第7話


「何回見てもやっぱ凄いな、、」


大会優勝の二日後。

待ち合わせをして仲良く登校した三人の目に飛び込んで来たのは、校舎にでかでかと掛けられた優勝祝いの垂れ幕。

拓海が一年生の時に優勝した物を使いまわしているので、優勝した次の日の朝には既に掛けられていた。

優勝を信じてやまない学校関係者達は、優勝以外の垂れ幕を用意せず、予め体育館にぶら下げて埃を落とす用意周到ぶりを見せていたのだが、そんな事、三人は露ほども知らないのだった。


「拓海ー!おめでとうー!!!」

「試合見たぞ!凄かったな!!」

「あれって決勝戦まで手抜いてたの?」


謂れのない疑問だけ否定して、拓海は校門から中々進めずに称賛の声を受け止め続けた。

結局、学校のどこに居ても巻き起こった称賛の声は途切れる事がなく、下駄箱に着くまで、いつもの何倍もの時間が掛かる事になった。


「あれ?拓海それラブレターやないん?」

「そう、、なのかな」


拓海の鍵付きの下駄箱の隙間。

そこには一枚の手紙が挟まっていた。

何も封がされていない、二度折られただけの紙で、中身を見るまでは手紙とも分からないような見た目だった。


「拓海先輩、優勝おめでとうございます、、、か」


手紙に差出人が特定出来るような情報は一つもなく、ただ綺麗な字で優勝のお祝いが書かれているだけだった。

拓海が内容を小さく声に出すのと同時に、遥と葵は気になって手紙を覗き込んだ。


「これだけ、、?」

「なんか怖いなあ」


辺りを見回して、差出人らしき人物がいない事を確認してから、拓海はそうだね、、と二人に同調した。

書かれていた内容は別段怖いものではなく、むしろ嬉しい内容のはずなのに、それでも拓海の胸中にあるのは不安と疑念のみだった。

だが、度を過ぎて優しいと葵に評価される拓海は差出人や目的の不明な手紙ですら無下にする事が出来ず、どうすればいいか分からなくなりながらももう一度折り畳んで鞄に仕舞った。

出来る事なら、気付かない内に鞄から紛失してくれている事を願って。



「あ、部長!改めて一昨日はおめでとうございました!」

「城ヶ崎さんもおめでとう。初めてで準優勝なんてすごいよ」



三年生の教室棟へ向かう渡り廊下。

慌てた様子で早歩きをしていた城ヶ崎が、拓海の姿を見つけて足を止め、興奮した様子で優勝を祝った。


「先行ってるぞ拓海」

「うん!すぐ行くよ」


城ヶ崎に続いて続々とお祝いを言いに来る二年の女子剣道部の面々を見て、時間が掛かりそうだと思った遥と葵は、早々にその場を後にした。

拓海の姿が見えなくなってから、もしかしたらあの中に謎の手紙の差出人がいるかもしれないと考えた二人だったが、特定する方法が思い付かず、一瞬の逡巡の後に教室へと向かった。


「準優勝ですらギリギリでしたけどね、、」

「私は予選落ちだよ?」

「そうそう!唯一全国大会行けたんだから佳乃は凄いよ!」


自分が話し掛けられたはずなのに、自分以外で盛り上がる女子部員達に取り残された拓海は、二人に付いて行けばよかったなと心の中で小さく後悔した。

後悔しようとも、後ろは腰の高さまでの塀、左右正面は女子部員。

悪い事をしたわけではないにも拘らず、逃げ場が無い事に焦りを覚えた。


(特に急いで教室行かないといけないわけじゃないしいいけど)


未だ主役を取り残して盛り上がる女子部員達に温かい視線を向けている風を装いながら、拓海はこの後の授業の事を考えた。

今日は、月に一回しかない倫理の授業がある。

小学校でいうところの道徳の授業。

人生で一度はぶつかるであろう物事を深堀して、そこに対する倫理観を学んだり、どんな考えがあるのかを時には発表し合い、討論を行う事もある。

そんな授業。

優しいがとっかかりにくい先生の性格も相まって嫌われてもいるが、拓海は月に一回ある倫理の授業が、数学や英語よりも好きだった。

ほぼ毎日している剣道の練習を一日サボるか倫理の授業に行くかを問われたら、倫理の授業に行くと即答出来る程には。


「部長?」

「え?あ、ごめん。考え事してた。なんの話だっけ」

「今度部長のカウンター教えてください!」

「私も!」

「あ、ずるい私も!!」


城ヶ崎を含めた四人の女子部員の全員が手を上げる。

部活中は全員の練習を先生が管理している事もあり個別指導が出来ないので、するとすれば部活後の時間になるのだが、

(葵と一緒に帰れないの嫌だな、、)

という理由で拓海は申し訳ないと思いつつも断る事にした。


「じゃあ今日の部活終わりね」

「ほんとですか!?やったー!!」


(、、、あれ?)

断る事を決意したにも拘らず、拓海の口から出たのは了承の意だった。

何故、了承してしまったのか。

それは拓海にも分からない。

ただ一つ分かっているのは、頭に葵の姿が浮かんだ途端、発する言葉が180度変わったという事だけだった。

振られたからといって数日の内に嫌いになれる程、葵に対する拓海の想いは軽くはない。

それなら何故、、。

疑問が解消出来ないまま、約束を取り付けて満足した女子部員達から解放された拓海はその場を後にした。



「どうした拓海?なんか言われたのか?」

「ううん。何でもない」


教室に着いても解決せず、うんうんと唸る拓海に遥が心配の声をかけた。

心ここにあらずといった様子で、教室の後ろで全国大会決勝の拓海を再現するクラスメイト達の事にも気が付いていない。


「なんの話しよったん?」

「カウンターの仕方?を教えてほしいって頼まれた。だから、今日は先帰ってて?」


ごめんね?と拓海は手を合わせて二人に謝罪した。

何故か、拓海の心には大きく占める不安とは別に小さな安心があった。

不安は、きっと二人になったら葵が告白して、二人が付き合ってしまうのではというものだろうと拓海は中りをつけた。

では安心は?

相対する感情の出処に、拓海自身全く見当も付けられなかった。


「貴重な拓海の講義やし、良かったら一緒に教えてくれへん?」

「同じく。そんな貴重な機会仲間外れにすんなよ」


遥はともかく、葵が参加表明をした事に拓海は驚きを隠せなかった。

せっかく、告白のチャンスなのに。

もうどのタイミングで告白するのかを決めてるんだろうか。

もしかして知らないところで既に告白を済ませてるんだろうか。

応援すると決めたのに、既に自分が介入する余地などないのに。

早く結果が出ない事が、燻り続けている葵への恋情を煽った。


(ああ、、これか、、)


女子部員の頼みを断らなかった理由。

先に帰ると告げた時に浮かんだ安心。

そのどちらも、二人で帰らせれば早く結論が出るかもしれないという展望から来るものだった。


「遥はともかく葵は出来るじゃん」

「拓海程上手く出来ひんから教えてほしいねん。遥が出来ひんのは同意見やけど」

「拓海は許すけど葵は許さねー」


何とか断れないかと考えた拓海だったが、結局、いつものように言い合いをする二人の雰囲気に張り詰めていた糸が切れ、なし崩し的に了承してしまった。

葵が言ったように、この三人の関係が好きだなあ、、と拓海は心の中で思った。





「おはようございます」


二限。

朝礼での拓海への祝福の声、終礼でテスト結果を返すという発表、一限の数学を経て、別教室で倫理の授業が始まった。

教壇に立つのは非常勤講師の高橋清香、29歳。

京堂館の女性教員には珍しいパンツスタイルで、スラリとしたその体型と短く切り揃えた髪を揶揄して、倫理の授業が嫌いな一部生徒からは男女おとこおんなと呼ばれている。

倫理の授業は嫌いでも高橋先生の見た目が嫌いな生徒は少ない事から、蔑称で呼んでいるのは極々一部ではあるが。


「萩織さん。試合、最高にかっこよかったよ。見に行って良かった」

「え!?あ、え、ありがとうございます!来てたんですか!?」


驚き、感謝の言葉を忘れてしまっていた事を思い出して慌てて紡ぎ、また驚く。

会場にはそこまで人がいなかったにも拘らず高橋先生らしき姿は見つけられなかった。

それに、ほぼ関わりの無い先生であるにも拘らず応援に来てくれていた事に拓海は驚きと喜びを隠せなかった。

一先生として、拓海は薮本先生と同じくらい、高橋先生を慕って好いているのだ。


「彼女とデートでね。萩織さんの試合は一度見に行きたいと思っていたんだ。剣道のルールを勉強するのに時間が掛かって、結局初めて行くのが最後の全国大会本戦になってしまったけどね」


、、、彼女?

教室にいる生徒全員の頭の上に、クエスチョンマークが浮かんだ。

高橋先生は女性。

それは、全員が知っている。

だが今、確かに彼女と言った。

隠そうともしない堂々とした様子からは、言い間違えたような雰囲気も感じ取れない。

だとすれば、聞き間違えでもないのだろう。

この教室に一人いる、高橋先生を男女と呼ぶ生徒だけは、やっぱり男女だったと喜色を浮かべていた。


「ふふっ。みんな正直に表情に出してくれて有り難いよ。先生に彼女がいる事、意外だったかい?乾さん」

「はい。彼氏じゃなくて、、ですか?」

「そう。彼氏じゃなくて彼女だよ。正真正銘、先生の恋人は女性だ」


恥じらう必要など何処にある?

そう言いたげな様子で、高橋先生は表情だけで胸を張って答えてみせた。

その様子に、教室内は控え目なざわつきを持った。


「あー、勘違いしないでほしい。わざわざ君達の貴重な時間を貰って惚気に来たわけじゃないんだ」


個人的に聞きたい人はいつでも大歓迎だけどね、と高橋先生は茶目っ気のある表情で続けた。

まだ、生徒達の思考は追い付いていない。

そんな事を知ってか知らずか、高橋先生は生徒達を置き去りにして黒板に大きく文字を書き込んだ。


「今日のテーマは同性愛について。最近の言葉で言うと、、、広義ではあるがLGBTについて学ぶ時間とでも言っておこうか」


大きく書かれた同性愛という文字を消して、高橋先生は黒板の左端に縦書きでLGBTと書いた。

そして、Lの部分を差して振り返る。


「渡辺さん。LGBTという言葉は知っていたかい?」

「はい」

「それは良かった。なら、このLは何の略か知っているかな?」

「レズ、、、ですか?」

「おお。凄いね。初めて一度で答えてもらえたよ。正式名称を言うならばレズビアンだね」


解答を口にしながら、Lの横にレズビアンと書き込まれていく。

その様子を見ていた生徒のほとんどが、この後の展開を予想して、衝撃で遅くなっていた思考を加速させた。

Lはレズビアン。

それならGBTは何の略だ、、?

もう当てられないだろうと安心して背凭れに体を預けていた渡辺以外は、振り返る高橋先生から必死で目を逸らした。


「では次はLGBTのG。佐久間さん、分かるかい?」

「、、、ゲイ?」

「おお!素晴らしい。じーえーわい。ゲイです。多種多用な示し方があり、確かな線引きを知らない方も多いと思うので解説をしておくと、ゲイは自身が男性でありながらも男性を恋愛対象としている人の事を指します。ですので、性同一性障害を持ち、戸籍上は男性だが中身は女性の方はここには分類されません。オネエやホモと言われる事もありますが、そういった表現は当事者達にとっては時に差別的な言葉に聞こえる事があるので気を付けてください」


書きながら話し続けた高橋先生が、次のBの正式名称を答えられる生徒を探し、三人が当てられたが誰も答えられなかった。

次は自分が当たるんじゃないか。

BだけじゃなくTの答えも浮かんでいない拓海は、次々と当てられるクラスメイト達を見て戦々恐々とした。


「これは確かに難しいかもしれないね。答えを言ってしまうと、BはバイセクシャルのBです。日本語で言うと両性愛者だね。男性女性、性別に捉われずに好意を抱く人達の事を指します。何となく、聞いた事はあるかな?」


目が合った気がしたので、拓海はこくこくと小さく頷いた。

言われてみると、聞いた事はある。

だが、それが両性愛者を指す言葉だという事は知らなかった。


「ではトリは萩織さん。Tはなんだと思う?」

「、、、分かりません」


目を合わせなければ良かったと後悔しながら、拓海は分からないという事実を隠さずに伝えた。

どうせなら、LかGで当ててほしかったという気持ちを孕んで。


「正直にありがとう。分かる人はいるかな?」


教室が静かになり、前半分に座っている生徒が振り返ってきょろきょろと見回した。

まるで、不都合な事態に対する責任の押し付け合いのような光景だ。

残念ながら、誰も手を上げる事はしなかったが。


「流石にこれは難しいかもしれないね。答えはトランスジェンダーのTだよ」


あー、と納得した様子で小さく頷く生徒と、頭の上にクエスチョンマークを浮かべる生徒で、教室内は二極化した。


「トランスジェンダーというのは、生まれ持った戸籍上の性と、実際に心にある性が違う人達の事を指します。先程軽く触れた性同一性障害と同一視する意見も多くあるけれど、、、私は厳密には違うものだと認識しています。生まれた時から認識していた自分の性別が違うと言われたところで、それを障害だと認定される謂れは無いと思うからね。例えば、、、そうですね、金村さん。あなたは自分の性別を男だと認識しているかい?」

「はい」

「では私がどこかのお医者さんだとして、突然金村さんにあなたが自分の事を男だと思っているのは障害です。と言ったらどう思う?」

「訳が分からないと思います」

「そう。体と心の性別が違う人達の中で、そういった意見を持つ人達がトランスジェンダーという枠組みに入る事を望むんです。いち早く性同一性障害という枠組みに入って、周囲からの視線を和らげたいと考える人達も勿論いるけどね」


広義で言うと同じ意味になってしまうけど、当人達にとっては全く違う事があるから気を付けるんだよ、と高橋先生は付け足した。

高橋先生のこういった感情の機微を大事にするところを、拓海は先生としても一人の大人としても尊敬していた。

剣道の上級者として尊敬する薮本先生とは違う尊敬。

そんな先生の問い掛けだからこそ、分からない問題も必死に考えて答えを紡ごうとした。

結果として、答えられずに終わってしまったが。


「少し、話を変えよう。ここに同性愛者の人がいたら申し訳ないが、問い掛ける事はしないのでその時は聞き流してほしい。みんなは、自分が異性を好きな事に疑問を持った事はあるかい?」


高橋先生の問い掛けの意味をほとんどの生徒が理解出来ず、教室にはクエスチョンマークが飛び交った。


「きっと、無い人がほとんどだと思います。ああ、安心してほしい。それを責めているわけではないし、むしろ生物学的に正しい反応であり、本能であると言えるからね」


黒板に異性愛=本能と書いて、高橋先生が振り返る。

その内容をノートに書くべきか迷って出遅れてしまった生徒達に配慮するように、高橋先生はゆっくりと話を続けた。


「それに、私達の先祖、神話の世界ではアダムとイヴであると言われているけど、、。その辺りは倫理の授業とは分野が違うから置いておくとして。ともかく、私達の先祖が全員同性愛者だった場合、ここにいる全員が生まれる事すらしなかったし、今の人間優位な世界は作り上げられなかった」


白亜紀、紀元前、神話。

倫理なのか歴史なのか。

何の授業を受けているのか分からなくなりながらも、生徒達は高橋先生の話をノートに書き記した。

黒板に書き記されたものではない、生の声を。

板書をしないから適当に睡眠を摂って起きた時にノートに書けないというのも、倫理の授業が嫌われる一つの要因だった。


「けれどまあ、、。人類の繁栄に必要なものだとは分かっていても、同性愛者の一人としては異性愛のみを恋愛と認める事はしたくないのだよ。個人的な想いだけれどね」

「せんせー!先生みたいな人ばっかりだと少子高齢化が進みませんか?」

「良い質問だね。ありがとう津島さん」


クラスメイトにはバレていないが、裏で高橋先生の事を男女と呼んでいる津島敦が、揶揄うように大きな声で質問をした。

揶揄おうとしている事をその場の誰もが分かっていたが、高橋先生はその質問を待っていたかのように喜色を浮かべた。


「まさに、その話をしようと思っていたんです。今から皆さんには6人一組のグループになってもらい、同性愛を世間が認める事のメリットとデメリットについて話し合ってもらいます。メリットが見つからないという結論が出ればそれでいいし、逆にデメリットが見つからないという結論が出ればそれでも構わないよ。そこに、私や周りの目に対する気遣いは必要ないからね。それぞれのグループで出た意見や考えを大事にして、全員が否定する事なく様々な意見を受け入れ合ってほしいと思う」


入口に一番近い席から、順番に1~6の番号を言って、その番号ごとにグループに分かれて机を繋ぎ合わせる。

拓海と遥と葵は、偶然にも同じグループだった。


「まず、今から3分時間を取ります。その間にそれぞれ同性愛が世間に認められた場合のメリットデメリットを考えてほしい。3分経ったら合図をするので、そこからはグループ内で一人ずつ発表をして、出席番号が二番目に若い人が書記役、四番目に若い人が最後にまとめて発表をしてください。進行役はそうだね、、、出席番号が一番若い人にしてもらおうかな」


書記役が葵、拓海が発表役となった。

大きく差はないが、拓海のほうが字が綺麗で、緊張する事の少ない葵が発表役のほうが適任なのだが、それを願っても叶う事はないのだった。


「じゃあ、私から出席番号順に発表していこっか」


司会進行は相原菊花。

快活ではないがコミュニケーション能力が長けた彼女は、司会進行にピッタリな人材だった。


「メリットは誰でも好きに恋愛が出来る事。この前テレビで異性を好きになれない事で家族から縁を切られて孤独に戦い続けた人の特集?みたいなのやってたから、そういうのが無くなればいいなって思う。デメリットはさっき津島が言ってたみたいな少子高齢化が進むって事くらいかな、、。東京人多過ぎだしちょっとくらい減ってもいい気はしてるから、あんまりデメリットには考えてないけど」


淡々と、ノートに記されたたった二行だけの文字列からは想像出来ない程しっかりとした内容を話す相原に、拓海は心の中で称賛を送った。

内容がありすぎて、間に合わずに急いでペンを走らせる葵を応援しながら。


「大体相原さんと同じかなあ。そのテレビの特集は見よらんし、少子高齢化もいまいち実感沸いてへんけど。個人的な意見を入れるんやったら、もし自分の子供が出来た時に同性愛者やったら、受け入れるまで時間は掛かると思う」


相原の言葉に追従するように葵が意見を言った後、全員が意見を発表していった。

おおよそメリットデメリットは相原と同じ内容だったが、葵から始まった個人的な意見を言う流れが功を奏してか、肯定的な意見と否定的な意見で、様々な見解が生まれた。

拓海は、この後の発表の為に全員の内容を頭の中でまとめるのに必死で、無難な意見のみを発して自分の責務に集中した。

(待って待って!そんな難しい話しないで!!)

自分の次の目黒栞の意見に、心の中でそんな焦りを覚えながら。





「皆さん。沢山の素敵な意見をありがとうございます。中には初めて聞く意見もあり、とても勉強になりました」


満足気な表情で、高橋先生はそう口にした。

何度か噛みながらもやり遂げた拓海は、時計を見て絶望した。

授業時間が残り10分程しかない。

せっかくの月に一回の好きな授業のほとんどを、焦りの感情で過ごしてしまった事に後悔した。


「共通しているのはそうだね、、、。否定的ではない意見はあっても、肯定的な意見は無い事、かな。私の望み通りに、変な気を遣わずに正直な意見を言ってくれた事、心から感謝するよ。ただもう少し、否定的な意見があってもいいとは思ったけれどね。少しは同性愛が認められたと考えて良さそうかな?」


突然笑顔を向けられた津島が、驚愕を浮かべた。

クラスの中で唯一と言っていいほどはっきりとした否定の意見を述べた事をバレたと思ったのだが、高橋先生はそこまで考えていたわけではなく、ただ単に全体を見回した時の視線の先に津島がいて、目が合った瞬間に微笑んだだけだった。


「皆さんが意見を聞かせてくれた見返りではないけれど、最後は私の意見を皆さんに聞いてもらいたいと思う。ここから先の話はノートに書き記してもよし、記憶に刻んでもよし、聞き流してもよし。出来れば、残り数分の時間だけなので、興味がなくとも聞いている風の態度だけでも取っていてくれたら嬉しいよ」


大して書き込んでいなかった黒板を全て消し、持っていたバインダーを置き、教卓に置いていた時計をつけて、高橋先生はジャケットの襟を正した。

勿体ぶるようなその行動に、多くの生徒達の視線は惹き込まれた。

まるで、舞台の上での一人語りが始まるような、そんな雰囲気だ。


「同性愛者としてこんな事を言ってしまうのは少し忍びないのだけど、、、。おそらく、人の本能としては同性を好む事は間違っているのだと思う。何故なら、子孫を繁栄させられないのだから」

「だが、繁栄が充分過ぎるこの世では、同性を好む事が認められてもいいのではないかと私は考えている」


否定的な意見と肯定的な意見。

正しい発言が求められる先生という肩書きを持ちながら、高橋先生は憶する事なく相反する二つの意見を同居させて紡いだ。


「勿論、新しい命というのは尊いもので、生み出されるべきだと思っているし、異性愛者に否定的な意見や意思は一つも持っていないよ。それは多分だけど、私以外の同性愛者もそうではないかなと思っている」


うーん、、。

これを言うべきか、、。

いやまあ、でも伝えておこう。

言葉でそう逡巡し、分かりやすく顎に手を当てて悩んでいた高橋先生が意を決した様子で顔を上げた。

いつも通りの落ち着いた、どこか惚けているような表情なので、もしかすると悩んでいる様子を見せる事すら予定調和なのかもしれないが。


「これは個人的な願いも込めてだけれど、もし良ければこれを聞いている皆さんには将来、同性愛に否定的な意見を言葉や行動に出さないでほしいと願う。肯定的ではなくていいからね。ただでさえ周りと違う境遇で苦しむ同志達の目や耳に届くナイフを少しでも減らしてほしいんだ。異性愛に異を唱えない、同性愛者達と同じようにね」


それから少しの間、高橋先生は自分の心情を吐露した。

愚痴や悩みや悪口でない。

自分が同性愛者だと気付いた過去や、家族の反応。

生物学的には異性に求愛する事が正しいのに、何故同性愛者が生まれるのか。

そのどれもが興味深いもので、拓海は高橋先生の講演会ともとれそうな授業を集中して聞き続けた。

授業時間は残り5分程。

それくらいなら、例え興味のない内容であっても集中力を切らす事なく聞き続けられそうだと拓海は確信し、安心した。


「これだけは出来ればノートに書いておいてほしいのだけれど、、異性愛に生物学上の大義名分があるのなら、同性愛には心理学上の大義名分がある」


油断してノートを閉じていた生徒達が慌ててノートを広げ、ペンを持ち、高橋先生の言葉を書き記した。

聞き逃してしまった生徒の為に、高橋先生は三度、同じ言葉を紡いだ。


「堅苦しい事を散々っぱら言わせてもらったが、まあなんだ。私は今の恋人が好きだ。だから、付き合って添い遂げたいと思っている。その感情が自分の中に湧き上がる何よりも大切で、大事にしたいと思う。大事に出来ない世の中ならば、生きていても仕方ないと思える程にはね」


仄暗い雰囲気を持って零れた高橋先生の言葉には、目に見えない深い闇が見え隠れしていた。

男女と揶揄している津島でさえ、引き込まれる程の引力を持って。


「ああ、勘違いはしないでほしい。これは自殺を促す言葉ではないよ?うーん、、なんと言うべきか、、。そうだね、、認めたいなら、世の中を解らせてください。それは嫌だけれど我を通したいという方は、形振り構わず突き進んでください」


授業時間は残り2分。

このままもう一限倫理の授業を受けられそうな程、生徒の集中力は上がり、意識は高橋先生の言葉に傾けられていた。


「安心してください。先生もいくつも愛を誓っては生物学に負けてきましたが、それでも今は素敵な相手と出会えました。今後何かあろうとも、一度の失敗で未来の全てを決め付ける事はしないでください。それは、恋愛に於いてもその他に於いても、です。まあでも、、、、。何があっても生きろ云々の話はまたの機会にしましょう」



キーンコーンカーンコーン───



「今日の私の仕事はもう終わりです。これから、大事な恋人との約束があるからね」


最後に礼をした後、高橋先生は授業時間ピッタリで颯爽と教室を去っていった。

初めて学ぶ内容で頭をパンクさせ、時間ぴったりに終わってまで会いに行きたいと思わせる程高橋先生を心酔させる恋人の存在が気になってしまう生徒達を残して。

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