第5話 はじまり、はじまり(5)

 マリエラは十五歳になった。身長はすらりと伸びて平均よりもやや高くなり、胸も豊満ではないが絵に描いたように綺麗に膨らんだ。

 BADルートに入ってもなんとかエンディングから脱出できるよう、必死に勉強を続けた。優秀な魔法使いであれば、だいたいどこの国でも生きてゆけるのだ。様々なところで偶然出会うヴァンには『公爵令嬢が、どうしてそんなに頑張るの?』と不思議がられたが、自分で天才と言う彼もかなり努力していることを知っている。


 マリエラは未だ六番目のお妃候補であるため、新しい縁談がくることはなかった。婚約者についてはヒロインが現れるまで膠着状態だろう。

 本来なら縁談の話は降ってくるほどあるはずだ。この国では十五で結婚できるため、貴族のおおよそ半分は婚約者が決まり始める。


(婚約者を決めるゴタゴタとか無かったのは幸いだったかも)


 マリエラの部屋の本棚には参考書や魔法書、各国の風土や歴史本がびっしり詰まっていた。来年の王立魔法学園入学も決まり、そこは全寮制なのでしばしお別れである。

 寮は二人で一室の相部屋である。貴族階級や占いによる相性なども加味されて振り分けられ、問題がない限り四年間変わることはない。ゲーム通りにいくとおそらく、マリエラの同室はヒロインのソフィーだ。本来なら貴族階級の子女であっただろうが、ソフィーは特別なのである。


 まず、ソフィーが奨学生として入学することになったのは偶然である。王宮の魔法士が下町で散歩していると、偶然持っていた魔力探知メーターが異常アラームを鳴らす。その原因が食堂の娘のソフィーだった。調査したところ、彼女は尋常でない魔力を体に保有し、その属性も未知数。のちに、百年に一人現れるという聖なる力の持ち主だと判明するのだが――学園としては手塩にかけて育てたい期待の新入生。彼女を導いてやれる者が望ましい。そこで名が挙がったのがマリエラである。


 公爵令嬢であるマリエラは、同等の家格の子女がいなかった。一応王妃教育も受けていて、人格的にも問題なしと王宮から太鼓判を押されている。何より、勉強が趣味の『ガリ勉お嬢』だともっぱらの噂だった。

(導いてやろうじゃない! 国のためヒロインのため、そして私自身のために、ハッピーエンドのその向こうへ!!)

 マリエラとしてはソフィーと同室でなければ困るのだ。




 学園の入学通知が各々に届き渡り、王宮の外れでささやかな茶会が開かれた。親睦を深めるという理由で、次の一年生になる貴族の子どもたちが招待されたのである。そこには第一王子のフィリップが参加するとのことで、ほぼ全員の三十人ほどが集まった。

 一通り挨拶を終えたフィリップが、ひっそりジュースを飲んでいたマリエラに気付く。


「学園に入ってもよろしく頼む、マリエラ」

「こちらこそよろしくお願いしますわ、殿下」

 こくり、と頷いたフィリップは背中を向けて去って行く。彼の隣にいたヴァンは、マリエラにひらひら手を振って殿下についていった。

 フィリップとは親密でもなければ険悪でもない。ちょうど良い距離だと思っている。ふぅ、と息を吐いてグラスをウェイターに返した。


「そこの綺麗なお嬢様、こちら東の国特産の果実紅茶など如何でしょう?」

 声のする方を向くと、丸いテーブルの上に幾つものティーカップを並べてあった。カップはどれも絵柄や色味が違い、ベルグラント王国では見慣れない異国情緒がある。

(隣国の商人かな)

 ジュースを飲んだところなので、マリエラは菓子を食べたかった。テーブルからすっと視線を逸らす。彼の相手は『綺麗なお嬢様』に任せよう。


「ちょちょちょ、艶やかなプラチナブロンドの貴方に言ってるんですよ! 果てのない空のような碧眼の貴方です!」

 ん? と思ってマリエラは振り返った。声をかけてきた若い青年と目が合う。途端、マリエラの全身の毛がぞわぞわと逆立った。


「私のことでしょうか」

「そうですよ、マリエラ・シュベルト様。貴方ほど美しい人もなかなかいないでしょう」

「……口がお上手ですね」

「まさか、本心ですよ」

 彼は心外だとでもいうように、両手を軽く上げてみせた。

「あなたのお名前は?」

「名を訊ねてくださいますか! 私は東の国からやって来ましたオースティン・ギャラン。一応、父が男爵位を持っております。ギャラン商会、ご存じです?」

 やっぱり――。マリエラの背中につぅっと冷や汗が流れる。


「この大陸でギャラン商会を知らない者などいませんよ」

「嬉しいですねぇ。今日は商人としてやって来ておりますが――実はオレ、来年にここの王立魔法学園に入学するんだよね」

 オースティンはパチンとウインクした。

(知ってる……実は二歳年上ということも知っている……!)

 紫色の瞳はやや垂れ目がちで、薄い紫色の髪を一つにくくり、雀の尻尾のようにチョンとはねている。口が大きく、顔の造作も整い、色気のある顔立ちだ。身長もぐっと高い。

『マジラブ!』メイン攻略キャラクターの一人である。



〝オースティン・ギャラン。隣国の成り上がり貴族、大陸に名を轟かせる豪商の出で留学生。ちょっとチャラい。〟



「そのときはよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 オースティンが浮かべる微笑みは女を落とすために作られたものだ。軽薄そうに見える彼の本性は、計算高くて人間不信。利益のためならキスぐらい余裕でする。ヒロインがそういう自分を受け入れてくれると分かって底なし沼に溺れるタイプである。


〝メリバENDの場合、マリエラは新興宗教の憑坐にされ、夜は教祖に調教されている。敗北ENDの場合だと愛玩奴隷としてマフィア団体に売られてしまう。〟


(イ――――――ヤ――――――だ――――――!!)


 マリエラはメリバENDルートの詳細を思い出して身震いした。ギャラン商会が開発した激ヤバい薬を日常的に少しずつ盛られたマリエラは、彼の商会と繋がっている教祖と引き合わされて洗脳されていく。辿っていくシナリオが怖かったのだ。

 教祖は狐を思わせる美しい顔立ちで、口も上手く、彼が言うことが全て正しいのだとマリエラは信じていくし、ユーザーも騙されそうになる。教祖に心酔していくマリエラは哀れで可愛らしく、命令されたことは何でもする。

 それらを裏で手を引いていたのはオースティンであった。


(裏商売しているのはBADルートのときだけか、それすら分からない! そうではないと信じたい!)


 基本的に、本当に優しいのはヒロインに対してのみであるため、あまり関わらないのが吉である。

 にこり、と余所行きの笑みを貼り付けてマリエラは会釈した。オースティンが少し意外そうな顔をする。


「どうかされましたか?」

「ああ、いや……マリエラ様は本当にお美しい方だと思いまして」

 急に商売人用の顔つきになった彼に、マリエラはようやく理由が分かった。

(自分の顔に見惚れなかったから驚いてるんだ。わぁ~すごい自信と実績)

「オースティン様ほどじゃあありません」

「ふーん。彼は美しいってこと?」


 マリエラのすぐ耳元でざらりとする声がした。吐息が首元にかかり、思わず「ぎゃぁっ」と声を上げる。ヴァンが後ろからマリエラに屈み込むようにして囁いたのである。


「ヴァン様、驚かさないでください」

「別に脅かそうとしてないけど。ただの挨拶だよ」

 ヴァンはきょとんと首を傾げた。すっかり背が伸びた彼をマリエラは見上げる。襟足は短いのに前髪が長めなせいで、不思議な心地にさせる灰色の瞳が見えにくい。


「ヴァン様、もう少し前髪お切りになりませんか」

「マリエラ嬢は短い髪の方が好きなわけ?」

「特に考えたことはありません。目に突き刺さって痛いのじゃないかと思って」

「俺はどっちの方が似合うと思う?」

「んー……今の方がいいかもしれませんね。ほら、ヴァン様ってたまに、人を小馬鹿にして見ているときがあるじゃないですか。それが誤魔化されます」

「言うじゃん」


 言い過ぎたと思ったときには、ヴァンは愉しそうに目を眇めてマリエラを見下ろしていた。嫌な予感がする。

 ヴァンがマリエラの首に向かって人差し指を指し、横にすいっと線を描いた。ぱちぱちとシャンパンの泡が弾けるような魔法の粒子が煌めく。続いてマリエラの首元に違和感が起きた。


「え、なにしました?」

「あげるよ。今日の夜まで外れないけど」

 ヴァンが宙に鏡を出現してくれたので見てみると、首に見慣れぬチョーカーがはまっていた。真っ黒の上等なリボンに、両縁に銀色の極小の石が飾られている。


「なんですかこれ」

「チョーカー。知らないの?」

「いやそういう意味でなく」

「君のために用意したんだから使ってよね」

「なんか偉そうに言われるの心外なんですけど? でもありがとうございます。シンプルなので使いやすそうですね」

「学園に行ったら毎日つけとけば? 君、なんか巻き込まれそうな星があるし」

「待って、それってヴァン様の占いの結果ですか。このチョーカーにお祓い効果でも付与してくれたんですか。ちょっと詳しく――!」


 ゴホン! とわざとらしい咳が聞こえた。びくりとしたマリエラと、かったるそうなヴァンがそちらを見る。オースティンが苦笑いしていた。


「えーと、逢い引きするなら別のところでしてくれませんか? テーブルの前を占領されると、皆様方に我が家オススメの紅茶が振る舞えません」

 ああ――、と二人は果実紅茶を貰う。

「逢い引きでもなんでもないですが、はい、さすがギャラン商会オススメの紅茶、フルーツの香りがして美味ですわ」

「俺が彼女に好意を寄せてるなんて不名誉極まりないけど。マリエラ嬢はガリ勉しかしてないチョット可哀相なお嬢様なだけで。うん、美味しいね」


 ほぼ一気飲みした二人は同時にティーカップを返し、それぞれ別の方向へと別れた。

 オースティンの目が『こんなところでイチャついてんなよ』と言っていたのは明白だが、勘違いも甚だしい。マリエラのことを〝チョット可哀相〟と言ったヴァンは、今はどこぞの子爵令嬢に柔らかく笑いかけている。十五になったヴァンは、女の子に対して優しく接することを覚えたのだ。最初のつっけんどんな態度が嘘のようである。あの頃の自分をマリエラが知っているからか、単純にマリエラに優しくする必要はないと思っているのか――マリエラがあんな風に笑いかけられることはない。今も目の前の女の子に「本日も可愛らしいですね」なんて言っているみたいだが、マリエラはそんなの言われたこともない。


(まぁ、言われたところで鳥肌がたちそうだけど)

 首元のチョーカーをさり、と撫でた。分厚い羽毛を凝縮したような不思議な感触がした。




 そして王宮での茶会から三ヶ月、もうすぐ十六歳になる春。

 マリエラは家族に一礼して馬車に乗り込んだ。

 いよいよゲーム本編、王立魔法学園での生活がスタートする。



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