第3話 まずはお腹を満たしましょう


 コンに手を引かれて廊下をゆく。


 コンはあたまからふわっとかぶる、薄黄色の服を着ている。首周りに見たことがある模様が刺繍されている。たしか、革命軍の本拠地がある地方の流行……そして俺もまた、同じかっこうをしていた。寝ている間に着替えさせられたのか。


 さっきの部屋と同じ、木組みの壁。ところどころになんらかの神式であかりが点っている。料理の匂いがだんだん強くなってきた。突き当たりまで来たところで、コンがカーテンのようなものを開ける。


 厨房だった。ぐつぐつと音を立てる鍋、薪のオーブンで肉がこんがりと焼けている。何人かの女、そして先に戻っていたロアが忙しく立ち働いていた。


 「おまえ、なんか喰いたいものあるか」


 問われて、俺はとまどった。食事の好き嫌いを尋ねられる経験がなかったからだ。


 「……特にない」


 「なんだよ張り合いのない。そっちに座ってろ。そこで話すことはまわりに聞こえないようになっている。姿も霞んで見えるはずだ。そういう神式でまもってある……ああ、女たちと俺のことは気にするな」


 ロアは食材が積まれている棚の近くを指さした。テーブルに何品かの料理が並べてあった。やむなく適当な椅子を引き寄せ、座る。たしかになにか、薄い膜をとおりすぎるような感触があった。防御神式の一種を感じた。いったいだれが起動させたのか。


 コンも俺のとなりに腰を下ろす。違和感も危険も感じない。その毒気のない容姿のおかげか、俺がいまの現状を受け入れられずにぼんやりしているためか。


 「コン、エルレアはどうした」


 「呼んだんだけどねー、ちょっと待ってって楽屋にいっちゃった」


 「楽屋あ? なんだっつーんだ。彼氏を待たせるんじゃねえよな」


 コンとロアが同時にこちらを見る。俺は目を伏せた。


 と、さっき入ってきた入り口から誰かが入ってくる。そちらを振り返って、俺は思わず口に出していた。


 「エーレ……」


 入ってきた男性がはにかんだように笑う。珍しい深緑色の髪、同じ色の瞳。術師団でなんども戦術を語り、なんども神式格闘で手合わせした、術師団の若きエースに他ならなかった。


 「……なんでここに」


 いや、わかっていた。訊ねるまでもなかった。だが俺は、訊かざるを得なかった。


 「やっと目が覚めたんだな」


 エーレもテーブルの反対側に座った。


 「無理もない。わたしでもあれはきつかった。むしろよく正気で目覚めたもんだ。食べられるか?」


 そういって皿を俺の方へ差し出す。


 「できるだけ早く食事をしたほうがいい。跳躍の反動が薄まる」


 「……どういうことだ」


 「ん? なにがだ」


 エーレはフォークを手に取り、いかにも自然なしぐさで皿の上のものを口に運んだ。あんなことがあったのに。術師団の食堂でいつも見ていた姿がそこにある。奇妙な懐かしさのようなものと苛立ちとが俺の中に同居していた。


 「おまえはだれだ。ここはどこだ。あそこでいったい、なにがあった」


 「ここはロアの酒場だ。ロアから聞いてるだろう? ここは、ここだけは絶対に心配はいらない。気兼ねする必要はない。あなたのこともロアには説明してある。それに、わたしを忘れたのか? あれだけ一緒に教練した日々はなんだったんだ?」


 「ああ、ああ、よく覚えているとも。貴様の顔はエーレだ。声もエーレだ。だがなあ!」


 椅子を蹴ってエーレの胸ぐらをつかもうとした。が、その手を、いつのまにか横に来ていたロアがとめていた。酒場の主人とは思えない腕力。かなりの手練れと見えた。ロアがにかっと笑う。


 「まあ落ち着けって。エルレアも困ってるじゃねえか」


 その名を聞いて、目眩が戻る。情景が蘇る。長い栗色の髪。閉じられた瞼。振り返った瞬間、塞がれた……口。


 エーレが、ふう、とため息をついた。


 「悪かったと思ってる。結果的には騙すようなことになってしまった。だけどああするしかなかったんだ。時間もなかった」


 「……」


 「まさかこんなに早く、事態が動くと思ってなかった。止めるいとまもなかった。本当はこうなる前に止めたかった。あなたのためにも、わたしのためにも」


 そういってエーレは、俺の手のひらを握った。思わず手を引っ込めそうになったが、なぜか動けなかった。強いちからではなかった。エーレが目を閉じ、少し俯いた。なにか、夢をみているような仕草と思った。


 しばらくそうしていると、エーレのまわりに燐光が輝きはじめた。やわらかい、優しい光だ。同時にエーレの髪も輝き出す。まわりの音が止まった。料理の匂いが消えた。


 唖然としていると、エーレが一瞬、ひときわ強い光に包まれた。思わず目を伏せ、再び顔をあげて、俺はまた口をあんぐりと開ける羽目になった。


 エルレアが照れたような表情を浮かべ、テーブルの向こうに座っていた。


 エーレはもともと優しい、女性的な顔立ちだ。背もさほど高くはなく、線も細い。だから服装を変えるなり化粧をすれば女性に見せることもできたのかもしれない。だが……目の前にいるのは、まぎれもない女性だった。うまくは言えない……が、匂い、が違う。


 背丈も違う。こぶしひとつ分はエーレよりちいさい。深緑の、見るものをふと懐かしいような不思議なおもいに導く長髪も、ながさは同じまま、栗色のすこしふわっとした髪に変わっていた。


 革命軍の希望、魔式の使い手、軍師にして戦士。


 「……わかったでしょ。わたしは、こんな感じ」


 黙り込むほかなかった。エーレだったはずのエルレアは、髪と同じように深緑から栗色にかわった瞳をこちらに向けて、グラスを一息に飲み干した。


 「最近は少しうまく制御できるようになってきた。はじめは大変だった。まわりを囲まれて、すこし触れられるだけで影響を受けた。女でいるときは男に、逆の時には逆に。女装とあなたはいったけど、それならどれだけよかったことか」


 「でもねーちゃん美人だからいーよね」


 コンがテーブルの隅で、手に顎を乗せてにやついている。エルレアは少し困った顔をしてコンのあたまをくしゃっと撫でる。


 「ありがと……あ、レリアン。この子はコン、もう聞いた? 革命軍にはいる前から一緒に旅をしている、わたしの唯一の家族ね。今はわたしと一緒にこの酒場で寝泊まりさせてもらってる」


 家族ね、というところでコンが満面の笑みになる。


 「……貴様は、誰なんだ」


 「さっきも言ったでしょ。あれだけ一緒にしごとをしたのに忘れたの」


 「それはエーレだ。貴様は……革命軍のっ」


 おもわず怒鳴りそうになる。エルレアの手が伸びてきて、俺の口を塞ぐように指を立てる。


 「さすがにあんまり大きな声でいわないほうがいいかな。まあ、ここなら大丈夫だと思うけど。ねえロア」


 「当たり前だ。何年ここでおまえら守ってると思ってるんだ」


 ロアがふん、と鼻を鳴らす。


 「いつも感謝してる。あのときだって戻ってくるには<ふるさと>が必要だった。ここがあったからこそ生きて帰ってこられたし、これも守れた」


 エルレアが傍においていた袋を取り上げた。粗末な穀物の保存袋をちいさく折りたたんでいるが、なかに何か入っている。取り出すとさらに小さな箱。エルレアが少し引き出しただけで、その紫色の筐体にいくえにもかけられた複雑な防御神式から、迫力ともおそれともいえない、不思議なちからが放射されていることを感じた。


 「……<証>っ!」


 「大丈夫、袋は少し焼けたけど、中身は無事だよ」


 どすんと腰を下ろして、俺は長いため息をついた。


 「……いったい……なにがどうなってやがる……」


 ロアがグラスを俺の前に置いた。巨大なそれに、並々と液体が注がれている。見るからにキツい酒だ。


 「さっきも言ったろ。ここは酒場だ、まずは呑むこった。話はそれからだな」


 「かんぱーい!」


 コンが果実を絞ったものらしいカップをかざした。エルレアもそれに合わせて、グラスをもちあげた。


 術師団でも酒は禁止されていない。そして俺は、けっして弱い方ではない。しかし、できるだけ避けてきた。鍛錬の邪魔になるからだ。集中を削がれることは苦手だった。それでもいま、俺はこれを飲まずにはいられない。一息に飲み干す。すぐに腹の底が熱くなった。


 俺の前で三人とも、楽しそうに笑っている。ちくしょう。


 ◇


 第三話まで読んでいただきありがとうございます!

 ほんとにほんとにうれしいです!


 あなたもエルレアを好きになってきたなら……

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 泣きながらお礼にうかがいます。


 今後とも、わたしのエルレアを見守ってやってください。

 またすぐ、お会いしましょう。



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