第24話 身を灼く炎を、抱きしめましょう


 徽章の術師が右足を前に出し、複雑な手印を組んだ。同時に左右の術師らがたがいに距離をとり、包囲陣を形成する。腕がわずかに発光しはじめる。


 が、アルティエールが早かった。


 背中に両の腕をまわし、手のひらを組み合わせる。目を瞑り、祈る。ちからを呼ぶ。握ったこぶしが、黒い光を纏う。


 目を見開く。正面を見据えて、瞬時に拳を前に振り抜く。


 術師たち自身に、直截の打撃が加えられた。並んだ全員が強い衝撃を頭頂に感じ、なにかを思う前に地に打ち据えられていた。うめく。意識を失った者、頭をかかえてのたうつ者もいた。


 彼らは神式の衝撃を学んでおり、慣れている。空間を構成する粒子を媒介し、なんらかの物理的影響を対象にあたえるちから。それが神式であり、作用機序は熟知している。


 だが、いまアルティエールが放ったものは、彼らが予想しえない、未知のちからだった。


 「……おのれ……魔物め」


 徽章の男が噛み締める歯のあいだから声をだした。半身を起こし、手印を組み、拘束の神式を起動する。その効果は、だが、アルティエールに及ばない。すでに反転し、走り出していたからだ。


 術師たちが跳ね起きる。脚のはやいものはすぐに彼女に追いつき、打撃をくわえた。が、手刀はアルティエールをつつむ薄い霧のようなものに阻まれ、雷撃も炎撃もとおらない。


 アルティエールは振り返り、追っ手が一定数を超えたことを確認して立ち止まった。術師たちが勢いあまって前方にのめる。アルティエールの二の腕が顔の前で組み合わされる。風が舞い、紫色のちいさな雷が彼女のまわりで踊った。


 はぁっ、と強く息を吐くとともに両腕を左右に展開する。雷たちはゆきばを失い、前後左右をかこみつつあった術師ひとりひとりに直撃した。


 悲鳴をあげて倒れる術師たち。だが、攻撃を避けたものもいた。その反撃のいくつかが彼女の顔を打ち、背中を切り付けた。振り向きざまに拳を握りしめ、直後に相手に向けてひらいた。攻撃者は見えないちからに吹き飛ばされ、転倒した。


 アルティエールは、奔った。口のはしに血が滲んでいる。片足を、ひきずっている。左の腕は腹をおさえている。服のあちこちがあかく染まっている。


 幾度もの攻撃を退け、なんども相手を打ち据え、それでも無数の衝撃をうけて、アルティエールはいま、なかば意識を失いかけながらはしっていた。


 やがて、攻撃がやんだ。足を止める。追手は来ていない。


 どこをどう走ったのか、彼女自身にもわからない。ただ、気がつけば、わが家のすぐそばにいた。


 追ってが掛かっているのだ。本来なら、こんな場所に来るべきではない。知られているとはいえ、自らの家を彼らにわざわざ示すことはない。


 だが、いまの彼女に、そのことに思い至らせるちからは残っていなかった。


 度重なる打撃に機能を失った腕をおさえ、鮮血に塞がれかけた目をようやく見開き、彼女は、なつかしい、ふるさとをみた。


 重い足をゆっくりと動かす。もはや、はしれない。ようやく一歩、そして一歩。レクスが待つ、彼との想い出が彩る、あの家に。彼女は、一歩ずつ、足をひきずり、ひきずり、すすんだ。


 戸口に手をかけたが、転倒した。しばらく苦悶し、なんとか身を起こす。しろかった服は、すでにどす黒く染まっている。部屋にはいる。見慣れた情景。ほんのわずかまえに出たばかりなのに、もう、何年もかえっていないかのように感じた。


 食卓。炊事場。窓。皿、食材、室内着。長椅子、敷物、壁の絵、奥の寝室につながる扉。空気。レクスとともにくらし、レクスとおなじ匂いをかんじ、レクスとならんでうたた寝をした、なつかしい、部屋。


 レクスが、食卓のむこうでわらっているのが見えた。アルティエールも微笑んで、そちらに手をのばす。


 「……ただい、ま」


 地面を揺るがす衝撃音。


 転倒するアルティエール。


 家ぜんたいが、呪いの炎に包まれていた。


 もがきながら身を起こし、窓のそとをみる。


 さきほどよりも多い術師たちが手印を組み、包囲と焼滅の神式を起動していた。


 アルティエールは水をよび、熱に備えた。が、できない。神式による、能力の阻害が発動していた。ふだんの彼女ならわけもなく跳ね除けている。しかしいま、幾重にも受けた傷が、彼女の能力をほとんどうばっていた。


 出口に這い寄る。熱と煙が彼女を包む。焼ける腕をのばす。出口は、しかし、神式により閉鎖されていた。なにものも、空気すら、出入りが許されない。指が分厚い空気の壁に阻まれる。


 呼吸が、苦しい。息ができない。閉鎖された空間であがる激しい炎は、急激に酸素を消費し、有害な煙をうんでいた。アルティエールは喘いだ。喉をおさえる。視野が霞む。


 戸口の向こうに、透明な神式の壁のむこうに、わらう術師たちの姿。


 涙が落ちたが、灼熱がすぐに蒸発させた。


 死ねない。


 アルティエールは思いつくすべてのちからをつかい、いずれも無効であることを知り、床に爪をたて、肘と膝でうごいて壁に背中を叩きつけ、息がつづくかぎりそれを続けた。続けて、そうして、息が、やがてとまる。


 レクスを、待たなきゃ。


 かれが、かえってくるから。


 むかえなきゃ。むかえたい。むかえたい。


 しね、ない。


 し、ねな、い。


 呪いの炎はすでに部屋いっぱいにまわっている。椅子にかけられていたレクスの室内着に着火した。それを見るアルティエールの黒い髪も、いまや熱をたくわえ、ゆがみ、縮れている。


 れ……く、す……。


 動きをとめた彼女は、やがてゆっくり這いずってくる炎に飲み込まれていった。そのからだは、すぐには灼きつくされない。意識は、しばらく続いた。末期の苦悶が途切れるころ、彼女は痛みとくるしみから自由になった思念で、レクスに、さいごの言葉を残して、この家の、この世のすべてにそれを刻み込んで、絶えた。


 左手で輝いている指輪、つい先日の誕生日にレクスから贈られたそれが、彼女を構成するもののうちで、最後まで形とひかりを失わなかった。


 情景は、炎で塗りつぶされた。


 エルレアは絶叫していた。


 彼女は、くろい骸となったアルティエールのすぐ横にたっている。


 はじめからみていた。アルティエールの横で、ずっと、奔るのを、たたかいを、そして徐々に灼かれる身体といのちを。アルティエールの魂、その最期の一片が溶けて消えるのを、ずっとみていた。なにもできず、ただただ、無惨な舞台の観客であることを強要されていた。


 エルレアの涙は炎に炙られることはなかった。熱をかんじない。演劇のように、絵画のむこうのように。


 音も消えている。


 炎だけが、禍々しい光だけが、なにかの冗談のように踊っている。


 エルレアは悶え、膝を折り、アルティエールのほうに手を伸ばす。が、指は虚しく空を切る。身体をまげて、こえもだせずに、ただ、泣いた。額を床に叩きつけ、頭を抱えて、震えながら泣いた。


 横には、いつかジェクリルがたっていた。


 レクスのまっすぐな金髪はもう、そこにない。やわらかい瞳ももう、ない。革命の赤獅子とよばれた跳ねた赤毛。絶望をたたえ、ひかりを見ることを拒絶した、くらい目。


 腕を組み、目の前の情景を、焼き尽くされるアルティエールを、見据えている。


 「……目を逸らすな」


 ジェクリルは膝をつき、床に突っ伏すエルレアの髪を乱暴につかみ、持ち上げた。目の前の光景を突きつける。


 場面が戻る。アルティエールが戸口からよろめき、這入ってくる。エルレアは叫び、止める。が、倒れ、炎に包まれ、やがて果てる。エルレアは泣き喚く。場面が戻る。アルティエールが戸口からはいり、やがて果て、場面がもどり、なんども、なんども、なんども、アルティエールの最期が、アルティエールの苦悶が、エルレアを襲う。襲い、襲い続ける。


 もはや、エルレアは、うごけない。目が光をうしなっている。


 「……これが、神式だ。これが神のことわりだ」


 ジェクリルの言葉は、ことのほか、静かだった。


 「正しいちから。唯一の正しいちからが、誤ったちからを、訂正する。それが、神の……精霊の、意思だ。そのことから目を逸らすな」


 エルレアの髪を離すと、彼女はそのまま床に落ちた。震えている。床に額をつけたまま、なにかを拒絶するように小刻みにあたまを振り、嗚咽のような、空気が震えるような声を、ずっと、吐いている。


 「わたしは……レクスはこのあと、戻ってくる。アルティの骸とともに、焼けて死ぬために。アルティをひとりにするわけにいかなかったからだ。そうして永劫の扉をくぐろうとするとき、あの方に声をかけられた」


 目の前の光景は、いまだ繰り返されている。アルティエールは、なんどもその美しい髪をやかれ、なんども苦悶の表情をうかべ、なんどもレクスの幸福だけをいのり、生命を終え、また、炎につつまれた。


 ジェクリルはエルレアの肩をささえ、顔を起こし、その目をまっすぐ見据えた。


 「……君のたすけが、必要だ」


 ◇


 第二十四話、いのちの、ほんとうに大事なものの、所在。


 今後ともエルレアを見守ってあげてください。


 またすぐ、お会いしましょう。


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