第22話「絶望」

 二人が一瞬で逃げていく姿を目の端でとらえながら、黒マントの集団は中央にたたずむ一人の男に顔を向けた。

 男は目を瞑り、何やら瞑想をしているかのようであった。


「ギンガム様、どうやらネズミどもが迷い込んだようです」


 近くにいた何者かが声をかける。中央の男はうっすらと目を開けた。他の者同様、その目に瞳はなく、真っ赤に染まっている。


「ほう、このような場所にネズミがな」


 低く、威圧的な声だった。

 これだけでも、彼がこの集団の首魁であることがうかがえる。


「いかがいたしましょう?」


 何者かの言葉に、ギンガムと呼ばれた首魁は手のひらを見つめた。

 皺のない、真っ青な肌からブスブスと黒い煙が噴き出している。


「地上へと出た直後に戦を仕掛けたからな。魔力の消耗が激しかったが、どうやらほぼ回復しているようだ。よい機会だ。そのネズミどもをこの手で焼き殺し、総攻撃の前祝いとしよう」

「では、いよいよ」

「うむ、宴のはじまりだ。人間どもを殺して殺して殺しまくるぞ」


 恍惚とした表情を見せる彼の言葉に、黒マントの集団は冷徹な笑みを浮かべた。


「まずは、ネズミだな」


 ギンガムがそう言い放つと、一瞬にしてその場から姿を消した。

 その後を追うように、黒マントの集団も無言のまま音もなく姿を消した。 



     ※



 ライトニングとクレアは、来た道をひたすら戻っていた。

 戻ったからといってどうなるというものではなかったが、他に行き場がなかった。

 逃げ出した弾みでルミナ・ストーンを落としてしまったが、拾っていく余裕もなかった。


 逃げながらもライトニングは思う。


 あのような異質な集団は見たことがない。

 特務部隊が管理する過去の報告書にさえ、書かれていなかった存在だ。

 と、なれば新たな魔物ということになる。

 しかし、今まで出会った魔物はどれも人間の言葉は話さなかった。いや、そもそも言葉を理解するという知能も持ち合わせていなかった。

 魔物は、本能のままに破壊を繰り広げる凶悪な野獣なのだ。


 クレアの腕を引っ張りながら、ライトニングはふと一つの可能性を考えた。


(あれは、もしかしたら太古に伝わる魔族かもしれない……)



 かつて神々の戦いがあったとされる神話の時代。

 光の神に味方した人間と、闇の神に味方した魔族。

 双方の戦いは熾烈を極め、世界の形は均衡を失った。

 このままでは自らの居場所すら失ってしまうと考えた光の神は、魔族ともども闇の神を魔界へと封じ込めることにした。

 当然、闇の神も必死に抵抗したものの、ついには人間たちの助力によって魔界へと封じ込められることに成功した。それによって世界各地に広がっていた魔族たちも、そのまま魔界へと引きずり込まれていったのである。


 世界は今の形で安定し、光の神は天空を、人間は地上をおさめることとなった。

 すべては伝説である。


 伝説ではあるが、ライトニングはその可能性を拭いきれなかった。

 現に、神話上の魔物の出現が相次いでいる。

 マンティコアやワイバーン、ドラゴンまで現れているのだ。魔族が現れたとしても不思議ではない。


(もしかしたら世界規模で何かが起きようとしているのかもしれない……。いや、もう起きているのか)


 滴り落ちる汗を感じながら、ライトニングは必死に駆けた。


「痛い……!」


 クレアの声に、彼はハッと我に返った。

 気づけば、彼女の腕が赤くなるほど力強く握っている。


「あ、ああ、ごめん」


 慌てて手を離す。

 考えすぎて力を込めすぎていたようだ。


 同時に足を止める。

 黒マントの集団が追ってくる気配はない。ライトニングは「ホッ」とため息をついた。


「さっきのは、なんだったんですか?」


 クレアは腕をさすりながら言った。その言葉に「わからない」と答える。

 今は何も言わない方がいいだろう。魔族というのはひとつの可能性なのだ。


「怖かった……。本当に殺されるかと思いました」


 クレアは今さらながらにブルブルと身体を打ち震わせながら息を吐いた。

 寒さではない、恐怖からくる震えだった。

 そんな彼女を見つめながら、ライトニングは震える彼女の肩をさすってあげる。

 一瞬ビクッとしたクレアだったが、彼の温もりが全身に伝わり、そのまま身を任せる。


 しかしライトニングにとっても同じ思いであった。あのまま、あの場にいたら殺されていただろう。それだけ強烈なオーラを放っていた。

 とはいえ「僕もだよ」とは口が裂けても言えない。そんなことを言えば余計に不安にさせるだけだ。


「確かにあの殺気は、普通じゃなかったね」

「どうします? このまま戻っても元の場所に戻るだけですけど」


 できれば先へと進みたかった。

 あの黒マントの集団が何者であれ、このまま野放しにしておくわけにもいかない。

 しかし、だからといって二人だけで戦えるような相手ではなかった。


「一刻もはやく隊長たちと合流してなんとかしなくちゃね」

「でも、上手く逃がしてくれるとは思えませんけど」

「よくわかっているではないか」


 突然、低い声があたりに響き渡った。

 慌ててライトニングがレイピアを構える。クレアもその背中に張り付き、同じようにダガーを正面に向けた。

 先ほどとは別の、威厳のある太い声。

 相手の姿を探すより先に、二人の頭上に大きな火の塊が降ってきた。


「───ッ!?」


 二人は反射的に左右に飛んでその塊をかわした。

 直後、洞窟内の湿気をも払拭させるほどの炎が二人のいた場所を燃やす。


 すさまじい威力だった。

 まともに喰らえば、一瞬で消し炭となってしまうだろう。


「ほう、これをかわすか」


 声の方向に目を向けると、黒マントの集団が音もなく静かに姿を見せた。

 一様にみな、同じような顔をしている。

 その真ん中に、一人だけ黒いオーラを放つ男がいた。彼が火の塊を投げつけたらしい。


「人間の分際で、生意気な」


 言いながらも、冷たい笑みを浮かべている。


「クレア、こいつらの相手は僕に任せて君は先へ行ってくれ」


 ライトニングの言葉に、クレアは耳を疑った。


「何を言ってるの?」


 レイピアを構えながら彼は言った。


「さっきの攻撃で確信した。こいつらは、魔族だ。何千年もの昔、神によって魔界へと閉じ込められた異形の者たち」

「魔族……?」


 きょとんとするクレアとは対照的に火の塊を放った男が高らかに笑う。


「ふはははは、愚劣なる人間風情が我らを知っているか。少しは知識があるようだな」

「知りたくもなかったけどね。逃げ出したい気持ちでいっぱいだよ」

「魔族と知って剣を向けるそなたの勇気は認めよう。しかし」


 刹那、3人の黒マントがいっせいにライトニングに襲い掛かった。


「───ッ!?」


 タン、と後ろへとステップした彼の身体を、鋭利な爪が浅く切り裂く。

 一瞬でも動作が遅れていたら、胴体がきれいに分断されていたであろう。


「これもかわすか。ただの人間ではないようだな」

(かわすだけで精一杯だ……。この動き、とらえ切れない)


 うっすらと笑う彼らに、ライトニングは絶望を感じていた。

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