第38話
嗣津無を葬った文子は未だ倒れている和沙の近くにとことこと歩いて行き、彼女の頭に覆い被さるようにしゃがみ込んだ。
「少しだけ頂きますね」
文子が和沙の口にそっと手を当てると、口から青い靄のようなものがゆっくりと這い出てきた。白髪の童女はその靄を両手で優しく包み、今度は青い靄を持ったまま、体中赤い筋で覆われピクリとも動かない恩田巴瑞季の元に歩いて行った。
「他人の魂を食べさせるのは本当は良くないのだけれど……」
文子は困った顔をしながら恩田の体の上にしゃがみ込み、靄を包んだ両手を恩田の口元で開いた。文子の手中にある青い靄がスルリと恩田の口の中に入っていくと、血管を張り巡らせたかのような筋が彼女の体中から急速に消えていった。
「たったこれだけの魂で……やはり私が見込んだだけのことはありますね」
そう言って倒れ込んでいる和沙をチラリと見遣った文子。その童女に数メートル先から少女の怒声が飛んできた。
「ちょっとあんた何やってんの!」
ミツキが怒りに満ちた表情で文子を睨みつけていた。ミツキの左手の蛇も怒りのせいで先程よりも一回り体が太くなった。キョトンとした顔で見返しす文子。僕も慌てて抗議をした。
「ちょ、ちょっとちょっとあんた、ミツキが怒るのも無理ないぜ。いま魂って言ったよな。和沙の魂を恩田に食べさせたのか?」
「ええ、何か問題でも?」
「そんなことして和沙の寿命が減ったりしないのかよ?」
僕は 童女は着物の袖を口に当ててクスクスと笑った。
「和沙ちゃんって言うのね。ご安心なさい。この娘の魂は半日も経たずにもとに戻るでしょう。これほど強い魂は多少血抜きならぬ魂抜きをしたほうが本人にとってもよいのです」
「そ、そうなの?」
「だから私はこの子を依り代に選んだのです。まだ開花はしていないけれど、この娘の秘めた力はそこの子町娘にも匹敵するでしょう」
文子はそう言ってミツキをちらりと見遣った。僕もミツキも聞いたことのない言葉にポカンとしてしまった。子町娘ってなんだ?
「この子が祐ちゃんのブローチを夢の世界から持ち帰ったことには流石の私も驚きましたけどね。それよりもこちらのスケバン娘をご心配なさい」
文子はしゃがんだ姿勢のまま恩田を指さした。ス、スケバン?スケバンってなんだ?
「別の人間の魂を食べた者には必ずや何かしらの影響が出てしまいます。この子の運命も変わってしまうかもしれませんね。さて……」
文子は不敵な笑顔を長髪の男に向けた。
「さてさて、さぞかし名のある陰陽師とお見受けしましたが……。残念ながら幕引きの時間です。理由は分かりませんが、あの女に下った己の愚かさを悔いながら……朽ちていきなさい」
童女はそう言って小悪魔のような笑みを浮かべたが、お返しのように男もにやりと笑った。
「朽ちていくのはお前らだ」
男は肩までかかった長髪をかき上げて深くため息をついた後、鬼羅に向かって右腕をまっすぐ伸ばし、手の平を向けた。
「鬼羅」
鬼羅は直刀を放り投げた後に空高くジャンプをし、そのまま男の背後に飛び乗った。勢いよく飛び乗られたためか、男は苦しそうな表情で地面に両手をついてしまった。
「な、なんだあ?」
鬼羅が両手と両足を男の胴体に巻き付けた後、男は一言呟いた。
「憑け」
鬼羅の肉体がぶるぶると震え始める。そして鬼羅の体が古代風の衣装と共に溶岩のように溶けだし、男の肉体を侵食し始めた。肉と肉が混ざり合う部分がケロイドのように赤く爛れ、男の体中の肉がびくびくと派手に痙攣し始める。
「あらあら」
文子は一応驚いているのか口に右の手先を添えていた。男の黒いTシャツは派手に動き回る肉のためにびりびりに破け始める。
「がああああ!」
男は苦悶の表情を浮かべて地べたに丸まり痙攣を起こし始めた。数十秒後、痙攣が落ち着いた頃には男の上半身と顔は火傷で焼けただれたようなアザだらけになっていた。赤ん坊のように体を丸くしていた男はそのままゆっくりと立ち上がって、真っ赤に変色した瞳で文子の方を向いた。その瞬間にミツキが叫ぶ。
「蛇、食い殺せ!」
男にミツキの蛇が襲い掛かる。蛇が男の右腕全体に食らいつくも、男は顔色一つ変えず不敵な笑顔すら浮かべていた。男は食らいつく蛇を一瞥した後、今度はミツキを見た。
「ミツキ、なぜ赤目にならない?どうせ死ぬんだ。悪あがきでもしたらどうだ?」
男は蛇に食いつかれている右腕をハンマーを振るように前に振り下ろした。すると蛇の首はブチンという派手な音を出してあっさりもげてしまった。
「きゃ!痛ったあ……」
ミツキが苦悶の表情を浮かべると同時に蛇の胴体が急速に縮んでゆき、左腕はそのまま人間の腕に戻ってしまった。男は平然とした表情で鋭い歯を喰い込ませた蛇の頭部を右腕から引っこ抜こうとしている。
「う、嘘だろ?蛇がこんなにあっさりと……」
「あらあら、式神が憑くだなんて初めて見ました」
「式神がツキビトになったってこと?そんなの聞いたことないぞ!」
「私も60年以上の人生で初めて見ました。このツカレビトは私でも抑えられませんね、何者でしょうねこの偉丈夫は」
文子の他人事のような口調に僕はカチンとしてしまい、理不尽にも苛立ちを彼女にぶつけてしまった。
「なに呑気なこと言ってんだよ、後は何とかするって言ったじゃないか。何とかしてくれよ!」
「力及ばずなものは及ばずなのです」
「くそったれ!兵狼!」
右手の人差し指と中指を交差させるも何も起こる気配がない。
「少年、どうやらワンちゃんはあの偉丈夫に怯えて出てこないようですね」
文子の言う通りだった。兵狼は元々臆病な性格で、勝ち目がない相手の前には絶対に姿を現さないのだ。僕は膝を地面にがっくりと落とした。
「もう駄目だ、全員殺される……」
◇◇◇
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