第3話 消失の共犯者 下





「ふ、ざけやがって……!」


 言いながら、金髪が立ち上がる。金髪はそのまま腕を振り上げて、幸人へと突進する。

 ガツリ! と、音を上げ、二人は激突する。

 幸人ゆきとと金髪は、正面から、獣のように激しく殴り合った。


「くそが!」


 吐き捨てながら、金髪が大振りの一撃を繰り出す。幸人はそれを中段外受けでガシリと受ける。


「ぐ、おおっ!」

 叫びながら、幸人は受けた腕で、正拳突きを放つ。


 金髪の腕を擦るように発射された拳が、鋭くあごに突き刺さる。グサリ。と、命中した瞬間、金髪は膝を折り、その場で崩れ落ちた。

 暫しの静寂が、場を満たす。


「終わったね」


 にこりと笑い、幸人が手を差し伸べる。竹美は、おずおずと幸人の手を掴む。ぐっと、引き寄せられるようにして立ち上がると、竹美の目から涙が零れた。


「ごめん。もっと早く駆け付けるべきだったね」

 言いながら、幸人は竹美の頭を撫でる。すると再び、竹美は胸が高鳴って呼吸が止まりそうになる。


「どうして……?」

 竹美たけみはポツリと呟く。


「ん?」

「どうして、私なんか?」

「私なんか?」

「だって私、そんなに可愛くないし。お喋りも上手じゃないし。それに、背も小っちゃくて、勉強だってあまり出来ないし……」

「君は可愛いよ。小っちゃくて、猫毛で、目も猫みたいで。子猫みたいだ」

「ば、バカ……。なんでそんな事言うの。簡単に……」

「簡単じゃない。大谷さんが好きなんだ」

「その呼び方、嫌い……」

「え?」

竹美たけみでいい。その、恋人に……してくれるんでしょ?」

「うん。じゃあ、竹美……」


 少し恥ずかしそうに言って、幸人は竹美の頬に手を伸ばす。その瞬間──


「──危ない!」

 竹美は咄嗟に、幸人を突き飛ばす。


 倒れ込んだ幸人との頭上を、ギラついた物が通り過ぎる。

 ナイフだ!


「クソが!」

 金髪が吐き捨て、竹美にもナイフを振る。


「きゃっ」


 竹美は背後に倒れ込み、ギリギリでナイフをかわす。

 ドス。と、幸人が金髪の腹を蹴り上げ、金髪は後ずさる。その隙に幸人は起き上がり、竹美を庇うように金髪に立ち塞がる。

 竹美も幸人も、内心、恐怖を感じていた。この金髪、なんて執念なのだろう……。


「だ、駄目だよ幸人ゆきと君。ナイフだよ。死んじゃうよ。逃げて!」

「いいや。逃げるのは竹美だよ」

「に、逃げる訳ないでしょ、幸人君を置いていけないよ」


 竹美が叫ぶ。すると幸人は頭をポリポリと掻き、仕方がなさそうに指を差す。


「じゃあ、それ取って」

 幸人が指差した先、竹美のかたわらには、パチンコ屋ののぼりが立っていた。


 竹美は弾けるようにして、幟を引っこ抜いて放り投げる。幸人はのぼりを受け取ると、素早くはたを外して、剥き出しの棒をくるりと回し、構えた。


「舐めやがって。ぶっ殺してやるよ!」

 叫びながら、金髪が突進する。


「舐めてるんじゃない。覚悟があるんだ」

 言い返し、幸人は棒を振る。


 それは一瞬の出来事だった。

 幸人ゆきとは流れるように素早く棒を振り回す。

 ぶおん、と空気を切る音に、バシリ、と肉を打つ音。幸人が鋭い連続攻撃を放ったのだ。攻撃は全て命中。五、六回。否、それ以上。金髪はコテンパンに打ち据えられて、ぼろ雑巾のようになってアスファルトに倒れ伏した。


「あ。言い忘れてたけど、僕が得意なのは空手は空手でも、棒術なんだよね」


 幸人は涼し気に言い、カラリと笑った。



 ★



 こうして、竹美と幸人は肖像画を取り返し、画材屋に返却した。画材屋の店主は痛く喜んで、二人にファストフードを奢ってくれた。

 どうやら肖像画のモデルの女性は、店主の、昔の片恋相手だったらしい。その女性はアルビノールで、肌も、髪も、睫毛までもが真っ白で、目はほんのりと赤かったそうだ。

「とてもとても、清らかな人だった」

 店主はそう言って、目を細めた。



 ★



 帰り道は、もう日が暮れかけていた。

 斜陽が射す中で、竹美たけみはまだ、顔を赤くしていた。

 見つめる背中は華奢で、ついさっき、高校生と激しい格闘をした人だとは思えなかった。ぼんやり考えながら、竹美は幸人を観察している。


 ふいに、幸人が振り返り、手を伸ばす。

 竹美はそっと掴み、二人は手を繋いで歩き出す。


「家、近くで良かったね。また、すぐに会えるから」


 幸人が言う。すると竹美はクスクス笑い出した。笑い止まらず、竹美はしゃがみ込んで笑い続ける。


「ど、どうしたの?」

「あは。こ、怖かったから。凄く。今頃になって怖くて。あはははは」


 笑い転げる竹美を、幸人は困った顔で見守る。やがて竹美が笑い終えて立ち上がる。と、その瞬間、竹美の動きがピタリと止まる。


「こ、今度はどうしたの?」

幸人ゆきと君」

「はい」

「あのさ。わざわざあいつらの庭にタイヤを投げ込んで燃やしたり、家に忍び込んだり逃げたりしなくても、家を突き止めた段階で警察を呼べば、それで解決したんじゃない?」


 竹美は、冷ややかな視線を送る。すると幸人はきまり悪そうに、視線を逸らす。


「あれ。もしかして……確信犯なの?」

「あ、いや。それはその、あの……」

「やっぱり! わざと悪い事をしたのね。どうしてよ?」


 竹美は袖をぐい、と、引っ張り、幸人の顔を覗き込む。


「だって……君と共犯者になりたかったんだ」


 幸人はそう言って、誤魔化すように竹美の頭を撫でる。


「バカ……」


 竹美は顔を赤らめて、そそくさと歩き出した。



 ★



 こうして、竹美たけみ幸人ゆきとは恋人になった。

 二人はそれからも交際を続け、中学二年に上がった時にはクラス替えで同じクラスになった。学校には二人の関係を揶揄う者もいたが、竹美も幸人も全然気にならなかった。

 それからも時間は流れ、二人は、中学二年生の冬を迎える。


 そして、事件は起こった。



 ★ ★ ★



 その日、幸人ゆきとは空手の大会で、棒術の型試合に出場した。

 幸人の腕前は、竹美の想像を超えるものだった。竹美自身、過去に幸人の技を目撃して、かなり腕が立つ人だとは思っていた。が、まさか、九州大会で優勝する程とは思っていなかった。


「得意なのは棒術だけだよ。徒手としゅ空拳くうけんの方は可もなく不可もなくってところさ」

 なんて、幸人は謙遜けんそんしたけれど、竹美は幸人の活躍が自分の事のように嬉しかった。


 大会の帰り道、二人は、市立体育館近くの湖に寄り道をした。

 湖は林に囲まれており、とても静かだ。見晴らしのよい場所で、竹美と幸人はベンチに並んで腰かけた。


 こんな人気の無い所に連れてきて、どうするつもりなのかな?


 竹美は心中に呟き、幸人の顔を見上げる。そこには優し気な、幸人の微笑みがある。

 その関係は、未来永劫、変わらないと思われた。


「ねえ、幸人。もしも私が何処か遠くに行ったらどうする?」

 ふいに、竹美は言う。



 幸人はすぐに答えずに、長い沈黙をする。



「…………探すよ。必ず見つける」

 幸人はやっと口を開き、少し目を潤ませる。

 そこには、薄く悲しみの気配があった。


 意地悪な質問をしてしまったな。竹美は少し反省して、幸人に肩を寄せる。すると、ぐっと、幸人に引き寄せられた。

 幸人は、真剣な顔で、じっと竹美を見つめている。


 これはもしかすると……。

 竹美は、高鳴る鼓動を感じながら、腹を括る。

 徐々に、幸人の唇が迫って来る。竹美も目を瞑り、幸人の袖にしがみ付く。筈だった。


 感触がおかしい……。


 手が、すり抜けたような感覚を覚え、竹美は目を開ける。すると、幸人が、真っ白な光に包まれていた。

 何が起こっているの?

 竹美は混乱しながら、上空を見上げる。光は、空から降りてきていた。

 冬の曇り空から眩い一筋の光が射し、幸人だけを包んでいる。


「竹、美……」


 幸人も、訳が分からないといった様子で竹美に手を伸ばす。竹美も幸人に手を伸ばすが、触れない。互いの手が、身体をすり抜けてしまうのだ。


「幸人? 幸人、幸人!」


 竹美は慌てふためき、為す術もない。その目の前で、幸人の身体は半透明に滲み、消えてしまった。

 竹美は何が起きたのか、唯々、解らなかった。辺りに目をやるが、もう、幸人の姿はどこにもない。

 どうしよう。

 祈るように見上げた雲間に、竹美は、更に信じがたい物を見た。雲に隠れて、巨大な何かが蠢いているのだ。

 目を凝らし、思わず呼吸を止める。

 ドラゴンだ。

 とてつもなく大きなドラゴンの影が、雲越しに飛び去ってゆく。やがて、雲間から射す光が細くなり、消える。気が付くと、あの竜の影も消えていた。



 ★ ★ ★



 こうして、話は現在へと戻る。

 幸人ゆきとが失踪してから二年。竹美たけみは高校生になっていた。あれから、竹美は必死で幸人を探し回ったが、どう頑張っても見つける事が出来ずにいる。


 どうやら、あの不思議な人体消失現象は、日本の各地で発生したらしい。


 竹美は、久しぶりに湖を訪れて上空を見上げる。だが、そこにはあの不思議な光は無い。唯、悲しい程に美しい朝焼けが、竹美を包んでいるだけだった。


「返してよ。幸人を返して……」


 竹美は、空を見上げて呟いた。だが、何も起こりはしない。叫んでも、どんなに涙を零しても、空は答えてくれない。耳が痛くなるような静寂が、竹美の身体に染み込んで来るだけだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る