラムと二重音声になる。

 支配人のうしろに、店員に車いすを押されたマスター・サカキが姿を現した。

 今日はお互い、教官服を着ていない。盛装だ。僕は服というものをほとんど持っていないのだが、リブラに相談したら慌てて用意してくれた。慌てる理由がよくわからないんだけど、それはまあいい。

 彼とサカキ相対していると…………僕と彼の関係性に限って言えば、何を着ているかなんて、それほど大したことじゃないって思える。


「僕はまだあなたの正気を疑ってますよ。あんなことがあったばかりなのに、《飲み会》だなんて……ほんとのほんとに《飲み会》なんですよね」


 サカキはニヤリと笑った。

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