第1話「傭兵の少女」

「クレア、そっちに行ったぞ!!」


 野太い男の声が、深い森の中にこだまする。

 その声に反応して、一人の少女が前のめりに身をかがめた。白いブラウスの上に胸面と背面だけを保護するブレストアーマーを装着した少女だった。その手にはショートソードが握られている。


 金色の長い髪を後ろで束ね、ぐ、と唇を噛むその幼き顔立ちには、「何があっても逃げださない」という意志の強さのようなものが感じられた。細い眉を吊り上げ、大きな瞳で辺りを凝視する。日に焼けた顔の額からは緊張のためか幾筋かの汗が浮き出ていた。


 と、その顔面に向かって、木立の陰から数匹の狼が牙をむいて飛び掛かってきた。


「──ッ!!」


 少女は瞬時に身体をひねってかわし、ショートソードを一閃させる。

 ガツッという手応えとともに、1匹の狼が倒れ伏した。

 残りの狼たちは着地と同時に散開して木の陰に隠れていった。


「大丈夫か」


 遅れて、一人の男が姿を現す。

 体格のいい、戦士だった。レザーアーマーにスモールシールドという軽装備ながら、手には鉾槍ハルバードが握られている。

 男の登場に、少女は「ほう」とため息をついて言った。


「はい、大丈夫です。ですが、木の陰に隠れてしまいました」

「奴らは、普通の狼ではないからな。油断するなよ」

「はい」


 ヘルハウンド。

 地獄の猟犬とも言われるこの魔物は、人里離れた奥地に住むと言われているが、近年、王都にほど近いここラグーン地方にまで出没するようになっていた。

 すでに何人もの農夫が犠牲になっている。

 彼らは国の要請でこの魔物狩りに赴いていた傭兵部隊であった。

 騎士とは違い、金で動く彼らは王や領主たちにとって都合のいい手駒だった。

 領地を荒らす魔物をはやくなんとかしたい、かといって自分たちの護りは薄くしたくない。

 金さえもらえればなんでもこなす傭兵たちとの利害は、一致していた。


 ただ、ここ最近、妙に魔物の出現が多くなっている。

 仕事が増える傭兵たちにとってはある意味喜ばしいことだが、それでも度が過ぎた。

 今では、傭兵協会に所属するすべての傭兵が、魔物狩りに駆り出されている。

 この二人も、連戦に次ぐ連戦でここ数か月、ろくに休みをとっていない。

 その影響からか、集中力というものが途中で途切れてしまうことがあった。

 男の言葉に、改めて少女は姿勢を正して剣を構えた。


 どこかしら、こちらの様子を伺う気配がする。一つ一つの気は脆弱だが、束になってかかられると非常に危険な数である。

 よく先ほどの攻撃は避けられたな、と少女は思った。


「クレア、お前はオレの背後だけ警戒してくれ。他はオレが見る」


 男はそう言って、クレアと呼んだ少女の背中に自分の背中を向けた。


「はい、ワッツ先輩」


 凛とした声に満足したのか、ワッツと呼ばれた男はハルバートを斜め手に持ちかえて俊敏な魔物を待ち構えた。


 しばしの静寂が訪れる。

 さしものヘルハウンドも飛び掛かる隙を見いだせないでいるようだ。かといって、魔物は逃げ出すということはしない。理知的な魔物であれば、相手との力量を見定めてその場から立ち去るということもあるが、破壊の衝動だけに駆られているヘルハウンドのような下級の魔物は退くということを知らない。

 それは、この魔物の討伐に当たったワッツたち傭兵部隊にとってはありがたいことであった。

 どこかに逃げていったのでは、探し出すのにまた時間がかかる。今、この場で退治できるのならば、その方がよい。


 とはいえ、必ず勝てる相手とも限らないため、二人は慎重に相手の出方を伺っていた。

 下手をすれば一瞬で喉をかき切られてしまう。

 緊張と恐怖で剣を構え続けるクレアの息が次第に荒くなってきていた。


「落ち着け、クレア。今、他のメンバーがこちらに向かっているはずだ」


 ヘルハウンド討伐に当たっているのは、ワッツとクレアだけではなかった。

 彼らの所属する十二大隊、すべての傭兵が参加している。広大な森の中ということもあり、散開してことに当たっているのだ。しかし、ワッツのその言葉にはなんの根拠もなかった。彼らが遭遇したのは、まさに偶然なのである。他の隊員たちは、まだ森の中を捜索しているだろう。


 と、ワッツの視線が逸れたと悟ったヘルハウンドが一気に草むらから飛び出し、襲い掛かってきた。


「むっ」


 ワッツの腕がハルバートを振るおうと力を込める。しかし、あまりに突然すぎて、その動作が一瞬遅れた。

 時間にして1秒となかったであろう。

 しかし、その1秒が生死を分ける瞬間であった。


(間に合わん──ッ!!)


 ゆっくりと、スローモーションのように目の前に迫ってくるヘルハウンドの牙を眺めながらワッツはそう思った。傭兵部隊に身を投じてから、死を覚悟したことは何度もある。絶体絶命の窮地を幾度も経験したことがある。

 そんなワッツだからこそわかった。

 これは、避けきれないと。

 しかし、次の瞬間、血を噴いて倒れたのはヘルハウンドのほうであった。


「──ッ!?」


 気がつけば、クレアがショートソードを突き立て、ヘルハウンドとともに地面に倒れ伏している。


「このおおぉぉ!!」


 クレアはすかさず剣を引き抜き、倒れ伏しているヘルハウンドに突き刺した。


「この、この、この!!」


 何度も何度も突き刺す。刃が突き刺さるたびに赤い鮮血が飛び散り、クレアの日に焼けた肌を赤く染めた。

 やがて、ぐったりと動かなくなったヘルハウンドを見て取り、クレアはくるりと振り返った。


「大丈夫ですか、ワッツ先輩!!」


 返り血で真っ赤に染めた顔をしながらワッツを見上げるクレアの表情は鬼神のごとき怖さを放っていた。


「ああ、助かった」


 普段はおとなしい少女の初めて見せた獰猛な面を、ワッツは戸惑いながらも感謝の意を述べた。


(しかし、このは、少し危うい)


 ワッツは、早めに決着をつけようと考えた。 

 改めてハルバートを持ち直し、雄たけびを上げる。

 その叫び声に反応して、四方八方に隠れ潜んでいたヘルハウンドが一斉に飛び掛かってきた。


「せや」


 ワッツはハルバートを一閃させてその群れを切り崩した。

 素早く横に飛び退いたヘルハウンドも、一瞬にして構え直したワッツの一突きによってあえなく絶命した。

 さすがは傭兵部隊の中でも1、2を争う槍の使い手である。


 クレアは邪魔にならないよう彼の背後にまわり、その背中を護るように剣を構えた。

 何匹か、襲い掛かってくるヘルハウンドがいたが、ワッツの勇姿でアドレナリンを大量に分泌させたクレアの集中力は凄まじく、ほぼかわすことなく一撃で斬り伏せてしまった。



 戦いはあっという間だった。

 多くのヘルハウンドの死骸が辺りを埋め尽くす。最初にクレアを襲った数よりもはるかに多い。いつの間にか、集まってきていたようだ。しかし、それもすべて殲滅していた。


 だいぶ遅れてやってきたのは十二小隊の面々であった。

 ワッツの雄たけびに反応して、呼びかけあいながら集結してきたのである。しかし、彼らの活躍はなかった。ワッツとクレア、二人の手柄により、今回のヘルハウンド掃討作戦は完了した。


「ちっ、まぁた一人で手柄を立てやがって」

「今回もワッツにおいしいところを持っていかれたな」


 軽口を言い合ってる仲間たちに、ワッツはかぶりを振った。


「いや、今回はすべてクレアの手柄だ。彼女がいなければ、オレは死んでいた」

「クレアが……?」


 眉をひそめる仲間たちの目線の先には、戦いから解放されて放心状態となっている血まみれのクレアの姿があった。


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