第7話 ひとの心は捨てましょう


 朝まで続いた評議会との話し合いが終わると、こんどは軍議がジェクリルを待っていた。エルレアが指導する部隊が作戦から戻ってきていたためである。現場の指揮官を含め、同行した兵、術師、みななにか放心したような表情だった。


 各部隊の長たちは、指揮官を指弾した。革命軍は部隊ごと、作戦ごとに現場に委ねられる采配の幅はおおきかったが、それでも今回の逸脱は軍全体として受け入れかねるものだった。が、かんじんの指揮官は首を捻るばかりだった。


 いえ、わたしは予定どおりの作戦指揮をしていただけです。術師たちも通常神式だけを使っていました。えっ、王宮が燃えた? まさか、我々からはそんな様子は見えませんでしたよ。矢の一本くらいは届いたかもしれませんが……。


 指揮官は事実とまったく異なる説明を繰り返したが、神式による判定でも虚偽とは思われなかった。結局、革命軍の内部でもことの真相はまったく掴めないまま、評議会の結論と同様に、指導者であるエルレアに聞いてみるほかないということだけが決まった。


 ジェクリルは、評議会を通じた王室との協議によっては革命軍の今後の行動が変わるかもしれない、各部隊はしっかり休養をとり準備を怠らぬように、とだけ指示して夕刻に軍議の場を離れた。


 側近である若い術師がついてきたが、部屋に戻れとうながし、ひとりになった。


 続いた軍議での疲労もあるが、別の理由もあった。


 執務棟を出て庭を横切り、聖堂に向かう。


 初夏のこの地方は、鮮やかなピンクの波状の花弁をもつ優雅な花が咲き乱れることで有名だった。この城の庭にもあちこちに群落がある。王宮ほどではないが、花々と濃い緑、白い石壁のコントラストは格別であり、城を訪れるものの目を楽しませた。


 聖堂もまた、その花々に囲まれている。棘と蔓を持つその花は門のようにしつらえられており、ジェクリルは甘い芳香に包まれながらその下をくぐった。


 木の扉を押し開ける。背丈の倍より少し大きい重厚な室内は薄暗い。天井付近の細い明かりとりからわずかな光が差し込んでいる。光は、ちょうど部屋の奥にならぶ<現神>たちの像を照らすかたちになっていた。


 この国を含め、ほとんどの地域では、神に祈る習慣がない。


 神は、全能である。世界を作り、行く末をはかり、最期を決定する。人間は、試される存在であった。祈り働きかけるものではなく、ただ、神式という恩寵を与えられ、見守られるべきものだった。


 一方、現神は、人間と似た姿をとり、人間の世に現れ、人間と交渉をする、神の代理人と考えられていた。一般に、人々は現神たちを祀り、祈り、行動規範とした。


 現神は抽象的な概念ではなく、現実の存在であり、一部の術師は直接かれらと会話することができるとされていた。現神はそれぞれ特定の分野を司っていた。人間が使用するエネルギーとしての神のちから、神式を司るのは、女神ゼディアであった。


 ゼディアは神の理の執行者として神式のながれを制御し、人間に分け与える。人間側も代理人を立て、交渉する。その人間側の代理人が<主人>、主たるひと、と呼ばれる生まれつきの超高度神式術師であった。


 この城も、他の宗教施設と同じように、すべての現神たちを聖堂に祀っている。いまジェクリルの目の前にあり、淡い光にその美しい横顔を照らし出されているのが、ゼディアの像であった。


 ジェクリルは、しかし、跪こうとはしなかった。像と目を合わせることをためらうように顔を背け、別の現神の方を見た。


 視線の先の現神は、女性のようだったが、端正で豊かな美貌をもつゼディアとは対照的だった。嵐の海のように髪が荒々しくうねり、重く閉じられかけた瞼の下から射るような視線を投げかけてくる。鎖が巻きつけられた右手は、彼女がおさめる地下世界を指し示していた。


 冥界の女神、ウィズスだった。


 ジェクリルはウィズスの像に歩み寄った。あたりを伺うように見回し、背後にまわった。左膝を床につけ、石畳に手のひらをかざす。すると、いくつかの石畳の縁が薄く発光し、音もなくゆっくり沈んでいった。現れたのは、階段だった。


 ジェクリルはその階段をゆっくり降りていく。入り口が背後で静かに閉じる。壁のちいさな灯りがともってゆく。


 たどり着いたのは、小さな石室だった。


 中央に祭壇のようなものがある。その上に、棺ほどの大きさの石が載せてある。


 ジェクリルは無言でしばらくそれを眺めていた。やがてゆっくり、左のてのひらを石に向かってかざす。


 灰色だった石の表面が透き通ってゆく。かすかな光を帯びながら、やがて一塊の氷のようになったその石の中心には、ひとりの女性が横たえられていた。


 「……アルティエール……」


 ジェクリルは跪き、女性の手のあたりに、自分の手を重ねた。


 「……誕生日、おめでとう。必ず、必ず呼び戻すからね……」


 黒く短めの髪、ゆるやかに閉じられた瞼は、生きているともそうでないとも見えた。指には、ジェクリルの手にあるものと同じ指輪が光っている。


 ジェクリルはずっと無言のまま、凍りついた女性のそばで祈り続けた。


 と、ジェクリルは急に顔を起こした。女性を見るときの哀しそうな、慈しむような色が消えている。立ち上がり、早足で階段を上がる。先ほどの入り口がまた開き、彼は聖堂に戻った。


 施錠しておいた扉を開ける。側近の若い術師が、震えながら立っていた。


 ジェクリルはその手を乱暴に掴み、聖堂に引き入れる。再び施錠し、術師に向き合う。術師は引き攣るような表情を浮かべている。


 「……どこまで見た」


 押し殺すように問うジェクリルに、術師は首をわずかに振った。


 「い、いえ、わたしは……なにも……ただお姿がみえなかったから、お探しして、そうしたらこの聖堂の近くで……」


 「君が思考感応の神式をつかうことは知っていた。だが、わたしに感づかれずにいることは君のちからではできなかったはずだ。なぜ可能になった。誰かの指示か」


 「……え、エルレア様と共有して、強化されたのでございます……」


 その名を聞いた時のジェクリルの目の色は、術師をあらためて凍り付かせるに十分なものだった。術師はジェクリルのそばで事務を扱っていたから、難しい問題を抱えた時の彼の表情、そして教練のときの鋭い目つきには日常的に触れていた。


 だが、いま目の前にいるのは、彼が知っているジェクリルではなかった。


 「……そうか……あの時と同じ、か……」


 ジェクリルは術師の肩に手をおいた。びくっとする術師。


 「アルティエールを見たか。美しいだろう。私の妻だ」


 「は、あ、いや……はい……」


 「もうずっとああやって眠っている。今日は誕生日だったんだ。一緒にお祝いをしようと思ってね。ああそうだ、君もいっしょに祝ってくれないか」


 「……」


 「アルティエールをみたのなら、きっと君はみただろう。その時のわたしの心を。わたしを縛っているものを。わたしの、神を」


 「……」


 「あの方はアルティエールに、わたしにいのちを下さる。永遠のね。あの方と共にある限り、わたしたち二人はいつまでも一緒だ」


 術師はがたがたと音を立てて震え出した。


 「……君も、あたらしいいのちをいただくんだ。ウィズス様のお情けにより」


 そういって、ジェクリルは左の手のひらを術師に示した。


 術師は逃げようとするようにのけ反り、しかし目を見開いて止まった。震えが収まる。表情が弛緩する。


 手のひらの中央に、目、があった。


 血走ったその目は、意思をもつようにわずかに動き、術師を見据えた。


 術師は動かない。頭髪の色が失われていく。皮膚の色がどす黒くなる。そのまま崩れ落ちた。やがて彼の身体は形状を保つことができなくなり、崩壊し、塵となった。白い革命軍の術師服だけが残る。


 ジェクリルはしばらくそのまま立ち尽くしていた。


 泣いているようにも、笑っているようにも見えた。



 ◇



 第七話まで読んでいただきありがとうございます!

 心からお礼を申し上げます。


 今後とも、わたしのエルレアを見守ってやってください。

 またすぐ、お会いしましょう。

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