第10話 王立魔法学園生活、はじまる!(5)

 入学してから二ヶ月経ち、水含み青咲き満ちる三ノ月になった。ほとんどの生徒が学園に慣れ、個々人のペースをつかむ頃だ。

 事が起こったのは、マリエラとソフィーが二人で学食に行き、ランチセットを貰いに並ぼうとしたときである。


何人かの生徒が目配せしあい、マリエラは嫌な空気を肌で感じた。続いて後方からフィリップとヴァンがこちらに向かってきているのが視界に入った。フィリップが学食を食べることはあまりないので、かなり珍しいといえる。


(あっ……これたぶん、共通ルートのイベントだ)


 マリエラの脳がガツンと揺さぶられ、記憶が蘇る。一国の王子や天才魔法使い、公爵令嬢と仲良くしている庶民をいじめる、よくあるハプニングイベントだ。少々魔法が使える貴族の彼らが小規模物体転移魔法を使い、学食のキッチンにある練乳や生クリームを引きよせ、ソフィーの顔にぶちまけるのだ。ちなみに、可愛らしく困った顔をしているソフィーを堪能するスチルとなっている。

 まだ清掃魔法などを扱いこなせないソフィーの代わりに、フィリップが颯爽と現れてヒロインを綺麗にしてくれる。勿論、犯人たちへの制裁も行う。これを機に、ソフィーは一人でもなんとかできるよう、ますます魔法学習に励むのだが――


 一つだけ問題がある。フィリップルートに進む場合、好感度も上がるがメリバポイントも上がるのだ。練乳や生クリーム、ホイップをかけられたソフィーを見て、〝酷く辱められた〟と思うのがフィリップなのである。

 学食に行かない選択をすればこのイベントは起こらない。嫌がらせをされるとしても、フィリップたちがいない時に持ち越しとなるだろう。今から学食を出るにはもう遅いし、このイベントはソフィーの勉強スキルとやる気メーターも上がるお得イベントなのだ。

 マリエラがかばうしかあるまい。


「いーち、にーい」と、不自然な号令を出している彼らのタイミングに合わせ、マリエラはソフィーの腕を引っ張って自分がいた位置と交代した。わずかに目を伏せて構える。

 べと、ぱしゃ、ぼたぼた……っと予期していたものが上から降ってきた。頭も顔もべとべとである。甘い匂いに包まれるが、あまり良い気分ではない。


「まっマリエラ様!?」

「ソフィーさんにはかかってない? 大丈夫?」


 顔を青ざめて焦るソフィーに、マリエラは微笑んだ。

 近くの座席に座る生徒のうち、何人かがゾッとした顔をしている。下卑た笑みを浮かべてからかい楽しむところが、間違えて公爵令嬢にやってしまったのである。アカデミー内では家格や出自による上下関係はないと言っても、礼儀や道徳などに反するこれは別だ。それに、アカデミーを離れれば彼らは貴族社会に戻る。こんなこと、間違えてドレスにワインをかけてしまったレベルではない。

 マリエラは頬にかかったクリームを指ですくい、舐めた。


「ああ、甘いわぁ。ねぇ、これ、どこから盗ってきたか、教えてくださる?」

 マリエラが射すくめた男子は震えた。

「と、盗って、なんて」

「学食で使っているものでなくて? あなた方が魔法で引き寄せられる距離なんて、その程度が最大じゃありません?」

「な、ッ」


 わざと蔑んだ声音で言うと、上級生らしき一人の顔が赤くなった。本当を言うと、そこそこ上手なレベルだ。ヴァンあたりがすると、王都隣の領地から引き寄せることも可能だろうが、彼が異次元なだけなので。


「それに、やるなら魔力の痕跡を消さなくては。誰がやったのか、すぐバレてしまいますよ? 〝探れ、水。示せ、力。記憶と痕跡よ、反転すべし道を開け〟」


 マリエラは呪文を唱えて指を振った。マリエラにかかった練乳やクリームが、みるみる剥がれて頭上に渦を巻き、四人の男子生徒へ頭上から降りかかった。マリエラの顔や服は完璧に元通りである。

 犯人である四人に向けて、マリエラは顔を歪めて聖女のごとく微笑んだ。


「あは。無様ですこと」


 とっても悪役令嬢っぽいなぁ、とマリエラは内心思った。

「マリエラさまぁぁぁカッコイイです!!」

 ソフィーが横からぎゅうぎゅうと抱きついてきた。やけにキラキラした目で見つめられ、マリエラの心が浄化されていく。


「わたし、もっともっと頑張ります。マリエラ様にこうやって助けてもらわなくても自分で対処できるように。いつか、マリエラ様を、私がお助けできるように。こんなのに気を取られないで、私は私のことを頑張ります。マリエラ様にも追いついて、あなたの隣に堂々と立てるようになります!」

「え、あ、うん、ありがとう、がんばって……?」

(これはソフィーのやる気がアップしたということでいいのか……な?)


 ヴァンがマリエラの隣に立ち、彼らを睥睨する。

「そーそー。ソフィーさんは才能あるからね、これから信じられないほど伸びると思うよ」

「君たちをすぐに追い越すさ、心配しなくてもね」

 フィリップはかばうようにソフィーの肩を抱き寄せ、余裕溢れる優しげな笑みを浮かべて言った。

ゲームでは彼らに対して酷薄な態度をとるはずなのに、大きな違いである。


「マリエラ嬢もなかなか悪い顔するじゃあん。俺、そういうのは初めて見た」

「そんなに酷くはないはずです」

「いやーマリエラ嬢のその顔で蔑まれたら結構クるものがあると思うよ。そうでしょ君たち。だからまだココから逃げてない」

 半ば放心状態の犯人たちは、ヴァンに話を振られておずおずと頷いた。そんなに悪役顔だったのか、とマリエラは唖然とする。


「もう二度とこういうことする気が起きないように、一人くらい公開処刑しておこうかなァ~。はいそこの狐顔の二年生、立って」

 立って、と言いながら、ヴァンは魔法で彼を無理矢理立たせた。そして銃を打つように、彼へ人差し指を向ける。

「俺の問いかけに〝――真実のみ話せ〟。さて、さっきのマリエラ嬢を見て、何を思ったか教えてくれない?」

 二年生の彼はボッと顔を赤らめて、必死で口を閉じようとした。しかしヴァンの自白魔法に逆らえるわけもない。


「ま、マリエラ様の下僕になって踏まれたい。散々こき使われた後、主従逆転下克上を起こして今度は俺がマリエラ様を調教して跪かせたい」

「なーるほーどねー」


 小首を傾げ、目を細めて嗤うヴァンは悪魔のようだった。

 パン! と手を叩いて自白魔法を解くと、二年生の彼の顔色が真っ青になり、窺うようにおそるおそるマリエラを見てきた。

 マリエラは思わず一歩後退する。


「ごめんなさい……金輪際、近づかないでくださる……」

 二年生の彼は悲愴な顔になり、クリームまみれのまま食堂を飛び出した。


「あ~カワイソー。個人の思想は自由なのに、マリエラ嬢ったら」

「それをこんなところで暴き立てるあなたの方が酷いでしょ!」

「マリエラ様、大丈夫ですか?」

「うっ、ありがとうソフィーさん。正直悪戯されたことよりも精神的にショック」

 悲惨ルートの末路といい、マリエラはそういった欲望をかき立てられる性質でもあるのだろうか。


「下僕になりたい、くらいで終わればマリエラも拒絶しないのにな? 女性を跪かせたいなぞ、理解できないな……」

「あ、はい、そうかもしれませんね殿下?」

 カオス化した空間で、フィリップはキョトンとした顔で宣った。真性の天然である。

「たぶんねー、あいつと似たようなこと思ってるやつ、今ここに増えたと思うよ。ナァお前ら、そうだよね?」

 ヴァンは辺りを見渡し、「ね?」と同意を求めるようにダメ押しした。思わず頷きそうになった生徒は確かにいて、マリエラは目眩がしそうだった。




「ねぇマリエラ様。このボンネットについてる藤の花をくれたのってヴァン様ですか?」

「一応、そうね」

「やっぱりそうですか。ふふ」

 ソフィーは壁にかかったボンネットを見ながらニヤニヤしている。

「ソフィーさん、言いたいことがあるなら聞きましてよ」

「マリエラ様ってヴァン様が関わるとちょっと頑なになりますよね」

「気のせいじゃなくって?」


 マリエラはうっすら目を細め、なにやら勘違いしていそうなソフィーを諭すようにジットリ見つめた。すると彼女の背筋がヒュンと伸びた。


「ハイ、あの、最近、魔力の残滓を感じ取れるようになってきまして。ヴァン様の魔力って濃くて強大だから分かりやすくて、このボンネットからも僅かに感じ取れたんです」

「! もう、そんなことが?」

「なんとなく、なんですけど」

「すごい! やっぱりあなたって感覚派で飛び抜けてる。今は基礎知識が足りていないだけで、それが補充されると爆発的に伸びるわ」

「ほんとですか?」

「ええ! 感覚や実践が大事大事だと言われるけれど、土台になる知識は本当に重要よ。応用を生かす可能性だって増える。ふふ……、座学、頑張りましょうね?」

「ヴッ……」


 ソフィーは頑張っている。頑張っているが、知識を取り込む勉強というものが苦手なことも、マリエラは分かっていた。


「今、ただ詰め込んでいるだけだと思っている知識は、構築や実践に結びついていくときに花開いていくの。色々気分転換しながら頑張りましょう? 私も一緒に頑張るから」

「うう……よろしくお願いします。そういえばマリエラ様も最近何かにとりかかってらっしゃいますよね?」

「ええ。私は魔具を作ろうと思っていて。私自身、魔力はそこまで高い方じゃないから、実技や戦闘には向いてないと思うのよ」

「いや、十分な気がしますけど。あれじゃないですか、マリエラ様の周りにいるのがヴァン様とかフィリップ様とか、並外れた人たちばっかりだから……。あとたまにオースティン様も声をかけてきますよね。あの人も、隣国から招待された優秀な留学生らしいですよ」


 オースティンは攻略キャラの豪商の息子だ。正直、深掘りすると怖いのであまり関わりたくない人である。

「オースティン様ね。入学前に一度会ったことがあるのよ」

「ちょっと慣れ慣れしい方ですよね。私のこと勝手に『兎ちゃん』って呼ぶんですよ、びっくりしました」

「マー……あなたは、ピンクの可愛い兎っぽいものね」

「えへへ。マリエラ様にそう言われると悪い気はしないです」

 にこにこと微笑むソフィーが可愛い。

 マリエラとフレンドENDがあればいいのに。

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