私にとって神様は貴方しかいないので

友愛希

第一話

 神様になれたら。神様になれたら、と、何度願えば届くだろうか。絹の様な澄んだ長い白髪を指先で弄び、徒然つれずれと今宵の空を照らす美しき月を見上げていた。

 おのれは神様にはなれぬことを知っている。だからこそ願ってみるが、それは届かないことだとも分かっている。己はこの地に、あの蒼い月に囚われた、ただの精霊である。其の昔、人の子に恋焦がれ、禁忌を犯した咎人とがびとだ。だが、後悔はしていない。

 其れは、何故か。

 ――あの恋に勝るどうしようもない“幸福”を、未だ感じた事がないからだ。

 彼女の美しい黒髪。楽しそうに手毬を着く姿が、愛しくて堪らない。熱く燃え上がるような感覚を、一秒足りとも忘れない。

 しかし、ある日、己と話していることが他の人里の者に見つかってしまい、彼女は追放され……。

 神様とは、神とは無情な者だ。己から全てを奪い去ってしまった。もう、己に希望は残っていない。ただひたすら、この生の終までこの古ぼけた桜の木に、ずっと。

 だが、それで良いのだ。幸いにも、己にとってこの人里は守るべき場所だ。例え、囚われていたとしても。

 嗚呼、愛しき君よ。もう一度、逢えないだろうか。この願いが届かぬことはわかっている。

 それでも、己は忘れぬ。君の愛しさを。君の優しさを。

 この想いに意味が無いことも分かっている。だが、やはり頭から離れない。彼女の名は……。

 

「……コヨイ……」

 

 ――この名を零しても、最早意味など無い、か。

 そう思った、その時。桜の木が揺れ始めた。穏やかだった風も、荒々しく強くなっていく。何事か、と思い、辺りを見ると、人魂のような蒼い炎が揺らめいているのが見えた。無論、それは人の子には映らない。

 

「この気配……神の遣いか?」

 

 すると、炎に囲まれ、小さな妖、雛龍ひなりゅうが次々と天を駆けていく。

 

「おい、そこの者。そこの桜の精霊よ」

 

 雛龍ひなりゅうを従える神使しんしに声を掛けられ、ちらりと見やる。

 

「なんの騒ぎか。何故此処に来た。」

「知らぬのか。妖が怖気を震う程の家系の末裔が居てな。其れの脅威を見越し、土地神、蒼神様がお触れを出されたのだ。」

「蒼神が? ……詳しく聞こう」

「ああ。その末裔の娘の持つ桜色の妖気が強すぎるのだ。蒼神様はそれを否とし、嫌って居らっしゃる。そこで、娘が何かを起こす前に、差し出せと仰せになったのだ。」

 己は息を飲む。

「……待て、その娘とは何者だ。名はなんと言う?」

「娘の名か? それは……コ……コヨ……ああ、思い出したぞ。コヨイと申す者だ」

 

 時間が止まったかのように、己は身動きも出来なくなった。だが、一つの想いだけが、確かに在った。

 ――彼女を、助けなければ。

 今、此処に誓おう。今度こそ、己に出来る全てを捧げると。

 だが困るのは、人里の者達だ。禁忌を犯してしまった己を、彼等は忌み嫌っているに違いない。警戒することだろう。それに己は、益体もない囚われの身。何より蒼神が黙っている訳が無いだろう。

 ……だが、引き下がる訳にもいかぬ。

 

「……おい、桜の精霊よ。何故黙っておるのだ?」

 神使が、己の顔を覗き込む。すぐさま笑顔を取り繕った。

「いや何、少し考え事をしておった。時に神使よ、ここで己と話などしていて良いのか?」

「おお、そうであった。では、失礼する。」

 

 神使は笛を吹き鳴らし、雛龍に囲まれ人里の奥の山の方へと駆けて行った。一先ず、己は息を吐いた。

 神様よ、否、神よ。己が神になれたら、また彼女に逢える日が来るのだと思っていた。彼女を、守れるのだと。だが、もうその必要は無いのかもしれぬ。それだけ。ただ、それだけだ。神が、彼女を嫌うなら、その分、己が愛してやる。

 しかしこの時、己は気づいていなかった。それが、盲目な愛である事に。

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