第53話
私の左腕に宿る式神、ノゾミ。ノースリーブの白いワンピースを着て、両腕には無数のリスカ跡、目は物貰いをもらったように腫れ塞がっており、使い古された箒の穂を連想させるぼさぼさの黒髪は腰まで伸びている。
(この子が万が一通行人に見られたら、絶対通報されるよな)
彼女はカエルのようにマンションをよじ登ったのち、なぜか逆立ちの態勢で(恐らくは不運にも自分を目にした人間の恐怖に慄いた表情を見たいのだろう)、ベランダの壁に顔を当てている。
(なんでこんな陰気臭いやつを選んじゃったんだろ。相沢さんの鬼羅みたいにかっこいいのにしとけばよかったな……)
とはいえこの式神の持つ諜報、哨戒、探知能力は貴重だ。現に今だって、彼女の舐め回すような視線を通じてこちらに送られる映像や音声のお陰で、内部の状況を細部まで克明に理解できるのだ。
(まあ、この子の奇怪な能力のおかげで私は文香さんの役に立つことができたんだけれど)
建物のある部分に物理的に顔を接触させるだけで建物のあらゆる部屋・空間の映像、蛇口から滴り落ちる水滴一滴すらも漏らさず把握できこの能力は、多彩な能力を持つ私のノゾミの技の一つのに過ぎない。ノゾミと文香さんのトーメフォンデの力を併せた際に発揮される情報収集能力は、特安にすら匹敵するはずだ。つまり文香さんと私、たった二人であの極秘組織に対抗できる力を持っているということだ。
(そう、文香さんには私が必要なんだ……ふふふ)
「英恵、なにニヤニヤしているの。任務に集中しなさい」
「あっ……すみません」
文香さんは眉間にしわを寄せてあからさまにため息をついた。これも気を許した人間にしか見せない態度、ふふ。
「中の様子は?鈴木陽介……あと、飯山早苗はいるかしら?」
文香さんが瑞樹ちゃんの母親の名前を口にした瞬間、瑞樹ちゃんは一瞬だが苦しそうに表情を歪ませた。
(文香さんは瑞樹ちゃんの母親をわざと呼び捨てにしたんだろうな)
それは、おそらく飯山早苗に対する隠しきれない嫌悪感と、瑞樹ちゃんに覚悟を持たせるため。文香さんとほぼ同年齢で、同じような年頃の娘を持つ女。それにも関わらず、ある日を境に、娘がどんな目に遭おうとも助けようともしなくなった、最低の母親。
「います。あとは20歳前後くらいの若い女が一人。全部で3人です……えっと、あの」
「どうしたの?」
「あっ、すみません……あの、瑞樹ちゃんを外してもらえますか?」
「どうして?」
「言いづらいんだけど、瑞樹ちゃんのお母さんが……えーと」
瑞樹ちゃんは、母親とはぐれ徒に不安がる幼児のような顔で私の方を向いた。その無防備な表情に、私は不覚にも胸が締め付けられてしまった。
(こんな目にあっても、まだ母親のことが心配なんだね……)
「母が、母がどうしたんですか?隠さずに教えてください!」
この先を言うべきか。もう40代である母親の屈辱的な姿を口にすべきだろうか。私は俯いて深呼吸をしたあと、窓の外を見ながら教えてあげた。
「言いづらいんだけど……あなたのお母さん、体中が青たんと痣だらけなの」
◇◇◇
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