水平線のイリス~流浪の民の女王

おじむ

第一部第一章 宿命の子

第1話 東の海から来た娘

オバルト王国の王都エルベ。

春節の前後10日間は国中から人が集まり、

昼夜を問わずのお祭り騒ぎになる。


王都に向かう街道はどこも馬車と人の列で塗りつぶされていて、

ここから眺めるとまるで巨大な蟻塚ありづかいとなみを見る様だ。


「私もアリさんの一匹だけどねぇ~」


はぁ~っと溜息交じりにつぶやく少女の名はイリス。

王国の東の端、ダロア海に面した地域を治めるコーランド子爵家の令嬢だ。

と言っても正妻の子では無い。

当主ハロルドの3人いる妾妻しょうさいのひとり、

アマンダが産んだ娘だ。


妾妻と言うのは正妻が認めた愛人である。

役所にもちゃんと届けを出す。

場合によっては本家に迎え入れ、正式に一族の名簿にその名が記載される。

何も珍しい事では無い。

良くある話だ。


この世界の貴族は、とにかく沢山の子供を作りたがる。

国が認める妾妻の数は、子爵家なら3人。

爵位が高いほど多くの妾妻が認められる。

王族で言うところの側室と同様の存在だ。

それなりの待遇を保証するように規定が設けられ、

年に一度、役人の監査が入る。

法的根拠のある制度上の習慣だ。


国が関与するのには理由がある。

聖女の誕生をうながす為の制度だ。

上級精霊の契約者同士から、まれに聖女が誕生する。

聖女の数が多い程、その国の国際的な地位が上がり、

外交やその他で優位に立つことが出来る。

だから各国は例外なく聖女の誕生に力を注ぐ。


上級精霊と契約した女性は麗人れいじんと呼ばれ、

貴族の家門はこぞって囲い込もうとする。

イリスの母もそうだった。

準男爵家の娘として生まれ、きつねの精霊と契約した。

哺乳類型の上級精霊だ。


運よく聖女が誕生すれば、その恩恵で一門が潤う。

まずは上位貴族への徐爵じょしゃくは間違いない。

更に公共事業の受注や大貴族との商談などの儲け話が舞い込んで来る。

聖女を輩出すると言うのは名誉と実利を共に兼ね備えているのだ。


だが母アマンダは5年前に急逝きゅうせいしてしまった。

元々あまり丈夫では無かったのだが毒虫に刺され、

激しい発作を起こし意識が戻らぬまま死んだ。


イリスは今年で10歳となり、精霊と契約する為に王都へと向かっている。

王都に在る精霊教会で行われる降霊の儀に参列するのだ。

オバルト王国で唯一の祭壇さいだんがそこにある。


「お嬢様、そろそろ出発しますよ。馬車に戻ってください」

「あっ!はぁ~い!」


イリス付きの女中が呼びに来た。

休憩は終わりだ。

かれこれ7日間の道のりを馬車に揺られて来た。

けっこうキツイ。

高速化と重量軽減の魔法が掛けられてはいるが、

真っ直ぐな道ばかりでは無い。

乗り物に弱いイリスは初めての長旅でずっと酔いっぱなしだ。


「後もう少しの辛抱ですよ」

「う、うん。でも凄い行列だね」

「国中から集まってきますからねぇ」

「なにも一斉にやらなくても良いのに」


春節に拘らなくても一年中いつでも良いなら

こんなに混雑しないのにと思う。


縁起事えんぎごとですから」

「そんなの関係無いと思うなぁ~」

「一生の一大事ですから」

「そうだけど・・・」


実の所、いつだって構わない。

春だろうが秋だろうが、昼でも夜でも。

祭壇に立って降霊の呪文を唱えれば、

契約者の法力に応じた精霊が降臨する。


そんなの百も承知だ。

それでも菜の花が咲く頃になると、ワラワラと人が集まって来るのだ。

ただのゲン担ぎに過ぎないと分かってはいても、

そうせずには居られない人の心の機微きびなのだろう。


誰もがあやかりたいのだ。

伝説の大聖女エルサーシアに。

春節の日に産まれ、10歳の誕生日に精霊王ルルナと契約し、

この世界を破滅から救った彼女に。


伝説は語る。

この世界に初めて誕生した聖女がエルサーシアだと。

その契約精霊が人の姿をした精霊王ルルナである。

戦乱の世を治め5千年の平和をもたらし大聖女と呼ばれた。


ところが太陽の異変によって大災厄が起こり、

人類はおろか、この星そのものが危機に晒された。

その時、再びこの世に舞い戻ったエルサーシアが太陽に命を捧げ、

荒ぶるその魂をしずめたと言う。


聖女にも階位があり、事実上の最高位は大聖女代理。

大聖女の称号はエルサーシア唯ひとり。

過去・現在・未来の三世さんぜに渡って、彼女にのみ与えられた称号である。


「イリスお嬢様ならきっと上級精霊ですよ」

「そうだと良いけれど・・・」

「間違いありませんよ」

「はぁ~早く帰りたい・・・」

「まだ着いてもいませんよ、お嬢様」


普段は気にも留めなかった潮騒の響きが今はどうしようもなく恋しい。

まだ泳ぐには冷たい季節だけれど、帰ったらいの一番に飛び込んでやろうと思う。


(お母様、どうか見守っていて下さいね)


故郷の在る東の空をそのエメラルドの瞳に映し、

不安な気持ちを胸に手を当ててなだめる。

途切れる事の無さそうな群衆の祈りの中に

イリスを乗せた馬車が飲み込まれて行った。


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