眠れぬ夜のおとぎ話

5z/mez

けもののおうじさま

 むかしむかしあるところに、けものの領主さまがおりました。

 かつての彼は暴虐のかぎりを尽くす、まさしくけだものでした。そのため通りすがりの魔女の逆鱗に触れ、呪いをかけられてしまいました。

 彼は悲しみましたが、嘆いたところで呪いは解けません。しかしつらく苦しい立場に立つことで初めて、己のように苦しむ者が存在することを知りました。自らの行いを深く反省した彼は、周囲のために生きることを生涯の目標に掲げました。

 始めのころは恐れられ、追われることもありました。しかし誠実に尽くすことを続けた彼を、いつしか周囲も認めるようになりました。けものの姿であれど、彼は頼られ、愛され、そうしてついに、領主として土地を治めるまでになりました。

 けものの領主は賢く国に仕え、領地では慈悲深く民に接しました。しかしけものの姿であるがゆえに、彼はずっと独り身でした。

 そんなとき、王の末の娘がけものの領主に興味を持ちました。王は快く思いませんでしたが、末の娘の熱心な様子に心を打たれ、しぶしぶ領土への訪問を許しました。末の娘は意気揚々とけものの土地へと旅立ちました。

 末の娘はとびきり美しく、しかし傲慢な娘でした。礼節正しく出迎えた領主の容姿をあげつらい、彼を近づけることもなく、思うままにふるまいます。領主は彼女を諫めますが、それも王女の機嫌を損ねるばかりでした。

 彼の実直さ、挺身、その他もろもろは、王女にとっておもしろくないものでした。けものの姿とあまりにもかけ離れており、城の臣下と変わりありません。

「あなたはつまらないわ」

 あるとき王女は言いました。

「どのような私をお望みでしょうか」

 けものの領主は静かに言います。その落ち着き払った様子が、王女の目には腹立たしく映ります。

「けものだと言うから、もっと荒々しくて野蛮な……けだもののような人間なのかと思ったのよ」

「そのような私であったら、王女さまはすぐに帰られたでしょう」

「ええ。いつけだもののあなたが見れるのかと待っていたら、ずいぶんと時間が経ってしまったわ」

「私に理性あるかぎり、王女さまの望む私は現れないでしょう」

 そう口にする領主の瞳がずいぶんと悲しげなことに王女は気がつきました。

「妙ね。あなたは節度あることを誇りにしているのだとばかり思っていたけれど」

 けものの領主は目を伏せ、口元に儚い微笑みを浮かべます。

「あなたの言う通りです。私は今の自分を誇りに思っています。しかし一方で、理性ある自分を悲しくも思っているのです」

「なぜ?」

「理性あるばかりに、気づかずともいいことに気がついてしまう。見なくてもよいものまで見てしまう。冷静な目が必ずしも、よいものばかりを見せてくれるとは限りません」

 彼は一度言葉を切り、憂いを湛えた目でじっと王女を見つめました。

「あなたは聡明な方だ。しかし理性の目を持つことの重みを知り、あえて盲目にふるまっていらっしゃる」

「だとしたらどうだと言うの」

 領主の言うことを王女は理解していました。彼女はわがままな王女でしたが、彼の言う通り、鋭い知性を持っているのでした。自覚なくそれを軽んじてはいましたが、領主にかしこまって指摘され、嬉しいような、空虚なような、妙な気持ちになるのでした。

「臣下としては、理性の目を持ち、日の当たらぬ暗がりまでをあなたが見据えてくれることを望みます」

 そう言いつつも、領主はどこか歯切れの悪い様子でした。王女が黙っていると、彼は短く息を吐きました。

「しかし、私個人としては……あなたのように、美しいものだけを見ている人があってもいいと思う」

 彼の声に確かな慈愛を感じ、王女はむずがゆくなりました。胸の中に暖かいものがあるのに気がつきつつも、ついいつものように彼をせせら笑います。

「そうは言ってもね。今私の目の前にいるのは、醜いけものなのだけれど」

 領主はそれを聞いて自虐的に笑いました。王女はすぐに後悔しましたが、何も言えませんでした。


 王女は折を見て領主に謝ろうと考えましたが、持ち前の性格とプライドの高さでなかなか上手くいきません。しかし様子を窺っているうちに、彼がいかに善良で思いやりに溢れた人間であるかを知るようになりました。理性の目を持つ者でありながら、まっすぐに立ち誠実に生きる領主の存在は、王女のなかで次第に大きくなっていきました。

 何気ない日のことでした。領主がまた何かしらの善行を行い、領民に感謝されているところを、いつものように王女は眺めていました。何度も頭を下げる領民を見送った彼は、彼女のところに戻ってきて「お待たせしました」と言いました。

「あなたが苦しいのは」

 王女は言いました。

「ひとりで立って、ひとりでその景色を見ているからだと思うわ。同じ景色を見る人間が隣にいれば、苦しさも和らぐのではないかしら」

 領主はキョトンとしていました。王女はといえば、自分が口にしたことを反芻して恥ずかしい気持ちになっていました。この言葉には先がありました。彼女はとっさにそれを飲み込んでいたのです。

 以前の話の続きだと、彼に伝わっているかどうかもわかりませんでしたが、言葉を重ねたら墓穴を掘ってしまう気がして、王女はただ黙っていました。領主はしばらく彼女を見つめたあと「そうですね」とだけ言いました。

 王女は苦しくなりました。それは求めていた答えとは違いました。しかし彼女の欲しいものは、彼女が先に口を開かなければ得られるものではありませんでした。

「あなたが」

「あなたがそうしてほしいなら」

 王女の頬は真っ赤でした。心臓が痛くて、涙が出そうでした。

「私が見てあげてもいいわ」


 それからふたりの関係はがらりと変わりました。

 一度口にしたことを貫き通す強さを王女は持っていました。領主は始めこそ考え直すよう進言していましたが、しまいには折れ、王女の寵愛を受け入れるようになりました。それを知った王は怒り狂い、王女が説得をする日々が続いていました。

 領地で王女と領主の関係が公然の秘密となってきたころ、祭の時期がやってきました。年に一度の豊穣の祭で、領主は準備に追われます。王女も時おり会場に訪れては様子を見守っておりました。

 ある日王女が会場に訪れると、端に奇妙な老婆が立っているのに気がつきました。ぼろぼろのフードを目深にかぶった、みすぼらしい格好の老婆です。領民に誰なのか尋ねても、みな口を揃えて「知らない」と言います。

 老婆は朝からここにいて、祭の準備をじっと見ているのでした。小さな声で何やらずっと呟いているので、不気味に思い、誰も近づくことができなかったといいます。

 老婆と距離を縮めると、彼女の呟きが耳に入ってきました。

「呪われた……けもの……大きくなって……」

 遠い昔、魔女に呪われて領主が今の姿になったことは王女も知っていました。この老婆は何か知っているのかもしれません。

 声をかけると老婆は歯抜けの口をにんまりさせて笑いました。ローブの奥の目は片方が潰れて、周囲には抉られたような大きな傷がありました。

「あなたは何を知っているの?」

 王女が尋ねると、老婆ははっきりと言いました。

「呪いのかけ方を」

 老婆を屋敷に招いて話を聞きたいと王女は思いましたが、歩くのもやっとの老婆はそれを断りました。

「わしはあれに会えない。殺されてしまう」

「彼はそんなことしないわ」

 この老婆が領主に呪いをかけた魔女だと言うことが、王女にははっきりとわかりました。

「お願いします。彼の呪いを解く方法を教えてほしいの」

 王女はそのためなら何でもする覚悟がありました。

「わしはもう長くない。わしが死ねば呪いは解けるだろう」

「それまで待てないわ」

 何を言われても、王女は領主の呪いを解いてあげたいと思っていました。彼が本来正しく受けるべき賞賛と愛。けものの姿でいることで取りこぼしていたそれらを彼が手にすることができるなら、それ以上のことはありません。

 魔女がどれだけ渋ろうとも、それがどれだけ困難な道であろうとも、王女は成し遂げるつもりでいました。しかし彼女の意気込みとは反対に、老婆はあっさりと首を縦に振りました。

「そこまで言うのなら、わしも押しとどめる理由はない。幸福の道はそれぞれにある。ただし約束してほしい。わしはこれからこの土地を去る。なんとか、この祭が始まるまでには。だから呪いを解くのは、そのあとにしてくれまいか」

 領主の呪いが解けるなら、その程度造作もないことです。王女は固く約束しました。

「つきみことなればあく」

 これが解呪の文言であると老婆は言いました。これを耳もとで唱えれば、たちまち呪いは解けるだろうと。

 喜び勇んで屋敷に帰ろうとする王女を、老婆は呼び止めました。彼女は真剣な眼差しで、王女に一本、指を向けました。

「もうひとつ」

 彼女が立てた指はかすかに震えていました。

「あれは呪いを解きたがっていたかね?」

 王女は口ごもりました。領主はけものの姿でいることで、時に大いなる不利益を被っていましたが、呪いが解けたらなどという話は一度も口にしたことがありませんでした。

「解きたいはずよ……」

 自信なげな彼女の言葉に、老婆は袂から何かを取り出しました。それは一粒の丸薬でした。

「あれがそう望むのであれば、わしは止めやせん。幸福の道はそれぞれにある。しかしそうでないのなら……」

 老婆は丸薬を王女の手に握らせました。

「これをあれに飲ませんさい。呪いは続く。あれが死ぬまで」

 それを聞いて、王女は思わず丸薬を投げ捨てそうになりました。しかし老婆が強い力で手を握り、それを阻みました。

「わしの頼みとあれの望み……ゆめゆめ忘れてくれるな」

 老婆は王女にしっかりと薬を握らせると、足を引きずりながら去って行きました。

 その日王女は屋敷に帰ると、呪いを解きたいかどうかを領主に尋ねました。彼はしばらく考えてから、首を横に振りました。

「元に戻って得るものがあるわけでもない。それに、解く方法を探すには……時間がなさすぎるし、知恵をつけすぎた」

 その答えに王女はショックを受けました。彼も呪いを解きたがっているはずだと信じていたからです。

 解く方法があるのだと言ってしまいたくなりました。それでも耐えていたのは、もし口にしたことで領主がそれを求めたら、約束が守れなくなると感じたからです。呪いを解くのは、祭が始まってからでなくてはなりません。

 領主は静かに続けました。

「何より、私は今の自分に満足しているんだ……あなたもいるしね」

 そう口にする彼の瞳には、諦観が染みついていました。少なくとも、王女にはそう見えました。


 祭の日になりました。広場に設置された祭壇の前にはたくさんの収穫物が備えられ、みな楽しそうに笑っていました。領主と王女は祭壇と会場が一番よく見える席にいて、ふたりで身を寄せ合っていました。

 王女は幸福でしたが、不安も抱えていました。それは彼女が持つふたつの選択肢のことでした。

 王女の胸元には丸薬が、頭には呪文が、あの日からずっと控えています。老婆との約束はすでに果たされました。もう止めるものはありません。

 ふたりの結婚が王に認めてもらえない理由は、領主がけものの姿であること以外にありません。彼の呪いが解けたなら、障害は何もないのです。

 月光とたいまつの灯に照らされて、けものの領主の姿は淡く光っていました。黒い毛は熱く渇き、瞳は濡れたようです。

「あなた」

 王女の呼び掛けに、領主は彼女のほうを向きました。

「どうしました」

 彼の声は、いつも王女の心を暖かくしました。彼の口から出る言葉は、ときには厳しいものもありましたが、根底にはいつも愛がありました。

 ふたり寄りそって、同じ景色を見て……。

 神に祝福された証が、祭壇の前にうずたかく積み上がっています。周囲には賑やかに舞う領民がいて、隣には大切な人がいる。この幸せがいつまでも続けばいいと、王女はそう思いました。

「あなたを愛しているの」

 けものの顔は、一瞬醜く歪みました。しかしそれは喜びの表情であることを、彼女は知っていました。

 領主に身を寄せ、頭上にある彼の耳に王女はそっと唇を寄せました。彼の突き出した鼻先が、彼女の喉を撫でます。

「つきみことなればあく」

 これが愛なのだと――その瞬間、確かに王女は思いました。


 王城から派遣された兵士たちがその土地へ着いたのは、祭の日から七日は経ってからのことでした。

 祭壇と穀物が集められた広場には、食い散らかされた無数の死体が転がっていました。その中には、王の末の娘の姿もありました。

 呪いが解けたけものは、理性の目の呪縛から解き放たれ、本来の姿を取り戻したのでした。

 けものがどこへ行ったかは、誰も知りません。

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