東京湾海底原発計画

いわのふ

第1話 暫定計画


 202x年、その設備の計画が始まった。


 「話がちがいます、ドクター・イワノフ」


 首相補佐官がロシア人顧問技術者に言った。


 「ちがってなぞいないだろう、宮部補佐官。みんなが電気ほしい、電気自動車欲しい、でも二酸化炭素はいやだ。さらにカネと快適な暮らしも欲しい、というからこれしかなかろう」


 「だからって、東京湾の海底に原発なんて」


 「君は何者だとわたしをおもっているのかね?あの二年続いた対ウクライナ戦争を戦術核二発で片づけた男だぞ。引き換えにプーチンは失脚してしまったが。だが、わたしは日本の首相に指名されて、顧問になったのだし、高野首相だって支持率低下は怖いんだよ、それぐらいわからない君ではあるまい。地方を札びらでぶったたいて、東京用の原発を作れるような時代じゃないのだ」


 イワノフは日本通として知られ、寿司をくう動画などで来日二年で早くも有名人である。巧みに日本語を操り、日本人を理解している。


 すこし経ってから宮部はこたえた。動画の満面笑みを浮かべたイワノフと目の前にいるイワノフはまるで別人のように威厳があった。


「正直なこと、それはいけないのでしょうかね。わたしたち日本人の持つ伝統ですし、誇りでもあります……第二次大戦でわたしたちは負け、都市は焦土と化しました。だが、千年を超える歴史ある国家として、その精神は生きているとおもっています」


 後半の言葉をのべるのに、宮部は涙をこらえることに執心した。それを見て、イワノフは憐れむように言った。


「大衆、というものを君は理解していないようだな。すでに日本人はこの数十年で変化したんだよ。理念なき経営者、政治家、でたらめなマスコミ。それに乗っかって儲けようとするカネの亡者。そしてそれを信じる多くの人々」


 イワノフは続けていった。


「先の大戦で、権威をうしなったものたちに代わり、新たな世代が日本の驚異的な成長をうながした。彼らには理念があり、世界に共通する考えだったし、実に尊敬すべき人たちだった。アジアもアフリカも中国でさえ、彼らを尊敬した。だが、その時代もおしまいになりそうだな」


 イワノフはシガーバーに置かれた古いヒュミドールから葉巻を取り出してマッチで火をつけ、続けた。久しぶりに見るマッチが新鮮に見えた。マッチの火は炎色反応により、青色から赤く変化し、宮部は「マッチ売りの少女」の逸話を思い出した。


 イワノフは言った。


「ああ、これか。これは葉巻好きのケネディが使っていたものだ。このシガーバーに寄贈したものだ。まあ、ケネディもよい時代に生まれ、核戦争も起こさずよい時代に死んだんだよ」


 宮部は首をふった。イワノフは答えは考えるようにしながら、一服していった。


「動画サイトでどういうかく乱工作を私たちがしてきたか。この動画サイトを見たまえ。すでに数百万もの人が見て応援してるではないか。それから、その窓から外を見るといい」


 宮部は険しい表情で、都内のビルから国会議事堂を取り巻くデモ隊の人々を見た。騒乱のなか、怒号を叫ぶ老若男女たちがいた。さまざまな旗に文字が書かれている。『ストップ!地球温暖化!』『ガソリン車撤廃!』『早期に再生可能エネルギーを!我々はこごえている!』『日本の借金は孫に返させるのか!』。お互いに矛盾しあうように見える主張をかれらは訴えている。だが、それを言葉にして大衆に言える立場ではない。


 経済・金融・エネルギー政策で大失態をおかした前政権は大スタグフレーションを発生させ崩壊した。まずい政策を連発し、円安と円高を短期に繰り返した挙句にインフレと大不況である。責任をとって辞任した内閣に代わり、あらたに若き四十歳の高野光氏が首相に就いた。しかし、高野首相とて、どうにでもできる問題ではない。


 宮部は顔をしかめながら、イワノフに向き合った。ロシア産天然ガスをサハリン2経由で大量に輸入しはじめた日本は、エネルギー政策でも経済戦略でも岐路に立たされていた。


 「わかりました、ドクター。それでやってください、基礎設計が完成したら首相会見です」


 イワノフはディスプレイを指していった。


「できてるぞ、これを見ろ。皆さんが大嫌いな石炭発電所ともこれでおさらばだ」


「これは…原潜?」


「原潜ではない。旧ソ連、ロシアはチタン合金加工技術ではどの国もかなわない技術をもっている。これは、原潜のように葉巻型の外殻をもっている。水深千メートルにさえ耐えうる外殻だ。それ、これを見ろ」


 イワノフは銀色に光る金属の塊を宮部に放り投げた。チタン製の綺麗に加工された丸いかたまり、それは何なのだろうか。


「なんですか、これは」


「俗にいう、核ミサイルのスイッチ、だな。スイッチカバーとしてチタン製のノブがつけられていた。ソ連の象徴さ。やるよ、前にアメリカのテレビで売り買いしてたよ」


「それはいいですが、この設計図…」


 イワノフはかたりはじめた。原潜用としては水深千メートルでも耐える外殻船体をかつて作ったことがある。たかが、東京湾の海底だ、水圧も低く三十年は持つだろう。


 すでに洋上原発、海中原発も各国で計画されており、洋上についてロシアでは稼働さえしている。実績はそれを参考にする。発電所は原潜の応用で手早く設計、製作する。耐圧船殻はソ連原潜のものをそのまま流用し、新たな技術開発を不要とする。原子炉は加圧水型の国産原子炉を積む。


 日本には沈埋函トンネルという技術があり、東京湾岸の各所で「プレハブ・トンネル」として使われている。要するに工場で作ったトンネルにうえから砂をかけて沈め、道路にしてしまう技術である。発電所船内は、すべて工場で建設され、海上を輸送して運び、湾内にケーブルをつけたうえで沈める。予備浮力を船内タンクに持たせ、移動も可能としておく。


 原子炉は典型的な加圧水型原子炉を用いるが、原潜では生じた蒸気をギアードタービンに直接吹きかけて推進力を得るが、発電が目的であるため蒸気発生器からの水蒸気はタービン発電機に供給される。なにしろ、原子炉である。原潜用でさえ一般的百万キロワット発電所の三十パーセントもの出力が得られる。発電用に最適化すればほぼ同等の電気出力が得られる。


 原子炉に入れる濃縮ウランは通常型とは異なり、交換不要とするために九十パーセント級のウラン二三五で形成されている。日本では沸騰水型原子炉と加圧水型原子炉が主流であるが、どちらも三パーセント程度の濃縮度である。かつて、東海村で臨界を起こした増殖炉用では九パーセントまで濃縮していたが、それ以上は濃縮されたことはない。しかし、技術がないわけではない。


 で、非常事態になったり、廃炉にするときはどうするか。


 その場合には、即座に原子炉停止、制御室との隔壁を閉鎖する。通常は海水で冷却されるから処置はこれでよい。しかし、原子炉閉鎖ができない可能性もある。冷却が危険であれば海水ポンプと電池のみで冷却しながらDSRVで培われた深海艇によって日本海溝上部にまで引きずり出す。


 日本海溝はプレート沈み込み地帯である。だから、そこで処分するのだ。船体は沈むが、チタン製の外殻であること、船体に注水して圧力緩和することにより、千メートル以上の深海でなければ圧壊は起きない。だから水質汚染は最小限で済む。強力な隔壁で守られ注水された原発モジュールはさらに深海でなければ圧壊しないだろう。


 であるから、海溝上部にて、そのまま船内に注水し、大陸プレート側に沈める。一万メートルもの深海に着底した発電所は海水で冷却され、長い時間をかけてやがてプレート運動によってマントル内部に引きずりこまれることになる。








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